08-聖女と白沢
関東総合教会付属第三神学校は全寮制だから、生徒が実家に帰れるのはお盆と正月だけだ。それを揶揄して「サラリーマン学校」などと呼ばれる事もある。
白沢は富谷から
「彼女の家は君の家の近くだから、君にはこれから家から通学してもらう。私たちが家まで送り迎えをするし、そのあと彼女と会うかどうかは君の自由だ。私たちに報告する義務も無いよ」
と言われた。その適当を通り越してズサンとも言える管理体制に疑問を抱きつつ、白沢は高部の運転する国産高級車で、久しぶりの我が家へと帰ってきた。
突然帰ってきた白沢に母親はとても驚いていた。当然だろう、全寮制の学校から休み以外で突然息子が帰ってくる理由はあまりいい事ではない。だから白沢は親より先に口を開く。
「別に退学とか学校が嫌になった訳じゃないよ。むこうの生活は順調だから」
「そう。あなたの事だから大丈夫だろうと思ってるけど。でもどうしたの、突然?」
「中学時代の同級生が聖女だから、護衛をしに帰ってきたんだ」など言えるはずもない。
「…秘密の学校行事、かな。これからしばらくは家から通学する事になるから」
そう告げられた母親は少しあきれた顔をして「何それ、もうちょっと早く連絡とかできないの?まったく…」と言う。
口ではそういっているものの、顔はうれしそうだ。最後に母親と顔をあわせた時期から逆算すると、約半年振りの再会という事になる。今ここに自分と母親の笑顔があるのは間違いなく教会のおかげだと、白沢は強く思った。
自分の部屋へと向かう。部屋は定期的に掃除されているのだろう、ホコリや空気の澱みも無い。もしかしたら中学時代に自分が使っていた頃より綺麗になっているかもしれない。
少し苦笑しながらも親に感謝し、椅子に座る。時刻は午後6時。今からに会いに行くにはちょっと時間が遅すぎる。彼女を訪ねるのは明日にしようと決めて、夕食の準備をしている母親に、今日は自分も夕食を食べる旨を伝えた。それを聞いて、母親はまた嬉しそうに文句を言う。
その日の夕食は久しぶりに家族全員そろってのものだった。父親も妹も白沢の顔を見た瞬間、
「どうした、まさか退学したのか!?」
「うわ、なんで家にいるの!まさか退学!?」
などと失礼なことを言ったが、やはり母親同様その顔はうれしそうだった。普段離れて生活しているせいか、白沢にはこうした家族との会話がとても大切なものに思える。そして同時に、こうして今4人で笑いあえる事が、実は奇跡だという事を強く実感した。
富谷達から選ばれて、自分もあの神父に一歩近づけた。その思いは白沢に自信と力を漲らせる。聖女との再会を明日に控え、白沢は強く思った。自分に与えられたこの仕事を、何があっても完遂させると。
翌日、彼はいつもより1時間半早く起きる。寮では部屋を出てから教室の席に座るまで10分あれば間に合うのだが、自宅からだとそうはいかない。学校までは富谷たちが送ってくれので、白沢は彼らが迎えに来るまでに準備を整えなければならなかった。
慣れない時間に起きて眠い目をこすりながら台所へ行くと、母親がすでに朝食を作っていた。リズミカルにまな板を叩く音に混じり、ラジオは今日一日の天気が晴天である事を伝えている。
野菜を刻む音、炊飯器から立ち上る煙、外で鳴く雀、ラジオから聞こえるいつものアナウンサーの声、鼻をくすぐる味噌汁の臭い。そしてこれから登校する自分。白沢は一瞬、中学時代に戻ったような錯覚を覚えた。
朝食をとっていると、玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に誰かしら、と言う母親に「多分俺のお客さんだよ」そう答えながら急いで準備をする。
玄関からは「おはようございます、白沢タクヤ君のお母さんですね。はじめまして、私は大聖教会総務部第三課に所属している富谷と言います。朝早くから申し訳ありませんがタクヤ君のお迎えに上がりました」という声が聞こえた。
玄関にいた富谷は、昨日と同じようなスーツ姿で笑顔を浮かべている。教会関係者が家を訪ねて来る事は、普通の家庭ならばめったに無い。特にこんな早朝ならなおさらだ。母親は驚いた顔をして、曖昧に頷いている。
