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16-僕の選んだ道

沢西を助け出せなかったあの日から、僕は自分が何をしていたのかよく覚えていない。学校では定期テストが始まったが、勉強していない僕が解けたはずもなかった。その時のテストは学生生活の中でも最低の出来だと、自他共に認めるような結果だった。

それでも、僕はテストの事なんか全く気にしていなかった。

今週末。いよいよ、聖女が眠りにつく。日曜に教会が聖女達の発表を、テレビやラジオで全国に放送する。実際に彼女たちが眠りにつくのは月曜へと日付が変わるその瞬間だ。

来週には、沢西はもう眠りに就いている。

そう考えると、テストなどどうでもいいことのように感じられた。あの日、彼女に聖女をやめさせられなかったのは、こんなテストで間違えるよりももっと重大で、間違えてはいけない問題だったのではないか。そんな後悔だけが僕の中で渦巻いていた。

「沢西の事で話がある。直接会いたい」白沢からそんな連絡があったのは、聖女が眠りにつく2日前の金曜だった。


沢西を助けだせなかったあの日以降、僕は白沢と会っていなかった。元々教会とは縁の無かった僕とは違い、彼は神学校の生徒だ。そんな彼を、教会を敵に回す立場にしてしまった事に責任を感じていた。今回の僕のわがままのせいで、学校で不利な立場に立たされていないかと不安だった。

金曜日、学校が終わってから僕は駅へと急いだ。待ち合わせ場所は立岩のコーヒーショップだった。金曜日の夕方、店内は賑わっていた。僕が店に着いたとき、すでに白沢は待っていた。

「悪いな、待たせたか」

アイスカフェオレを持って、白沢の向かい側に座る。彼は前に駅前で見たような白の制服ではなく、私服だった。

「いや、俺が早く着きすぎただけだ」

そういって彼は自分の飲み物を飲んだ。

「で、話したいことって何だ?新たな情報か?」

「そうだな。…確かに情報と言えば、情報だ」

白沢にしては珍しく、言いよどんでいる。僕は無言で話の続きを促した。

「話っていうのは、沢西の事だ。お前も知っているだろうけど、明後日には儀式が行われる。俺たち神学校の生徒は、日曜も登校して全員でテレビ中継される儀式を見るんだ。まぁ、大半の生徒が寮生活をしているからそんなに苦労じゃないんだけどな。っと、これはお前には関係の無い話だ」

お前に関係のある話はここからなんだ。そういって、白沢はカップに口をつける。飲み物を飲んだその様子は、余計なことを口に出さないよう、自分の心情も一緒に飲み込んだようにも見えた。

「藤川、お前は沢西が眠りに就くのが嫌なんだろう?」

「そうだな。あれからずっと考えていたんだけど、いくらあいつが自分の意思で聖女になるって言っても、本人がやっぱりやりたくないって感じているのならやらせるべきじゃないと思うんだ」

突然の核心を突く質問に驚きながらもはっきりと返事を返す。白沢も僕の答えは想定していたのだろう、間髪いれずに次の質問をしてくる。

「もう一つ聞きたい。これはむしろ、最初に聞くべきだったのかも知れないが。

お前は、沢西の事が好きなのか?」

この質問には、即答できなかった。白沢と付き合いが長いけれど、真顔で直接こんなことを聞かれたのは初めてだった。普段ならふざけた笑顔で「なにバカ言ってるんだよ」と返す事もできるけれど、彼の真剣な顔と、彼が僕にしてくれた協力を思うと、そんなことはできなかった。

「…あぁ、多分な」

「多分とは、曖昧な答えだな。はっきり言いにくいっていうのもわかるけど。あそこまで沢西のために必死になったんだ、逆に好きでもないって言われたほうが驚くぞ」

そうだよな、と答えつつ僕はカフェオレに逃げる。甘い。生まれて初めて、ブラックコーヒーが飲みたいと思った。

そうして考えながらぽつぽつと話す。あの時、何を考えていたのかを。

「中学の時にさ、理由も覚えてないんだけど。放課後の体育館で沢西と二人きりになった事があったんだ。そのときに、約束をしたんだよ。

あいつが物語を書いたら、最初に俺が読むって」

「それで沢西は、物語を書いたのか?」

「ああ。あいつ聖女になるってわかってから、急いで書き上げたらしい。物語っていっても、特別おもしろいわけじゃなかった。それでも、その話を通じて訴えたいことがあるっていう必死さは、伝わってきた」

