第一章 囚われの王女と隻眼の青年④
「あれは……なに?」
それは、セリネの持つ語彙では何とも形容しがたいものだった。
あえて表現するなら、真っ黒な鉄の板を箱状に組み合わせて、そこに蜻蛉の……とも少々違うようだが、くるくる回転する羽根を二つ両端につけたようなそんな奇妙な物体……。
セリネがその物体の正体がティルトローター方式の戦闘用ステルスヘリコプターだと知るのは、もう少し後のことである。
空を移動しているのでわかりづらいが、その奇妙な物体はかなりの速度で移動しているらしく、バタバタと音を響かせながらみるみるこちらに近づいてくる。
「中にいるのは……まさか、ヒトなの!?」
信じがたいことに、その物体の腹に当たる部分に扉らしき穴が開いていて、そこから自分の背丈ほどもある奇妙な棒状の物体を構えた少女が顔を出しているのが見える。
しかも、その少女の髪の色は……。
「銀色? まさか、古人種? そんなっ、まだ他にも残っていたの?」
現状でこの世界に存在する個人種は十人にも満たない。ほとんど絶滅しているといっても過言ではないのだ。
したがって、セリネは今なお生き延びている僅かな仲間を全て把握している……筈だった。
しかし、その少女には全く見覚えがない。
そんなセリネの驚愕をよそに、その銀髪の少女は構えた棒状の物体から魔法のような現象を発動する。
「魔法のような」という曖昧な表現の理由は、棒状の物体の先端に一瞬、魔法によっておこされた火のような閃光が見えたものの、魔力そのものの発動は一切感じ取れなかったからだ。
ただ一つだけ分かったことがある。
彼女がその棒状の物体を使って火をおこすと、その棒の延長線上にいる兵士が一人頭を破裂させて死に至っているということだ。
つまり、先ほどのノワールの危機を救ってくれた主は彼女だったということになる。
あれだけの速度で移動しているということは、ノワールを救うために最初に繰り出した攻撃は視界に捉えるのも困難なほど遠くにいた時に行われていたであろう。にもかかわらず彼女はそれを成功させた。
「あんなに遠くから、あれだけ正確に? 信じられない……」
全く未知の驚きに唖然としている内に、その奇妙な黒い乗り物? はついにセリネたちの頭上付近へと至った。
近づくにつれ高度を下げてきたそれの腹から、すれ違いざまに複数の人間が飛び降りてくる。
やはりあれは人を運ぶための乗り物のようだなとセリネは判断した。
騎乗用の翼竜ならばともかく、空を移動する人の手による乗り物の話など過分にして耳にしたことはない。だが、内部に人を乗せて運ぶ乗り物ならばセリネの知識の中にも一つ心当たりがあった。
海を渡るときに乗るガレー船である。
異質といえば異質であるが、それの空版だと思えば納得できるかは別としても存在としてはなんとなくしっくりくる。
そんな空飛ぶ船から飛び降りてきたのは、銀色の髪を持つあの少女を除けば全員が黒い髪に黒い瞳の持ち主。
それは、ノワールのような黒猫の獣人でもない限りは通常あり得ない色だった。
遥か東の果てにある魔族の国にはそのような者もいるという噂を聞いたことがあるが、少なくてもセリネの周りにそれを実際に確認した者はいないのでその真偽は定かではない。
「さて、ギリギリというところだが、何とか全滅する前には間に合ったようだな」
不意に自分の背後から声がかかった。
気づかない内に背中を取られていたことに気づき慌てて振り向くと、そこには青地に白のラインが入ったこの国では見かけない風変わりな軍服を身に纏った青年が佇んでいた。
良く見れば、その軍服はセリネが見たこともないような高級な仕立てであることが分かる。
服だけではない。この青年自身、まるで神が丹念に時間をかけて作り出した作品なのではないかと疑いたくなるくらい整った美貌の持ち主であるが、一片の欠点もないと思えるその容姿にも唯一つといっていい翳りが存在していた。
右目を覆う漆黒の眼帯――。
そう、この青年は隻眼なのである。
「……その猫の少女、少々危険な状態みたいだな。五十鈴、至急黒子をここへ!」
セリネが抱きかかえるノワールの様子を覗いていた青年が、不意に誰もいない方向へ向かって指示を出した。
完全な独り言である。
一体この人は何を? と思っていたところ、
