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⑥料理教室

     料理教室



 夏休みに例年開かれる保護者懇談会が近づいた。

 案内のプリントをテーブルに広げ、スマホをテーブルに置いたまま、思わずため息がもれた。

 今年は参加するようになっていた父さんだったけど、やむおえない出張が入って行けなくなったと、ついさっき、電話をもらったばかりだった。

「すまん。来年は受験生だから、何をさておいても参加するからな」

 父さんを責める気なんてさらさらないが、ふだんの忙しい様子を見てたら、とても来年にも期待できそうにない。


―なにか方法はないかしらね―

 母さんの手も、からみあって考えているようだ。

 しばらくして、手の動きがふっと止まった。名案とでもいうように、OKサインが出る。

「なんなの?」

 母さんの指が、宙に文字を書いた。

 あ……か……ね

「えっ? 朱音さん?」

 そうそうといいたげに、手がゆれる。

「でも……迷惑じゃない?」

 手がひらひらと左右にゆれる。迷惑なんかじゃないらしい。

「じゃあ、たのんでみるよ! 朱音さんに」

 ぼくの手は、そくざにスマホにのびた。


「祐」

 保護者懇談会のあとで、水城先生がこっそりぼくを手招きした。

 水城先生は今年は担任ではないけれど、何かにつけては声をかけてくれる。

「さっき、みえられてた方は……?」

「母さんの親友。杉本朱音さんていうんだ」

「そうか。てっきりご身内と思った。優しそうな方だな」

 先生は安心したように、目を細めてうなずいた。

「ずうっとご縁のある方だといいな」


 縁……。不思議なひびきの言葉だと思う。

 縁があったから、ぼくは、父さんと母さんの子どもに生まれ、母さんと朱音さんが知り合った。

 いったんは連絡がとだえた母さんと朱音さんだけど、母さんがいなくなったあとでも、ぼくを通して縁がつながれている。簡単には切ることのできないリボンなんだと思う。


「うれしかったわあ。懇談会に参加できて」

 その日の帰り、朱音さんはしみじみと言った。

「祐くん、連絡してくれてありがとうね」

「母さんのご指名なんだよ」

「そうか……。じゃあ、まず美晴に感謝しなくちゃね」

 朱音さんはしばし目を閉じた。そして急に何かを思いついたように、はずんだ声で話しかけてきた。

「ところでね……祐くん、さっき懇談のあとで、水城先生だっけ……祐に時々炊事を教えてやってくださいって頼まれたのよ。きちんとご飯が作れたら将来苦労しないだろうからって。だから、美晴とお父さんのお許しがもらえたら、夏休みにお料理の家庭教師をしてあげましょうか?」

