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13-2人の決着

浅い眠りの中で、何度も白沢に殴られる夢を見た。そのたびに僕は目を覚まして、もう一度浅い眠りに落ちる。それを繰り返しているうちに夜が明けた。

朝起きて『悪夢のような現実』というフレーズが思わず浮かび、洗面所で鏡をみるとそこには、自分でも信じられないほど表情の暗い僕がいた。

朝食の時に家族から心配された。顔色が悪い、どうしたんだ、という両親の問いに何と答えたのか、よく覚えていない。

学校へ行くために家を出ようとて「今日は土曜日で学校は休みだろ?」と父親に言われた。同時に病院に行くか、とも聞かれたけれど、病気ではないと分かっていたから断って部屋に戻った。

週明けの月曜日からはテストがあるけれど、全く勉強をしていなかった。何も考えないまま机に向かいカバンを開ける。最初に目に付いたのは、見慣れないノートだった。自分のノートではない。表紙には「数学」、名前には「一瀬」と書かれていた。

昨日中に返す予定だったことを思い出し、焦っている一瀬の顔を思い浮かべて苦笑いをする。

そして、どうしてノートを返せなかったのか、その理由を思い出して僕は笑顔を消す。結局ノートを開かずに机を離れ、うつぶせにベッドに倒れこんだ。

本当に信じられなかった。中学時代の親友との再会、そして決別。一番会いたかった彼女との再会、そして別れ。

昨日、白沢と沢西が二人組みの男と共に駅を離れた後、僕と小笠原はどちらから言うでもなく家路に着いた。二人とも疲れていたし混乱していた。僕は家について、夕食も取らずすぐに眠ってしまった。何も考えたくなかった。

「なんで、あいつが…」

一晩中考えていた事を思わずつぶやく。

中学時代、白沢とはケンカもした。それでも僕達は同じ物を見て笑いあえた。中学時代の白沢ならば、今の教会が行っている聖女探しに疑問を感じたと思う。それとも、それすらも僕の思い込みなのだろうか。


昨日の一件で分かった事は、僕が沢西を助ける―聖女を辞めさせる―のに、白沢は敵対する事だ。僕は中学時代の友達を敵に回しても、沢西を聖女にさせたくないのかと自問する。

答えはすぐに出た。やっぱり僕は、沢西を聖女にさせたくなかった。それに、傷つけてしまった小笠原との約束もある。

まずは白沢と会って話をして、決着をつけないといけない。

もし白沢が協力してくれるのなら、教会内部の動向がつかめるかも知れない。少なくとも僕よりは詳しいはずだ。

そうして、やるべき事は決まった。中学時代の親友で、今は教会側にいる白沢と話をつける。彼の家の電話番号は、中学の卒業名簿に載っているはずだ。

僕はベッドから起き上がり、携帯電話へ手を伸ばした。


その日、白沢は自宅にいた。土日は神学校は休みなので、わざわざ寮へ帰る必要もない。何も考えずに部屋のベッドに寝転んでいた。

昨夜は夢と現実を彷徨いながら夜を越えた。朝食の時に親と妹と顔をあわせたら、顔色が悪いと心配された。何と答えて切り抜けたのかはよく覚えていない。ついでに朝食をとった記憶もあやふやで、気がつくとこうして部屋で寝転んでいた。

いろいろな考えが浮かんでは消えていく。

―俺は、沢西を聖女になんてさせない

昨日駅前で藤川は確かにそういった。

―本人が聖女になる事を嫌がっていてもか?

嫌がるはずがない。選ばれた彼女たちは、もともと聖女なのだから。全国の聖女候補たちは、誰もが聖女にあこがれている。

―お前本気でそう思っているのか?

本気だ。なぜなら教会のやる事だから。教会は人々に安らぎを与え奇跡を起こせるという事を、自分は小学6年生のあの日に身をもって経験しているから。

あの日、自分の将来が決まった。自分の行く道が見えた。だからそれ以来ずっと同じ道を歩いている。いつか自分も誰かを救えるように。あの日自分達を救ってくれた神父のように。

聖女の、沢西の警護を依頼されてうれしかった。ついに自分も教会側に立てた、あの日の神父と同じ側に来た、と思った。そして心のどこかでは、本当に聖女を狙う者が現れるとは思っていなかった。

