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第一章 囚われの王女と隻眼の青年②

 「う、ううう……ああああああぁ……」


 一人の男がうずくまったまま、顔を真っ青に染めて何やら小声でうめいている。

 セリネやノワールたちと同じく王女を救出すべく木陰に潜んでいた派遣者の一人で、確かBランクの内の一人だったと記憶しているが……。そんな彼の様子が明らかにおかしかった。


 『黙れロイド! 敵に気づかれるぞ!』


 仲間からも静止が入るが、もはや他人の声は彼の耳には届いていないようで、迫り来る軍の列を凝視しながらガクガクと震えている。


 「ヒイッ、ヒヒヒヒッ……!」


 どうやら目の前に迫る圧倒的な数の威容と、勝算の薄い作戦への恐怖によって完全に我を失っている様子だった。


 「ヒャッハハハハ!!! やってやる! やってやるぞっ!!!」


 不意にロイドは奇声を上げるはじめると、己の武器を手に潜んでいる草むらをかきわけて動き出す。


 『襲撃のタイミングにはまだ少し早い! 誰かあいつを取り押さえろ!』


 声と同時に数人が彼を押さえに動いたが、わずか拳一つ分の差でそれは失敗に終わってしまう。


 「うあああああああああああああああああああああっ!」 


 そうこうしているうちにロイドは潜んでいた林を抜け、軍隊の行進している街道にでると、普段鍛え上げた技などすっかりと忘れ去ったかのようにブンブンと出鱈目な剣筋で武器を振りながら敵の群れに飛び込んでいく。


 「チッ、あの馬鹿野郎! 仕方がねぇ、俺たちも続くぞ!」


 仲間の一人が叫んだが、その言葉を待つまでもなくセリネを含む他の派遣者たちも草むらを飛び出していた。


 この作戦にやり直しはきかない。ならばどんなに状況が厳しくてもこのまま行くしかない。

 そうみんなが分かっていたからだ。


 と同時に、言葉にこそしなかったが、派遣者たちの間に「これで作戦の成功率は限りなくゼロに近づいてしまった……」というどこかあきらめにも似た意識が心の片隅に巣食ってしまったことは否めない。


 そのモチベーションの低下という毒針は、限りなく磨り減った成功確率を更に極限まで削り取っていく。


 あのロイドというB級派遣者……典型的な腐った林檎であった。


 実際、街道に飛び出して目標を確認したセリネは、カタリナ姫が囚われている檻が兵士たちの分厚い壁に阻まれたはるか奥に存在しているというその事実を確認し、絶望的な気分に囚われてしまう。


 (いくら腕が良くたってメンタルが弱くちゃ話にならないのに。だから私はあいつをこの作戦に参加させるの嫌だったのよ……。自滅したいのなら誰にも迷惑のかからないところで一人でやってよね!)


 思わず毒づくが、今となってはもはや後の祭である。


 「こうなっては仕方ないにゃん。背中は私が守るにゃ、セリネは王女様に向かって一直線に進むにゃん!」


 全力疾走するセリネに寄り添うように追ってきた影が両手に小剣を構えながら声を飛ばしてくる。


 猫の獣人である猫人族。その中でもとりわけ不吉とされ、同族からも迫害される黒髪を持つ女性。

 当然ながら彼女の側頭部から生えている猫耳とおしりから生えている尻尾も夜の闇を映しこんだかのような漆黒。


 そんな彼女こそセリネの相棒、ノワール・クー・カノッタ。

 ここに集まった凄腕の派遣者たちの中でも最も優れた腕前を持つ剣士である。


 「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 一際甲高い声が上がったと思って視線を向けてみると、一人暴走して敵軍に突撃したロイドがトンガール兵士に囲まれ、全身を切り刻まれて地面に倒れこんだところだった。


 自業自得……とは思うが、これは決して他人事ではない。

 いや、むしろこのままいけばあれは間違いなく数刻後の自分の姿――。


 なればこそ、是が非でもその運命を変えなければならない。


 「まずは、道を、切り開く!」


 キッと正面を見据えると、セリネは走りながら前方に向けて手を差し出し、集中させた魔力を一気に開放する。

 

