冒険者の心得。
草原を土埃をあげ獣車が走る。
腕利きの調教師によって調教を受けた魔物、『ライガー』によって引かれる車輪の上には帆の張られた荷台が設置され、中では一人の麗人が数枚の資料へと目を通していた。
長い耳とギルド職員の制服に身を包む彼女は、眼鏡の奥、細い瞳を記された文字へと走らせる。
「浄化の鐘……」
薄い唇からつぶやきが漏れた。
彼女は立ち上がり、荷台より顔を出す。
「急いでっ! リーンベルへ!」
「あいよっ」
調教師は鞭をしならせ、獣車の速度を上げさせた。
獅子のたてがみを持つ犬型の魔物は、うなりを上げつつそれに応える。
(一体だれが鐘を鳴らしたの……?)
先日ギルドガルドまで響いた、鐘の音。
その音は間違いなく聖女テラの遺物、浄化の鐘であった。
当時、近隣のモンスターが弱体化したとの報告からもそれが事実であることを裏付けている。
十年前、モンスターに襲われ廃墟と化したはずのリーンベル。
それと共に、浄化の鐘も役目を終えたと彼女たち職員は聞いていた。
ただ資料によれば、一部村をあきらめきれぬ者たちが徒党を組んでリーンの森に住み着いているとの情報もあったが。
「だけど……あの鐘は刻印持ちにしか鳴らせない」
美麗な顔立ち、あごの部分に指を当て彼女は思考する。
リーンベルには、刻印を持つ人間は存在しないはずだ、と。
それはつまり、今回誰かが彼らに力を貸したことになる。
ここ一年ほど、ギルドガルドで刻印持ちを探す少女の噂を彼女も耳にすることがあったが、それに応じる者がいたという話は聞いていない。
当たり前だった。まともな冒険者であるなら、ギルド以外の依頼を受けようなどとは思うはずがないのだから。
勇者の刻印を所持する人間は、他の冒険者と比べ非常に価値が高い。
彼らを募る依頼は後を絶たないし、報酬もしかるべき金額が保障されている。
中には、実力よりも刻印を重視する依頼主だって多かった。
(まぁ、気持ちはわかるけどね。神に選ばれし、勇者の資格を持つ者なんだから……)
そんな待遇故に、彼らは天狗になる。他者を貶め、己を誇張する。
せっかくギルドがランク制を設けているにも関わらず、自分の能力を見誤りあっさりと命を落とす。
魔王を倒すという目標を忘れ、金もうけに走り、堕落する。
そんな現状を歯がゆくも感じつつ、仕方がないのかとも彼女は思っていた。
こういった状況を作り出しているのはギルドでありつつ、民衆なのだから。
「神様も、刻印を与える人間をちゃんと選べばいいのに……」
深いため息が漏れる。
だがしかし、言ってしまえばそんなろくでなしたちがいるからこそギルドはここまで大きくなれたのだ。
刻印持ちを募り、莫大な依頼料を払う顧客たち。
それをクエストとし掲示することで、ギルドは多額の仲介料をせしめている。
もし彼らが損得を考えず、金銭など投げ売り行動したら?