そんな期待は昨日打ち砕かれた。聖女を狙う者が現れた。そしてそいつは、中学時代の親友だった。

「…神様、これも試練なのですか?」ベッドに寝転んだままつぶやいて、しばらく返事を待ってみる。が、何も起きない。当然だ、神様はいないのだから。

そう思った時、家の電話がなった。

まさかこれが神様の答えか?そう考えて、しばらくじっとしている。少し経った後「タクヤ起きてる?」という母親の声が聞こえた。白沢の家は広くない。少し声を張れば端まで届く。

白沢は慌てて電話へと急いだ。この電話は神様が出した答えかもしれない、と思った。

受話器から聞こえてきた相手の声は聞き覚えがあった。中学時代は毎日聞いていた声。そして、昨日自分が殴りそうになった相手。藤川ヒロキ。今一番会いたくて会いたくない相手だった。


藤川は、中学校の体育館にいた。ここが白沢との待ち合わせの場所だった。

休日の今日、体育館には誰もいない。外はよく晴れていた。風が通り抜けるよう、入り口の扉は開け放ってある。

体育館の中は何も変わっていなかった。常設されているバスケットゴールも、ペンキが剥がれている重たい入り口の扉も、上から見下ろすように下がっている照明も。ただ、それでも藤川はその様子に懐かしさと、具体的に言えない違和感を覚えていた。この風景が、自分に対してどこか白々しいように感じてしまう。それは、自分がこの学校にとって部外者となった証にも思えた。

そして、きっと変わったのは景色ではなくて、自分自身なのだろうと思う。もう今の自分は2年前の自分ではない。そしてそれと同じように、白沢も変わったのだろう。

中学時代は同じ方向を見ていると―思っていたのに。

視線を落とすと、壁際に片付け忘れたバドミントンの羽をみつける。

「ちゃんとしまえよ後輩…」という藤川の独り言に

「そりゃきっと、先輩の教育が悪かったんだな」そう答える声がした。

「なに他人事みたいに言ってるんだ。お前もその先輩だろう」

振り向きながら、声がした方に拾ったシャトルを投げる。

綺麗な放物線を描いて、シャトルは声の主―白沢の手の中に納まった。

そこで藤川は昨日の様子を思い出す。白沢には味方になって欲しい。教会内の動きを知る事は、絶対に必要に思えた。

でも、もしそれができなければ。今は、その『もしも』を考えないようにする。もしこのとき藤川が鏡を見れば、驚くほど険しい顔をしている自分に気がついただろう。

そんな藤川を見て、白沢は苦笑する。「そう怖い顔をするな。俺だって今更殴ろうって気はないよ」

最後に今はな、と付け加え、藤川のほうへシャトルを投げ返す。大きく放物線を描いて藤川の手に戻ってきたシャトル。それは二人に、中学生時代を思い出させた。

「…お前、何で神学校へ行ったんだ?」だからこの質問は考える前に藤川の口からでいていた。

もしお前が神学校へ行かなければ、今の俺たちはこんなことにはならなかった―。口には出さなかったが、その思いは白沢に伝わった。

やや空白の後「…神父様になりたいからだ。それだけだよ」白沢はそう答えた。その空白で何を思ったのか、やはり藤川はわからなかった。

「お前がなりたい神父、いや、教会っていうのは、本当に人を救えるのか?確かに、いろいろなボランティアや寄付をしているのは知っている。そのおかげで貧しい人たちや、病気の子供が助かっている事も知っている。

でも、聖女計画は、あれはおかしい。彼女たちが眠りにつくことで、本当に今の人が救われるのか?」

「当然だ。そのための教会で、そのための聖女計画だ」

「そうは思えない。あの計画では誰も救えないし、何も救えない。今の教会が救えるのは、お金が救えるものだけだ。

この国の、そして世界の貧しい人々に、お金という形で手を差し伸べることしかできないだろ。いまこの国で普通の生活をしている俺やお前や沢西、そういう人たちを救うことは、できない」

そういう藤川に白沢は少し苛立ったようなため息をついて

「それはお前が、幸せだからだ」そう言い切った白沢の声は、今まで藤川が聞いてきたどんな白沢の声よりも、暗く、深い声だった。

「いいか藤川。人を救うために絶対に必要な物がある。それは、救う人と救われる人だ。救われる人っていうのは、不幸にある人のことだ。そして不幸な人は、俺たちの周りにもいる。確実に、それは存在している。

