第三章 内政編 ③ 部族会議
アンリエスト王都の中央――。
二重の堀に囲まれた広大なその敷地には、世にも美しい荘厳な白亜の建築物が存在している。
かつて大陸の西側全てを支配した巨大帝国アンリエストが、周辺諸国に対しその威信を示すために持てる技術の粋を結集して建てたこの世で最も荘厳で美しいとされている建物。
それが、このアンリエスト城――通称『白雪宮殿』である。
一概に城と言っても、アンリエスト城は某ネズミの国のシンボルタワーのモデルにもなったドイチェのノイシュバーンシュタイン城のようないかにもお城お城した見た目ではない。
どちらかというと、フランツにあるヴェルサイユのような宮殿に近い代物である。
分かり易く日本の建築物に置き換えて説明すると、アンリエスト城には日本でいうところの皇居や国会議事堂に相当する施設は存在しているが、遠くからでも一目でそれと分かるランドマークたる天守閣に相当するものが存在していないということである。
しかし、だからといってこの都市の防衛機能が他の国の城に比べて大きく劣っているかというと、必ずしもそうとはいえない。
かの徳川家康の大軍勢を凌いだ真田氏の居城である上田城には最初から天守閣は存在していない。
その事例からも分かる通り、城の守りの堅固さは必ずしも天守の存在に依存するものではないということだ。
アンリエスト城に天守閣に相当する建物が存在しないのは遠距離からの大規模攻撃魔法の的にならないようにするためであり、その分都市を囲う城壁が高さと厚みをもった堅固な造りになっている。
また、このアンリエストという都市自体が大きな二本の河川に挟まれるように建設されており、それ自体が天然の堀の役割を果たしている上に都市の北側には広大な湿地帯が広がっており、大軍が通り抜けるには適していないという天然の要害。
城壁の内側はというと、この二本の河川から引き込まれた水路で宮殿の周りに二重に水堀が築かれている。
その上アンリエストの南方には広大な魔の森が位置し、この方面から森を抜けて攻め入らんとするならアンリエスト軍と戦う前にまず強力な魔物たちの巣の中を突っ切ってこなければならない。
何よりこの魔の森にはヒト種を憎悪する黄金竜が常に目を光らせていた。
この黄金竜はアンリエストの新王である肆十無湊によって既に討伐されてしまっているが、そもそもこの城を建てた時点ではまだ黄金竜はまだ魔の森に住みついていなかった訳であり、それは、この森が黄金竜がおらずとも天然の防壁として十分に機能するということを意味している。
政治的軍事的中心であるアンリエスト城は、過去幾たびかの戦禍や黄金竜の襲撃によって大規模な破損と修復を繰り返しながらも、現在に至るまでその荘厳な佇まいを崩すことなく残している世界有数の名城である。
この城はここ数百年の間政治や軍事の中心施設としての機能こそ果たしてきたが、残念なことに王または領主の館としての役割は長らく放棄されたままであった。
それは権威欲や金銭欲の権化であった前領主のラムセルといえども例外ではない。
かつて栄えたアンリエスト帝国。その帝王の居城であったこの美しいアンリエスト城を己が住居となすことが出来たとなれば、それはこの上なくラムセルの支配欲を満たしていたことであろう。
だが、彼ばかりか歴代の当主全てが心の底ではそれを切望していたのにも関わらず、意に反してこの城に居を構えることを許さぬ目の上のたんこぶのような存在がこの地にはいた。
――そう、誰もが知るかの黄金竜である。
その長き寿命を懸けてヒト種を憎んで憎んで憎み続けた神竜の王者――。