「はい、ただ今呼んでまいります。少々お待ちください」
それまで誰もいなかったと思われたその場所からスッと戦場に相応しくないメイド姿の美女が現れた。
かと思うと、彼女は優雅な仕草で一礼してまた霞のごとくその場から消え去ってしまう。
「今のは、一体……?」
まるで幻覚を見てしまったかのような錯覚に囚われてセリネは暫く己の目をこすり続けていたが、すぐにそれが幻でも見間違いでもなかったことが分かる。
先ほどのメイドが、隻眼の青年と似たような軍服の上にふくらはぎの辺りまで伸びる長めの真っ白い上着を羽織っている女性を連れて再び戻ってきたからだ。
「で、この猫ちゃんを看ればいいんですか?」
「ああ、頼む」
「かしこまりましたっと。どれどれ」
白服の女性は口元にタバコを咥えながら、セリネの腕の中でぐったりしているノワールの様子を覗き込んでくる。
明らかに敵意は感じないものの、青年やこの女性の正体が分からない以上警戒を崩すわけにいかず、セリネはノワールの身体を女性の視線から覆い隠すようにぎゅっと抱きかかえる。が、
「あー、大丈夫大丈夫。こう見えてもあたし医者だから。それも割と凄腕の……ね」
緊張感の欠片すらないこの女性の口調に思わず毒気が抜かれてしまう。
「うーん。これは急いで処置しないと危険な状態ね。応急処置はここで済ますとして、母船の宮子さんにも受け入れの準備を進めて貰うよう連絡入れといて」
「分かりました」
メイドは一つ頷くと、ポケットから何やらセリネの見たこともないような小さい通信用の魔道具らしきものを取り出してどこかと連絡を取り出した。
しかし、それ以前に先ほどの女性の言葉でセシルが引っかかっていることがあった。
「ボセン?」
彼らが治療のためノワールをにどこかへ連れて行こうとしているということは話の筋からなんとなく理解できる。しかし、そこがどこなのか、何をする場所なのかがセリネには全く分からないため、余計に不安を掻き立てられてしまう。
「ん? 母船がどうしたの? って、ああ、母船の意味のことね。要は私たちが活動する本拠地ってこと。そこになら彼女を完全に回復させることができる設備が整っているから。大丈夫、おかしなことをするつもりはないし、ちゃんと普通の怪我人として丁重に扱わせてもらうから心配はいらないわよ。それに今私たちの仲間があなたの仲間の保護に向かっているから、もしかしたら他にも助けられる人がいるかもしれない」
「保護?」
言われて改めて周囲を見渡すと、彼女の仲間はこの地にほんの数人しかいない筈なのに、圧倒的な強さでトンガール兵たちを蹴散らしている。
そして、最初にセリネたちの元にやってきた隻眼の青年もまた、こちらに襲い掛かってこようとしている敵の群れを、青い光を放っている黒い刀身の見慣れない形状の片刃の剣で次々に斬り伏せていた。
腕が凄いのか、剣が凄いのか、はたまたその両方なのか、トンガール兵たちの装備は彼の剣の前には何の役割も果たさず、剣で打ち合おうとすればその刀身が根元からスッパリと断ち切られ、鎧や盾などで防ごうとすればまるでそこにははじめから何も存在しなかったかのように防具もろとも易々とその身体を切り裂かれていく。
「何をしている! 相手はほんの数人ではないか! 囲め! 囲んで数で押し切ってしまえ!」
相変わらず一人安全な場所からラムセルが顔を真っ赤に染め上げてブヒブヒ言っていたが、どうしてか兵たちの攻撃は彼らには全く通っていない。
剣で切っても槍で突いても、その身体に届く前に目に見えない壁で阻まれてしまうのだ。
最も、目の前の隻眼の青年とそのお供のメイド少女の二人にはそれすら当てはまらない。
攻撃が効く効かない以前に、そもそもトンガール兵たちは、彼らの周りにあるだろう障壁にすら攻撃を当てることが出来ていないのだ。
凄まじいまでの技量。
何しろ一定の間合いから中に入って彼らに斬りかかろうとした輩は、踏み出したその一歩が地面につく前にはもう首と胴体が永遠の別れを告げているのである。
そしてそれは、何人がかりで襲い掛かろうとも変わらず同じ結果で終わってしまう。
Aランク派遣者のセリネの目を以ってしても、彼らの太刀筋どころか彼らが動いたその瞬間すら捉えることが出来ない。
ただ彼らの前に物言わぬ死体が累々と積み重なっていくだけであった。