12-沈黙の帰宅
相変わらず運転席に座るのは高部だった。当然助手席には富谷がいる。後部座席にはやはりいつもどおり白沢が座っていた。
いつもと違う点は2つ。
普段なら話し声が絶えない車内が静まり返っている点。
そしてもうひとつは、白沢の隣に座っている沢西だった。
さすがは高級車、ロードノイズは皆無で快適な乗り心地。だが、その静寂性は車内の静けさをよりいっそう引き立たせ、快適さに逆に居心地がわるくなる。
駅前での事件から、沢西はずっとうつむいたままだった。その様子から白沢は、藤川と小笠原が状況を知っていた原因は沢西本人にあるだろうと思っていた。そして、嫌な状況になった、とも。
藤川は沢西を聖女にさせないと言った。傍にいた小笠原にもそれを聞いて驚いた様子はなかった。あの2人の共通意見だろう。
しかしその意見にうなずくわけにはいかない。今の白沢は教会の関係者で、彼等2人は教会の敵だった。それでも白沢は、藤川達を脅威とは感じていない。どんなに騒いでも、高校生2人が教会のプロジェクトを止められるはずもない。
絶対に計画は続行される。
しかしだからといって、中学時代の友達と敵対するのはいい気分ではない。
自らの両手をボンヤリと眺める。頭の中は真っ白だったが、この左手が掴んだ胸座の感触を覚えている。この右手が作った拳の固さを覚えている。あの時、高部が止めに入らなければ間違いなく―。
「沢西様」突然助手席の富谷から声が上がる。沢西は肩をピクッと震わせたものの、顔を上げる気配がない。富谷は前を向いたまま続ける。
「本日はこのような失態を見せてしまい、誠に申し訳ございません。無礼を承知で一言陳情させていただけば、今回こちらから遣わしました白沢があのような場面に不慣れな事が一因となっております」
白沢は驚いて何か言おうとする。が、結局何も言えなかった。今日の失態はまさに自分のせいなのだ。一層深く革張りのシートに体をうずめる。やはり富谷は後ろを振り返ろうともしないで続ける。
「本来であれば白沢を警護より解任し、新たな適任者を派遣するのですが。初回であるという事を踏まえ寛大なご判断をお願いいたします」
信号で車がとまる。そのほぼ完璧な遮音性を、これ以上内くらいの形で見せ付ける車。
「白沢君で、いいです」顔を伏せたまま、消え入りそうな声でそう沢西が言ったのは、再び車が動き出した直後だった。
「ありがとうございます。本来であればこちらから意見を申し上げられる立場に無い我々の意見を尊重していただいたその心に、必ずやお答えします」富谷のその発言を聞いて、白沢はほっとした。とりあえず今日限りで護衛解任という事態は免れたようだ。だが、
「ところで白沢。先ほどの状況、説明してもらえないか」その富谷の言葉に今度は白沢が体を震わせる。
俺が殴ろうとしていたのは中学の知り合いで名前は藤川ヒロキって言います。その隣にいたのはやっぱり中学の知り合いで小笠原マキ。2人は沢西が聖女だという事を知っていて、彼女を聖女にはさせないと言っていました。
というように、教会の者としてはここで何の迷いもなく本当の事を言うべきだ。そう分かっていても白沢はどうしてかそれをためらった。
「…駅前でストリートライブを聞いていたんです」
駅前であの曲さえ聴かなければ。
「曲が終わって移動を始めようとしたときに、私と沢西…様がはぐれてしまいました」
買い物に行くのが今日じゃなければ。
「そして…合流する間に彼等に絡まれました。
…相手は全然知らない奴で、金を出せ、といわれました」
藤川達をかばったつもりは無い。今はこれ以上余計なことを聞かれたくないだけで、結果として富谷たちに嘘をついただけだ。
「相手に面識は無く、突然金品の要求を受けたと。そういう訳だな」富谷のその質問に、
「…はい、そうです」
白沢は嘘をついた。相手は中学の知り合いで、要求されたのは金品ではなく沢西だった。
そこで、車が止まった。気が付けば、沢西の家の前に着いていた。楽しい買い物のはずが、あんな事が起きてしまってそれどころではなくなった。
「沢西様、ご自宅に到着いたしました」
沢西が黙ったまま車を降りたのにあわせて、残る3人も車から降りる。
「重ね重ね、本日は誠に申し訳ありませんでした。以後はこのようなことが無いようにこちらでも考慮いたします」富谷は、普段の口調からは想像もできないほど敬語を使い慣れていた。
最後までほとんど口を開かず沢西は玄関をくぐり、3人はその姿が見えなくなるまで彼女を見送った。
