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05-白沢の進んだ道

関東総合教会付属第三神学校。

これが白沢の進学した学校の名前だった。神学校は全寮制だ。白沢も中学を卒業してすぐに寮に入った。高校で親元を離れたことに、少し誇らしい気持ちもあった。

入って最初の年はとにかく慣れることに精一杯だった。初めての一人暮らし、新しい友達、初めて習う授業。毎日ついていくだけで必死だった。だが、つらいだけの1年でもなかった。日々の宿題、定期テスト、学園祭…。入学前はどんな事を学ぶのか、校舎の中がどうなっているのか全く分からなかったが、そんな特別なことをやるわけではなかった。校舎も一部を除いて特別立派というわけでもない、普通の学校だった。

部活はやっていないが、たくさんの友達が出来た。2年となった今、彼らは同級生というよりも戦友というほうが近いような絆がある。

なぜ白沢は神学科を選んだのか。それは、彼が小学校6年の時の体験が原因だった。

その年、彼の父親が倒れた。


小学6年生だった白沢はその知らせを学校で聞いた。昼前に母親が迎えに来て妹と二人で早退し、3人で病院に駆けつけた。詳しい病名は忘れたが、脳の病気だったらしい。すでに父親は手術室に入っていた。

その日は母親が病院に残り、白沢と妹は母方の祖母に連れられて家に帰った。両親のいない家は初めてではない。だが、両親がいつ帰ってくるかわからない、両親が帰ってこられるか分からない自宅は初めてだった。いつもは狭いと思っていた部屋がやけに広く感じられ、電気の光りが白々しく光り、電気の灯りが届かない部屋の隅や廊下の影は不気味だった。

祖母と妹と白沢で遅い夕食を取って、交代で風呂に入り、後は寝るだけという時。3人がテレビを見るともなく見ている時だった

「ねぇ、お父さん大丈夫なの?」

妹がポツリとつぶやいた。祖母は「大丈夫よ、お医者さんが一生懸命治しているから、大丈夫よ」と妹を抱き頭を撫でながら優しく言った。それで張り詰めていた物が切れたのか、祖母の腕の中から静かな嗚咽が漏れる。きっと大声で泣きたいのだろう、だけどそうすると何かが壊れそうで、声を殺して泣いている。そんな、周りの人までもが辛くなるような泣き方だった。

自分の部屋に戻りベッドに横になっても、白沢はなかなか寝付けなかった。今までは息をするくらい当たり前に、父親と母親がいた。だが、それはもしかしたら今日までなのかもしれない。これから先、自分たちを育ててくれるのは母親だけになるかもしれない。そういう生活を、12歳の白沢は想像できなかった。

寝返りをうって自分の勉強机の上を見る。鉛筆やボールペンが立っているペンたては、父親が昔買ってくれたものだ。去年は椅子の高さが合わなくなって調節してもらった。

『タクヤも大きくなったな、中学に入って背比べをしたらお父さん負けるかもしれないな』嬉しそうにそう言って笑っていた。だけど、それはもしかしたら叶わないかも知れない。

急に悲しくて、怖くなった。今は父親との思い出ばかりが目に付いてしまう。そんな発想がとても不吉に思えて、もう一度寝返りをして壁の方を向く。そのまま目を閉じて、突然気が付いた。この部屋で一番父親の面影を残しているもの、それは紛れもない自分自身だという事に。自分の体の半分は、父親から貰ったのだから。


父親の手術は成功した。医者の見解では後遺症も残らないだろうという事だった。これはとても運がいい事なのよ、と母親に言われた。白沢もそれを聞いて、自分たちはなんて運がいい家族なんだと思った。だがそれも、最初の数日だけだった。

彼の家庭はごく普通の中流階級、裕福ではないが貧しくもない。幸い保険に入っていたため入院費用で困る事は無かった。だが、保険が助けてくれたのはお金の問題だけだった。

心配して様子を聞きに来る親戚や近所の人たちの出迎え、保険屋との話し合い、見舞いと主治医の先生との打ち合わせ。その全ては母親が行った。

当時小学校6年生だった白沢から見ても、母親は疲れていた。妹もそんな家庭内の雰囲気を感じて、だんだん暗く、笑わなくなっていった。

父親が倒れてから2週間ほどたったある日のこと。学校にいた白沢は職員室に呼び出された。まさか父親の容態が悪くなったのかと思い職員室に駆けつけると、そこにはすでに妹がいた。そのすぐ傍に妹の担任もいる。その場の雰囲気ですぐに分かった。妹が何かしたのだ。