領主が代々密かに別の建物に居を移していたのにも関わらず、必ずそれを見つけ出しては襲撃してきたあの竜の執念を前に、矮小なるヒトの身で堂々と城に住居を構えることなど出来よう筈もない。
最後のアンリエスト公爵であったあのラムセルもまた、黄金竜の襲撃をかわすために複数構えた別宅をランダムに使用するという涙ぐましい努力を続けてようやく命を繋いでいた状態であった。
かようにラムセルを始め歴代のアンリエスト当主は、アンリエスト城という至宝を前にしてただ黙って指を咥えていることしか出来ない状態だったのだ。
しかし、だからこそ逆に長年に渡る黄金竜の襲撃から歴史的遺産ともいえるこのアンリエスト城の完全破壊が免れてきたともいえる。
ある意味で呪われていると言っても過言ではないこの城であるが、黄金竜が討伐され襲撃を受ける心配がなくなった今も依然として居住者が不在のままであった。
この国の支配者たる肆十無湊が居を構えているのがこの都市のはるか上空に浮遊している重力子戦艦『天下布武』の中であるという理由もあるのだが、なにより現在このアンリエスト城は大規模な改装工事の真っただ中であるため人の住むことのできる状態ではなかった。
工事の進捗状況はまだ全体の二割弱程度であるが、政治の機能を司る部署の大部分は既に仮の施設へと移転済みであるために大きな混乱はない。
今現在この城に司令部全てが残ったままなのは軍事を司る部署だけであるが、極端な話、こちらは最低限の衣食住環境が整ってさえいれば何も問題はない。
一度部隊が遠征に出れば野宿することだって珍しいことはではないし、そもそも彼らが日課として行う訓練は全て外で行われるものであるから、軍司令部にとってはこれくらいの不便さなど大した問題にはならなかったからだ。
それに最低限の環境とは言ったが、兵士たちは毎日ベッドのある部屋で寝起きし、制服を含む清潔な装備が支給され、そして栄養と量それに味が十分に満足できる食事が三食きちんと用意されている。
特に食事方面での厚生の手厚さから、湊が王になってから新しく雇用された兵どころか、ラムセルが領主だった頃から引き続き雇われた兵士たちからも喜びの声が上がっているらしい。
ラムセルの頃は朝夕の二食、しかもケチ臭い量しか出てこなかったというのだから無理もない話である。
城の支配者が変わったことによる変化はそれだけではない。
湊が王になる前と後とで明らかに城に勤める亜人の人数が増えたのである。
そして、現在メイドに先導されながらこの城の大廊下を無遠慮にドッカドッカ歩を進めているドワーフもその中の一人であった。
ヒト種に比べてやや長寿傾向にあるドワーフ族をして初老の域にかかっているその男の名はゴラード。
この王国に住まうドワーフ族の長にして、鍛冶師ギルドの長を務めている男でもある。
そんな彼が今身に付けているのは繊維の奥まで汚れが染みついてしまっているいつもの作業着ではなく、他国の貴族や王族でさえも着てはいないだろう高級生地で見事に仕立て上げられた濃紺の軍服。
それは、湊やその腹心の配下たちが正装として身に付けているものと全く同じデザインである。
なぜ彼がこのような身に余る服を身に付けているのかというと、この国全てのドワーフ族、そして鍛冶師たちの代表としてこの城の中で行われる会議に出席するためであった。
慣れない服を着ているからか、それともこの歴史ある王城の雰囲気に飲まれたからか、先を行くメイドを追う足取りがいつもよりも三割増しくらいに重い。
ゴラードがドワーフ族の代表としてこの城を訪れるのはこれが決して初めてという訳ではなかったが、それでもやはり場違いな場所に来ているという違和感はどうしても彼の中から抜けきらなかった。