白い制服に身を包み玄関に向かうと、母親は視線で「あんた学校で何をやってるの?」と聞いてくる。それを笑ってごまかしながら、今日も帰ってくる事を伝えて家を出る。
家の前に自分を待つ高級車が停まっていて、さらに運転手もついているという経験は、初めてだった。いつまでこの生活が続くのかはわからないが、これにもなれないといけない。
「おはようございます」後部座席に乗り込みながら、昨日と同じように運転席に座っている高部に挨拶をする。軽く目を合わせただけで、彼からの返事は無かった。
「それでは行ってまいります。今日も貴方に神のご加護を」最後に母親にそういって玄関を後にした富谷が助手席に座る。彼がシートベルトを締めるのを待って車は動き出した。
「久しぶりの実家はどうだった?」学校へ向かう途中、前を向いたまま富谷が聞いてくる。
「どうっていわれても…。普通ですよ」
「そうか。いや、私なんかは年末年始とお盆くらいしか家に帰れないからね」
「僕だって似たようなものですよ」
「そうだったね。神学校はつらいね。いや、この歳になると分かるんだけど、子供が離れると親は心配するよ。中学の頃は家から通っていただろう、毎日顔を合わせているから何かあれば気が付くけど、離れてしまえばそれすらできない。心配しかできないというのはなかなか辛いものだよ」物知り顔でそういう富谷の言葉も、少しは分かる。
「富谷さん、お子さんがいるんですか?」
「いるよ。仕事が忙しくてなかなか会えないけどね」顔は見えないが、苦笑しているように聞こえた。
しばらく沈黙する車内。そして、信号で車が止まったとき。
「これから毎日僕たちが迎えに行くから、遅刻の心配はしないでいいよ」やはり富谷が口を開く。
「はい、分かりました。ありがとうございます」遅刻してもこの人達といたら許されそうだな、と思った。何しろ第一応接室を使うような立場の人だ。もちろん口には出さなかったが、そういう意味でも白沢は心配していなかった。
そんな話をしている間に、車が学校の正門前で停まる。授業開始には間に合う時間だが、周りには寮から登校してくる生徒が大勢いた。
「あの、もう少し人気のない所で降ろしてくれないですか?」御車で登校、なんていう噂はたてられたくない。しかも事実だからなおさらタチが悪い。
「そうか。じゃあ裏の方でいいね?」
白沢の返事を待たずに車が再び動き出す。白沢と会話をするのは富谷で、高部は全く口を挟まずにハンドルを握る。彼は全く話を聞いていないようにみえるが、その行動はちゃんと会話を聞いている事を示していた。富谷と会話をしているときは、その存在を忘れそうにすらなる。その風貌とは逆に、ここまで気配を消して、空気と一体化できる人物も珍しい。
少しして、車は人気の無い学校の裏に停まる。
「じゃあ、行ってきます。帰りもよろしくお願いします」そう言って白沢は車から降りる。
「ああ、行っておいで。放課後もここで待っているよ。白沢君の時間割りはわかってる、多少遅くなっても構わないさ」と言う富谷に、分かりました、と返事をして校舎へ歩き出す。
今日こそ聖女と会うんだ。そう決意を固めて。
「…行ったな」
白沢がいなくなり、最初に口を開いたのは高部だった。
「やっぱり学生はいいな。何だか昔を思い出すよ」助手席から白沢の後姿を見送りながら、富谷はしみじみと言う。
「昨日は会わなかったみたいだな」
「時間が遅かったしね。服だって制服しかなかっただろうし。やっぱり久しぶりの再開だ、おしゃれくらいしたいだろうさ」
「…最近の高校生は」
「うん?」
「最近の高校生は、制服でも出歩くぞ」
さらに神学校の制服はかなり人気が高く着ているだけで、一種のステータスになる。生徒は寮通いのため、街で神学校の制服を目にする機会が無い事もステータス性を高める原因だった。
「…ともかく。昨日会わなかったならば今日顔合わせ、かな。そうだ、きっと白沢君は服を取りに寮まで帰ると思うよ」楽しそうに、富谷はそう予想した。
「自信ありそうだな」
「ああ、何なら今日の夕食を賭けてもいい」
「俺は制服で会いに行くと思う」
「よし、賭け成立だな。負けた方が夕食を奢ると」
