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④悩み

     悩み



 季節の舞台はめまぐるしく移り変わる。

 三学期の個人面談で、水城先生にたずねられた。

「祐、志望校は決めてるのか?」

「はい。このまま城北高校に進むつもりで……」

 城北高校は、城北中学とたいして離れていないところにあり、自宅からの通学が可能だ。

「そうか。それならそれでもいいんだが……」

 先生は、進学に関する書類を重ねるとぼくを見た。

「おまえ、かなり成績いいからなあ。このまま城北高校じゃもったいないし、かえって心配だ」

 たしかに勉強はがんばってるつもりだ。だけど、塾に通ってるわけでもないから成績がいいといわれても、今の実力がどのくらいのものなのかは全然わからないし、先生は、いったい何を心配しているのだろう?

「城北高校なら今の成績だったら、まず九十九パーセント間違いなく入れる。自宅通学する気なら、祐はまず自炊生活に慣れておく方が先決だな」

 ああ、そういうことか。

 ぼくは、ようやく水城先生の心配の意味がわかった。

 大学の受験勉強をしながら三年間、自宅でひとりで家事をしながらの生活を続けなければならないのだ。もちろん父さんはいっしょにいるだろうけど、あてにはできない。仮に、ぼくが家から離れた高校を選んだら、寮生活もできるし、ずっと自由で寂しくはないかもしれないのだ。

「おそかれはやかれ、みんな親から独立していくもんだ。ただ、祐の場合、少し早すぎたな。他のヤツらが親に甘えたい放題のときに、祐はがんばらないといけないんだもんな」

 母さんは、今は確かにそばにいてくれる。けれども家に帰ったとしても、母さんの手が家事をしてくれるはずがなく、もしかしたらそばにいてくれることさえできなくなるかもしれない。

 そんな不安を母さんに伝えるなんて、とてもできそうにはなかった。


 あじさいの花が、雨にしっとり打たれる六月。

 母さんの一周忌に親戚一同、顔をそろえた。

 法要のあとの食事会の席で、親戚の中でもかなり年配のおばあさんが、ぼくに向かってずばりとこう言った。

「祐ちゃん、あたしゃ、あんたにはこの先、新しいお母さんが必要だと思うよ」

「え?」

 とつぜんのことに、ぼくは面食らった。

「あんた、まだこれから受験や就職やいろんな峠を越えていかなきゃいけんでしょ? そういうときの支えは、やっぱり母親じゃないかね。もちろん、亮介だって、このままひとりで生きていくには若すぎると思うがね」

 亮介というのは、ぼくの父さんのことだ。しばらくぶりに会うからぜんぜんわからなかったけれど、このおばあさんは、父さんのお母さんのお姉さん、つまりおばさんにあたる人らしい。口やかましい人なので、親戚中にけむたがられているということを聞いたことがある。

「でも……」

 ぼくは、のどまで出かかったひと言を飲みこんだ。

 母さんは、今でもぼくのそばに、ずっといてくれるんですといったところで、素直に信じてもらえるわけがない。

 心配げにぼくを見つめるアスミさんと目が合った。

 何もおかまいなしに、おばあさんは話し続ける。

「亡くなった美晴さんがいちばん心配なのは、きっと、ひとり息子のあんたのことに決まってるよ。あんたが健康で幸せであってくれるのがいちばんの願いだろうからね」

 そうだよ。そのとおり。だからぼくから離れないでいてくれるんじゃないか。

「新しいお母さんが」

 再びおばあさんが口を開きかけたとたん、ぼくは大きな声で叫んでしまっていた。

「要するに、母さんのことは早く忘れてしまえってことですよね」

 おばあさんの言ってることはわかる。前に父さんに言われたことと同じだと思う。だけどぼくには母さんを忘れることなんて、まだまだとうていできそうにない。

 だって、口もきけず、何もできなくても、母さんは、いつもちゃんとぼくのそばに居続けてくれてるんだから。

 少しおどろいた顔つきになりながらも、おばあさんは一歩も引こうとしなかった。

「要はそういうこと。あんたももう小学生じゃないんだから、しっかり自分の置かれた状況を考えなさいな。いつまでも悲しみをひきずってんじゃないのよ!」

「うるさいな。もう放っておいて下さい!」

「祐!」

 まわりの大人たちが、すかさずぼくをたしなめた。

「まったく……人が心配して言ってるのになんて態度かね!」

 ブツブツと文句をいうおばあさんに向かって、それこそよけいなお節介なんだよと、さらに悪態をつきそうになった。


 まさにそのときだ。

 とつぜん母さんの手がふわりと現れた。

 おばあさんの前を横切り、ぼくのところに来て肩を抱く。

 ―怒らないで。祐。みんな、それなりに心配してくれてるのよ。

 そんな声が心に聞こえてくる。

 けれどもおばあさんにはその手が見えない。

 父さんにも見えない。アスミさんにも。

 一周忌に参列しているだれの目にも、母さんの手は見えないのだった。


 母さんはちゃんと存在しているのに、それが認められずにだんだんと、みんなの記憶から忘れ去られていこうとしている。それが死ぬってことなのかな。あまりに母さんがかわいそうだ。

「おばさん、いろいろ考えてくれてありがたいけれど、まだわたしも祐にも心の整理がいるんです。もうしばらくは、そっとしておいてくれますか?」

 父さんがやんわりというと、おばあさんもやっと黙りこんだ。


 寮に帰ってからも、ぼくの心はざわついていた。

 新しいお母さんイコール父さんの再婚。

 もし、父さんが再婚したとすれば、ぼくの居場所は家にはなくなってしまう。

 遠くの高校に進学せざるをえないんだろうか? 母さんはついてきてくれるんだろうか。

 とめどなく、いろんな考えがわきおこってくる。

 ふっと、怒りにも似た気持ちがわきあがった。

 母さんのせいだ。死んでしまったのがいちばんいけないけど、手だけ無責任に現れるから、ぼくはいつまでも母さんから離れることができない。手さえ現れなきゃ、今頃はもっとあきらめているかもしれないのに……。そんな悲しい気持ちを一気に打ち消すように、もうひとつの声が叫び出す。

 ーおい! 祐、何てこと考えるんだ! 母さんにすがってるのは、どこのどいつだよ!

 オマエがたよりないから、母さんだって心配してくれてるんじゃないか! 弱虫め。全部母さんのせいにして……。

 思わず机にうつ伏した。どうしようもなく涙があふれてくる。

 母さんの手がふわりと肩におかれた。

―ごめんね。祐

 心がずしりと重い。悲しさが押し寄せてくる。

 これは母さんの気持ちだ。手だけになって、何もできない自分がやるせなくてたまらないんだ。

 ちがうよ。ちがうんだ! 母さん。

 手だけでいいから、母さんにはずっとそばにいてほしいんだよ。

 でも……。

 言葉にできない気持ちを、母さんの手は感じとってくれるだろうか。



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