そうこうしている内に目的の部屋の前に到着する。
扉の前で一礼するメイドに一言案内への礼を述べると、ゴラードは胸ポケットから一枚のカードを取り出して扉の横に設置されている読み込み器のスリットにスッと差し込んだ。
反応してピッと機械音が鳴ったら、ぎごちない動きでその横にあるレンズを右目で覗き込む。
何がどうなっているのか詳しい理屈は良く分からないのだが、どうやら覗き込んだ目でカードに登録された本人かを確認しているらしい。
魔力が付与された武器防具の中には所有者本人しかその本来の性能を発揮できないハインド属性がついているものがごく稀にあるのだが、これもバインド属性を持った鍵の一種だと考えれば、かろうじてこの儀式の意味も理解が出来る気がした。
ともかく、この扉はゴラードをきちんと本人だと認めてくれたらしい。
ここから先へは入ることが許されていないメイドをその場において、ゴラードはカチリと鍵が開いたその重厚な扉を開くと、他の部族の代表たちが待つその豪奢な室内に足を踏み入れた。
◆◆◆
「すまんな。待たせたかの?」
メイドの案内でドアをくぐったゴラードは、部屋の中を見るなり先客に向かって軽い謝意を示した。
広い部屋の中には大きな円卓が設けられ、それを囲むように設置された革張りの立派な椅子にゴラードと同じ軍服を身に付けた先客――他部族の代表者たち――がゆったりともたれかかっている。
設置されている椅子の中で未だ主のいないものは自分のものを含めてたった二席。
そしてその内上座に設けられた一際豪奢な席は自分たちの王である肆十無湊のためのもの。
つまり、湊の臣下でこの場に来るのが一番遅かったのがゴラードということになる。
「まだ決められた集合時間の前ですから、お気になさらず」
柔らかな口調でそう返してきたのは、繊細な美貌を持つ痩身の男。
特徴的な長い耳を持つ持つ彼は、妖精七族を代表する森エルフ族の長ライナス・セルニカである。
エルフ族は同じ妖精族という括りではこの中でドワーフ族と最も立場が近く、そして身体的な種族特徴としてはある意味最も遠い。そんな不思議な間柄だ。
ゴラードたちドワーフ族は、同じ妖精族出身でありながらライナスが代表する妖精七族――森エルフ、地下エルフ、海エルフ、ケットシー、クー・シー、小人族、小妖精族――の括りに含まれていない。しかし、だからといって別に互いの種族間に隔意がある訳でもない。
山部での鉱夫や都市部での職人などで比較的その能力を活かす場所が多かったドワーフ族は、亜人たちが迫害される中でもそれなりの立場を築くことが出来たために種族としての数を多く残すことができた。
そのためこの会議上でも独立した一つの種族としてカウントされることになったのだ。
一方森、地下、海の各エルフ三族は寿命に反比例して出生率が低いために極めて数が少なく、そこに政には全く興味を示さない自由な気風を持つケットシー、クー・シー、小人族、小妖精族をとりあえず一まとめにしてしまったというのが妖精七族の実情なのである。
繰り返して言うが、決して妖精族からドワーフ族がハブられている訳ではない。
その証拠にドワーフ族と同様比較的部族人数の多いオーク族やミノタウロス族、蜥蜴人族も獣人族の括りから独立して代表枠を得ているし、巨人族だってトロール族とサイクロプス族に分かれている。
それにこの場に代表として一席を与えられているゴブリン族だって大別すればドワーフと同じ妖精族の括りに入るだろう。
このように代表権を持ってここに集まったメンバーは以下の通り。