「さて、僕達も帰ろうか」沢西の姿が完全に見えなくなってからそう言った富谷の口調からは、さっきまで彼女に使っていた敬語はきれいに消えていた。
そうして再び車に乗り込み、今度は白沢の家へと向かう。
「沢西様にはああいったけど」富谷が口を開いたのは動き出しから少しして、信号で止まったときだった。
「今日の事はあまり気にしなくていいよ。でも、今度からその格好で外に出歩く事は止めた方がいいだろうね」
「えぇ、そうします」答える白沢の声にも力が無い。いつもはよく喋る富谷もそれきり口を開こうとはしない。いつもと変わらないのは高部だけだ。
車の中が静かになる。静かな事は悪い事ではない。だが、その静かさは白沢に余計な事を考えさせる。例えば中学の時のたわいもない話とか。テスト前にノートの貸し借りを賭けて小笠原たちとやったダブルスの試合とか。
そんな2人が、どうして今日敵対したのだろう。中学を卒業してから2年が経った。白沢にとってはまだ2年でも、もしかしたら藤川や小笠原にとっては“もう2年”なのかもしれない。
しばらくして、白沢の自宅に到着した。静かに動きを止める車。
「今日は色々と、すいませんでした」そう言ってドアに手をかける。そんな白沢に、
「悪いが最後にもう一度聞かせてくれないか。今日絡んできた彼らに、本当に心当たりは無いんだね?」そう尋ねる富谷は前を向いているために、白沢から顔をうかがう事は出来ない。
「……ありません。あんなヤツは、知らない」そう答える時、心が少し痛んだ。それは嘘をついたからで、決して藤川たちを切り捨てたからじゃない。そう思い込む。
「そうか、何度も悪かったね。今日はお疲れ様。ゆっくり休むといい。それと後の事は気にしないでいい。あの騒ぎで警察が何か動くかもしれないけど、それはこっちでなんとかするよ」
無言で頭を下げてドアを開け、車を降りる。振り返ることもせず、急いで自宅の玄関をくぐる。
これ以上富谷たちと一緒にいたくなかった。とにかく、一人になりたかった。
「まいったね」
白沢の姿が玄関に消えたのを見届けてから再び動き出した車の中で、富谷はそうこぼした。その声にはいつもの陽気さはなく、心底疲れている声だった。
「何がだ?」そんな富谷に対し、前を向いてハンドルを握る高部はいつもと変わらない。
「白沢君。絡んできた相手を知らないって言っていただろ」
「ああ」
「どうしようかね…」
「だから、何がだ?」
そう訪ねてくる相方に富谷は、助手席から前を見つめたまま
「だって嘘だろ、相手を知らないなんて」
と、当たり前のように言った。
それに対して運転席から返ってきた答えは、
「当然だ。彼らの第一接触を見ていた限り、あの4人が知り合いである事くらい分かるだろう」そして知り合いならば、我々に対して庇う動きを見せても不思議ではない。ハンドルを握りながらそう断言する高部。
この2人は常に白沢と沢西を監視していた。白沢に「報告はしなくてもいい」といった理由はそこにある。
当然今日の駅前での騒動も、最初から最後まで見ていた。そして、あんな場面を目撃してしまった以上、相手のことを調べないといけない。
「それはわかってるよ。だけどさ、白沢君の前では今日絡んできた相手の事を知らない振りをしないといけないだろ」
「私は堂々と、彼らの事を調べたと公言してもいいと思うが?」そういう高部の意見を
「そりゃダメだ。僕達はあくまで知らない振りを通すよ」
一刀の元に切り捨てる富谷。
彼は、車の中でぐったりしている白沢の様子を思い出す。いつもの白沢からは想像できないようなその姿は、一目で何かとても大変な事があったと分かった。
そんな彼が『相手は知らない』と言った。相手を庇うつもりか、それとも自分自身を騙すためか、おそらくその両方の為に白沢は富谷達に嘘をついた。
けれど、富谷達はその嘘を見破り相手の素性を調べ上げてしまうし、白沢は自分を騙せないだろう。白沢の嘘は、全くの無意味だ。だが、それを本人に教える必要は無いだろう。富谷たちが黙って騙された振りを続ければ、白沢だけは自分の嘘に価値があったと思える。
「…それに僕たちはまだ『ただの送り迎え役』でいた方がいい」
「富谷がそういうのなら構わない。だがあえて一言言わせてもらおう」ハンドルを握りながら、やっぱり無表情で高部は言う。
「君はどうやら、白沢に肩入れしすぎている節がある。もし何かあった場合、その感情は君を傷つけるだろう」
そんな忠告を聞いて、富谷は肩をすくめて苦笑する。
「ありがたく頂戴するよ。けど何かあった場合ってのは想定しなくてもいいだろう。何も起こさないために、僕たちがいるんだから」