「いいだろう。だがひとつ聞きたい。富谷のその根拠は?」という高部の問いに
「決まってるさ、彼は僕の学生時代にそっくりなんだ」自信たっぷりに、富谷はそう答えた。
放課後の事を考えていると、いつの間にか授業は終わっていた。白沢にはそうとしか思えないほど、この日の授業は何も覚えていなかった。今までは放課後は教室で友達と話しをして寮に戻るという生活をしていたが、これからしばらくはそれもできない。
「今日はもう帰るのか?」という友達の問いに、
「ちょっと、実家に帰ることになったんだ」そう答えてすぐに教室を後にする。他に何か聞かれてボロがでるとまずい。
一度寮にある自分の部屋へ戻り、バックに服や日用品を入れる。
もともと白沢は服にこだわりは無い。着られるなら半そで半ズボンでもいい、とまでは言わないが、このブランドでないと服とは呼ばない、というほどのポリシーも無い。
ようするに、それなりに着られればいいのだ。もっとも神学校生徒の普段の生活は学校と寮の往復で私服の出番はほとんど無いのだが、それでも友達の中には私服に強いこだわりを持っている者もいた。そんな気持ちがいまいち理解できなかった白沢だが、今だけはわかる。服をまじめに選んでおくんだった、などと後悔しても遅い。そして今は後悔する時間も無い。おそらくもう富谷たちは待っているだろう。
せめて持っている服の中で、上位のものからカバンに詰めて、学校裏へと急いだ。
約束した場所では、すでにエンジンをかけた状態で車が停まっていた。急いで後部座席に乗り込む。
「お疲れ様」
「……」
「お疲れ様です」
三者三様の挨拶を交わす。そのまま車は静かに動き出した。しばらく走ってから、白沢の持ってきた荷物を見つけた富谷が問いかける。
「その大きなバック、中身は服かい?」
「ええ、そうですよ」
それを聞いて富谷が笑った事を、白沢は知らない。
「聖女の家まで送っていこうか?」
という富谷の申し出を断って、自宅で車から降りる。両親は仕事、妹は部活で、家には誰もいない。久しぶりに自宅の鍵を開けて家に入り、まっすぐ自分の部屋へ行って、持ってきた服を見渡す。
それはどれも、彼女に会いに行くのには不十分に思えた。
しばらく悩んで、結局制服で行く事にした。財布と携帯電話を持って、富谷に教えられた彼女の家に向かう。玄関で靴を履いて、「行ってきます」と声に出して言い、家を出る。
向かう先はかつての同級生、そして聖女となった人の家。
そして。
家を出て夕方の街へ歩き出す白沢の姿を後ろから眺める、2つの影があった。
「出ていったね。彼の顔、なかなか緊張してるみたいだね」
「どうしてお前がそんな嬉しそうなのか、分からないな」
「だって中学時代に憧れていた子の家に行くんだよ?見ているこっちまで緊張してくるよ」
「お前がどう見ようと勝手だが、少なくとも俺には憧れていたとは思えないな」
「高部は見る目がないな。…でもまぁ、もしかしたら彼自身も気づいていないかもしれないけどね」
「……。それよりも制服で出かけたな」
「………」
そして坊主頭はにやりと笑い
「今日は美味い晩飯が食えそうだ」
と言った。
制服のまま声を掛ければ、ナンパは100%成功する―。
これは神学校の生徒たちの間で言われている噂だ。そして、あながち間違いではない。学校がすでに一種のブランドと化している事、生徒は寮生活のため街中でその姿を見かけない事、さらには学校特有の情報の閉塞性が相まって神学校の制服の価値を高めているし、実際、巧妙な偽者が闇ルートで販売されている。
だから聖女の家にたどり着くまでに、制服のまま歩いている白沢が視線を集めてしまうのも仕方のない事だった。
大通りを足早に抜けて住宅街の小道を進み、少し迷ってから一軒の民家の前に立つ。
他の家と大差ない、ごく普通の一軒家で、特別大きくも小さくもない。都会特有の住宅事情で隣の家との隙間はかろうじて人一人通れるくらいしかない。
そして、この家が彼の目的地。聖女となった沢西サユリの家である。
富谷から、沢西が聖女だと聞かされたとき、白沢は信じられなかった。全国で数人しか選ばれないと言われているその聖女にまさか自分の知り合いがなるなんて、まるで小説だと思った。