そんなことをしてしまえば、ギルドなどいらなくなってしまうであろう。
自分たちが行っているのは、あくまで商売だ。そう彼女は自嘲するよう笑った。
人々の苦悩や恐怖を、冒険者たちに商品として売っているだけなのだと。
より高く、より多く買ってもらうためにも、ギルドは彼らを常に特別視しなければいけない。
そして刻印持ちが自身を高く見れば見るほど、ギルドの求める仲介料は跳ね上がる。
死んでしまうくらいなら、魔王なんて倒さなくていい。勇者なんて目指さなくていい。
中にはそう口に出す人物がいるほどに、刻印持ちはギルドにとって必要不可欠な存在であった。
「浄化の鐘を鳴らした人は、一体何が目的だったんだろう……? まともな報酬なんて、あの村には払えるはずもないのに」
彼女はぼやきながら、己の一族に伝わる初代勇者の英雄譚を思い出していた。
幼いころから何度も聞かされた、本物の勇者のお話。
他者のために身を投げ売り、悪者にも情けをかけ。人々の平和のためだけに身を焦がした、英雄の話だ。
まだギルドができるずっと前の事。
報酬なんてない。情報だって、ランクだってステイタスだってない。
そんな中、幾人かの仲間と共に無数の冒険を重ね、魔王を打ち倒した伝説の勇者。
もし彼が生きていたのなら、リーンベル復興に問答無用で協力したであろう。
「どんな変人なのか、確かめなくちゃ」
揺れる獣車によってずり落ちた眼鏡を直し、彼女は息を巻く。
獣の雄叫びが、草原を駆け抜けた。
*
「リオっ! 起きろ!!」
村人の青年の焦燥した声が耳に響き、リオは瞳を開く。
金色の髪を揺らし上体を起こすと、テントの入り口から青年が息を切らしこちらを見つめていた。
「おはよう……ございます。あれっ、もう朝ですか……?」
「ばかやろう! もう昼だ! それどころじゃないんだよ! ワッツが……!?」
欠伸をしながら、首を傾げる。
まだぼんやりとした意識だったが、青年の鬼気迫る雰囲気に次第に脳が覚醒していった。
「ワッツさんが、どうしたんですか!?」
「見りゃあわかる! とりあえず急げ!」
返事をし、すぐさま飛び起きる。
テントを出て青年の後に続くと、村の中心部に人だかりができているのがすぐに目についた。
どうやらみな興奮しているようで、罵詈雑言が大声で飛び交っている。
「まさか、ケンカですか!?」
「そんなようなもんだ! 頼むから止めてくれ!」
青年の嘆願に、リオは力なく表情を返した。
筋骨隆々としたワッツの肉体。比べ、枯れ枝のように細い自分の体。
身長は二十以上は違うであろう。
たとえ刻印の力を使えど、リオはワッツを抑える映像が見えなかった。
「あっ、リオ君!」
「ハル、一体どうしたっていうんだ!?」
群衆の隅のほうで、あたふたとするハルに声をかける。
リオよりも小さいハルは、何もできす輪からつまみ出されてしまったようだった。
「ギルドの職員の人が来たんです! それで、ワッツが怒っちゃって……」
「怒る? どうして?」
刹那――。
「この村に、その汚ねぇ足で入るんじゃねえっ!!」
怒号が揺れる。
リオは渦中の人物を確認しようと、立ち並ぶ村人をかき分けた。
円を描くようにして周りを取り囲む人々に、「すいません」と通してもらう。
中心にぽっかり空いた空間。相対していたのは、ワッツとエルフの女性だった。
無骨な戦士のにらみに身じろぎもせず視線を返す女性は、エルフ特有の長い耳と整った顔立ちをしており。 切れ長の目に細いフレームの眼鏡をかけ、手にはファイルのようなものを抱えている。
いきり立つワッツを前にし、彼女は冷静な声色で言葉を発す。
「ですから、調査をさせてほしいと」
「調査ぁ? 遅えんじゃねえのかよ!? お目当てのモンスターは、この近隣には影も形も残っちゃいねえ!」
鼻息を荒くするワッツを見て、リオは彼の怒りの理由をなんとなく察した。
リーンベルが崩壊した時、きっと彼らはギルドに何度も嘆願したはずだ。
しかし、ギルドは首を立てには振らず、多額の報酬を要求した。
結果としてワッツたちにそれを払えるほどの蓄えは無く、彼らは自分たちで復興を試みたのだ。
