カミングアウト
「あなたの小説、まあまあです。すっごく。」ねこざねさんは姿勢良く座って言い放った。実際にそのセリフを言われるとかなりショックだなと巧は思ったが感想を聞くという目的は果たす。
「なるほど、じゃあ具体的にどこがですか。」どうやらねこざねさんにはもう丁寧語で固定されている模様。
「ええっとですね、ちょっと待ってください。」と言って、ねこざねさんは足元に置いたバッグの中を机の下にもぐりこむようにして探す。ねこざねさんが視界から消えたので巧はため息をする。
「まあまあ」か、つまらない、よりかはましだが、結構頑張って書いたのにな、なんて思ってたらねこざねさんがひょこっと顔を出した。
「ありました。これです。」彼女の肌色の手から見慣れた原稿用紙の束が机に置かれた。置かれた時にぺしっと音がした。あとこれも、と言ってねこざねさんはクリアファイルから1枚のレポート用紙を出た。文字の向きもこちらの方に向けて机の上を滑らせてきた。どうやら読め、ということらしい。
そのレポート用紙には読みやすい文字で「面白かったところとそうでないことリスト」と書いてある。それを見た途端、
「おお、ありがとうございます。」
と自然と巧は言ってしまった。こんな風にちゃんと分析してくれる読者はとてもありがたい。
「どういたしまして」ねこざねさんはまっすぐこちらを見て続ける。
「リストを見て貰えばわかると思いますが、少しまだなんというか描き慣れてないというのを感じました。」
「まあ、初めてなんで」巧はいう。
「そこは書いていくうちに良くなると思います」ねこざねさんは答える。
「あとは、キャラクターがよくわからないです。」
「ええと、どんなところがですか」
「主人公が難聴のある少年、という設定でしたよね。新鮮に感じましたけど、難聴である必要性があんまり感じないんです。どうして難聴という設定に?」
ねこざねさんは手元の巧が書いてきた原稿用紙をぺちぺち手のひらで叩きながら聞いてきた。
「ううんと、難聴っていうのはなりたくてなるもんじゃないんで必要性というのはいらないのでは」巧は反論する。
するとねこざねさんはほおを膨らませながら首をきゅっきゅっと左右に振る。ついでにポニーテールも揺れる。
「わたしが言いたいのはそうじゃありません。」とねこざねさんはきっ、とこっちをみていう。
「小説の中での必要性、ということです。」
「小説の中?」
「はい、巧さんの小説の設定はざっくり言うと難聴の少年がある日、未来からきた不思議な少女と未来で敵と戦うというのですよね?」
いや改めて自分の小説の設定を聞くと恥ずいなこれ、と思いながらも巧はうつむきながらはい、と頷く。
「この設定って難聴の少年じゃなくても良くないですか?例えばその部分を、ごく普通の男子高校生、にしたってストーリーは変わらないでしょう?」
「うーん確かに、」巧は納得した。
「だからわざわざ書くのが難しい設定にしなくても」とねこざねさんは言った。しかし巧は思わず反論してしまった。
「いや、難しいわけでもない、というのは、いうのが遅れて悪いんだけど、僕が自身が実は難聴で、、、」
はあ、また面倒くさいのが始まった。と巧は思った。自分が難聴であることなんて今言ってどうなる。聞いた人は、へえああそう、という感想しか出てこない。
そして面倒くさい人と思われて避けられるのが関の山だ。今までの16年の経験がそう言っている。だが言った言葉は戻らない。
だから巧は急いで言い繕おうとしたがなぜかいきおい立ち上がってしまった。
「いや変なこと言いました。気にしなくてもいいです。とにかく小説の主人公は
僕がモデルということです。」と言った。
すると、ねこざねさんはこちらをしばらく丸い目でじっと見上げると、がばっ、と立ち上がって、
「ええとそ、そうなんですかっ、知りませんでした、ごめんなさい。」と頭を下げてきた。やめてくれ。
「いや、やめてくださいほんとに」と急いで巧は止める。彼女の下げられた頭を上げたいがこちらは障害者とはいえ男子高校生だ。頭を持ち上げようとして女子には触れない。全くもどかしくて焦る。
「とにかく謝らないでください!」巧は言った。少し声が大きくなってしまった。
「へ?」とねこざねさんは頭をを上げる。
「だから面倒くさいんだよなぁ。」巧は言った。「ねこざねさんが謝ったら、障害者がエライみたいになるじゃないか、それはおかしいよ。」
「あ、確かにそうですね、わたしこういう時どうすればわかんなくて」ねこざねさんは制服の襟をきゅっと直して手で掴んだままもじもじする。
「ええとまず座りましょう。」巧はいう。
「ええ」と言ってねこざねさんも座る。
「あのー、もう少し大きな声で話しましょうかっ?!」
「いや今は大丈夫です。さっきまでのも通じてます。」ねこざねさんの気遣いが心にしみたが、巧は続けた。「もどりますが、そういうわけで主人公が難聴という設定なのです。」
なるべく巧は明るくトーンで言った。明るい雰囲気が伝わるかは不明だが。明らかに二人の間の空気が変わったのは確かだ。全くこの後どうなるやら。巧は人並みに人間関係で悩み始めた。