誰がために、鐘は鳴る。
光を感じる。
朦朧とする意識の中、自分を呼ぶ声が聞こえていた気がする。
この温もりは、何なのだろう。
暖かい。視界は真っ暗なのに、はっきりと輝きを感じることができる。
「――リオ、勇者ってのはどんな人間か知っているかい?」
(お義母さん?)
懐かしい、母の声。
血の繋がりはなくともリオを我が子のように可愛がり、ときには厳しくそして優しく育ててくれた人。
これは過去に義母が問いかけた言葉だ。
自分はあのとき、なんて答えたのだろう……?
たしか――。
「強くて、かっこよくて、モテモテな人!」
「ははっ。絵本に出てくるような勇者は、そう描かれてるね。でもね、あたしの知ってる勇者ってのはそんなやつらばっかりじゃないよ」
笑っていた気がする。勇者に夢を見すぎだって、母は目にいっぱい涙をためて。
「いくら勇者だって常勝ばかりじゃないよ。負けることも、挫折することも、悔しさに歯を噛みしめることだってあるんだ」
「えー? そんなの全然かっこよくない……」
抱いていた憧憬を壊されて落胆するリオを、義母は優しく抱きしめてくれた。
「守れなかった人だっているし、助けれなかった人もいる。志半ばで倒れたものさえいる。でもね、彼らは諦めないんだ。何度でも立ち上がって、ちっぽけなその手のひらにたくさんの希望を乗せて、剣を振り続けるのさ」
「そんな思いをしてまで、勇者様は戦わなきゃいけないの?」
「辛いのはいやかい? 恐いのも苦しいのも悲しいのも、リオには耐えられないかい?」
「うん……、僕にはわからないよ。そうまでして戦う理由なんて……」
首を傾げるリオの頭に、義母の大きな手が差し伸べられて。
くしゃくしゃと髪を撫でながら、こう言った。
「それでも守りたいものが、あるからさ」
覚えている。
その先のあの人の問いも。同じことを自分に聞いた、レーアの言葉も。
答えることができなかった。明確な返答を、持ち合わせていなかった。
『君は、どんな冒険者になりたい?』
光が強くなる。混沌とした意識が、覚醒へと向かう。
いつまでも寝ている場合じゃないと、心臓が鼓動を打っている。
諦めるな。逃げるな、挫けるな。お前の手にも、希望が握られていると!
開きかけた意識へと手を伸ばす。
さぁ、目を覚ませ!!
*
「はっ!?」
開いたリオの瞳に写ったのは、ひび割れた風の障壁。
上体を起こすとすぐに、半身に倒れかかるハルの姿を確認する。
「ハル!? これはっ!?」
「えへへ……リオ君、私やりました。回復魔法、使えましたよ?」
力なく笑いかけるハルの表情は、血の気は引きあからさまに具合が悪そうであった。
身にまとったローブは鮮血に濡れ、少なからずともリオを守るためハルが戦った証拠を現している。
(僕の感じた温もりは、ハルの魔法によるものだったのか……)
そのおかげからか、体の痛みはほとんどない。
腹部に空いていたはずの穴も塞がり、意識ももうはっきりとしている。
「ごめん、ハル。僕がふがいないばっかりに……!!」
「リオ君、もう私の魔力はあんまりもちそうにないです……」
リオはそこで異変に気づいた。
自分たちを覆っていたはずの水の結界。対状態異常を施す水流の霧が、ハルにはかかっていない。
さっきから寄りかかったまま、ピクリとも動かないハルの体。
まさか――!?
