ep23. ネズミと覚悟
キニャー山脈は、東の大陸と言われるダーバイン大陸を分断するほどに巨大な霊峰だ。世界において無数に存在する大陸群のなかでも取り分けて大きく、さらに多くの国々が覇を唱え、南方諸国連合や北のイェスタフ王国を内包するダーバインにおいて、キニャー山脈を迂回するルートを利用しないという事は、その危険性の高さから相応の覚悟と武力が必然であり、徒歩でなければ通れない狭間の砦に通じる道のような場所でありながら、少人数なら通行が可能などという道は極めて稀であった。もっとも、数年前まではジャボロブが群生していたこともあり、通ることなどとてもではないが出来なかったようだが。
ジャボロブだけでなく、地域によってはオーガファイターやアルラウネのような非常に強力な魔族が棲息していることもあり、余程のことか相当な腕がない限り山脈超えを目指すものは少なかった。
つまり、ギンリやロモス以外に砦に近づく者が居ないというのも、その辺りが理由だったのだ。
砦の西南西に位置している、キニャー山脈に覆われるように位置する平地からすこし分け入った場所にある洞窟で発生したと思われるネズミの大軍は、山脈から流れる川を避けるように東進を進め、程なくひっそりと開拓が進められていた名もなき村をわずか二日で焼き尽くした。
人口五十人ほどの小さな村ではあったが、その段階で数千だったネズミの大軍は村人だった物を餌として爆発的に増加し、あっという間に数万へと膨れ上がっていた。小さな個体を含めるとその数は数百万にまで膨れ上がるが、その脅威は計り知れない。
数が膨れ上がればそれだけの食料を必要とするわけだが、雑食である彼らは平野や森の木々を食い散らかしながらさらに東進を続けており、このままではポストニカを始めとしてラーマ、リキーア、バラキアなど、ヨード川とアグリ川に挟まれた一帯は壊滅状態になる可能性が高いと目されている。
これを受けたイェスタフ王国首脳部は対策として王国騎士団四個師団の派兵を宣言しており、尖兵及び斥候として天馬隊が先行し、次に被害を受けるであろうポストニカへと急行していた。
しかし、王国へは「スタンピードか起きた」ことは伝わっているようだが、モンスターがネズミであることや、既に数万まで膨れ上がっている事までは伝わっていないようだった。そもそも、この情報はポストニカより急報として各所に送られた情報であり、そうした情報の伝達方法が鳥や冒険者、早馬などの手で行われていたからだ。
千里眼や地獄耳といわれる遠距離見聞魔法もあるにはあるが、術者の力量に大きく左右されるものであったし、補助魔法具がなければ満足に行えないのも現実問題として為政者の頭を悩ませ続けている事の一つである。
「……というのが人間側の現状でございます」
司令棟に備えられた作戦会議室には、装飾を最小限に留められた石机が鎮座している。二十人ほどが席につけるであろうこの部屋には、いまは九人の姿があった。
「ぐうぅぅ、我の右目に宿りし虚空の虚無が、いつにも増して暴れているクマー」
それ、何も無いって意味じゃないの?……などというツッコミを喉の奥に放り込んで、限りなく無視の方向で会議を進めるべく、奴を視界に入れようとして辞めた。というか、なんでアイツはここに平気な顔して要られ、あまつさえ戯言を放てるのか理解に苦しむが個人的に面白いので放置だ。
あれは触る奴をみて楽しむ生き物だ。
触ってはイケナイ。
「それは鼻ではないのか?」
「……こほんっ!」
見るに見かねてジードが触ってしまった。というか眼ですらなかったのか!と気付いて思わず咳払いで吹き出す笑いを押し殺した。……なんて恐ろしい子なの!?
「ふん!我の崇高な魔力の奔流に気付けぬような輩には、この状態を理解するなどありえないクマー!」
それまで白い目だったジードの瞳に、明らかな灯火が入る。ギロリと形容するに相応しい眼光は、クマーを値踏みするように威圧的な威容を放ち始める。
「虚空の虚無などと……、自ら何も無いとのたまわっていたのは俺の聞き間違いか?」
ジードの指摘はワタシも思っていた事だ。その言葉を聞いたクマーは信じられないと言ったような表情でふるふると首をふり、震えながら掠れた声で言葉を返した。
「あ、あのジードが理解している……だと!?クマー」
「おい貴様、喧嘩なら買ってやるぞ」
「えっ?あの、えっ?」
クマーの挑発にあっさりと喧嘩腰で威圧を始めるジードに、一人を除いて全員が” また始まったか”とゲンナリしていた。事あるごとにクマーはジードにちょっかいを出すのだが、これでもかと言うほどジードは必ず食いついてしまうので、気付けばいつも一即触発の状態まで燃え上がっていた。
その度にワタシやシェールが諌めるのだが、彼らのやり取りは既に常態化しており、正直面倒になってきていた。
「ああ、リアラは初めてだったっけ?いつもの事だから気にしなくても良いよ!それよりも会議を進めよう」
ワタシは新しいメンバーであるリアラにそう声を掛けると、作戦について大まかな主旨と、それについて各自が把握しておくべき内容や、作戦行動についてなどの情報を展開していく。それまではおろおろと事の成り行きを見守っていたリアラも、ロキシアやガブーイに諭されて作戦に意識を向ける。
リアラは今回の作戦に伴って三日前に五百三十八万コゼニーで生成した純粋エルフの女の子だ。ゴブリンの一件を終えてすぐに生成したことになる。長寿のエルフだからという訳ではないが、年齢のわりに若々しい容姿をしており、クマーよりは高い身長と、ワタシ以上のまな板体形が彼女の特徴と言える。白に近い透き通るような金髪が肩付近切りそろえられていて、清純なイメージが可愛いだとか、青交じりの碧眼は神秘的な印象だとか、シェールと並ぶとまるで美の女神が降臨したみたいだとか、そういう美辞麗句は並べたところで彼女の本質を捉えたことにはならないと思う。
極めて普通の女の子、それがリアラの印象だ。
これから起きるであろう出来事は、たぶん当たり前の感性では到底耐えられないような陰惨な未来になることがワタシには分かる。なぜならそういう風に事を仕向けようと考えているからだ。
ワタシは作戦内容を説明しながら、歴史的に見ても陰惨な事件とでもいうべき出来事になると予見を巡らせ、それによって引き起こされる身内の心情の変化を慮っていた。
でも、それはワタシが望んでいることなのだ。
後悔なんてしない。