そう思う半面、矛盾する事だが、素直に納得できる自分もいた。中学校生活の中で見る彼女は、聖女とよばれても不思議でない雰囲気を放っていた。穏やかで、優しくて、ひた向きだったのだ。
その彼女の護衛を頼まれ、白沢はここにいる。
護衛といっても、今誰かに敵に狙われているわけではない。そして、彼女の護衛は、自然に傍にいられる自分にしか出来ない。そう思って引き受けた。
でも、電話くらいはしておくべきだったと、白沢は少し後悔していた。いきなり訪ねて、護衛に来ました今日からよろしく、などと言ってもいいのだろうか。
そんな事を考えている彼の傍を、自転車に乗った主婦がまるで珍しい動物でも見るような視線を投げかけながら通り過ぎる。大通りではないとはいえ、住宅街のど真ん中だ。白い制服姿は十分目立つ。
最後に深呼吸をして覚悟を決めて、インターホンのボタンを押した。
家の中で人が移動する気配があり、誰かが受話器を取ったようだ。ブツッというノイズのあと、
「はい、どちら様ですか」
という女の人の声がした。
「あ、あの私は…」
ここまで言ってから悩む。なんと自己紹介すべきだろうか。
神学校から来ました白沢です、と言うべきか。
中学校の同級生だった白沢です、と言うべきか。
一瞬の後。
「関東総合教会付属第三神学校2年の白沢という者です。こんな時間にすいませんが、沢西サユリさんいらっしゃいますか?」
もしかしたら会話の相手がサユリ本人か、と思ったが
「まぁ、神学校の生徒さんですか?ちょっと待ってください」
ブツッというノイズと共に会話が途切れ、しばらくすると玄関の鍵を開ける音がする。ドアノブが回り、扉が開かれたが、チェーンが掛けられたままなので隙間とよぶべき間しか開かれていない。そしてそのわずかな隙間から彼のほうを見ている一人の女性。その顔にはサユリの面影があり、白沢は一目で彼女の母親だと分かった。
隙間から鋭いまなざしで白沢を一瞥した後、女性は扉を閉めた。拒絶されたのか、と思ったのも一瞬、扉の内側からチェーンをはずす金属音が聞こえる。
今度はしっかりと開けられた扉から、母親がが出てきて
「白沢君?本当に神学校の生徒さんなのね。白い制服がよく似合っているわ」
笑顔でそういった。それは、初対面の娘の同級生に対するにはどこか不自然なほどの、愛想のよさだった。
「こっちですよ」
そういいながら先導する母親について玄関を抜けて階段を上がり、そしてある部屋の前で立ち止まる。
ドアに掛けられたプレートには「SAYURI」と書かれていた。
足音で部屋の前に来たことが分かったのだろう、ノックをする前に部屋の扉が開き。
ドアの向こうに一人の少女がいた。
「いらっしゃい」と静かな笑顔で出迎えてくれた、それが白沢と沢西の2年ぶりの再会だった。
2年振りに見る彼女は大人っぽくなっているが、持っていた雰囲気は変わっていない。沢西は母親に「私が直接迎えに行ってもよかったのに」と言うが、母親はとんでもないとでも言うように首を横に振る。「そういうわけにはいかないでしょ。あなたは大事な人なんだから」という母親の言葉に、沢西は少し悲しそうに笑った。
「じゃあ、私は下に行って何かとってくるから。その間にお話を聞いておきなさいね」
そういって母親は1階に降りていく。
「じゃあ、とりあえず入って」と言われ、白沢は沢西の部屋へと足を踏み入れる。
彼女の部屋は6畳ほどの広さで、壁際にベッドと机、そして本棚が並べて置いてある。机にはノートパソコンが置いてあり、本棚には綺麗に本が整列してあって、隅までホコリがない。全てカバーがかけてあるので内容までは分からなかった。
一言で言えば、質素で清潔な部屋だった。
沢西は椅子に、白沢はカーペットに直接座る。
「へえ、こういう部屋なのか」思った事を素直に口にした白沢は
「やだ、あんまりじろじろ見ないでよ」と、沢西に笑いながら怒られた。
「ああ、ごめん。寮で生活していてさ、男友達の部屋はよく見るけど…」
きれいにしている奴もいるが、汚い部屋は本当に汚い。
