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⑤朱音さん

     朱音さん



 季節の変わり目は、小さいころからニガテだ。

 暑い日と肌寒い日が交互に続いたせいで、すっかりのどの調子がおかしくなり、病院に行くと扁桃腺炎と診断された。身体がしずんでいきそうなほどつらいときは、何もできなくても母さんの手がそばにいてくれるだけで、十分心強い。


 お昼過ぎごろ、ノックの音がした。

 父さんが、仕事を早退して来てくれたのかな。

「どうぞ」

 返事をして待っていると、開いたドアの向こうに、なんと朱音さんが立っている。

「だいじょうぶ? 祐くん」

「あっ……」

 朱音さんがぼくの寮を訪問してくれるなんて、まったく想像すらしてなかったから、思いきりうろたえてしまった。

「実はね、最近、この近くに引っ越してきたの。近々、祐くんと会うつもりでいたんだけど、昨日から、何だかとても気になってね、思いきって訪ねてみたら、寮母さんが学校休んでるっていうから……。風邪ひいたの?」

 朱音さんは、すかさずぼくの額に手を当てた。

「まだ熱いわね。病院は?」

「扁桃腺がはれてるって……。昨日、薬もらってきました」

「喉が痛いんでしょ? ちゃんと食べられてる?」

 ぼくは首を横にふった。

 今朝は、運んできてくれた寮の朝食にも、まったく手をつけずじまいだった。

「なんか……食べたいものある?」

「ネギがいっぱいの玉子うどん」

「そう。じゃあ、ちょっと待っててね」

 杏子堂のロールケーキとメロンのお土産を冷蔵庫にしまい、朱音さんはそそくさと、部屋から出て行った。


 次に戻ってきたとき、朱音さんの手には、ふうわりと湯気のたつ玉子うどんの器があった。

「材料買ってきて、共同のキッチンで作ったの。お鍋と食器は寮母さんにお借りしたけど……」

 あつあつの玉子うどんからただようだしの香り……。ひとくち飲むと、むかし、風邪をひいたときによく母さんが作ってくれたのと同じ味がした。

 うどんもつゆも残らずたいらげ、ようやく身体のだるさが抜け出したような気持ちになった。

 デザートのケーキもメロンもペロリとおなかにおさまった。


 朱音さんは、ホッとしたように微笑みながら、ぼくに言った。

「身体が風邪をひくと、どうしても弱気になっちゃうのよね。そうなると、なかなか治ってくれないのよ」

「母さんも……そんなこと、よく言ってました。健全な心は、健全な身体に宿るって」

「美晴は、ホントに元気印だったもんね」

 そう……。母さんはどんなときでもまず笑顔だった。『身体が健康だとひとりでに笑えるのよ。ありがたいことだわ』って、口ぐせのように言ってた。ぜんぜん笑わなくても長く生きられる人だっているのに、なんてこの世は理不尽なんだろう……。


「親はね、子どもが苦しそうな時ほどつらいことはないのよ。美晴のことだから、きっと心配で様子を見に来てると思うわ」

「それはもう……ぜったい」

 ぼくは、これまで母さんの手のことを、どんなに仲のいい友だちにも秘密にしてきた。同情されるか、気持ち悪いと言われるかのどちらかだし、どんなに口止めしたって、どこからかうわさになるものだ。

そう思うと、決して軽々しく口には出せなかったのだ。だけど何となく、朱音さんには話してみたい。

そんな思いにかられていた。

「朱音さん。もし母さんの手が、いつもぼくのそばにいるっていったら信じてくれる?」

 朱音さんはじっとぼくの顔を見つめ、大きくうなずいた。

「もちろんよ。だって美晴らしいもの。手だろうが足だろうが、私が同じ立場なら、イヤがられたってぜったいそうするわ」

 わずかな沈黙のあとで、朱音さんはぽつんとつぶやいた。

「私が先に死んでいればね……」


「私には家族がいたの。息子は生きてたら、祐くんと同い年よ」

 朱音さんがぽつりぽつりと話し始める。

「祐くんは六月生まれ。うちのシオンは八月生まれなの。よく電話でお互いの近況報告をしあっててね……。五歳になったばかりの夏だった。その日は私が仕事だったので、シオンはパパと二人きりで海に遊びに出かけたの……そしたら……」

 遊んでいたシオンくんは、とつぜんの高波にさらわれてしまったという。そして、助けに入ったお父さんまでも、あっけなく波間に消えてしまったそうだ。

 何より悲しいことに、懸命な捜索の甲斐もなく、二人ともそれきりもどってきてくれなかったらしい。

「信じられなかった。あまりのショックで、気がおかしくなりそうだった。だけどゆいいつの救いは、二人でいっしょに天国に行ったんだということ。もしシオンが暗い海の底でひとりきりでいるなら、どれほど私もついていってあげたいと思ったことか……」

 朱音さんの目が、みるみる赤くうるんでくる。

「祐くんに会ってから、どうしても他人とは思えないの。どこかシオンと重ねてしまうのよね。とつぜんあなたを残して逝くなんて、美晴はどれほど心残りだったかと思うと、もうやりきれなくて……」

 朱音さんは、ぼくの正面に向き直ると言った。

「ねえ、祐くん。これから、もしも私で役に立つことがあれば、何でも言ってくれるかな?」

 こっくりとうなずく。

 母さんはなぜ出てきてくれないのだろう?。

 朱音さんに、自分がここにいるってことを示してくれたらいいのに。

 だけど、母さんはきっと喜んでいる。

 その言葉を聞いて、ぼくが泣き出したくなるほど嬉しくなったから……。

 ぼくの心に自分の心を重ね合わせているにちがいない。そう信じずにはいられなかった。



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