十年間。長い年月の中、まるで存在しなかったかのように扱われたリーンベル。
ギルドが一手を貸してくれたなら、もっと早く彼らの未来は明るいものになっていたかもしれない。
それを今更すべてが解決した後に出てきたことに対し、ワッツは怒り狂っているのだ。
「帰りやがれ! てめぇらはギルドで銭勘定でもしてやがんなっ!!」
「……わかりました。ですが、一つだけ教えてほしい。あなた方に協力した刻印持ちは――?」
「僕ですっ!」
身を乗り出すように、リオは手を上げた。
なぜだか自分が間に入れば、この剣呑な雰囲気を変えられる気がしたからだ。
二人の視線を一身に受け、おどおどと肩をすくめる。
エルフの職員の宝石のように緑に輝く瞳が、小さな少年へと注がれた。
「ほう……あなたが?」
「あっ、どうも。リオ・リネイブです……」
かしこまったようにお辞儀するリオに対し、彼女も習うように頭を下げた。
「お初にお目にかかります、リネイブさん。私はイリアルド・イース。ギルド上層部の者です」
ギルド上層部。
その地位に位置する人物は、エルフの中でも王族の血を引く『ハイ・エルフ』と呼ばれる者達のみ。
一般の人間ならまずお目にかかることのない崇高な種族を前にし、リオはどう接すればいいかわからず愛想笑いを返した。
「リオ・リネイブ……。資料によりますと、あなたが冒険者になったのは約一週間前。勇者育成学校は卒業済み、初回を担当したのはミリア・ミールで間違いないですか?」
「はぁ……、その通りですけど」
自分の情報が筒抜けであることに疑問を覚えつつも、リオは彼女の質問にすべて答えた。
年齢、出身地、装備など。
ランクやステイタスについては伏せていてくれたのは、冒険者にとって何より大事な個人情報であるかだろう。
一通りファイルを読み上げた後、イリアルドは眼鏡をくいっと上げた。
そして、これが最後の質問だとリオの茶色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「あなたが、この村を救った理由は?」
その質問に対し、リオは考える。
自分を最後まで突き動かしたのは、何なのかと。
だが思考するまでもなく、答えは明瞭であった。
最初は違ったかもしれない。もっとくだらない自分本位の理由だったかもしれない。
成り行き、それもあったであろう。
だけど自分を最後まで動かしたのは、まぎれもなく――。
「ギルドからもらった冒険者の手引き、一ページ目です」
「何が、言いたいのですかリネイブさん?」
意味がわからない、といった表情を向けるイリアルドに、リオは毅然とした態度で言い放った。
「困っている人を助けましょう、そう書いてありますよね?」
それが冒険者の務めだと。そう綴ったのはギルドではないかと。
リオの言葉には、そんな意が込められていた。
その答えを受け、終始表情を変えなかったイリアルドの顔が確かにほころんだ。
村人からも歓声が起きる。
ワッツに「がははっ」と背中を思い切りたたかれ、悶絶し膝を折るリオ。
ハルは悲鳴を上げ、大げさにも治癒魔法の詠唱を始める。
「あのっ! 僕からも一ついいですか!?」
ハルの回復呪文を大げさだと拒み、リオは背中をさすりながら立ち上がる。
じんじんと痛む患部に涙を浮かべつつも、ずっと気になっていた疑問をイリアルドへと投じた。
「何か?」
「どうしてギルドは、リーンベルを放置したんですか?」
リオの投じた疑問に、再び空気が張りつめた。
ワッツも、一部の村人たちも。返答によってはただでは済ますまいと、まなじりを吊り上げる。
イリアルドはしばし考えた後、艶やかな唇を静かに開いた。
「リーンベル、浄化の鐘が魔王の配下によって占領されたことは、ギルドも把握していました」
「「っ!?」」
ギルド上層部から語られた驚愕の事実に、リオと一同は目を見開いた。
「新種の魔物デス・オブ・バレーの存在、麻痺の花粉、モンスターを呼び寄せる特性。あなた方がこの地に残り奮起していることも、すべて調査済みでした」