それを知らないのは、お前が幸せで、世間を見ていないからだ」

「そ、それでも。教会はそんな人たちを本当に救っているとは…」

「救っているんだよ。―少なくとも、俺は救われたんだ」

藤川は言葉を無くす。中学時代の親友だった者の告白。それは白沢が誰にも告げたことのない、彼の過去だった。

「俺が小学生の頃だ。父親が倒れて家庭がボロボロになった事がある。本当にひどい状態だった」その頃を思い出すかのように、瞳を閉じる。

「その時に、俺達家族は教会に救われたんだよ。今の俺の家族がいて、今の俺に帰る家があるのは、教会のおかげなんだ。これは例えや比喩じゃなくて、事実だ」

淡々と、物語を紡ぐような口調で語る。それは、そんな過去を乗り越えた証でもあった。

「だからお前のような、ろくな不幸(けいけん)もない奴が教会は必要無い、なんていう事は許さない。いいか、教会は必要なんだ。これまでも、そしてこれから先も」

そう言い切る白沢に藤川は、かつて無いほどはっきりと、自分とは違うと感じた。白沢の顔には強靭な意志が浮かんでいて、それは、彼が抱いてきた思いの強さであり、思いを抱いてきた年月の長さだった。

かつて藤川は白沢を、理由もなく自分と同じような奴だと感じていた。だが実際はどうだろう。目の前にいる彼は、自分とは全く違う。思えば、神学校へ行くという奴をどうして自分と同じなどと考えていたのか。

自らの進むべき道を、自ら選び、自らの足で歩む。白沢のその姿は、今の藤川がなりたい姿だった。

「だから、昨日みたいなことはするな。沢西は聖女で、眠りに就く役目があるんだ」

諭すような白沢の口調に、藤川の心が負けを認めそうになる。自分の気持ちが萎縮していくのがわかった。

「これはとても名誉な事なんだぞ?沢西は神の遣いだったんだ。俺たちも彼女と同じ学校に通っていたということを感謝しないと。

そして、沢西たちが眠りにつくことで多くの人が救えるんだ。お前もわかるだろう。沢西を助け出すなんて筋違いなことを言うのは、もうやめるんだ」

藤川の心が、不意に畏縮を止めた。

「…一つ教えてくれ。眠りについて人々を救うというのは、本当に本人が望んだ事なのか?」

「何言ってるんだ?本人たちは望んでいるに決まっているだろう。何しろ主が遣わされた…」

「俺が聞きたいのはそんな教会の言い分じゃない。眠りにつく、眠りに就かされる彼女たち本人に直接聞いたのかって聞いているんだ」

「わからない奴だな、そんな必要は無いんだ。主が決めた事は絶対だ」

その一言で、藤川の折れかかっていた心に火がつく。

「…絶対って、なんだよそれ。あいつの、沢西の意思はどこにも入っていないじゃないか」

中学のときに交わした、本当に小さい約束にこだわった一人の少女。彼女は眠るのが怖いと、文章に託すしかなかった。彼女の想いが、教会側の言い分にはどこにも無い。彼女の気持ちを理解しようとしない教会も、その教会を妄信している白沢にも、藤川は怒りを感じた。

「眠りにつくということは、自分を残して世界が回るんだぞ。それを、怖がらない奴が本当にいるとおもっているのか?それを嫌がらない奴が本当にいると思っているのか?

いいか白沢。沢西は聖女になりたくないんだ。眠るのが怖いんだよ。なんでそんな簡単で単純なことに、お前が気づいてやれないんだ?」

今度は白沢が呆然とする番だった。さっきまでは大人しかった彼のどこに、これだけのエネルギーがあったのか。思えば、昨日駅で会った時から藤川の目は中学生の時とは違う輝きを持っていた。

「お前が言うように、教会は必要なのかもしれない。これから先、大勢の数え切れない人が教会によって救われるのかもしれない。でもな、そのために何の罪もない少女を生贄にささげていいって事にはならないだろ。

俺は、沢西の犠牲の上に成り立つような神を、神とは認めない」

立派になった。今自分が敵対している、自分に敵対している友人を見て、白沢の心のどこかがそう感じている。中学の時の藤川は、周りに流される事が多かった。その藤川が、自分に対して堂々と意見を述べている。