「その物語が、お前を動かしていたのか?」

「それだけじゃないんだ。言っただろう、小笠原に渡すとき、沢西は泣きながら怖いって言っていたって」

その姿を想像して、僕は再び強い怒りを感じる。どうして何も悪くない沢西が怖いと泣かなければいけないのか。

「俺、嫌なんだよ。誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて。そんなのが本当の平和な訳が無いだろう。

沢西が好きか嫌いか、って聞かれれば多分好きなんだ。だけど今回の俺の行動は、自分のためだ。俺が、嫌だったから。誰か犠牲になるって言うのが嫌だったから。それが一番の理由だ」

僕のその言葉を、白沢は静かに聞いていた。

「誰かが犠牲になるのは嫌なんだな。じゃあ、自分が犠牲になるのはいいのか?」

「…え?」

「お前は他人が犠牲になるのは嫌なんだろう。それじゃあもし、お前が聖女の代わりに眠れと言われたら?」

そんな事を僕は、考えた事も無かった。

「そうだな。もしそれで本当に誰もが幸せになれるのなら…いいのかもしれない。けれど、それが教会の指揮下っていうのは嫌だな」

僕が眠る事で、誰もが幸せになれるのなら。不安や心配なんてどこにもないような世界が、本当に自分が眠りに着くことで叶えられるのなら、そしてそれがずっと続くのなら。それは僕の人生の一部を賭けるだけの価値があるように思えた。

自分を犠牲にして誰かの幸せを願う。この考え方が正しいのか間違っているのか、今の僕にはわからない。白沢にも分からないだろうし、これから先、その答えが見つかるかも分からない。

しばらく白沢は何も言わなかった。何かを考え込んでいるような沈黙だったから僕も何も言わず、自分のに入ったカフェオレを飲む。

そして、僕のカップの中身が半分くらいになった所で、白沢も自分の飲み物に手を伸ばしながら、まるで独り言のように口を開いた。

「今週末、沢西は眠りに就く。いつごろ目が覚めるのか、半年か1年後か10年後か、それは俺にもわからない。学校の中でも、情報は掴めなかった」

それは、富谷さんと高部さんに聖女の護衛をやめさせられても、白沢なりに情報収集を続けていたという事だった。そうして、彼はカップをテーブルに置き今までにないほど厳しい目をして僕を見る。それはもはや見るというより睨むに近かった。

「沢西を聖女にしたくない、そういったお前に二つ道がある。

一つは、このまま沢西が起きるのを待つ事。

もう一つは、沢西と共に眠りに就く事。そうすれば、彼女が起きるのと同時にお前も目が覚める」

白沢の口から出てきた2つ目の選択肢は、瞬時には理解も判断も出来ないものだった。

「沢西と、眠りに就く?俺が?そんな事ができるわけがない…」

白沢の言葉が信じられなかった。

「それが出来るんだ。教会は聖女12人分の他に、さらに12人分のコールドスリープ装置を用意している。聖女一人につき、お供が一人ついていられるって事だ。その事実が公表されていない所を見ると、お供には『報酬』はつかないんだろうけどな」

「…そんな話、どこで聞いたんだ?まさか、学校の中で流れている噂じゃないだろうな?」

「そんなわけないだろ。富谷さんに聞いたんだよ」

「富谷に!?いつだ?」

「俺たちが沢西を救い出せずに教会を追い出された日。俺の家の前で、その話を聞いたんだ」



その日、白沢の家に着いたのはもう夜といっていい時間帯だった。

空は曇っていて、星は見えない。今の自分の気分にはちょうどいい。そんな事を考えながら白沢は、車内から空を見ていた。

止まった車の中で、やはり口を開いたのは富谷だった。

「さっきも言ったとおり、残念だけど白沢君は今日で役目終了だ。これからは普通の学校生活に戻っていいよ。沢西様には別の護衛をつける。もっとも、今日の話を聞く限りでは護衛は必要なさそうだけどね」

