ep28.灰色3
急激な魔力制御による精神の消耗によって、ワタシの意識は完全に沈黙し、静寂に支配されたダンジョンの、マスタールームに敷かれたやわらかな素材のカーペットへと倒れ込んだ。
わずかに残った意識などとうに失せ、ワタシは糸の切れた人形のように崩れ落ちながら、微かに残る幸せの記憶を思い返す。
ワタシがワタシを取り戻した日々を。
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およそまともな生き方をしてこなかったワタシにとって、師匠との日々は新鮮で、健康的で、そして何よりも楽しかった。失われた子供時代を取り戻すことは出来ないまでも、少なくともできなかった事を追体験していくような、【一つの生物としてどうあるべきか】を教えて貰えたことは、ワタシがその後の人生で終わりを迎えるまでは確かに心の支えであり続けたのだ。
記憶にはもうほとんど残っていなかったのだが、完全に自我崩壊を起こしたワタシは売り払われ、数多の変わり者たちの所有物として渡り歩き、研究対象として師匠の元へと流れ着いた。
師匠は魔導師であり研究者としてその才能を請われ、当時の為政者に飼われる頭脳だった。魔導師としての力量は世界的に見てごくごく並水準だが、様々な知識の探求者としてや、優れた開発者として、また哲学者としても非凡な才能を有した、いわゆる天才と呼ばれた人として広く知られていた。
「ティア、無駄な殺生をしてはいけないよ?」
涼し気で透き通るような碧眼を優しい笑みを讃えながら、師匠は昆虫で遊んでいたワタシに声をかけた。小川の支流から流れ込んでくる農水路の脇で、手伝いの傍らに小さな水溜りを作って遊んでいたのだが、それだけではつまらない、と甲殻虫を溺れさせて遊んでいたのが見つかった形だった。
師匠は研究の手伝いをしてもらっている農家に立ち寄り、なにやら難しい話をしていた所だった。
ワタシが師匠に引き取られてから半年ほど経った頃のことだったと思う。引き取られてすぐの頃のワタシは、連れられ案内された廊下に指示がなければ立ったまま一日中佇んでいるような虚ろさの中に生きていた、と聞かされたことを思い出した。
自我をある程度取り戻すまで、師匠は毎日本を読んでくれたり、体を洗ってくれたり、髪を梳いてくれたり、ご飯を食べさせてくれたり、兎角【人として扱い続けること】をやめなかった。まるで何もわからない赤子に付きっきりの母親のように、甲斐甲斐しく知識と体験を与え続けたのだ。
そんな生活を続けていたある日、ワタシは夜中に突然泣き出すようになった。
それこそが自我の発露だった、と師匠がワタシに嬉しそうに語っていたのをおぼえている。
そんな事があってから、ワタシは徐々にではあるが意志のかけらを見せるようになった。それまでは何を聞いても応えられなかったが、好きか嫌いかくらいであれば応えられるようになった事を川切りに、それまでされるがままだった状態から、自分から行動を起こすようになったのだ。
ワタシはそうしてまさしく【生まれ変わった】。
師匠はワタシをティアと呼んだ。
両親から与えられたディリアティアという名前からもじった形だったが、そんなふうに呼ばれることでワタシという人格をあらたに形成する礎になっただろうし、間違いなくその時のワタシはティアとして生まれ育ったと言っていい。
見た目はすでに人間なら十五歳くらいのワタシが、本来ならば父であり母である人を師匠と呼ぶようになったのは、ワタシが彼の知る魔法について興味を持ってからであり、生活にわずかに使える程度の魔法力をどのようにして使えば良いのかについて、知るきっかけを与えてもらったからだった。
なにより、過去の記憶をある程度取り戻す過程で自然とそうならざるを得なかったと言ってもいいだろう。
「ティアの魔力は一定なんだよ」
ワタシが魔法をほんの少ししか使えない事について師匠に聞いたとき、感知魔法をいくつか使ったあとに告げられた言葉だった。一定とはいったいどういう事なのか?分からなかったワタシは素直に問うた。
「ティアはどんな人にも必ず魔力がある事は知っているよね?」
その言葉にコクリと頷くと、それを確認して師匠は言葉を続けた。
「大なり小なり、基本的な魔力素体に違いがあるのは当たり前なんだけど、そうした許容量とは別にそれぞれの特性に応じて習熟度というか、親和性にも普通ならばらつきが有るんだよ」
「許容量?親和性??」
「ああ、持っている魔力の大きさとは別に、得意な魔法とそうでない魔法がある、ってことだよ」
なるほど、と頷くと師匠は満足げにワタシに微笑みかけた。肩に触れるか触れないかの長さで切り揃えられたやや白みがかった金髪が美しく揺れる。
「本来ならそれぞれの特性における得手不得手の差が、発現される魔力と考えられているんだけど、ティアにはその差がほとんどないんだ。おまけに魔力素体は人間なんかより遥かに大きいから、微々たる差なんて差のうちに入らないくらいの関係性っていうのが、ティアが魔法をうまく扱えない理由になってるんだ」
そんな師匠の説明を聞いて、ワタシは狭い道を矢鱈と大きな身体の人達が押し合いへし合い道を奪い合っている姿を想像し、笑ってしまった。
しかし、次の一言でちょっとしたパニックになる。
「ちなみにそれぞれの魔力素体なんだけど、ざっと見たところ僕の百倍くらいはあるね」