だが、それでも白沢は折れるわけにはいかなかった。

「ふざけるなよ。救われるかもしれない、じゃない。救われるんだ、いや、救うんだよ。5年前に俺が救われたように、今度は俺が救うんだ。本当の意味で人を救えるのは、政府でも企業でもない。教会だけなんだ。聖女たちは、決して無駄に眠りにつくわけじゃない。教会が人を救うように、彼女たちは今の世の中を救えるんだ!」

「世の中を救うためなら、人を犠牲にしてもいいっていうのか?お前は、10人を救うために1人を殺すことは正義だっていうのか?」

「成果を得るためには代償が必要だ!善悪とは別の次元なんだよ。お前は1人を殺して10人を救うことは悪だっていうのか?」

誰もいない体育館に、2人の叫びが響く。どちらも一歩も譲らない。昨日のように暴力が振るわれる事は無かったが、お互いがこれ以上ないくらい痛みを感じていた。

「お前は、沢西は聖女になりたくないと言うけど。それを本人の口から直接聞いたのか?」

この質問に、藤川は一瞬返事を詰まらせる。

沢西が書いた物語の後書きを読んだ。小笠原から彼女の様子を聞いた。それが藤川の根拠だ。

彼女の物語を誰かに話す事には抵抗があった。だけど今は自分の全てを出さなければ白沢を味方にできないと感じていた。

「沢西が書いた物語を小笠原から受け取ったんだ。俺はそれを、そしてそこに書かれている後書きを読んだ。そこには聖女になるって書いてあった。そして、小笠原が言っていたんだ。沢西から物語を受け取る時、あいつ泣いていたって」

「直接沢西の口から聞いたわけじゃないだろ。なぜそれを真実と言い切れる?もしかしたらその話自体が小笠原の嘘かもしれない」

「ふざけるな!小笠原はそんなところで嘘はつかない!あいつがどんな顔をして沢西の事を俺に話してくれたと思っているんだ!?」

「大体どうして沢西は小笠原に自分のことを話した?そもそも、どうして物語を沢西はお前に見せるんだ?そんな理由なんてないだろう!」

理由ならある。あの日交わした小さな約束。藤川はすぐに忘れたが、沢西はちゃんと覚えていた。

いつか物語を書きたいと言っていた少女がいた。その少女が見た小さな夢は、ほんの少しだけ形になり、藤川の手元に届いた。けれどその物語ができたのは、彼女が追い詰められていたから。

―今ならまだ助けられる。彼女はまだ、眠りについたわけじゃない。

「お前は小笠原を疑って、俺も疑って、そして沢西も疑った。それじゃあ今お前が信じているものは何だ?お前が言う神って、手を伸ばせば触れられる俺とか、声をかければ返事ができる小笠原とか、すぐそばにいて見る事ができる沢西とか、一緒に笑い会うことができる友達よりも、もっと信用できるっていうのか!?

触れる事も喋る事も見る事も、笑いあう事もできない神っていう存在は、お前にとって本当にそこまで、友達を犠牲にしてまで信じる、守る価値のあるものなのか!?」


体育館に静寂が訪れる。

白沢は、何も答えられなかった。

自分にとってあの日から、教会は絶対的な存在となった。だから、神とは守る価値のあるものか、という問いには迷い無くイエスと答えられる。

だが自分の中学時代の友達と天秤に掛けると、どちらに傾くのだろう。

彼が教会の人間を目指したのは小学校の頃で、中学入学前だ。時間で比較するならば、白沢は信仰を選ぶだろう。だが、過去とは時間がすべてだろうか。より遠い過去により価値があるとは限らない。

「……教会は。神は、全知全能だ。教会はどうしてもあり続けなければならない。だから、沢西には眠ってもらうしかないんだ。…決して、沢西が憎いわけでも、お前が嫌いなわけでもないんだ。中学時代がつまらなかったわけじゃない。勉強も、部活も、帰宅した後の家の様子も、大切な思い出だ。