完全に自分の意思で聖女になると言った沢西に、精神的な支えは必要ないだろう。もう、自分たちができる事は何も無い。白沢もそう感じていたし、そうわかっていた。

―あいつを聖女にしたくないんだ

それでも、藤川の言った言葉が忘れられない。

この数日間、藤川に振り回された。中学の時でもなかったほど、互いの気持ちをぶつけあった。

それがすべて無駄になってしまうのか。

「沢西は、本当に聖女になっていいんでしょうか」

特に考えて口にしたわけではない。ただ、今車から降りるとそこですべてが終わってしまう。だから、少しでも時間を稼ぐ。その先に何があるかわからないが、まだ車から降りるわけには行かなかった。

「良いとか悪いとか。それは沢西様本人が決める事だよ。君も今日聞いただろう、彼女自身が聖女になると決めたのなら、それを邪魔は出来ないだろう。それに、彼女だって彼女なりの目論見があっての事だしね。『仕事』か、確かにそのとおりだよ」

「聖女になる事が仕事。確かにあいつはそう言っていました。…けれど、それなら聖女計画って一体何なんです?」

「……そりゃ、大いなる主によってこの世に使わされた聖女を一度」

「もしかして、沢西のような環境にある人を救済するための計画だったんじゃないですか?」

富谷の言葉を遮るようにして、白沢は言った。車内の空気が変わる。それでも構わずに、彼は言葉を続ける。

「今、教会に対して不安、不満が高まっています。それを解消するために、教会は『不幸な人を救う必要』が出てきた。そしてそれを実行するための計画が聖女計画だった。

適正検査という名の下調べの後、全国から『恵まれない女の子』が集められた。彼女たちをある一定の期間眠らせる事で、目覚めた後の生活を保障する。それが本当の目的だったのではないですか?」

誰も何も言わない。白沢の発言は、禁句に近いものだった。そしてこの沈黙こそが、何よりも雄弁に自分の発言を肯定しているように、彼にはそう思えた。

「残念だけど、それは違う。聖女計画は大いなる主に対して聖女たちを送り返すための儀式だ。彼女たちの目覚めたあとの生活は、教会側は一切保障しない」

「けれど実際は、」

「実際どうであれ、教会は保障しないよ。眠りに就くことで彼女たちが利益を得ようと不利益を被ろうと、それは我々教会側は意図しない事だ。そこまで手は出せないし、面倒もみられない」

今度は富谷が白沢の言葉を遮る。その声には今までにない固い響きがあった。

「それにね、『眠りから目覚めた後の生活の保障』が目的ならば、彼女たちはそう遠くないうちに目覚めなければならない。そうだろう?」

「そうですね。だから、あまり眠りにつく期間については心配していません」

眠りから覚めた後の聖女たちの生活の保障が目的ならば、いつまでも眠らせておくはずが無い。だから、眠りに就く期間というのはそんなに長くないはずだ。おそらく1年か、長くても2年程度だろうと白沢は思っていた。

だが、富谷は首を振る。

「それは大きな間違いだよ。いいかい、これだけは言っておくけど、彼女達が近い将来に目覚めるというのは在り得ない。ある程度の年数は眠ってもらう事になるだろう」

その言葉を聞いて、白沢の中で言いようのない不安が広がる。

「ある程度っていうのは、どれくらいの年数になるんです?」

「さぁ、それは解らないよ。神が許されるまで、だね。何しろ2000年以上前からずっと人類を見守っていてくださった方だ。時間の感覚は我々とは違うだろうな」

「でも、実際に彼女たちの眠る期間を決めるのは人間だ。大司教や司教たちでしょう。それとも、彼らがご神託を受けるとでも?なんの根拠も無くサイコロでも振るんですか?彼女たちだって人間だ、それを何の根拠も無く数年間も眠らせていいと本気で」

「白沢君、ちょっと冷静になりな。君も数日前までは白服を着ていたし、これからも着続けるんだろう?」

富谷のその言葉で白沢は我に返る。すいません、と小さく謝った後、彼女たちの睡眠期間はそう長いはずはないはずだ、と言った。

そう言い続けたのは、不安になったからだ。自分よりずっと教会の内側に近い立場の富谷が、近いうちには目覚めないと言っている。どれくらい眠るのか、10年か?20年か?