妹の担任が言うにはこういう事だった。休み時間の教室で、妹と友達が口論になった。最初は相手を馬鹿にするだけだったがやがて大声で罵倒するようになり、ついに妹が相手を平手でひっぱたいた、らしい。相手の子は泣き、周囲は騒ぎになった。そこで先生が呼ばれ、とりあえず妹は職員室に連れてこられた。いくら理由を聞いても、どうしてケンカになったのか、どうして手を出したのか、何も答えないという。

妹は活発だったが、今まで友達に手を上げたことは一度もなかった。だから担任の話を聞いただけでは白沢も信じられなかっただろう。だが目の前にいる妹はいつもと様子が違い、思いつめたような顔をしていた。

「とりあえず今お母さんにも来てもらっているから、今日は3人で帰ってもいいと思うんだけどタクヤ君はどうする?」

父親が倒れたことは、当然学校も知っている。それを考慮してこうして言ってくれているという事も、彼にはわかった。

結局、その日は早退する事にした。職員室に駆けつけた母親は、息を切らして髪は乱れていた。そこで教師とどのような話しをしたのかは覚えていない。だが、何度も謝りながら頭を下げている姿だけはなぜか彼の記憶に残った。

帰り道、母親は白沢が見ても分かるほどストレスを抱えていた。黙って歩くその背中からは疲れと苛立ちが滲み出ていた。そしてそれは妹も同じだった。

このまま家に帰らせちゃ駄目だ。白沢は強く、そう思った。二人は今、自分を抑えられないだろう。そんな状態で家に帰っても、今度は妹と母親がケンカをするだけだ。そんな様子は見たくない。それを止められるのは今ここにいる自分だけだ。だが、どうすればいいのかはわからなかった。

そんな彼の心とは裏腹に、天気は快晴で空には本当に雲ひとつなかった。穏やかな風が街路樹を揺らし、電線に止まった雀が鳴き声をあげる。彼らを残して、世界は平和だった。

神様は、意地悪だ。

突然白沢はそう思った。そしてそれと同時に

「ねぇ、教会へ行こうよ」

前を歩いていた妹と、さらにその前を歩いていた母親は歩みを止めて振り返る。

「……そうね。一度お祈りをしてから帰りましょうか」

母親もこのまま家に帰りたくはなかったのだろう、その考えに賛同してくれた。だが、白沢は神様にお願いをしに行くために教会に行こうと言ったのではない。

―どうして、自分の家族だけこんな目にあわせるのですか?

当時小学6年生だった彼には、今の自分達が世界一不幸だという自信があった。もちろんそれは世界を知らない子供の勝手な思い込みだが、とにかくその時の彼は父親が倒れた事も、妹が笑わなくなった事も、母親が疲れている事も、それでも世界は何事も無く回る事も、全てが気に入らなかった。

―どうして、自分の家族だけこんな目にあわせるのですか?

そんな呪いにも似た疑問を胸に、彼は教会へと向かった。


白沢が分厚い両開きの扉を開けるとそこにいたのは白髪の神父一人だけで、結婚式も葬式もやっておらず、教会は白沢一家の貸切状態だった。

「こんにちは、神父さん」

「おやおやこんにちは。こんな時間にどうしたんだい?」

勤めて明るい声を出してあいさつをする白沢に対して、学校はどうしたんだいというニュアンスの返事をする神父。その答えの代わりに後ろから母親と妹も現れる。

「どうもこれは、ただのさぼり少年ではなさそうですね」

神父は微笑を絶やさないまま、母親と会釈を交わす。

「あの、お祈りだけして帰ります」母親はそういって、最前列の椅子に3人が並んで座る。

白沢も椅子に座り、両手を組んで目を閉じる。

―どうして、自分の家族だけこんな目にあわせるのですか?