部屋の中に袋詰めにされたごみをこれは俺の財産だとでも言いたいのか捨てずに溜め込んでいる奴、飲み終わったペットボトルと空き缶を都会のビル群のごとく乱立させている奴、洗濯が終わった衣服を放任主義よろしくたたまずにそのまま部屋の片隅に放置している奴…。ここと比べる事自体が失礼になるような、そんな部屋を数多く見てきた。
「確か神学校に行っているんだよね。じゃあその白い制服を着て学校に行っているんだ」
「やっぱり珍しいのかな。ここに来るまでにずいぶん視線を感じてたけど」常にこの制服に囲まれている白沢にとって、この服装の珍しさは実感できない。
「それはそうだよ。本物は見る機会がほとんどないからね」
感心したように、あこがれているようにまじまじと制服を見る沢西。
彼女が見ているのは制服で自分ではない。それが分かっていても少し照れるし、それが分かっているから、少し悲しかった。
そんな白沢の顔に気がついて、ちょっと恥ずかしそうに引き下がる。
「ごめんね。つい珍しくて」
もごもごと言い訳をしている。
「別にかまわないよ。でもあまりよくないよ、白い制服なんて。汚れがすぐ目立つし」
そんな雑談をしていると、
「はい、紅茶持ってきたわよ」
部屋のドアが開いて湯気の立つコップを二つ持った母親が入ってきた。ありがとう、と言う沢西。終止上機嫌な様子で母親は出て行く。
「元気なお母さんだね」
そう聞くと、沢西は紅茶を見ながら「うん、ちょっとね。最近いい事があってさ」そう答える。
その言葉で白沢も現実に引き戻される。白い制服の話をしている場合じゃない。
「…白沢君も、中学校の同級生として会いに来たんじゃないでしょ?」
疑問型の形だが、沢西の中ではもう確信しているようだ。白沢も覚悟を決める。楽しい思い出話はここまでだ。
「そうだよ。今日は、教会の関係者としてきたんだ。さっきも言ったとおり、今神学校に通っているんだけど」そして、一呼吸置く。
「お前は…聖女だろ」
はっきりと口にした。
沢西は黙って、運ばれてきたコップの湯気を見て何も答えない。沈黙に耐えかねて、白沢も視線を落とす。ゆらゆらと立ち上る湯気。その形は次の瞬間に変わり、やがて消えていく。
「そうか、やっぱりそうだよね。うん、私は聖女だよ」
しばらく経ってから自分は聖女だと、沢西は認めた。
「……」
そんな沢西に、白沢は何を言っていいのか分からない。今度は彼が黙ってしまいそうになったが、それでもここで言葉を途切れさせるわけにはいかなかった。
「俺は昨日そのことを聞いて、ひとつの役目を受けたんだよ。沢西が聖女になるから、警護しろって」
警護、という言葉を聞いて沢西は驚いたようだ。
「警護って…。私誰かに狙われているの?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、これから先何も無いとは限らないし、俺なら自然に沢西の傍にいられるから」
「なるほど、それで白沢君なんだ。教会と私両方の関係者って言うと、白沢君くらいしかいないもんね」沢西はうなずいて納得する。
「そうなんだ。何か困った事とか、教会に言いたい事があったら俺に言ってくれ」
そういう言って、運ばれてきた紅茶に口をつける白沢に、
「うん、分かった」沢渡は本当にうれしそうな顔でそう答えた。
「それとね、白沢君」
「なに?」
「ありがと」
その穏やかな笑顔は白沢に、聖女という言葉を連想させる。
結局その日は雑談をしてすごし、
「白沢君、夕食はどうするの?」という沢西の母親の質問と、遠慮せずに食べていけという態度から逃げるように帰る事にした。
「それじゃ、今度はいつ来ればいい?」
帰り際、白沢は玄関まで見送りに来た沢西に聞く。
「え、私が決めるの?そうだなぁ、えっと、明日は土曜だから次は月曜でいいよ」
「分かった。月曜の夕方にまた来るよ」
そう答えて、白沢は玄関の扉を閉めた。
外はもう暗くなっている。都会だから星は見えないけれど、細い細い弦のような月は見えた。それを見上げる白沢の心に、ある決意が芽生える。
「―俺は沢西を護る」
富谷に言われたからではない。彼が神学校の生徒だからでもない。
それは彼女の笑顔を見た時に決めたことだった。