蜥蜴人族の長、ザンギ。
ミノタウロス族代表、ミムザ。
ドワーフ族代表、ゴラード。
鬼人族の長、ナガル。
獣人族代表、銀狼族族長、サイガ・ニルゴ。
蟲人族代表 蜘蛛人族女王、ウルミラ。
ゴブリン族の長、コロネル。
オーク族女族長、デリア・ノイマン。
トロール族族長、ガオ・ルー。
サイクロプス族族長、ダルガス。
妖精七部族代表、森エルフ、ライナス・セルニカ。
以上の亜人種各種族の代表に、事実上のヒト種の代表である都市憲兵隊隊長のグロッソ・セガールと暫定の軍部トップである里見聡志を加えた13名がこの円卓会議に参加を許されているメンバーである。
時々の議題によっては必要に応じて他の湊直属の部下たちやカタリナ王妃、古人種であるセリネ・アル・ウルカやA級派遣者であるノワール・クー・カノッタなどがオブザーバーとして参加したりもすることもあるが、完全に固定されているのはこの13名だけだ。
ここに出席している者たちはそれぞれの種族を代表してこの場に出席しているが、それと同時にそれぞれの種族特性に応じて任されている部署のトップでもある。
ゴラードがドワーフ族の代表であると同時に鍛冶師ギルドのトップであるのと同じ理屈だ。
鍛冶師ギルドの会員の多くはドワーフであるが、ヒト種を始め他の種族の鍛冶師たちだって少なからず所属している。
である以上、ゴラードが鍛冶師の長として行動する時は己の出身種族の利益を追うのではなく、鍛冶師全体の利益を考えなければならない。
その点を自他ともにはっきりさせるために種族の代表と部署の代表の立場がきちんと分けられているのだ。
そしてそれはこの場にいる他種族の代表たちも同じである。
ちなみに円卓と言いつつ上座である湊の席から数えて一番離れている席に座っているのがコロネルとデリアであるが、これは決して彼らが代表するゴブリン族やオーク族が他部族より下に見られているという意味ではない。
王である湊を除いた他の13名はこの会議に開催される毎に席が一つ左に移るルールになっており、たまたま今回の会議ではコロネルとデリアが一番離れた席に座る順番だったというだけである。
王たる湊が登場していない今、この部屋に集まっている部族の代表は11名。
2名足りないと思うかもしれないが、それはトロール族族長ガオ・ルーとサイクロプス族族長ダルガスは身体のサイズがデカすぎてそもそもこの部屋に入ることが出来ないため、円卓上のそれぞれの種族の席に設置されたモニター越しの参加となっているからだ。
「時間に間におうたのは行幸じゃったが、ギリギリになってしまったのは申し訳なかったな」
言いながら、ゴラードは自分の名前のプレートが置かれた席にゆっくりとその身を沈めると、慣れた手つきで椅子のレバーを引いて高さを調節する。
油圧を使って自由に高さを調節できるという王の世界の椅子は、その見た目の小柄さに反して重いドワーフの体重を軽々と受け止める。
湊配下の技術者からこの椅子の製法を教えてもらったドワーフ族の家具職人たちは、現在総力を挙げてコピー製品の量産を進めているところであるが、これがまた他国の貴族たちに飛ぶように売れていて高笑いが止まらない状態である。
ドワーフ製総革張りの手作り品とはいえ、椅子一つに金貨数十枚も出す貴族たちの気が知れないとゴラードは思っていたが、身体にしっかりとフィットして座った者が疲れないよう緻密に設計されたこの椅子の座り心地を一度体感してしまうと、なかなかどうして大枚をはたいて買っていく貴族たちの気持ちも理解できないわけではないなと思い直してしまう。
だがしかし、しかしだ!