今までにないほど真剣に、神様に向かって『お祈り』をした。必死だった。傍から見ても分かるほど、両手を固く組み目をぎゅっとつぶりながら、心の底から疑問をぶつける。

「さぁ、帰るわよ」

時間にすれば3分ほどだろうか。母親の声に目を開ける。白沢の質問に神様は答えてくれず、自分の腕に聖痕のようなものでも浮き出ていないかと期待したが、それもなかった。母親と妹はさっきよりは落ち着いた顔をしているが、家に帰ってどうなるかはわからない。

そのとき白沢は理解した。神様は存在しないのだ。あるのは教会(たてもの)神父(にんげん)だけ。その事実に愕然としている白沢と、それに気が付く余裕のない親と妹。

「もしよろしければ」帰ろうと立ち上がった親子3人に神父が話しかけてきた。

「時間も丁度いいことですし、お昼をご一緒しませんか?」

「でも、ご迷惑じゃ…」遠慮する母親に神父は笑って

「ここは教会ですよ。迷惑なんてことはありません」

それに、この時間の帰宅は予定外のはずだ。家に帰ってもすぐに3人分の食事ができるとは思えない。

「そうだよ、お母さん。僕教会で食べてみたい」

今は母親に余計な家事をやらせたくない。

そして母親も余計な家事をやりたくはなかったのだろう。

「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

その返事に神父はうれしそうにうなずいて、

「それでは、こちらへどうぞ」

そういって礼拝堂から奥へ続く扉を開けた。毎週日曜にはお祈りに来ていたが、礼拝堂の奥に入るのは初めてだった。それは妹も同じで、好奇心丸出しの顔をしている。そしてきっと自分も同じ顔をしているだろうと思うと、すこしおかしくなった。

案内された場所は簡単な食堂だった。白を基調とした清潔で落ち着いた印象の部屋で部屋の一面は大きなガラス戸になっており、外には芝生の庭と家庭菜園が見えた。カウンターキッチンの奥では誰かが料理をしている気配がする。木製の大きな机が部屋の中央に置いてあり、6人程度ならゆったりと座れそうだった。

「おおい、お客さんだよ」

神父はそういいながらカウンターキッチンの奥へ歩いていく。

「まぁまぁ、本当だ。いらっしゃい」

そうして現れたのは、神父と同じくらい人の良さそうなおばあさんだった。

「すいません、突然お邪魔して…」母親が挨拶をして、兄妹もそれに習った。

「いいえ、いいのよ。いつもだと主人と二人きりでね。たまにはにぎやかに食べたいと思ってたの」

本当にうれしそうに笑いながら、おばあさんはキッチンへと戻っていく。それと入れ替わるように神父が戻ってきて、白沢達に席を勧めながら言う。

「私の家内です。私が言うのもなんですが、なかなか料理の腕はいいんですよ」

その言葉はすぐに証明された。

昼食のメニューは、シーザーサラダ、トマトと鮭のスパゲッティー、パンプキンスープで、味はすばらしいものだった。神父が自慢したくなるのも分かる。

「お口に合うといいんですけど」

と言ったおばあさんに対し、

「とってもおいしいです。これならお店でも開けるんじゃないですか?」

白沢の母親は答える。本当においしそうに、うれしそうに食べるその顔を見れば、お世辞じゃない事は一目瞭然だ。

妹もニコニコ顔で、「おいしー」と言いながらスパゲッティーを頬張っている。

母親と妹のこんな顔は久しぶりに見た。父親が倒れる前はこんな光景はいつも家で見られたはずなのに、最近の食卓に笑顔は無い。そう思うと悲しかったし、悔しかった。

食事を終えて、兄妹はおばあさんに外で遊びましょうと誘われた。庭はあまり広いとはいえないが、それでも子供と老人が遊ぶには十分だった。芝は綺麗に揃えられ、所々に花が顔を出している。隅のほうには家庭菜園があり、トマトやハーブが生えていた。

穏やかな日差しの中ではしゃぐ子供の様子を、食堂から母親は見ていた。最近子供達のあんな顔を見ていない。そしてその原因はきっと自分にある。

食後の紅茶を飲みながらそんな事を考えていると

「元気なお子さんですね」

神父も紅茶を飲みながらそう話してきた。

「ええ、元気だけが取り得で…」

元気だけが取り得だが、最近その元気すらなくなってきている。

「私たちにも息子が一人いまして。もう家を出て、今はひとり暮らしをしています」

最近じゃろくに連絡もよこさないのですが、といって笑う。

「お二人とも小学生のようですが。失礼ですが学校は?」

「ええ、実は…」

誰かに話すだけで、悩みというのは楽になる事もある。さらに相手は神父で、悩みを打ち明けるのには最適だった。学校で妹がケンカをしたこと、そして最近の家の事情を話す。

「本当は元気で友達思いのいい子なんですよ。でも最近父親が入院して、私も正直精一杯で。子供たちにきつく当たってしまうんです。分かってはいるんです、私は…あんまりいい母親じゃないんだろうって」

