10-彼女を助ける僕の味方
平日の昼間に立岩に来たのは、この時が初めてだった。会社や学校がある時間帯にも関わらず、相変わらず多くの人がいる。中には制服姿の高校生もいて、僕は授業はどうしたのだろうと思った。けど、すぐに今の僕も同じ格好をしている事を思い出す。
改札を出てからまっすぐにテレビ売り場に来た。もはや定番となった大型テレビの前で、彼女を待つ。今日も来るはずだという、根拠の無い確信があった。
テレビを見て、立ちつかれると少しはなれたところにあるベンチに座って休み、またテレビの前に立つ。それを何度か繰り返し、日が暮れはじめて周囲の人通りが多くなり、やがてテレビが5時の時報を告げた時。僕を見て驚いている小笠原を見つけた。
「今日もごめんな、付き合ってもらって」場所はやはり昨日と同じファーストフード店。昨日と同じ注文をして、昨日と同じ席に座る。
「いいよ。別に、欲しい物があったわけじゃないから」素っ気無く言う小笠原。昨日のことを思い出して、僕も少し気まずさを覚えた。だけどここで引き下がるわけには行かなかった。
沢西と会うのに一番の近道は小笠原を説得する事だった。もし説得が失敗した場合、彼女は僕が沢西と会う事を止めさせようとするかも知れない。そうなると彼女は敵になるし、そうなったら僕も容赦するつもりは無かった。ただ、なるべくならそうはならないで欲しいと、そう思っていた。
「そうか、それはよかった。俺は、小笠原に用事があったんだ」
その言葉に顔を上げた彼女の目は『また馬鹿な事を言い出すつもり?何度頼まれても同じ事よ』と語っている。小笠原も自分の考えを曲げるつもりはないらしい。しかし、そんな表情を無視して僕は話し始める。
「やっぱり沢西に会いたい」
「だめ」
「あいつに会わせてくれ」
「できない」
はっきりと意思を口にして、はっきりと拒絶された。やはり一筋縄ではいかない。
それでも僕は負けるわけにはいかなかった。
「じゃあ、お前は沢西が聖女になってもいいと思っているのか?」
その質問に、小笠原は一瞬言葉を詰まらせる。
「…いいとか悪いとかじゃなくて、もともとサユリは聖女なんだから」と、誰が聞いても強がりだと分かる嘘をついた。見ているこっちが思わず同情してしまうような、そんな嘘だった。
「もともと聖女だとか、そんなことは抜きで答えてくれ。お前は本当に沢西が聖女になってもいいと思っているのか?」
その僕の問いに、小笠原はしばらく悩んでいた。
「…それは。思ってないけど」
「それなら助けてやるのが友達じゃないのか?」
それを聞いて、小笠原の顔に怒りが浮かぶ。
「藤川が私たちのことをどれくらい知っているの?そんな簡単に友達とか言わないでよ!」
「なんだ、そんなに親しいわけじゃなかったのか。それは悪かった。そうだよな、親しかったら、友達だったら、聖女になるって言われたときに止めるはずだよな」
これはもちろん挑発だった。小笠原と沢西がとても親しいことを、僕は知っている。そして僕の言葉が小笠原をどれだけ傷つけるのかも知っていた。それでもこのときはこう言うしかなかった。
「私だって本当は嫌だよ。でも教会が決めたことじゃない!それにサユリが聖女になるって言ってるんだから!私からはもう何も言えないでしょ!」
昨日と同じように、小笠原は怒っていた。ただ昨日と違うのは、僕は意識的に彼女を怒らせていた。
「昨日も言ったじゃない!サユリの気持ち考えてよって!それでもまだ助けるなんて言うとは思わなかった!」
沢西を聖女にさせたくないけれども本人が聖女になると言っているから、自分から勝手に助ける事もできない。僕が考えて悩んだ事を、すでに小笠原は考えていた。そして彼女が出した結論は、見守ること。
でも僕は、その結論を選ぶ事は出来ない。
たとえ沢西本人が助けを望んでいなくても、僕自身が彼女を助けたいと思っている。
その考えが、自分が傷つけている女の子を見ても揺るがない事を確認して、僕は僕が思っているよりも頑固なのかもしれないと思った。
「自分を主張して、回りに受け入れられなかったらどうする?」小笠原に、静かな声で話しかけた。彼女は下を向いて、涙をこらえているようだった。このときの僕は、目の前にいる僕を怒った女の子に、敵対心よりも仲間意識を感じていた。
「俺の高校の友達は、相手の意見をよく聞けって言ってた。それに納得できれば自分の意見を変えればいいし、納得できなければ後は戦うしかないって」戦う、という単語に小笠原は反応する。
「それで藤川は今日、私と戦いに来たんだ?」その言葉には皮肉が込められていた。目は赤く潤んでいるが、泣いてはいなかった。「でも、私に勝っても意味ないよ。サユリ本人が聖女になりたいって言ってるのに、他の人が止められる訳ないんだから」
それは、昨日まで僕自身が考えていた事だった。
そして今は、違う考えを持っている。
「もし正しいことをしていると思いながら間違えた事をしている人がいたら、そいつの意思なんて関係なくやめさせないと」
この言葉は、自然と僕の口から出た。小笠原は黙って僕を見ている。
「この計画自体が、俺はもともと好きじゃないんだ。女の子を数年間眠らせて、本当に世の中は変わるのか?とてもそうとは思えない。そんな計画は教会の自己満足だ。付き合わされるほうにしてみればいい迷惑だ。
だけど俺の知らない人が知らない所でどうなろうと、それは構わない。俺の世界には関係ないからね。
でも、沢西が選ばれるとなると話は別だ。
あいつが聖女になって、本当に世の中はよくなるのか?あいつは聖女になりたいって、本気でおもっているのか?そんなわけないよな。泣いていたんだろ、あいつ。なら辞めさせないと。あいつがなりたくないのなら、聖女なんてならなくていいんだよ」
小笠原の目を見て、僕は言い切る。
「でも…。でも、どうするの!?サユリは絶対に自分からは聖女をやめるって言わないよ。あの子昔から自分で決めた事は絶対にやりとおす子だから。おとなしく見えて、実はすごい意地っ張りなんだから」
「説得する」
その簡潔な答えに対しての沈黙は、今までのと意味合いが違っていた。ぽかんとして、二の句が告げない小笠原。
「簡単なことだよ。それは説得するしかない。それでだめなら、また違う手を考えよう」
「……」
「そのためにもまず、あいつに会わないといけないんだ。頼む、沢西にあわせてくれ」
安っぽいテーブルに手をついて頭を下げる。
「……」
しばらく沈黙が続く。これでダメなら、説得は諦めるしかないと思っていた。
だけど、小笠原は、沢西を助けるという僕を助けてくれる。だって、そうじゃなければ、3日も連続で僕に付き合ってくれるはずがない。
「ここで私がダメって言っても」
顔を上げる。
小笠原の顔には呆れの色と、
「きっと藤川は諦めないでしょ。これからずっと付きまとわれるのは嫌だから」
―ほんの少し、うれしさがあったように思う。
「それじゃあ」
「サユリの家、教えてあげる」
「……!」
嬉しかった。これで沢西に会える!後はすべてうまく行く気がしてきた。
「それにね、きっと私が言ってもサユリは聖女を辞めないけれど。もし藤川が言うのなら、何か変わるかもしれないから」
私だってサユリを失いたくないんだから。
拗ねたように顔を背けてそうつぶやく小笠原の目に少しだけ滲んでいた涙に、結局僕は気がつかなかった。