「えっ? 朱音さんが?」

「私もプロじゃないから、簡単なものばっかりしか教えてあげられないけどね」

「朱音さんが迷惑じゃなきゃ……先生お願いします」

 ぼくが大げさに頭を下げてみせると、

「まず、二人に聞いてからよ」

 朱音さんは笑った。

 その日のうちに、父さんには承諾を得た。

 母さんも、すかさず指でOKを返してくれた。

「ね、いっしょに来てみたら?」

 誘ってみると、手はイヤイヤをするようにゆっくり左右にゆれる。

「じゃあ、毎回作ったもの、写真にとって見せてあげるからね」

―ありがとう。楽しみにしてるわ―

 手は、やさしくぼくの頭をなでた。


 夏休みは週に三回ほど、料理を習うことになった。

 場所は夕方、朱音さんのアパートで。そして月末の土日のどちらかに、おさらいを兼ねて実家で作って、三人でいっしょにごはんを食べる。そんな約束をした。

 献立のたてかたや、買い物の仕方、材料の鮮度の見分け方、そういったことから、朱音さんはいちいちていねいに教えてくれた。

 ずっしりと重い買い物袋を抱えて、朱音さんのアパートに行き、そこで夕食の準備がてら料理を習う。

 エプロンすがたで台所に立ち、朱音さんの料理教室が始まる。

「祐くん、じゃがいもの皮むいて」

「大根を千切りにして」

「こんにゃくはさっとゆがいてね」

 あれこれと指示されながら、肉じゃがや味噌汁の作り方などをひととおり覚えていく。

 料理ができたら、二人で夕ごはんだ。

「じゃがいも、ほっこりしてるわ」

「大根少し大きく切りすぎたかなあ」

 本日の反省とともに、学校でのいろんな話もしながら、にぎやかに夕食時間が流れていく。


 ある日、スーパーのレジで、朱音さんと並んでいたら、レジ係のおばちゃんにこんなことを言われた。

「奥さん、息子さんがいてくれると、たのもしいわねえ」

「ええ。そりゃもうほんとにたのもしい息子で……助かってますよ」

 朱音さんは、いたずらっぽい目でぼくの方を見た。

「はたからだと、まるで親子にみえるのね」

「似てるのかな。ぼくと朱音さんって……」

「だったら、すごくうれしいわ」

 ぼくたちは顔を見合わせ、笑い合う。

 母さんが生きていたら、いっしょに買い物するなんて気恥ずかしくて、とうていできそうになかっただろう。

 なのに、朱音さんとなら平気だ。

 それはきっと他人だからだ。

 でも、きっと特別な他人だからだと思う。


 初めて父さんを交えての夕食。それを作るのはぼくの役目だ。

 今月マスターした料理を組み合わせ、ぼくが選んだのは、豚肉のショウガ焼きと大根のおみそ汁。

 付け合わせは、ほうれん草のソテーと粉ふきいもとミニトマトにした。

「うん、祐くん、栄養といい、彩りといい、バッチリよ」

 朱音さんが絶賛してくれる中、三人での夕食が始まった。

「このショウガ焼き、やけにショウガの量が多いな」

 父さんが目を丸くした。

「だって、母さんのショウガ焼きも、すごくショウガの味が強かったでしょ」

「あ、わかるわ。美晴は、ショウガが大好きだったもの」

「え? もしかして、小学生の頃から?」

「そうよ。お寿司やさんのガリとか、ショウガのみそづけとか、大好きだったのよ。シブイよね」

 いつのまにか、ショウガの話題が、母さんの思い出話に移ってしまった。

 給食はいつもお代わりしてたとか、ケンカが強かったとか、そういう話は生まれて初めて聞く。

 母さんの手もいてくれたらよかったのに……。


「ごちそうさま」

 食事もそこそこに、父さんが席から立ちあがった。

「もう、召し上がらないんですか?」

 おっかなびっくり、朱音さんがたずねる。

「ええ。あなたのおかげで、祐がこんなに料理ができるようになって……おどろきました。本当にありがとうございます。だけどわたしには、美晴の思い出話はどうしても……」

「すみません。私ったらつい……」

 朱音さんは、青ざめた表情で何度も頭を下げる。

 ぼくは、いすから立ち上がると、父さんをにらみつけながら大声でさけんだ。

「父さん、なんでいつもそうやって逃げるんだよ!」

「祐くん!」

 背後から朱音さんがぼくのことばをさえぎろうとしたけれど、もう止まらなかった。

「ぼくは、母さんの思い出話をいっぱい、いっぱいしたいのに、父さんはいつだって逃げてる。思い出したらつらいからって、母さんのこと、ぜんぜんわかってあげてないでしょ? 思い出から逃げてたら、いつかはきっと母さんのこと、何もかも忘れちゃうじゃないか! それってすごく悲しいだろ? 母さんが生きてきた意味がないじゃないか」

 父さんは何も言わなかった。

 背中だけを向けて、じっと口を閉ざしていた。

「ぼくは、これからだっていっぱい、いっぱい、朱音さんと母さんの思い出話をするからね。ぼくは母さんのこと、ぜったいに忘れないんだから!」

 父さんは、無言で二階へと上がっていってしまった。


 悔しい。涙があふれてくる。

 どうして父さんは、そんなに早く、家の中から母さんの匂いを消してしまおうとするんだろう。

 母さんはきっと父さんのそばにもいたいだろうに。

 この家に帰ってきたいだろうに……。

 ふわりと肩に手がおかれた。

 朱音さんだった。母さんと同じ、やわらかなぬくもりのある手のひらだった。

「悲しみの乗りこえ方は人それぞれなの」

 朱音さんの声が震えていた。

「いっぱい、いっぱい思い出して、ようやく思いきれる人もいるけど、ひたすら忘れようとするうちに思い切れる人もいる。でもね、それは悲しみをのりこえるための手段なの。本当に忘れてしまったりすることは決してないのよ。だってね、私だってそうなんだもの」

 ぼくは朱音さんを見つめた。

「パパとシオンがいなくなって、どうしていいかわからなかった。考えまいとすればするほど思い出は強くなって、思い出をだれかにいざ話そうとすれば、何にも口から出てこない。三人で過ごした街を離れたら、何とかなるかなと思っても、その勇気さえなかったのよ。そんな私の背中を押してくれたのは美晴なの」

「母さんが……?」

「そう。美晴は、元気なときからたくさん手紙をくれたのよ。こっちにおいでよ。いい街だよって……。だけど、私が本当に腰をあげたのは、美晴が死んでしまってから……。美晴がどんなに、ひとり息子の祐くんを心にかけてたかと思うといてもたってもいられなくて……。たとえ、役に立てなくてもそばにいなきゃと思ったの」


 そのとき、ぼくの頭の中にアスミさんの言葉がよみがえった。

『お互いがいつもお互いの心の中にいるの。だから考えてることが手にとるようにわかるの』

 朱音さんだからこそ、親友が死んでしまったあとも、その心のうちを感じとってくれた。

 そして母さんも、朱音さんには安心してぼくを託そうと思ってくれたのにちがいない。

 朱音さんは、ぼくの腕を引き寄せていった。なつかしいフローラルの香りが鼻をかすめる。

「今はね、お父さんは本当につらいの。寂しいの。でも、必死でがんばってる。美晴はきっとそれを知っているわ。そのすがたを見るのは祐くんにはとてもつらいと思うけど……」

 手のひらから、朱音さんのぬくもりが伝わってくる。

「でもね、お父さんは美晴を忘れないわよ。何があろうと、祐くんの大切なお母さんを忘れたりするもんですか……今は見守っててあげようね。お父さんのこと」

 荒れ狂っていたぼくの心の荒波が、徐々に静けさを取り戻していった。


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