自分が生きている間に、彼女ともう一度会えるのだろうか?

その不安が白沢の全身に染み渡ると同時に、手足の感覚が鈍くなり、体に力が入らず、思わず背もたれに体を預けてしまう。もしかしたら、今日自分達は、本当に力ずくでも彼女を教会から連れ出すべきだったのではないか。

そんな白沢の絶望が伝わったのか、それとも水掛け論になると思ったのか。

「とにかく、それについては今言い争っても仕方が無いね。彼女たちの睡眠期間については後でわかるだろう。聖女計画の目的も、法王様の発表のとおりだ。他意は無いよ」

富谷にそこまで言い切られたら何も言い返せないし、話すことがなくなったのならおとなしく車を降りるしかない。

そうすれば、この数日間の出来事がすべて終わる。

聖女の護衛に抜擢された事。久しぶりに沢西と会った事。

卒業してから始めて藤川と再開した事。そんな彼と駅前でケンカ騒ぎを起こした事。

藤川は中学の頃からは想像できないくらい、必死に沢西を助けようとしていた事。

「藤川、あいつはどうなるんでしょう」

「今回の件で教会が彼に対して何かしらのペナルティーを科す、といった事を心配しているのならそれは杞憂だよ。別に犯罪行為をしたわけでもないしね」

「いえ、そういうことではなくて。

…あいつ、中学の頃は何も考えてない、状況に流されているだけの奴だったんです。

そんなあいつが、ここまで必死になるっていうのは中学の頃を知っている俺にとっては驚きでした」

「…………」富谷は何も答えない。

「でも、その結果が助けたかった本人からの拒絶だった。だからあいつ、相当ショックだとおもうんです。今まで俺がしてきたことはなんだったんだろう、って」

「……いまいち話が要領を得ないね。何が言いたいんだい?」

「藤川は、よく頑張ったって事です。努力して、傷ついて傷つけられて。そして、得た結果が拒絶じゃ、あいつが報われないじゃないですか」

「頑張った者が必ず報われるなんて、それは子供の絵空事、綺麗事の最上級だよ。それくらい白沢君だって分かっているだろう」

「絵空事でも奇麗事でも空想でも幻でも。俺は嫌なんです。それに、教会は人を幸せにするところでしょう。それなら、藤川を幸せにしてやれるんじゃないですか」

「彼は我々に敵対したんだよ?さすがに刃向かう者まで救えるほど、懐は広くない」

「本当にそうですか?」

「どういう意味だい?」

それは、白沢が感じていた小さな疑問だった。

「ちょっと気になっていたんです。今日、俺たち二人を沢西に会わせてくれたじゃないですか。

警護の観点から言えば、わざわざ俺たちを会わせる必要は無いですよね。いや、むしろ会わせない方がいい。あの場で力づくで連れて行く可能性だって、可能不可能は別にして、あったわけですから。実際、藤川はそう考えていたはずです。

どうして、俺たちを沢西と会わせたのですか?」

「警護の観点から言えば会わせる必要は無い、ね。

君はそういったけど、僕はそんな風には考えてない。むしろ今日君たちを会わせたのは警護のためだよ」

富谷の言うことは、白沢の考えている事の反対だった。

「たとえば、君たちを沢西様と会わせなかったとする。そうするとどうなるか。

君たちは彼女の口から直接意思を聞くことができない。すると『彼女を助ける』といって必ず何か行動を起こす。行動の中身までは予想できないが、何かしら行動を起こす事は絶対だ。100%と言い切っていい。

では逆に、君たちを沢西様と会わせた場合はどうか。もう説明するまでも無いだろう、それが今の君たちだよ。いまさら沢西様を連れ出そうという気にはならないだろう?

