理由
その問いは巧にとって簡単に答えられる問いではなかった。小説を書く理由。だが一つだけ言えることは、
「人を楽しませたいからかな」巧は言った。
「献身的なんですね」ねこざねさんはすこし考えて相づちをうつ。
「いやそんな立派なものじゃないです」
「いいえ、誰かの為に何かをするというのはすばらしいことです。」
面と向かって褒められたので巧はすこし照れてしまって何もいえなくなってしまった。
するとねこざねさんの方もこっちを見て何も言わない。だからすこし見つめ合ってしまった。
またもや巧は恥ずかしくて視線をねこざねさんから外した。
もう大体の感想は聞けたからもう帰ろうか、と巧が考え始めたその時、後ろから軽やかな足音が聞こえてきた。
はっと振り返ると金子先生だった。
「やあ浅野少年。小説の執筆ははかどってるかい」にこやかに彼女はいう。
「はい、ねこざねさんからとってもいいアドバイスをもらったので、」
「人に小説を見せるというのも、悪くないだろう。それにねこざねさんは1日で読んできてくれた。いい読者に恵まれたな。」
「頼みごとは責任をもって果たすだけです。」ねこざねさんはすこし照れていう。
「ふんふん、良い心がけだ。」金子先生は微笑む。とってもいい笑顔だ。さっきまで大人気ないと思っていたのだが、面倒見のいい先生なのだと巧は思い直した。
「ところで浅野少年、他にも良い読者が学校にいるんだがどうだい?」
「誰ですか、それは。」巧は訊く。
「まあ行けばわかる。」今度は不敵な笑いを金子先生はした。
「ねこざねさん。浅野少年を例の場所に連れてってあげてくれ」
ラジャーですっ!、とねこざねさんは笑いが混じった声で言った。
そして椅子から立ち上がると巧のわきに来て、さあ、行きましょうと微笑んでくる。
巧が立ち上がった途端、ねこざねさんがぎゅっと手を掴んできた。
「ついてきてください。」彼女のはそのまま歩き出した。
どこに女子に手をつかまれて恥ずかしくない男子高校生がいるのか。そしてこのままねこざねさんはおれをつれ回すつもりだ。かといって手を無理やりふりほどくのもねこざねさんが傷つくかもしれないので出来ない。
後ろで金子先生がヒューと囃し立てる。やっぱり大人気ねーな、と巧はまたもや思い直してしまった。
巧の手を掴んだままねこざねさんは少し先をスタスタとリズミカルに歩いてゆく。こちらとは反対に少しも恥ずかしがるそぶりはない。しかし、ねこざねさんの手は柔らかい、なんてことも考えてしまい、巧はまたもや恥ずかしくなってしまった。
誰かに見られたらどうすんだこれ、、、と巧はうつむいて手を掴まれたまま歩いてゆく。
もう授業が終わって30分ぐらいたっているので校内にいる生徒が少ないのが唯一の救いだった。
ねこざねさんは一度校舎を出て部室棟に行くつもりらしい。そんなことを考えながらついてゆく。
体育館の地下にある部室棟への入り口に着くとねこざねさんは
「もうすぐです。」とつぶやいた。
そして薄暗い階段を下りると長い廊下に沿ってドアが5メートルおきぐらいに並んでいる。たぶん一つ一つがなんかの部室なんだろう。
ねこざねさんは手前から三つ目のドアの前で立ち止まった。
そのドアには「文藝部」と書かれていた。