『恐れ入ったぜぇーお嬢ちゃん! まさか足りねえ魔力を自分を犠牲にして補うなんてな!? いやー俺様もう感動。言葉も出ないぜ、ギャハハハッ!!』
下卑た笑い声が届く。
「どうしてっ!? 僕なんか気にしないで逃げればよかったのに!!」
「そんなことできないですよ……。ワッツもリオ君も必死に戦ってくれてるのに、私だけ役立たずはいやなんです」
「だからってっ!!」
「もう、これで最後なんです……」
震える声が、リオの耳へと響いた。
その意を確かめるように、リオは茶色の瞳を揺らめかせる。
「プレッシャーかけちゃいけないと思って、言わなかったんです。ワッツが……みんなが話し合って決めたことです。もう、これが私たちにとって最後のチャンスだって」
「そんなっ!?」
「だから、全力でがんばろうって決めてたのに。だめだなぁ……、私がもっとちゃんと下調べしていれば。やっぱり、非公式のクエストなんて受けるものじゃないです」
「違う! ハルのせいじゃない!!」
自責に満ちた表情を見せるハル。それをリオは強く否定した。
命をかけ自分を救ってくれた少女を。臆病な自身のため、気を遣ってくれていた彼女を。
どうして責めることができようか、と。
「優しいですよね……リオ君って。私は信じています。お母さんが言っていました。神様は刻印を与える人間を選び間違えたりしない、って」
その言葉は、リオの心に深く突き刺さった。
ずっと逃げ続けてきたリオ。戦うことに、冒険者になることに理由を見いだせずにいた。勇者の卵に選ばれた事を、疑問に感じ続けていた。
他にふさわしい者が、いくらでもいるではないか。よりによってなぜ自分のような人間が。
認めることができなかった。同じ刻印持ちを、まるで他人事のように見つめてきた。
そんな自分を、彼女はずっと信じ続けてくれていたのだ。
リオの全身を、貫かれたような衝撃が走る。
「リオ君がクエストを受けてくれて本当にうれしかったです……。ワッツも思っているはずですよ、リオ・リネイブは勇者にふさわしい人間だって……」
ハルの顔が苦痛にゆがむ。
麻痺の症状が進行しているのか、声を出すのももう苦しそうだ。
「ハル、もう喋っちゃだめだ!」
「……お願いです、リオ君。あのモンスターを倒して、お母さんの敵をとって。私、くやしいです。このまま村がなくなるなんて、お母さんがやったことが無意味だったなんて、そんなの……耐えられない!」
瞳から涙をこぼす彼女を、リオは優しく横たわらせる。
胸の刻印が熱かった。触れればやけどしてしまいそうな程に、少年の心は燃えていた。
立ち上がり、剣を握りしめる。
『おおっと、話は終いかな? お嬢ちゃんもかわいそうだねえ、いくらお前を治癒したって俺様には敵わねえのがわからないのか?』
「……だまれ」
パリンと音を立てて、風の障壁が崩れ落ちた。
ハルの意識が、どうやら途絶えたようだ。
『ギャハハハッ! これでもうバリアはねえぜ!? 二人揃って串団子にしてやるよ!!』
触手が一斉に放たれた。
だが――遅い!!
ドラゴンネイルを振るい、リオは放たれた攻撃を輪切りにし回避する。
『おおっとそうだった! お前さん武器だけは一級品だったな? だったらこれでどうよ!?』
鐘室を揺らし現れたのは、大木のような触手であった。
表面には鋭い棘をたずさえ、掴まればそれだけでみじん切りにされるであろう。
禍々しい巨木を前にし、リオはまなじりを吊り上げる。
「どけえぇぇぇ!!」
全力を足に込め、疾駆する。
負けられない。もう、負けるわけにはいかない。
ハルは、彼女は英雄だ。己を賭し、希望をリオにつないだのだ。
それならば……自分には何ができる!?
自分を信じてくれた彼女に、何を返せる!?
ハルが英雄であるならば、ワッツが戦士であるならば!
自分は一体何なのだ!?
「でぇやぁぁぁっ!!」
横一線の大木断。
剣閃と共に巨大ないばらを切り伏せる。
『ほうっ!? 腐っても刻印持ちだなぁ? じゃあ、これはかわしきれるかぁ!?』
無数の触手がリオを囲む。
一本一本が意思を持つかのように蠢き、切っ先を鞭のごとくしならせ少年を追尾する。
リオは神経を研ぎ澄ませ、繰り出される触撃を一つ、また一つと撃ち落していった。
『ギャハハ! 一度捕まれば蜂の巣だぜ? いつまでもつかなっ!?』
「くっ!!」
ついにリオの足が触腕にとらえられた。
それを好機ととったかのように、一斉にいばらが襲い掛かる。
瞬く間に両手足を縛りあげられる少年を見て、デス・オブ・バレーの瞳が愉悦にゆがんだ。
『ギヒヒヒッ! ジ・エンド!! もう諦めな! そこのお嬢ちゃんもそろそろ限界だ。俺の毒に侵されて呼吸すらままならなくなるだろうよ。それにしても、お前らもわかんねぇよな? 今更こんな死んだ村に何の用があるっていうんだよ?』
「死んだ……村?」
『あぁそうだ。浄化の鐘がならねえと聞いて、誰もがこんな辺境の地は見限ったわけだろ? その証拠に、今まで誰も助けになんて来なかったじゃねえか?』
デス・オブ・バレーの言うように、この地を助けようと思うものは誰もいなかったのだろう。
浄化の鐘も、ユニコーンも。全てを失ったこの場所にもう価値などないと、ギルドすら手を差し伸べなかったのだ。
『せっかくもう少しで忘れ去られるんだ、今更悪あがきなんてすんなって』
「忘れられる? 誰にだよっ!?」
だが、リオは知っている。
どんなに月日が経とうと、この村を忘れられぬ人々がいる。
来ない助けを、健気に待ち続ける少女がいる。終わらぬ呪縛に悩まされる、戦士を知っている。
この村は忘れ去られてなどいない。だれも、諦めてなどいない!