サキからの情報によると、どうやら王たちの故郷にはこれの更に上を行く至高の一品があるらしい。
座るだけで身体の凝りをほぐしてくれ、一度座ったらもう立ちたくなくなってしまうという神の椅子「まっさーじちぇあ」なるものや、一度対象を中に座らせたならば心地よい眠気に誘って外に出ようとする者の意志をことごとく握りつぶしてくるという悪魔の家具。
机と布団が一つになっているという説明を聞いただけでは今一つ良く分からないシロモノであるが、いずれにせよ話を聞くだけでドワーフとしての職人魂が揺さぶられるものばかりである。
幸いにして上空に浮かぶ鉄の船の中にはその両方ともが(サキ個人の所有物として)現品として存在するらしい。
そして更に幸運なことに、ドワーフ族の代表である自分にはあの『てんかふぶ』の一部施設に出入りすることが可能な『あいでぃーぱす』が発行されている。
この会議室に入室するときに使ったのと同じものだ。
もちろん『てんかふぶ』は常に天に浮いているものであるから幾ら権限があろうともいつでも自由に出入りするという訳にはいかないし、また中に入れたとしても『せきゅりてぃーれべる』によって移動できる場所が限られているようなのだが、サキが言うには「まっさーじちぇあ」も「コタツ」も公開機密度自体はそれほど高くないらしいのでいずれ見せてもらう機会もあるだろうとゴラードは楽観視している。
それに未知なる物に対しての興味は尽きないが、何をさて置いても今のゴラードたちドワーフの最大の関心事はかの機械式腕時計を完成させることである。
あの巨大な鉄の船ですら空に浮かべてしまうように、サキたちの故郷は恐るべき技術力を持っている。
だが、リュウタロウの説明によると、彼らの故郷であの時計が生み出された時代の技術レベルは今のこちらの世界と比べてもほとんど遜色ないものであったらしい。
つまりそれが意味するところは、今の自分たちはその当時の地球の技術者たちと比較して単純に腕が劣っているのだという厳然たる事実である。
自分たちの未熟さを簡単に認めてしまうのはドワーフ族の矜持としてなかなかに受け入れ難いものがある。だが事実として彼らに出来ることが今の自分たちには出来ないのだから仕方がない。
まずは自分たちが劣っていることを認めて、そのうえで追いつき、追い越していくしかないのだ。
そうゴラードが心の中で決意を新たにしていると、参加者の一人から「ドワーフ族風情がヒト種である俺様よりも遅く来てんじゃねぇよ……」と舌打ち交じりの悪態が聞こえてきた。
声の主は都市憲兵隊の隊長であるグロッソ・セガールである。
毎回会議の度に他種族に横柄な態度を取ったり侮蔑的な言動を向けてくる彼は、この期に及んで前領主時代の特権意識が抜けきっていないらしい。
いささか癇に障る物言いであるが、ゴラードはいちいち彼の言葉を気にはしない。
確か彼は前回の会議ではゴブリン族の族長コロネルに対してしつこく絡んでいた。そしてその標的が今回はたまたま自分に向いたというだけだ。
見ると、他の種族の代表たちも「またか」という諦めの表情を浮かべている。
なんで王もこんな男をヒト種の代表に……と思わなくもないが、彼がその任についた経緯を知っているだけにゴラードも諦めのため息をつくしかない。
そう、グロッソは決して実力や人格が認められて今の地位に就いたわけではない。
前領主であるラムセルの配下であった者を全て解雇してしまうと都市に無職を大量に放出することになってしまう。元兵士としてそれなりに腕に覚えのある態度が悪く横柄な無職の男たちが街に大量に放流されると、懸念されるのは治安の悪化である。
それに憲兵自体の人数が一時的に激減することによっても都市の防衛機能が削がれ、治安の悪化を招いてしまう。
上記二点の懸念から、忠誠を誓って真摯に職務に取り組むことを条件に彼らを引き続き雇用することにしたのだ。
これはなにも憲兵に限ったことではなく、屋敷の使用人や政務を司る官僚なども同様である。
当初は再雇用されたほとんどの者がヒト種としての特権意識が抜けていない傲慢な態度を見せていたが、軍部トップである里見や湊たちの厳しい指導によって現在は少しずつではあるが改善される傾向にはある。