そうですか、と神父は微笑みながら話を聞いている。

外では3人が何か話をしている。きっと子供たちが学校の事を話しているのだろう。時々声を上げて笑う様子が見えた。

「元気で、とても優しいお子さんですね」

そういう神父の口調は、静かだが確信している響きを持っていた。

「きっとご両親も愛情たっぷりと育ててこられたのでしょう。歪んだところが無い」

「いえ、そんな…」

面と向かって言われると照れる。そんな謙遜する母親に謙遜させないように神父は言葉を続ける。

「子供は親を見て育ちます。私にも経験があるのですが、驚くほど子供というのは親をみているんです。だからあなたが大変なのは子供たちも分かっていますよ。特にあのお兄ちゃん。父親がいない今、自分が頼りにならなければと考えている。もっとも、本人にそこまでの自覚はないようですが」

そういって神父は柔らかな視線を外へ向ける。母親もそれにつられて外を見る。

3人は花壇でしゃがみ込んでいる。おばあさんに花の名前を教えてもらっているようだ。

「その子を育てたあなたは、立派な母親です。それは、誇れることですよ」

外を、自分の子供達を見る。そこには妹に笑いかけている兄がいた。

学校でケンカをしたのは妹だけだというのに、なぜ兄もついてきたのか。

帰り道の途中、教会へ行こうと言い出したのは誰か。

ここで昼食を食べたいと引き止めたのは誰だったか。

大変で苦しいのは、自分だけじゃない。子供達もそれを分かっている。自分ひとりで家庭を支えていかなければ、と力んでいたが、もう子供達は支えられるだけの子供じゃない。今気が付いた、あの子達だって必死に支えて頑張っているじゃないか。

この時、母親の中で何かが変わった。それは具体的に言葉にはできない類の物だ。

子供を見ていた視界が霞み、自分が涙ぐんでいる事に気がつく。さすがに恥ずかしくて、正面を向けない。

それでも神父は微笑みながら紅茶を飲んでいた。


日も傾き始めた頃、庭で遊んでいる兄妹を夕方迎えに来た母親は、来たときとは全く違った、明るい顔になっていた。 

それは当時小学6年生の白沢にとってはまさに奇跡だった。父親が入院してからどこか張り詰めていた母親が、教会で数時間過ごしただけで昔の優しい母親に戻っている。

神父は帰り際に

「またいつでも来なさい。おいしい料理をご馳走してあげるよ」

と言ってくれた。

この日、白沢は神を疑った。なぜ何も悪い事をしていない父親を、そして僕達家族をこんな目に合わせるのですか、という問いに答えが与えられなかったからだ。そして今日、彼は神様よりも頼りになる人を見つけた。神様はいないけれど、神様の代わりに奇跡を起こせる人ならいる。

その時に思った。もし将来、自分も神父になれば、今日のような奇跡を起こすことができるのかもしれない。

父親はその後後遺症もなく退院した。相変わらず裕福ではないが、家族4人そろった生活が帰ってきた事が、彼にはうれしかった。



その日の最後の神学史を終えて、白沢は同級生と教室に残って雑談をしていた。学校柄、話の内容はどうしても聖女探しの事になる。

やっぱり聖女と言うからには見るからに聖女な―平たく言えば美人な―人が選ばれるのだろうか、という話をしているとピンポンパンポンというおなじみのチャイムの後

「2年A組の白沢君、2年A組の白沢君。至急職員室まで来てください」と放送が流れた。

しばらく白沢は自分の事だとは気づかなかった。呼び出される心当たりが全くなかったからだ。彼の周りは騒然となる。この学校で呼び出しを受けることは、ちょっとした事件だった。