でも俺は神学校の生徒だ。神に仕える事を誓った人間なんだ。今更、その誓いは破れない」

「でも、お前が仕える神ってのは、怖がっている少女を犠牲にして、その上に成り立とうとしているんだぞ?それでもお前は尊敬するのかよ?」

「彼女は、聖女だ。もともと神のそばにいた、聖なる者。神の元に返りたいはずなんだ…!」

「たとえ神が望んだとしても。彼女が本当に聖女だとしても、本当に沢西を眠らせれば世界が救われるとしても!……俺は、嫌なんだよ」

「…………」

その告白に言葉を失う白沢。そして、藤川自身も自分の言葉に驚いていた。

「あぁ、そうなんだ。俺が、嫌なんだ。沢西が怖がっているとか、小笠原が泣いていたからとか。それより前に、俺が嫌だったんだよ。あいつが眠りについて世界が回るのならば、俺はそんな世界は要らない」

自分の大切な人が自分の元から離れていく。それはかつて白沢自身が味わいかけた恐怖。それを食い止めてくれた教会が、今度は違う誰かを引き裂こうとしている。

人を守るべき立場である教会が、人を引き裂こうとしている。その考えに至った時、白沢の中で何かが変わった。彼が長い間抱き続けた思いは、完全に硬化してしまっていた。目の前の親友が言った一言は、そんな固まった自分の根本を、少しだけ壊してくれた。

自分は、何のために神学校へ行ったのか。

自分がなりたいものは、神父か、神学校の生徒か。それとも、誰かを助けられる何かか―。

「沢西を、救う?世界じゃなくて、沢西を救いたい?それで世界が救われないとしても…」

「あぁ、それでもだ。何度も言わせるな、沢西の犠牲の上に成り立つ世界なんて、いらない」

そこまで言い切れるのか。強くなったな。

目の前の親友を見て、白沢は心の底からそう思う。何が藤川を変えたのか、考えようとしてやめた。答えはすでに本人が口にしているではないか。

白沢は一度大きく息を吸い、吐き出す。そこで気が付いた。体育館の空気は、自分達がいた頃と何も変わっていないという事に。

「……まったく。本当にお前は、馬鹿丸出しだ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」全身の力を抜いて、今までの口調を一転させる白沢。その様子を訝しそうに見る藤川。白沢は重ねて尋ねる。

「一応聞いておくが、お前はこれから沢西をどうするつもりなんだ?」

「…どういう、意味だ?」

「そのままの意味だ。まさか、救うだの助けるだの言っておきながら何の考えも無いって訳じゃないだろうな?」

その白沢の問いかけに、藤川もすこしずつ彼の言おうとしていることを読み取る。

「……もし教会内部の情報がわかれば、なんとかなるかもしれない」

「なんだ、もともと俺がお前に協力する事は作戦のうちか?」

「それじゃあお前は沢西を…」

「まだ完全にお前の味方になったわけじゃない。本当に沢西が聖女になりたくないってわかれば、お前に協力してやる」

「本当か!?いいのか?だって、学校は」

「いいんだ、俺は俺なりに考えてるんだから。ただし、もし沢西が聖女になりたいって言ったらこの約束はなしだ。いいな」

「ああ、ああ!いいぞ、沢西が聖女になりたいっていったら、お前は俺の敵になっていい」

そういって心底嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる藤川。これで沢西を救う可能性が現実味を帯びてきたし、何よりまた白沢と同じ方向を見ることができて、本当によかった。

白沢はそんな藤川を見て微笑している。自分が本当に守りたいモノは、世界よりも、目の前の親友のような自分にとってかけがえのない人なんだろう。そう、気がついた。


「今沢西についている護衛ってのは、お前だけなのか?」

体育館の壁に背を預け、2人並んで座る。服装こそ私服だが、それは中学の部活を彷彿とさせる光景だった。

「ああ、今の所はな。これから先、増員されるかはわからない。俺が護衛に当たっていること自体が秘密事項扱いだ。だから学校の友達も知らない。それは、他に誰かが護衛していても俺が知らない可能性だってあるって事だ」

「そうか。でも、直接沢西と会って話をしているのはお前だけなんだろ。他に護衛者がいるってのは考えにくいけど」

「その辺はちょっと探りを入れてみる。計画の実行はその後でいいだろ」

藤川の計画は、実に大雑把だった。

まず、藤川が沢西をつれてどこか遠くへ逃げる。その間、不在がばれないように白沢は教会へ「沢西は風邪を引いて寝込んでいる、しばらくは外へ出られないだろう」と連絡を入れる。そして教会が彼女を迎えにくる直前に、「沢西が居ない」と騒ぐ。教会は大慌てで非常線を張り、警察も動員するだろう。それは逆に、そのときまでにどこかに身を隠し終えていれば安全でもあるという事だ。