「ぐおぉぉぉっ!!」
縛りあげられた腕を必死にもがかせる。
右腕さえ自由になれば、剣さえ振れれば脱出できる。
しかし、そんな考えを呼んでいたかのようにデス・オブ・バレーはリオからドラゴンネイルを取り上げた。
『はい、没収ー! 万策尽きたな!? 安心しな、お嬢ちゃんも下の戦士も、すぐに後を追わせてやるからよ? あばよ、刻印持ち。ギャハハハ!!』
鋭利に満ちたいばらが、一斉にリオへと放たれた。
*
耳を覆いたくなるような音が室内に響き渡り、デス・オブ・バレーは今日一番の歓声を上げた。
が、しかし――。
『何だ……こりゃ?』
すぐに違和感に気付く。
リオの体に刺さっている触手。手ごたえが薄い、と。
貫通するほどの威力で放ったはずなのに、皮膚表面で切っ先は止まっている。
『刺さらねえ……!? てめぇ、何しやがった!?』
リオは無言のまま、四肢を絡めるいばらを力任せに引きちぎった。
そして、全身に刺さるデス・オブ・バレーの攻撃を一本ずつ引き抜いていく。
ずたぼろとなった衣服から覗く、輝きを灯した獅子の刻印に、毒花の魔物は目を剥いた。
『刻印のスキル……!?』
瞠目するモンスターを前にし、リオは再び歩みを始める。
少年は決意していた。
絶対になりたくなかったあの存在。
今日一時だけでいい、自分を信じてくれた人たちのために。
「僕は、この村を救う勇者になるっ!!」
ロイ・ロードは言った。刻印は必ずリオを戦いに駆り立てると。
レーア・レスクルは伝えた。刻印を持つことの重さと意味を。
アイナは信じた。リオは必ず人々を救う勇者になると。
そして、ハルとワッツは願ったのだ。
どうか、この村を……自分たちを救ってくれと!
いくつもの想いは決意へと変わり、リオは初めて勇者の刻印と向き合う。
自身の存在を、資格を、可能性を認めた少年に、刻印は確かな力を与えていた。
すでに目前の魔物など、今のリオにとっては路傍の石にしか過ぎない。
それを感じとったデス・オブ・バレーは、恐怖し、愕然とした。
『なんだてめぇは……!? ありえねぇっ!! その力、まるで別人じゃねぇか!?』
「そこを……どけぇ!」
駆け出した少年の手には、武器など握られていない。
ボロボロとなった体には、もはや防具と言えるものも残ってはいなかった。
刻印のスキル『獅子の心』によって異常なまでに強化されたステイタスは、それでも彼を強靭な槍のごとくとする。
『くっ!! 喰らってたまるか!』
時間さえ稼げれば勝機はある。
そう判断したデス・オブ・バレーは、自身の前に触手を束ねた分厚い壁を作り出した。
たとえドラゴンネイルをもってしてでも突破は難航するであろう。
だがリオは止まらない。
心を渦巻き刻印を燃やすは、幾多の出会いとかけられた言葉。
以前の彼であれば逃げ出していただろ、諦めてしまっていたであろう。
しかし、身を震わせ戦うことを拒んだ少年の姿は、もうどこにもなかった。
ここにいるのは、勇敢な獅子と化した金色の少年。
巨悪に立ち向かう、幼き勇者である。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
咆哮。
目前を塞ぐ触手に突撃し、その先へと手を伸ばす。
鋭利ないばらに身を裂かれながらも、決して瞳だけは閉じることはない。
自分が選ばれたことに意味があるのなら。
冒険者として、刻印持ちとしてなすべきことがあるのならば。
自身の大切な人、愛する者だけは救いたいと。
それがリオ・リネイブのなりたい姿だと。
少年はもがき、食らいつき渇望した。
『へへへ……さすがにこいつはやぶれねえだろ?』
呟いた刹那、デス・オブ・バレーは大きな瞳をあらんかぎりに見開いた。
――亀裂。何層にも束ねたはずの自慢の壁から漏れる、刻印の光。
蹴破るようにして現れた冒険者の姿に、毒花の魔物は唖然とする。
「響き渡れぇ! 浄化の鐘よっ!!」
『やめろっ! ま、まてっ! ウギャァァァッ!!』
――届け。
リーンベルを忘れてしまった人。
この地を諦め離れてしまった人。
ギルド、他の刻印持ち。ユニコーンでさえもっ!!
この村は……リーンベルは生きている!!
デス・オブ・バレーの瞳に喰らい込む渾身の右ストレート。
リオの拳はモンスターごと、浄化の鐘を打ち鳴らした。