「お前何やったんだ?」

「事後報告しろよ」

「大人しい顔してやるときはやるんだねぇ」

友達の中ではすでに白沢は問題を起こしたことに決定しているらしい。そんなありがたい見送りの言葉を受けながら、彼は職員室へ向かった。


担任は職員室の扉の前で待っていた。

「おう、白沢。一緒に来い」

白沢を見るとそう言って、担任は歩き出す。状況は飲み込めないが従うしかない。

そして着いた場所は、第一応接室だった。

この応接室は隣の校長室とつながっていて、来客がVIPの時にのみ使用される部屋だ。当然ほとんどの生徒は入る事が無い。ごく稀に入る生徒もいるのだが、彼らが言うには

「高級ホテルのロビーだ」

「一流企業の社長室の空気だった」

「学校じゃない」

など様々で、どうも学校の設備とは大きくかけ離れているらしい。生徒の間ではユートピアとも呼ばれていた。突然の呼び出しに加え、そこにまさか自分が入る事になるとは、白沢は想像もしていなかった。呆然とする彼の目の前にある扉も普通ではない。分厚い木でできている観音開きの扉で、表には細かい彫刻が施されていて、大きさは教室の戸の1.5倍はある。映画の中でしか見た事が無いような代物だ。他の部屋に比べて、この第一応接室だけ強烈な違和感をかもし出している。

担任がノックし、

「2年A組の白沢を連れてきました」

その声は緊張していた。一時の間をおいて、扉の中から

「ああ、入りたまえ」

と返事があった。

失礼します、と二人でにはいる。

そして分かった。この部屋に関する噂は全て本当だ。

床は大理石で、綺麗に磨き上げられていた。部屋の広さは教室より若干狭いくらいだ。壁際には高そうな棚が置いてあり、中には様々なトロフィーや賞状が並べられている。全て優勝のもので、この部屋に飾るのに2位以下のものは不要、そういっているようだ。部屋の中央にはゆったりと8人座れる机があり、両側にソファーが置いてある。黒い革はおそらく本皮だろう。家具には詳しくない白沢が見ても、高そうな雰囲気は感じられた。

そこに、4人の男が向かい合う形で座っていた。入り口に背を向ける形で座っているのは校長と教頭だった。彼らを背後から見たことはなかったので、すぐには誰だか分からなかった。

そんな学校のトップと向かい合って、二人の男が座っていた。二人とも黒のスーツを着ているが、二人の共通点はそれだけだった。

右側の男は長めの髪を綺麗に整えており、スーツの上から白衣を着ればそのままどこかの研究員になりそうな雰囲気だ。左側の男は髪がない。その頭の位置も、右側の男よりも高い。おそらく身長は190センチ程度になるだろう。室内なのにサングラスをしていて無表情だった。

妙に特徴的な彼らだが、この部屋を使うところを見ると教会の関係者だろう。それも、かなり重要な人物だ。

「君が白沢君かい?」右側の男からそう声をかけられ、

「はい、そうです」反射的に答えていた。男の声は柔らかくて不思議な印象を受ける。

質問した男は満足そうに頷き、では、と断った後。

「すいませんが校長先生、我々は白沢君と話しがしたいのですが」

それはとても穏やかな言い方だった。

「わかりました。我々は席を外しましょう」

そういって校長は教頭と担任に目配せをし、校長室へ抜ける扉へと消えていき、部屋には謎の男たちと白沢だけが残った。

「さて、いつまでも立っているのも疲れるだろう。そこに座りなさい」

そう言って、ついさっきまで校長が座っていたソファーを薦められ無言で座ると、そのなんともいえない心地よさに驚く。今までこの部屋に入った生徒の中でソファーを独占したのは白沢が最初だろう。

生まれて初めて座る高級ソファーの感覚に驚きながら、改めてこの男たちの顔を正面からみる。見れば見るほど、教会関係者には見えない。その風貌だけでなく、漂わせている雰囲気がつかめなかった。サラリーマン、ではなさそうで、かといってヤクザというわけでもない。教師、弁護士、神父…。今まで会ったことのあるどんな大人とも雰囲気が違っていた。

「さて、自己紹介をしておこう。私は富谷、大聖教会総務部第三課に所属している」

右側の男―富谷はそういった。やはりというか、意外というか、とにかく教会関係者だった。

「…高部だ」

左側の男―高部は短く自己紹介する。見た目と同じく、あまり口数が多いタイプではないらしい。

「高部も私と同じ第三課にいる。仕事仲間だよ」

富谷が、情報の少ない自己紹介をフォローする。それはとても自然な流れで、この二人の間に流れる信頼関係の一端を垣間見た気がした。

「さて、今日は突然すまないね。君はなぜ自分がここに呼ばれたのか分からないだろう?」

という富谷の問いかけに

「はい、まったく分かりません」正直にそう答える。

「実は君にお願いがあるんだ」

富谷がそう言った時、黙って聞いていた高部が顔を上げて校長室へと続く扉を見る。その扉も木製で、表面には神の彫刻が彫られていた。何だ、と白沢が思った時、扉がノックされる。どうぞという富谷の言葉に続いて、扉の向こうから校長が現れた。手にはお盆があり、その上にはコップが3つ並んでいる。