そして実際に眠りにつく日。聖女計画の直前でまさか「聖女が一人攫われました」というわけにもいかないだろう。別の聖女を立てるか、もしくは何か理由をつけて11人で眠りにつくか。とにかく、眠りに就く日を乗り越えれば、その後に改めて眠らせるという可能性は少ない。

その計画を聞いて白沢は

「やっぱり、俺が協力しないとこの計画は成り立たないじゃないか」と言った。

藤川は「俺はお前が味方になってくれるって信じていた」と返した。

言ってから、半分くらいは本音だったと気がついたが、それは伝えないでおいた。



一般的な体育館は土足厳禁だ。それはこの中学の体育館も例外ではない。つまり、下駄箱があり、靴の履きかえを行うロビーがある。

藤川と白沢が会話をしている体育館の中から死角になる位置に、スーツ姿の二人の男が立っていた。

一人は長めの髪をしっかりと整えていて、どこか白衣が似合いそうな雰囲気を漂わせている。その顔はまるで、贔屓のスポーツチームが試合に負けたときのような、洗ったばかりの洗濯物を干している途中で地面に落とした時のような、聴きたくない話を聞いてしまったときのような表情を浮かべていた。

もう一人は、対照的に無表情。坊主頭にサングラス、そして大柄な体格と相当な存在感を漂わせている。扉の脇に立つその姿は、まるで仁王像のようだった。

体育館への入り口は開けっ放しのままだ。そして体育館というのは、声が反響しやすい。入り口のすぐ横に立っている二人の男に、中での会話は筒抜けだった。

「…………」

「…………」

ロビーの2人は無言だった。中からは話し声が漏れている。彼らにとって聞きなじんだ声が、教会の内部について語っていることが聞こえた。それは聖女に関わる教会の動きで、当然だが外部者に漏らしていいことではない。

「で、どうする?」

坊主頭が言う。横の男はすぐには何の反応も示さなかった。しばらくしてやれやれ、と首を振る。

「まったく…。面倒な事になったなぁ…」答える声もやはり小さい。

「再び聞くが、これからどうする?」

「どうしようかな…。さすがにこの会話を聞かなかったことにはできないね、教会の人間としては。だけどまさか、白沢君が裏切るとはなぁ」

「彼は若い頃の自分に似ているのだろう?」

「こうなることを予測できなかったのかってこと?確かに可能性の一つとしては考えていたけど。だけど、あくまで可能性の話だった。白沢君が本当に教会側から寝返るとは思わなかったよ。彼の過去を覆せる人なんてそういないからね。そういう意味じゃ、藤川君ってのもただ者じゃないね」

「確か藤川も沢西様と同級生だったな」

昨日の駅前での騒ぎの相手。教会の情報網で藤川のことを突き止めるのに、そう時間はかからなかった。

「さっきの会話からすると、白沢君も知らないところでどうも沢西様とかかわりがあったみたいだね。

いや、それにしてもさっきの会話。聞いた?あれ高校生の会話じゃないよ。善とか悪とか、幸せとかエゴとか…。どこかの討論番組よりもよっぽど中身が濃いじゃないか。己の全てをかけている感じだったし。いいよな、若いってのは」

「なんだ、耳が痛いのか?」

「いや、むしろ痛いのは心だよ。でも、あの二人は相当仲がいいんだろう。あんなに本音をぶつけ合える友達って、そういないからね」

「だが今回は」

「ああ、本音だから余計にまずいよ。藤川君は本気で沢西様を攫うつもりだし、白沢君も条件付きだけどそれに手を貸そうとしている。あの二人の計画が本当に上手くいくとは思えないけれど、それでもそういう行動を起こされるのはまずいよな。僕達のためにも、藤川君のためにも、そして白沢君のためにもな」

「…では」

「まずいでしょ、とめなきゃ。まったく、気が進まないよ。これじゃあまるで僕たちが悪者じゃないか。中学時代の同級生を救おうとしている主人公たちの行く手を阻む悪役―。汚れ仕事には慣れているけれど、今回はさすがにつらいな。風貌からいくと、高部のほうが悪役っぽいと思うけど」

「安心しろ、お前も似合わない訳じゃない」

「はぁ、ありがとう。…じゃあそろそろ行きますか。

―聖女様の護衛は、僕たちのお仕事ですし、ね」


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