 『爆裂火槍フレアランス!』

 

 セリネの手から放たれた幾本もの炎の槍が行く手を遮るトンガール兵たちを次々と貫き、連鎖するように爆ぜる。

 爆炎は命中した敵だけでなくその周辺にいた兵士たちにも襲い掛かり、被害が拡大していった。


 古代語魔法の中ではごく初歩的な魔法なのだが、セリネの桁違いな魔力量と合わさって手数も威力も申し分ない。

 人の群れの中に一筋の道が開かれた。


 「ばっ、馬鹿な! 杖も無しに魔法など……」


 「杖なしにあの威力……。そんなの新語魔法ではありえねぇ。だとするならありゃあ……古代語魔法以外にはありえねぇぞ!」


 「古代語魔法だって? そんなの古人族しか……。いや、まさか、あの銀髪……。『魔女』なのか?」


 「魔女?」


 「魔女だって!?」


 「魔女だっ! 魔女が出たぞ!」


 兵士たちの中から次々と悲鳴が上がりだす。


 無理もない。

 セリネたち古人族にしか使いこなせない古代語魔法は、威力も精度も、そして発動までの早さもヒト種の使う新語魔術とは桁が違う。

 ゆえにセリネに匹敵する術者はヒト種にはまず存在しない。

 

 つまり、単純な魔法の打ち合いならばこの戦場においてセリネが敗北を喫することなどありえないのだ。

 

 しかし、自分の進撃を支えるこの強力な魔法と魔力とて決して無限に湧き出てくるものではない。


 ヒト種には一生かかっても使えないような大魔法を連発することが出来たとしても、所詮は単騎。

 視界全てを覆わんとするほどの数の暴力を前にしてしまえば、敵を殲滅する前にこちらが消耗し尽くしてしまうだろうことは想像に難くない。


 本来ならば極大魔法の圧倒的火力で不意を打ち、完全に敵の隊列と出鼻をくじいた上での短期決戦――という形が望ましかったのだが、今となってはそれを望むべくもない。


 立ち止まって大魔法を準備する余裕などない以上、中小規模の殲滅魔法を小刻みに撃ち出しながら皆の進路を切り開くのがセリネの取りうる現状でのベターだった。


 ノワールや他の派遣者たちのサポートを受けつつ、セリネは次々と魔法を放ちながら目標に向かって少しずつ、だが確実に歩を進めていく。


 ――そんな最中さなかの出来事だった。


 「王女を取り戻すためにやってきたか! 馬鹿め! そんな人数でこの大軍に何が出来る!」


 敵軍の奥の奥から拡声の魔術を使ってそう声を張り上げてきた男がいた。

 おそらく敵の指揮官であろうその男を一瞥したセリネは、ほんの一瞬だが息を飲んでしまう。


 人を人とも思わぬ傲慢で不遜な態度で常に他人を見下す小太りの中年男。

 セリネはその人物を知っていた。


 「アンリエスト公ラムセル! クレッサールを裏切ってトンガールに下っていたのね!」


 「裏切っただと? ふん、笑わせる。公爵とは名ばかり。あのアンリエストを与えられた貴族が皆どんな運命を辿ったかお前とて知らぬわけではあるまい! その点トンガール王はカタリナ姫を連れて来さえすれば本来の私にふさわしい地位と待遇で迎えてくれると約束してくれたのだ!」


 「………………」


 アンリエスト公の怒声にセリネは沈黙で返す。


 姫のことはともかく、彼の支配地であるアンリエスト公爵領に対する言い分に関してだけならば、ラムセルの主張はあながち間違いとは言い切れないからだ。

 

 ――クレッサール王国アンリエスト公爵領。


 王国の東側の大半を占める広大で肥沃な領地に加え、クレッサール王国、トンガール王国、ヘムガール帝国、ダルムス大公国、ロンジエン帝国それぞれから伸びる街道が一点に交わる交通の要衝という軍事上も経済上も重要な戦略拠点でありながら、貴族たちの間では出世の墓場と呼ばれ忌避されている呪われた地。


 どうしてアンリエスト公爵領がそこまで忌み嫌われているのか?


