新たな冒険を求めて。
「リネイブさんは、いつまでここに?」
リーンベルを後にしようとしたイリアルドさんの問いに、僕は「えっ?」と言葉を返した。
考えてみれば、もう一週間近くもこの村に居座ってしまっている。
最初はクエストの疲れが癒えるまでのつもりだったのだが、復興のため頑張るみんなを見ていると何だか放っては置けず、僕はすっかり村に溶け込んでしまっていた。
まだ何もない場所だが、親切なみんなと一緒にいると故郷にも似た安心感を覚えてしまっているし、もうモンスターが出てこないこの地には身の危険を心配する必要もない。
でも、そうだよなぁ……。そろそろまた冒険しないと、まずいよなぁ……。
脳裏に目を吊り上げて叱りつける、アイナさんの姿が思い浮かんだ。
「もしギルドガルドに行くようでしたら、外に獣車を待たせておりますので乗っていきませんか?」
「えっ!? いいんですか!?」
「もちろんです。厚かましい申し出かもしれませんが、ギルドとしても刻印持ちの方には早く冒険を再開していただきたい。あなたを必要としている方々は、まだまだたくさんいるんですから」
「はぁ……」
何だか、さぼっていないでもっと働けと言われているような気分だ。
ギルドの制服をびしっと着こなすイリアルドさんは見るからに仕事ができそうな人で、整った顔立ちながらも表情は乏しい。
眼鏡の奥光る眼光は鋭いし、きっと怒らせたらアイナさんより怖いだろう。
正直言って、僕の苦手なタイプだった。
「今回の件に関しても、当事者のあなたにはもっと詳しく話が聞きたい。よろしければギルドに戻ってステイタスを視させてもらっても?」
「そうだっ! ステイタス!!」
僕は思わず大声を上げる。
ほのぼのとした日々ですっかり忘れていたが、僕は今回のクエストでどれくらい強くなれたんだろう?
レーアさんに近づけただろうか?
アイナさんに胸を張れるような男になれただろうか?
知りたかった。今すぐにでも。
その欲求には勝つことはできず、僕はしばしの間を置いて決断する。
「戻ります。ギルドガルドに!」
*
「もう行っちまうのか、リオ?」
「はい……。すいません、本当は村がちゃんと立ち直るまで協力したかったんですけど」
身支度を済ませた僕を見送るため、リーンベルの入り口には村人全員が見送りに来てくれていた。
名残惜しそうなみんなの表情を見ていると、僕も寂しさがこみあげてきてしまう。
何だかこの感じ、似ているな。
ファストの村を旅立ったときと、同じ光景だ。
でもあのときと違うのは、この出立は自分の意思だという点だ。
成り行きや、強制なんかじゃない。
「そうか……、まぁお前にも、お前の目的があるんだもんな。いつでも帰ってこい。リーンベルはお前のことをいつだって歓迎するぞ」
「ありがとうございますっ!」
白い歯を見せ相変わらず豪快に笑うワッツさんにつられ、僕も相好をくずす。
みんなからももう何度言われたかわからない感謝の念を押され、何だか背中がかゆくなってしまう。
そんな中、視線を下げたまま黙りこくる白いローブの少女の姿に、僕の目は自然と止まった。
「ハル……」
「あっ、ごめんなさいっ! わかってるんです。リオ君の、村を救ってくれた恩人の門出なんだから、こんな顔してちゃだめなんだって。フレー、フレー、リオ君です! えへへ……」
無理やりつくろった笑顔を前にし、急にみんな静かになってしまった。
いつもは周りを元気づけてくれるハルがこの調子では、仕方がないことかもしれない。
「いつか別れくるってわかってたはずなんですけど、何でかな……」
ぽとりと。
ハルの瞳から、涙が零れ落ちた。
「やっぱり……寂しいです……」
泣きじゃくる彼女を前にし、僕も暗い気持ちになってしまう。
場に重たい空気が流れる中、ワッツさんが声を上げた。
「リオっ! 俺からのクエスト、忘れてねえよな?」
その意を介した僕は、彼の強く向けられた眼差しに大きくうなずいた。
両手で顔を覆うハルの頭に手を乗せ、何度か咳払いをし。
少々の緊張を覚えながらも、口を開く。
「えーっと、ハル? これはワッツさんから――」
違う。
僕の気持ちであり、願いでもある。
「いや、僕からの依頼を受けてくれないかい?」
「クエスト……?」
濡れた瞳で正視されて、先の言葉うまくが出てこない。
しっかりしろよ……。
女の子をリードするのが男の役目だって、アイナさんが言っていたじゃないか!