しかし、中にはこのグロッソのようにどうしても過去の栄光を捨てられない者が一定数存在してしまう。
もちろんグロッソも湊の前では借りてきた猫のように大人しいのだが、王の目が届かない今のような席ではたちまちその傲慢さが露呈する。
この場には湊直属の部下である里見もいるというのによくもあんな言動をとれるものだとゴラードなどは逆に呆れ返ってしまうのだが、おそらくグロッソはそこまで深く考えていないか、王共々異世界からこちらへ渡ってきた直属の部下である里見たちですら彼は自分より下に見ているのかもしれない。
みじめにも過去の特権意識にしがみついて今の自分を変えられないようでは、どの道彼が現在の地位に座っていられる期間は長いものではないだろう。
なにしろ、犯罪者予備軍ともいえる元憲兵たちをあえて野に放たずそのまま手元に残したのは、ルールを付けてその横暴さの自粛を促すとともに、何か問題を起こした際には即時に犯罪者として裁くためなのだから。
改心して新しいルールになじむならそれも良し。なじめず問題を起こし続けるならそれを理由に処分する。
犯罪者として処分されてしまえば、以後彼らは犯罪奴隷として社会の最底辺で生活していくことになる。その段階になって初めて他者を虐げてきたツケが自分に回ってくるわけである。
そう考えると怒ってやる気にもなれず、ゴラードは表情一つ変えぬままグロッソを冷めた目で一瞥しただけで、その悪態を右から左へと華麗に聞き流した。
しかし、それが癇に障ったのだろうか、
「ドワーフ風情が、なんだその目はっ!」
なぜか突然癇癪を起した彼は、両手で強く机を叩きながらその場に立ち上がる。ともすればその腰に佩いた剣を抜きそうな勢いであった。
しかし、彼が勢いづいていられたのもそこまで。
「……五月蠅い。その不快な声でピーピーと囀るな小僧」
激した訳でもない。怒鳴りつけた訳でもない。
たった一人の何の感情も込められていないボソリとしたその呟きによって、場の空気は瞬間的に凍りついた。
声を発したのは蜘蛛人族の女王ウルミラ。
魔法によって人化している今は蒼い髪を持つ妖艶な美女にしか見えないが、その実態は今の美女の姿そのままの上半身に強靭な八本足の蜘蛛の下半身を持つ蟲人族の女王にして、この世界にたった9種しか存在しない神獣・神人の一柱でもある。
ここに集まった部族たちの中でも特に戦闘力の高い蟲人族。
そしてその中でも最強と謳われる蜘蛛人族の女王。
かつて地球において、互いに和解するまでは王の母国魔法帝国神無が誇る最上位の14人の能力者たちとすら幾度となく激戦を繰り広げたという彼女のその個人戦闘力は、今この場にいる湊直属の部下である里見聡志をも大きく上回り、いつもツンと取り澄ましたあの恐るべき館林五十鈴とすらほぼ互角。
女王であるウルミラ自らが己が主として湊を認め、その配下としてゴラードたちと同格の地位に立つことを甘んじているからこそこうして同じ円卓を囲うこともできるが、王である湊がこの場にいない今、本来ならば彼女こそがこの場にいる誰よりも高い存在格を持つ人物であった。
もしグロッソがヒト種としての尊厳で彼女をどうこうしたいのなら、その前提として彼女と同格の存在である失われた古人種の神人『魔女王』をこの場に連れてこない限り話すら始まらない。
そんなウルミラの語気に充てられてか、グロッソはたちまち恐怖に震え上がった。
まるで亡霊に出くわした子供のようにヒィヒィ言っている彼の姿を見て「このように無様に取り乱すくらいならなんで最初っから黙っていないんだ?」とおそらくその場にいた誰もが同じ疑問を頭によぎらせる。
(それとももしかして初っからウルミラの介入はないと楽観視していたのか? あれだけ亜人を見下しておいて?)
思わずゴラードが呆れかえってしまった正にそのタイミングで、
ギギィ――ッ!
金属が軋む音とともに部屋の扉が開き、通路から一人の青年とお付きのメイドが二人入室してきた。
席に設置されたモニターの時計に目をやると、ちょうど午後の二時を回ったところ。
まるで計ったかのように集合時間ぴったりに入って来た、エルフと比べても見劣りしない繊細な美貌を持つ隻眼の青年。
――彼こそがアンリエストの民全てが頭上に戴く青年王、肆十無湊その人であった。
続きは明日投稿します。