 それは、広大なアンリエスト公爵領の半分以上を占める強力な魔物が跋扈する魔の森、そしてそこに棲みついた一匹の神竜が原因である。


 そもそもこのアンリエスト公爵領、現在はクレッサール王国の一領地として甘んじているが、かつてはアンリエスト帝国という超巨大国家の首都だった。


 現在大陸の西側に存在する西方五国。すなわちクレッサール王国、トンガール王国、ヘムガール帝国、ダルムス大公国、ロンジエン帝国は元々このアンリエスト帝国を構成する一地方に過ぎなかったのだ。


 大陸の西側全てを支配下に置き、数千年にも長きに渡り繁栄君臨したこの巨大帝国――。


 しかし、その終わりは突然、しかもあっけなく訪れてしまう。


 栄華を誇ったアンリエスト帝国。その終焉を告げた悪魔の使者こそ黄金の鱗を持つたった一匹の巨大な神竜。


 首都を突如襲撃してきたこの生ける災厄により、たった一夜にして帝都が壊滅させられてしまったのである。


 これによって長きにわたり大陸の西側を支配してきた巨大帝国は滅亡し、その広大な支配領域はやがて生き残った五人の有力貴族たちの手によって五つの王国に分裂した。


 こうしてかつて巨大帝国の帝都であったアンリエストはクレッサール王国の一部として取り込まれたのだが、結果としてこのアンリエスト地方は歴代全てのクレッサール王の頭を悩ませることにもなる。


 都市を再建しても再建しても魔の森から黄金竜がやってきて街を破壊していくのだ。


 ならばこのアンリエストを放棄すればいいではないかという話になり、実際それを実行に移した王もいたのだが、残念ながらこの計画は二つの理由によって頓挫してしまうことになる。


 一つ目は、このアンリエストの地が五つの王国を結ぶ街道の交わる場所にあり、ここを放棄したことで国家間の交易に著しく支障をきたして西方五国の経済が大混乱を引き起こしてしまったこと。


 そしてもう一つは、このアンリエストを放棄したことで、黄金竜が新たに別の都市を目標に定めて襲いかかってきたということである。


 そう、この黄金竜の目的は単にアンリエストを破壊するということではなく、あくまでも「ヒトの住まう都市を襲う」ことだったのだ。


 結果、クレッサール王国はこのアンリエストという都市を定期的に神竜に襲われるのを承知で維持せざるを得なくなってしまった。


 こうして誕生したアンリエスト公爵領は、いわゆるクレッサール王国のお荷物として、そして「最も有名な上位貴族の左遷先」として名を知られることになる。


 このような経緯もあり、ここに領主として飛ばされた貴族は代々他の貴族たちから「無能」の烙印を押され、嘲笑の対象となっているのだ。


 だが、それだけならまだいい。


 このアンリエストに飛ばされた貴族たちは、いつ襲ってくるか分からない黄金竜という脅威に晒され、昼も夜も常に怯えて過ごさねばならない。


 さらにこの黄金竜、タチの悪いことに街を襲撃する際には真っ先に領主の館を狙ってくるため、赴任した領主一族の死亡率が尋常ではなく高い。


 中には知恵を巡らせ、密かに別宅を作り普段の生活をそちらで送るようにしていた者もいたが、どうしてか必ず領主が住んでいる方の館が襲撃を受けてしまう。

 正にお手上げ状態である。


 このように全くいいところのないように思えるこの都市の領主だが、唯一良いことがあるとすれば、王国の臣下として最高位相当である特赦公爵位が与えられ、またここを支配するアンリエスト公爵はクレッサール王国で唯一王国へ納める税の免除という特権を持っており、更にこの地は西方交易の中心地ということもあり、運良く竜の襲撃さえかわすことが出来れば一代で破格の財を築くことが可能だという点であろう。