『我々の眼の届く範囲で沢西様と接触させ、その後の行動を起こさせない』か、

『接触はさせずに、いつか起こる相手の行動を阻止する』

どちらが簡単か、わかるだろう?」

つまり、白沢、藤川、沢西を会わせたのは警護上の事で、それ以上の意図は無いという。

そしてそれを隠さずに話すという事は、今は本当に自分たちを脅威としてみていないという事なんだと白沢は思った。

「それは俺たちを過大評価していませんか?教会が誇る警護を、たかが高校生2人が突破できるとは思えませんよ」

「それは君が自分たちを過小評価しているんだよ。決して僕は、君たちを『たかが高校生2人』などとは思っていないからね」

富谷は本当に彼らを甘く見てはいなかった。それは、体育館の外で白沢たちを待ち伏せしていた事からも分かる。

「それでも、結果として何も出来ませんでした。沢西自身が聖女になりたいって言ったのなら、もう俺たちに出来る事は何もありません。悔しいくらい富谷さんの言うとおりです」

「そう気を落とさない事だ。人を一人救うっていうのはとても大変な事だからね、そんな簡単にはいかないさ。その歳でそれが経験できたってのはすごいことだよ」

「それじゃあ、何か努力賞でもくださいよ」

もちろん、冗談のつもりだった。自分たちは何もできない、もう何もする事もない。そんな状態で、少し皮肉を込めて言ってみただけ。

―ははは、残念だけどそんな物は無いよ。君たちだって何か賞がほしくてやった訳じゃないだろう。

そういう類の返事が来ると予想していた。

だが、富谷の口から出てきたのは全く予想していなかった言葉。

「聖女様達は眠りに就いて、大いなる主の元へ向かわれるわけだ」

それは、教会が立てた聖女計画のストーリーだ。だが、なぜ今そんな話をするのだろうか。突然始まった話に白沢は、どこで口を挟んで良いのかわからずただ黙って聞くしかない。

「その途中、何も無いとは限らないだろう?もしかしたら、悪魔が聖女を誘惑するかもしれない。昔からその手の話はたくさんあるからね。

だから、聖女様を守る警護が、『騎士』が必要だとは思わないか?」

「聖女の警護なら、あなたたちがやっているじゃないですか」

「僕たちがやっているのは『眠りに就くまでの身辺警護』に過ぎないよ。問題は、『眠りに就いた後』だ。もちろん眠りに就いた聖女様達の御身体は、我々教会が責任を持って警護する。けれど大いなる主の元に向かわれた彼女たちの心は、守りようがない。わかるかい?」

言っている事は分かるが、言いたい事は解らなかった。だから、何も答えず黙って話を聞く。

富谷は続けた。

「ではどうすればいいのか?簡単だ、誰かが一緒についていってあげればいい。聖女様に危機が迫った時、それを解決できるような強い心を持った騎士が、ね」

白沢の頭が回転を始める。富谷が何を言っているのか、その先に何を言いたいのか。

「もちろん、どんな者でもいいというわけじゃない。悪意ある者、怠惰な者、心が弱い者。そういった者では、聖女を守ることはできないだろう。

決して揺るがぬ意思、聖女様に対する忠誠心、自己に対する厳しさ。そして何より、『聖女様を本当に大切に思っている者』そして『聖女様が信頼している者』。そういった条件に見合う者が、騎士となれる」

騎士。初めて聞く役職名だった。教会が行っている聖女計画の説明の中にもそんな名前は出てこなかったはずだ。白沢の疑問を感じたのか、彼が口を開く前に、

「騎士の存在は聖女様以上に秘密なんだ。教会の内部でも、本当に一握りしかしらない。そういう意味では、僕たちと同じだよ」

そう言って富谷は少し笑った。そして一番大事なのは、と前置きしてから

「眠りに就いた聖女を守るという事は、聖女様と一緒に眠りに就いてもらう。当然目覚めるときも同時だ」

白沢は黙って、今聞かされた情報について考える。

騎士。眠りに就いた聖女を守る者。聖女と共に眠りに就く者。

「聖女たち本人は、そのことを知っているんですか?」

「騎士が正式に決定したら伝える事になっている。だから沢西様は、まだ『騎士』の存在を知らないよ」

そこで富谷はいったん言葉を切った。

「多分白沢君は、『俺か藤川のどちらかが騎士になれば』と考えていると思うけど、騎士は大変だよ。さっきも言った通り、その存在は極秘だ。対外的に発表している聖女とは全く違う。白沢君なら、その意味が分かるだろう?」

