(2)初めまして、同居人様?
(ここはどこ?
私は薬を飲んで死んだはずなのに。それともあれは毒薬じゃなかったのかしら)
自分の手を見てみれば、勇者様とよく似た肌の色。まっすぐな黒髪。
(私の髪は茶色だったし癖っ毛だったわ。
この体は私ではないのね。それに、もしかしたらここは、勇者様の国?)
清潔な室内、見慣れぬ様々な物。
魔力で気配を探れば、ずいぶん大きな建物の中にいることがわかった。まるで王宮のように、上下にも横にもたくさんの人の魔力の気配がする。
生きているものは全て魔力を持っている。それはこの世界でも変わらないようだ。
この部屋の中にももう1人誰かいる。魔力の感じからすると年配の女性だろうか。今は眠っている。
どうやら体が変わっても魔法は今まで通り使えるようで安堵した。
人質だった自分には魔法の勉強は許されなかったけれど、母が教えてくれた魔法がいくつかある。それに、独学で身につけた魔力感知には自信がある。
(あの声は女神様だったのかしら)
“1年の猶予”
(死ぬのが1年先に延びたということよね。それにしても真実の愛? そんなもの、どこにあるの?
そもそも“愛”というのがわからないわ。誰かを大切に思うこと? それなら私が1番愛したのはお母様だわ。でもお母様はとうに亡くなってしまった。
あとは……)
エリカの胸の中には、1人の男性の面影があった。
(でも、あの方には守りたい大切な人がいるって……)
幼い頃の自分の想いが“愛”と呼べる物なのかどうかもわからない。ただの憧れなのかもしれないほのかな思いだ。
(つまり、真実の愛とやらを見つけられそうにない私は1年後に必ず死ぬということね。もう、死ぬ覚悟はできていたというのに、1年も延びてしまったの?
女神様は余程私のことがお嫌いなのかしら。私が死ぬのを恐れて泣き叫ぶのを期待していらっしゃるの?
だとしたら悪趣味ね)
女神様の悪口を言うと罰が当たりそうだが、考えてみればもうすでに罰は当たってしまったようなものだとエリカは思った。
(でも、もしかしたら私はもう泣いても良いのかもしれないわ。
ここには私を監視する“影の者”はもういない。私を冷たく見据える国王も、私を見るたびに嫌みを言ってくる貴族たちも、なにかとちょっかいをかけてくるご令嬢方も、私を腫れ物扱いの侍女たちも、もう誰もいないのだ。
だったら、私が少しくらい泣いたって、お母様の恥にはならないわよね)
そう思ったとたん目尻から涙がポロポロこぼれる。
(知らなかったわ。私、泣き虫だったのね。それに、涙を流すと濡れたところがだんだん冷たくなってくるのね)
しばらく泣いたあと、小さな子供のように、袖で涙を拭って泣き止んだ。目と喉の辺りが痛かったが、回復魔法をかけると痛みが無くなった。
エリカは涙で濡れてしまった髪と枕にも浄化の魔法をかけた。手で触れてみると、
(うん、さらさらになったわ)
おそらくまだ夜明け前。
ざわざわとたくさんの人の気配は有るけれど、この部屋に誰かが訪れる様子は無い。
ほとんどの人は寝ているようだが、1部、活発に動き回っている人もいるようだ。こういう場所を以前どこかで……。と考えて、ああ、治療院に雰囲気が似ているのだと思い当たる。
そういえば、この体はあちこちに怪我をしているようだ。骨折などの大きな怪我は無いようだが。治療院に入院中なのだろうか。
この程度の怪我なら魔法で治してしまえるが、自分のものではない体に勝手に魔法をかけて良いものかわからない。
(たしか、勇者様の国には魔法が無いと言っていたわね。だとしたら急に怪我が治っていたら変に思われるかもしれないわ)
泣いたおかげで少しすっきりして落ちついたエリカは自分の内側に向かって話しかけた。
(さて、いきなり取り乱して申し訳無かったけど、あなたはいつまで隠れているつもりなのかしら? あなたがそこにいることは初めからわかっていたのよ。
あなた、この体の本当の持ち主さんよね?)
魔力感知で体の中にもう一人の魔力があることには気づいていた。
エリカという異物の侵入に対して何らかの意思表示をしてくるだろうと待っていたのだが、いっこうに動きが無いので、こちらから声をかけてみることにしたのだ。
相手の怯えの感情が魔力の揺らぎで伝わってくる。なんだかいじめているようで具合が悪い。
(まずは自己紹介からかしら。初めまして。私はエリカ・ベルード。12歳になったばかりよ。あなたのお名前は?)
ためらう様子をみせる相手に、エリカは急かさず、落ち着いて待った。
(…………陽菜子……村上陽菜子)
耳に聞こえる音とは違う、頭の中で相手の声が聞こえるような不思議な感覚だった。
相手の言葉が理解できることに、エリカはほっとした。女神様のお計らいだろうか。
(陽菜子が名前、村上が家名かしら。よろしく陽菜子)
(……よろ、しく……)
陽菜子の返事は小さく、か細く、ぎこちなかったが、取りあえず意思の疎通は図れそうである。
(さっそくなのだけど、陽菜子はこのおかしな状態に何か心当たりは有るかしら?)
1つの体に2人の人間の意識が有るのはどう考えても異常だ。この体は陽菜子の物なのだからエリカが出ていくべきなのだが、エリカには出ていく方法に全く見当もつかなかった。
さらに困ったことに、体の主導権を握っているのはエリカの方であるらしく、陽菜子は意識は有るが体を動かすことができないようなのだ。
(私……私、たぶん車にはねられて、)
思い出しながらポツポツと語る陽菜子の話によると、事故で意識を失い、目が覚めたら今の状態になっていたそうだ。目を覚ましたのはエリカとほぼ同時であったらしい。
混乱しているうちにエリカが泣き出してしまい、人見知りの引っ込み思案である陽菜子は、どうしていいかわからず、おろおろしながら様子をうかがっていたのだそうだ。
陽菜子の話の中でエリカには理解できない部分も有ったが、取りあえず後回しにした。この世界についてのことは後で陽菜子から教えてもらおう。焦ってもしょうがない。
(それは本当に申し訳なかったわね。そうね。2人とも解決方法がわからない以上、しばらく私が陽菜子として過ごすしか無いのかしら。そうだわ。そのために、陽菜子のことをいろいろ教えてもらえないかしら?)
初めよりも少し打ち解けてきた様子の陽菜子は、自分のことを少しずつエリカに話していった。家族のこと、生い立ちのこと、そして、今回の事故の原因についても。