 とはいえ、もちろんこれも命あってのモノダネであり、これだけの特権があったとしても貴族たちの中でこの地への赴任を希望する物好きなど現れようはずもない。

 しかもこのように不人気の領地であるにもかかわらず、赴任後四・五年で必ず領主が死亡するために次の領主の需要が尽きないという最悪のおまけまでついている。


 このように事実上の死亡宣告を突きつけられているところでもし隣国から有利な条件で引き抜きを持ちかけられたなら、客観的に見てラムセルでなくとも敵方に転ぶ可能性は高いかもしれない。


 だが……。


 「あなたの不幸自慢なんてどうでもいいわ。それにそもそもクレッサール王があなたをアンリエスト公爵領に飛ばしたのだってあなた自身の破廉恥な行いが原因じゃない!」


 セリネに記憶違いがなければ、ラムセルがアンリエストに飛ばされたのは確かクレッサールの魔術学園に留学に来ていたダルムス大公国の侯爵令嬢に対する執拗なつきまといとセクハラ行為が原因だったはずだ。


 完全な自業自得である。


 この男の軽率な行為のせいであやうく国際問題になるところだったのだ。 

 とはいえ公爵家の息子であるラムセルをそれだけで死刑にするには、あまりにも彼の父親が大物すぎた。

 そこで下された処分がアンリエストへの島流しである。


 ありていに言えば体の良い厄介払いというやつだ。

 そこに同情を挟む余地などどこにもありはしない。


 「うるさいうるさい! 私があんな場所に飛ばされたのも全部あの女が悪いんだ! この私の……王国有数の名門一族である我が公爵家の跡取りであるこの私の誘いを断るだなんて、女なぞ黙って私に従っていればよいというのに。それがどうして私が、私だけがあんな場所に飛ばされなければならないのだっ!」


 「……ダルムスの侯爵令嬢もあなたのそんな所が嫌だったんでしょうよ」


 一方的で見苦しい主張をわめきたてるラムセルに、セリネは冷めた口調で切り返した。


 「ええい黙れ黙れっ! 決めたぞ! いいか、貴様は楽には死なせん! この世に女として生まれてきたことをたっぷりと後悔させた上で切り刻んで殺してやるからな!」


 ぐししと下卑た笑みを浮かべているラムセルに対してセリネは心の中で小さく舌打ちし、同時にある覚悟を決める。

 いよいよ駄目だと判断した時に切るべく、あらかじめ仕込んだ最後の切り札。


 無詠唱で即座に発動できる自爆魔法。


 通常の魔法と違い、魔力の代わりに自分の命を使って発動するため、仮に魔力切れを起こしていてる状態でも今日から三日以内ならばいつでも発動可能。

 命を代償に使うだけあって効果は絶大。戦場にいる相当数の敵を道連れにすることが可能だろう。


 もちろんセリネとて己の命は惜しい。だからむやみやたらとこれを使うつもりはない。


 だが、このままむざむざ敵に捕まって女として死よりも辛く屈辱的な凌辱を受け続けるよりははるかにましである。

 だから、いよいよとなればその切り札を使うこともセリネは厭わない。


 それにこれを使えば、敵軍に大きなダメージと隙を作れることは間違いないし、その機をうまく使えば仲間がカタリナ姫を奪還して逃げるチャンスだってあるだろう。

 いや、ノワールならばきっとやってくれるに違いない。

 そう確信できるほどにセリネは彼女の実力と判断力を認めている。

 

 そんな彼女は強力な魔法で前方を薙ぎ払いつつ敵陣の中央を突破しているセリネの後ろについて、後方から続々と追いすがってくる敵兵に対処してくれている。

 普通の兵が手にする剣よりも短めの小剣二本を巧みに使い、片方の剣で攻撃を受け流しつつ、出来た隙にもう片方の剣で攻撃を確実に叩き込む。


 身長は一般女性に比べて小柄なセリネよりも更に頭一つ小さく、一般の剣士に比べても膂力に劣っているのだが、それを補って余りある敏捷性と手数、そして鍛え抜かれ洗練された技でそれを巧みにカバーしている。


 猫人族特有の柔軟さと俊敏性を生かしたその剣術は、さながら戦場に舞うつがいの燕。


 数で押してくるとはいえ、ただの一般兵が決死の覚悟で飛び込んだ程度では彼女にかすり傷一つつけることもかなわない。

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