つまり、眠りに就いた後の聖女に対する『報酬』が、騎士にはないという事だ。

「騎士に選ばれた者は『教会の手配で海外留学』へ行くという建前になる。もちろん家族には本当の事を言うけどね。そして聖女と共に眠る。つまり、それまでの生活、学校だったり会社だったり、そういうものはすべて捨ててもらう。

聖女と同等の対価を払って本人には何も得る物が無い。それが騎士だ。

それでも、君は、君か、君の親友を、騎士にしたいと思うかい?」

今までの生活との決別。その条件は聖女と同じだ。だがその後が大きく違う。

この世を代表して眠りに就く聖女と、突然教会の都合で「海外留学」することになる騎士。

失う物は多く、そして得られる物はない。

「……なぜ騎士の存在は極秘なんですか?別に悪い事をするわけじゃないでしょう」

白沢はまだ、騎士というものが信じられなかった。そして、富谷は白沢が言いたいことを正確に読み取った。

「確かに、すぐに信じろと言っても無理な話だろうね。

騎士が極秘の理由。それは、とても現実的な話だよ。人を一人コールドスリープにかけるのに、とんでもないお金がかかるからだ。聖女様12人の時点で、かなりの出費なんだ。そこで騎士を募集してたくさんの応募があったら困るんだ。聖女様と違い、騎士は人数の限定ができないし、聖女様自身が騎士を2人にしたいと仰られた場合、我々ではそれを断れない。だから、騎士の存在は聖女様にも一般的にも極秘なんだ。

それにね、こちらが公開してからやってくるような者では騎士になれない。聖女を守ろうと自発的に行動を開始する者。そういう人物が、騎士に相応しいんだ」

富谷は前を向いているというのに、なぜか白沢は彼と向かい合って話しをしているような錯覚を覚えた。

「俺たちが、騎士に相応しいと?」

「少なくとも僕は、沢西様の騎士に君たち以上に相応しい人物を知らない。いたら教えてほしいくらいだよ」

「……今すぐ返事はできません。一度、藤川と話し合わないと」



そうして、白沢の説明は終わった。

初めて聞く、騎士という役目。決して世間には公開されない、失うものばかりで得るものがない、分の悪い職務。仕事ではない、ボランティアですらない、収容と形容されても仕方がないような役目だった。

白沢の話しを聞く間僕は、一言も口を挟まずに黙って耳を傾けていたけれど、最初に感じた疑問を口にした。

「騎士の存在を信じさせる事で、俺たちの行動を封じようとしているという事は?」

「それはないだろう。富谷さんは俺たちをすでに敵として見ていない。お前だって今さら沢西をさらおうとは思わないだろ?」

私は聖女になる。そう言い切った彼女の、決意と不安に満ちた瞳を今も覚えている。一瀬は、自分のためなら他人の感情なんて気にするな、自分の好きなようにやれと言った。僕もその通りだと思って、白沢を巻き込んで沢西を助け出す計画を立てた。

沢西自身が聖女になりたいと言うなんて、全く考えていなかった。一瀬ならば、それでも沢西を聖女にはさせないだろう。僕には、それが出来なかった。

「沢西を救い出す事ができなかった。そしてそれを後悔しているのなら、お前が騎士になれ。彼女がこっちの世界に残れないのなら、お前が彼女と一緒に行くしかないだろう」

白沢のその言葉で、僕の心に少しだけ光が射した。

沢西を救い出せなかった事。車を降りて感じた悔しさと悲しさ。背中から伝わるアスファルトの冷たさと、滲んだ夜空。

失うものばかりで得られるものが無い騎士という役目。けれど、今の僕に彼女以上に大切だと思えるものは、あるのだろうか―?