「……知ってて、何もしなかったのかっ!?」
うなりを上げるワッツ。
今にもつかみかかろうとする彼を、数人の村人が制する。
「ギルドは考えました。デス・オブ・バレーは我々にとっても未知のモンスター、討伐ランクは量ることができない。それに対し、数少ない貴重な刻印持ちを派遣し、危険にさらすことが必要なのか……」
「そんなもんっ! 高ランクの奴を送ればどうにかなっただろう!?」
「あなた方のように、優秀な刻印持ちを必要としている人は数知れずいる。そしてその人物たちはそれに見合った報酬を用意できているのです。ギルドにとっても冒険者にとっても、どちらが重要か。考えなくても、わかるでしょう」
聞き取り方によっては冷たくも聞こえるその言葉に、ワッツは歯をぎりぎりと鳴らした。
リオもただ頭を下げ、残酷な現実に打ちひしがれている。
「浄化の鐘は、確かに貴重なものです。ですが、その効果範囲はリーンベル含むリーンの森周辺だけ。いくら魔物を払えようと、ユニコーンが現れようと、無償で救う理由にはならなかったんです」
リーンベルは、ギルドガルドよりも離れた地にある。辺り一帯を広大な森林に囲まれ、近くには村や町などはない。つまり、浄化の鐘の恩恵を受けれるのはわずかな地域だけなのだ。
それだけでは、ギルドが動くことはできなかったと。
イリアルドは、冷酷に事実を突きつけていた。
「ですが――」
口数を減らした一同の耳に。切なさを浮かべるリオの耳朶に。
続けざまに放たれた、ギルド上層部の職員の言葉が耳を震わせる。
「先日の鐘の音は、とても美しかった」
種族柄なのか、人一倍美にうるさいはずのエルフの賛美に驚いたようにリオ達は瞳を開く。
リオはまるで自分が褒められたかのように頭をさすり、顔を紅潮させた。
「あの音は確かにギルドガルドまで――いや、それ以上に遠方まで響きました。同時刻、さまざまな地域に出向いていた冒険者から、モンスターの弱体化の情報を受けています」
「何……だと……? つまり……?」
「そうです。浄化の鐘はそれだけの力を秘めている。そしてギルドは、それを受けこの地の保護を決定しました」
大口を開いたままのワッツを見据え、イリアルドは真摯に瞳を向けた。
住民たちがざわめく中、気づけば後ろに立っているハルへとリオは声をかける。
「今のって、どういうこと?」
「すごいことですよ!? ギルドが認める重要保護地域に選ばれたってことです! きっと、復興の費用も人材も援助してくれるはず!」
それを聞いて、リオは顔をぱあっと明るくさせた。
正直言って自身が滞在した何日か、全くと言っていいほど復興の目処は立っていなかった。
物資も資金も全然足らず、これではまともな住居ができるのはいつになるのかと困り果てていたところだ。
それを世界一の組合が補助してくれるというのであれば、何とも心強い。
リーンベルにさらに光が差したと、リオは自分の事のように喜んだ。
しかし――。
「……それを、俺たちが諸手を上げて受け入れるとでも?」
「そう、思いました。ですので、また後日お話を」
ワッツの表情は暗いままだった。
彼は悩んでいるのであろう。
自分たちを見捨てた相手から、今さら利用価値があるから助けてやると言われてるようなものだ。
おいそれと受け入れるわけにはいかないであろう。
だが、現状自分たちが求めているものを提示されていることに間違いはないはず。
ワッツは骨が折れそうな程、拳を握りしめる。
わかっているはずであった。答えなど、一つしかないと。
彼の背中を押さなくてはと、リオが声をかけようとした矢先。白い影がワッツの震える腕へとしがみついた。
「ワッツ! 言ったでしょう? 私たちは過去を振り向かない。前に進むんだって!」
「……ハル」
見上げる少女の姿に、敬愛する人物の影を重ねたのか。彼は悔しそうに声を漏らした。
「……次は、手土産でも持って来い」
「えぇ、ギルドガルド名物のジェリー田楽でいいかしら?」
村のリーダーの決断に、人々は沸き上がる。
リオとハルは互いに視線を絡ませ、笑みを交し合うのであった。