「まだ、目的とかそういうのはなくて、いつまで続けるかもわからない漠然としたものなんだけど……」
それでも、彼女が許すなら。
望んでくれるなら。
「僕の仲間になってくれないかな?」
ハルの両目が、大きく見開かれた。
ワッツさんのヒューという口笛が聞こえ、僕は羞恥に顔を赤らめてしまう。
でも、きっとワッツさんに頼まれずとも僕はこうしていただろう。
ギルドガルドでミリアさんに言われた「信頼できる仲間」。
ハルは自分の身をなげうってまで僕を助けてくれた人物だ。
彼女以上に信用たる人間など、他にはいない。
それに、ハルとの冒険はきっととても楽しいものになりそうだったから。
「行って来いよ、ハル」
「ワッツ……、いいの?」
「リーンベルの事なら心配ねえぜ。いけすかねえギルドの連中が保護してくれるんだ、心強いだろ? それに、お前の気持ちは俺たちが一番知っている」
ハルの気持ち。
ずっと冒険者に憧れながらも、それを押し殺しリーンベルに尽くした十年間。
ワッツさんも、他のみんなも本当は彼女に好きなことをやらせてあげたいって言っていた。
この地が解放された今、ハルを縛る楔はもうない。
僕は自分の手を差し出す。
籠の中の鳥を連れだすような気持ちで。彼女の夢を叶えてあげたい思いで。
「行こうっ!」
ハルは零れた涙を拭うと僕のことを見つめ、破願した。
「もちろんですっ! 勇者様!!」
伸ばした僕の右手を、ハルの手がしっかりと掴んだ。瞬間――。
ゴーン、ゴーンと。響き渡る鐘の音色。
驚き視線を向けると、大鐘楼が独りでに揺れ動いている。
「はっは! 聖女テラ様もいきなもんだ。いいタイミングで鳴らしやがる!」
耳朶を震わせる鐘の音をすり抜け、ワッツさんの声が耳へと届いた。
そうか、一度鳴らせば浄化の鐘は定期的になるんだっけ……。
僕がデス・オブ・バレーを倒してから約一週間。つまり、鐘の周期はそれくらいってことだ。
鐘の音に共鳴するように、塔の周りを鳥たちがはばたく。
僕たちはしばしの間、そろって心地よい音色に聞き入っていた。
「あっ、もう行かないと! 外でイリアルドさんが待ってくれてるんだ」
「私もすぐに準備してきます!」
とててっと、ハルはテントへと駆けていく。
「がんばれよ、勇者の卵。いずれは、魔王討伐に挑むんだろ?」
「えぇぇっ!? いやーそこまでは考えてませんけど……」
ワッツさんの問いかけに、僕は恐れ多いと全力で首を振った。
魔王の手下ですら間一髪だったんだから、その親玉に勝てるなどとは到底思えない。
何よりも僕にははるかにランクが足りていない。挑戦する権利さえ持ってやいないのだ。
すると、なぜかワッツさんは不思議そうに首をかしげた。
「そうなのか? でもお前はまがりなりにも魔王直属の部下を倒したんだ。普通のモンスターとはわけが違うぜ。樹王の野郎も今頃、けんか売られたって鼻息荒くしてるだろうよ」
「そそそ、そうなんですか!?」
なんてことをしてしまったんだ!?
顔中から血の気が引いていくのがわかる。
ワッツさんの言い方だと、僕は樹王に目を付けられてしまったのだろうか?
もし、そうなら……非常にまずい。
どうする? どうする!?
この先もあんな凶悪なモンスターに襲われたりしたらっ!?
僕がうんうんと頭を抱えていると、ハルが杖と新たなポーチを下げて戻ってきた。
「お待たせしましたっ! さぁっ、行きましょう!」
「ははは……やっぱり僕ここに残ろうかなー」
「何言ってるんですか!? いざ行かん、新たな冒険を求めてっ!」
いやいやと泣き叫ぶ僕の手を引き、ハルは歩みだした。
ニコニコと笑う彼女と僕の表情は、まさに対極的なものであったであろう。
「ハルを泣かしたら、ただじゃおかねえぞー!」
ワッツさんの声が遠くなる中、泣きたいのは僕の方だと心の中で叫んでいた。