少し考えてから、

「そうだな。あいつが聖女になるのをやめないなら、後は俺がついていくしかないか。騎士の役目、俺が引き受けよう」

はっきりと、白沢の目を見て宣言する。それを聞いて白沢は、そうかと短く答えた。

もう残り少ない自分の飲み物に視線を落とし、なかなか顔を上げない。そんな彼に、僕は一つだけどうしても聞いておかなければいけない事があった。

「白沢、お前は騎士になりたくないのか?」



「……今すぐ返事はできません。一度、藤川と話し合わないと」

そう答える白沢に、富谷は大きなため息を就く。

「もし白沢君が今すぐ『僕が騎士になります』と言えば、君は沢西様の騎士となれる。それは分かっているだろう。もし本当に沢西様の騎士になりたければ、これは大きなアドバンテージだと思うけど?」

「藤川を裏切れということですか?」

「いや、そうは言っていないよ。ただ、君にとって大きなアドバンテージなのは確かだ。それを使わないという事は、…もしかして白沢君は、沢西様の騎士にはなりたくないのかい?」

「…………」

車内に、今までとは違う沈黙がおりる。

やがて富谷は、もう一度大きなため息をついた。

「まぁ、白沢君ならここですぐに返事をしないだろうと思っていたけどね。答えはまた今度でいいよ」

そういう富谷に、白沢はうつむいたまま答えを告げる。

色々と考えた。ここ数日の出来事で、この人たちが自分達に何をしたのか。そして分かった。ここで、このタイミングで騎士の話をしてくるこの人は、最初から自分たちの味方だったのだという事に。

「この物語の主人公は、きっと藤川なんです」

どうして自分がここで騎士になると即断しないのか。富谷達に、彼らだけに自分の気持ちを教える。

「この数日間、俺はあいつに振り回されるだけの立場でした。あいつの沢西を助けたいという強い思いに、少し手を貸していただけです。だから、最後の騎士という役目はあいつが相応しいと思っています。もちろん藤川が騎士にならないと言った場合は、俺がやります」

そうして一度言葉を区切る。自分で口にして、自分の気持ちに気がついた。

藤川に花を持たせるわけじゃない。でも、きっと沢西の騎士は藤川が一番相応しい。それに、

「それに、俺には俺のやるべきことがあります。藤川と違って、俺は白服を着られますから」

前の座席はしばらく沈黙した後、そうか、と短く言った。

「それじゃあ、今日はこれで。今度藤川と会って騎士の話をしてやります」

そういって、ドアノブに手をかける。

車のシートが名残惜しいと思う事はなかった。

これから、やることがある。そう思い、強くアスファルトを踏みしめる。

低く、分厚く空を覆う雲。だが、その隙間から星が見えはじめていた。



白沢は顔を上げる。その顔は納得したように、薄く笑っていた。

「…何も沢西と一緒に眠りに就くことだけが、彼女の為に出来る事じゃない。俺には俺にしかできない事がある」

俺は白服だから。お前たちは眠りに就いている間、俺は眠らずにやることがある。

その、決意に満ちた彼の顔と言葉に、僕は言いようのない感情に包まれる。

お前と親友でよかった。

馬鹿正直にそう言うのは照れくさかった。だから僕は何も言えず、彼と同じようにただ笑うことしかできなかった。

白沢はカップを掲げる。

「約束しよう。お前は沢西と眠りに就いてくれ。その間、俺は俺の出来ることをやる。

そして、お前たちが眠りから覚めたときには、必ず迎えてやる」

僕もカップを掲げる。

「あぁ、お前が見守っていてくれるなら安心だ。沢西のことは任せろ、目が覚めたら、神様がどういう姿をしていたのか、いろいろ教えてやるよ」

これ以上話をすると、この胸の温かさが涙となって出てきてしまいそうだった。

僕達はお互いに笑いあって、もうほとんど中身の無いカップで乾杯する。

目が覚めた時白沢は、この中身がアルコールになっているような年齢になるかもしれない。だけど、何年後でも、僕は彼となら今日のような笑顔を浮かべて、同じように乾杯できるだろうと、そう思った。

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