「どうぞ、コーヒーです」

そういってテーブルに並べていく。何より白沢が驚いたのは、校長自らがコップを並べるという事だ。この部屋ではこれが普通なのか、それとも目の前の2人が特別な人なのか。

校長が部屋を出て行き、高部が視線を白沢に戻してから、富谷は再び話し始める。

「今我々は全国から聖女を探している。今の日本を救うための大きな、大切な計画だ。ところで白沢君は、この計画についてどこまで知っているかな?」

2年とはいえ、白沢だって神学校の生徒だ。この計画への関心は高く、ニュースや新聞もよく読んでいる。彼が知っている、この計画―通称『聖女計画』の概要は、次のようなものだった。


聖女の可能性がある日本にいる16〜25歳までの女の人は自主的に、全国の教会で検査を受ける。そしてその情報を元に、聖女か否か最終的な確認が行われる。そこで聖女と認められた者は東京大聖教会の地下で、7月の第3日曜日から眠ってもらう―コールドスリープに就く。もし聖女と分かったときは、眠りに就く1週間前に本人、そして家族に告知されるという事だった。

しかし、何人選ばれるのか、いつ目覚めるのか、選ばれる基準は何なのか―。そういった疑問には、教会は一切答えなかった。


一通りの概要を説明し終えた白沢に

「大体正解だよ。なかなか勉強しているようだね」

富谷は言うが、この程度ならば白沢達生徒の間では一般常識だ。

「だが、1つだけ間違いがある。聖女様本人及び家族の告知は眠る一週間前、7月の第2日曜日、そういう事になっているが、実は違うんだ。告知は、実はもうすでに行われている」

その言葉は白沢にとって衝撃だった。告知が行われている事が、ではない。教会が世間に、民衆に対し嘘をついているという事実が、である。

「どうしてそんな事をするんです?」

嘘をつかない。誠実で清潔。それが教会のはずだ。

「我々の間でも議論を呼んだんだ。順序立てて説明していこう。

まず、どうしてこんな早い時期に告知をするか。それは、聖女様たちはこれからいつまで続くか分からない眠りに着かれる。だからせめてそれまでの時間は、家族や大切な人と過ごして欲しいという事だよ。

そしてどうしてそれを世間に公表しないか。これは、聖女様を狙う悪しき者がいないとも限らないからだ。聖女様達の安全のためでもあるんだよ」

そこで富谷は話を区切りコーヒーに口をつける。釣られて白沢もコーヒーに手を伸ばした。香りが、缶コーヒーやインスタントとはまるで違う。

「だが、それは同時に問題も引き起こす。告知した先で情報がどこからか漏れて、聖女様の身に危険が及ぶ可能性があるんだ。もちろん聖女様達とその家族にも他言しないようにお願いするが、それでも人の口に戸は立てられないからね」

言いたい事は分かる。だが、ここまで聞いてもどうして自分が今日ここに呼ばれたのか分からない。

「その、聖女と私にどういう関係があるんですか?」

そこで、富谷は白沢の目を見つめて

「君に、ある聖女様を守って欲しい」

そう言った。今まで聖女の話をしていたのに、一瞬白沢には聖女が何を意味するのか分からなかった。そして理解できたときには、反射的に口を開いていた。

「無理ですよ、俺、誰かの護衛とかやった事ないですし」

つい慌てて、一人称が俺になってしまう。だがそんな様子に富谷はすこし嬉しそうだった。

「でも今回は警備員を派遣するわけにもいかないんだ。そんな事をしたらこっちから聖女様ですと宣伝するようなものだからね。彼女達に年代の近い、親しい者にしか頼めないんだよ」

そこで気がついた。富谷は今、親しい者にしか頼めないと言った。

「……その聖女は、俺の知り合いなんですか」

どうしてだろう、そう言った時に白沢の脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がる。富谷はそんな白沢の理解力の高さを褒めた後、

「正解だ。君に守って欲しい聖女様の名前は―」


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