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6.メルセデス編〔Ⅰ〕

う~ん。

長いコメディは難しいです。

やっぱり、短編的に済ませるべきだったのだろうか?

でも、一人でも読んで下さる方がいらっしゃるからには、頑張ります。

 凱旋門を目前にした路面電車の中でパリ、パリ、パリ、と聞き慣れぬ音が耳に響く。


 リタが先程から、袋の中に手を突っ込んではラスクの様な何かをつまみ食いしているのだ。

「なあ、お前、何喰ってんの?」

「あ、これ? フランス名物エッフェル塔せんべい醤油味。美味しいわよ!」

「あってたまるか!」


 現在、二人はパリに来ている。

 スエズ運河を横断し、コンスタンティノプールからオリエント急行を使ってパリまでやって来た。

 イギリスまでの船は港町カレーから出ており、オリエント急行もその地を終着点にしているのだが、今回は途中下車である。


 軍から車内に電報が届き、フランス国内での諜報活動を命じられたのであった。


「あ~、あの時、一本遅らせてなけりゃ、今頃はドーバーの沖合だったろうに……」

 ジェジェジェはそう言って愚痴をこぼすが、あれはあれで仕方なかった気がする。

 別段確証があった訳ではないが、あの選択は間違っていなかったと思うのだ。


 高級プルマン車両に乗り込もうとした時、眼鏡を掛けた青い上着に赤い蝶ネクタイの東洋人の少年が先に乗り込むのが見えた。

 とんがったヘアスタイルの姉らしき少女と、祖父らしき恰幅の良い白衣の老人も一緒だ。


 その一行を見た瞬間、何故だか“ゾッ”とするものがジェジェジェの背筋を走ったのだ。

『コノ レッシャニ ノッテハイケナイ!』

 心の中で不思議な警報が鳴り響く。


 とはいえ何らかの根拠がある訳でもないため、リタをどう説得しようかと悩んだ。

 だが驚いた事に、リタの方から、

「“この列車に乗るのは避けた方が良い”とジンが騒いでるわね。

 ねえ、一本ずらさない?」

 そう提案して来たのである。


 渡りに船とはこの事である、と喜んで一本ずらしたのは良いが、その後大雪となって出発が一週間も遅れた。


 因みに先に乗るはずだった列車はベオグラード~ザグレブ間で三日間止まってしまっていた。

 更に驚いた事には、その列車内で殺人が発生。

 犯人は雪に紛れて逃げたらしいが、どうやら物取りだったと云う事で片が付いた。


 この被害者がアメリカの富豪と云う事で新聞は大賑わいである。

 犯人は“物取り”で、殺害後雪の中を逃亡したらしく、警察が後を追っているがユーゴスラビアは警察機構が上手く動いていないため、逮捕は難しいだろう。

 と書かれている。 


「俺たちが乗るはずだった列車だぞ!」

「そうね」

「そうね、って落ち着いてんじゃねーよ。危機一髪だぞ! 誰が被害者でもおかしくなかったんだからな!」

 騒ぐジェジェジェをちらっと見たリタは、呆れた様に首を横に振る。


「どうしたよ?」

「これが本当に“物取り”の犯行だと思ってるの?」

「いや、だって新聞でも、」

「あんたアホ?」

「んだとぉ?」 


 喚くジェジェジェを見ずにリタは新聞に描かれた地図を指し示しながら説明を始めた。

「あのね。雪のベオグラード山中に逃げ込むぐらいなら、とっとと捕まって縛り首になった方が楽に死ねるわよ。

 大体、そんな逃げ場のないところで仕事(こと)に及ぶ訳無いでしょ。

 駅も間近ならともかく」

「あ!」

 言われてみればそうである。


「んじゃ、なんで?」

 リタの推察力に感服したジェジェジェの口調は素直そのものだ。

「さあねぇ、外交的な問題でも有るのかもね。だとしたら、それこそあんたの出番でしょ?」

「なるほど、途中下車の命令もその関係かもしれんなぁ」

「ともかく連絡員に会いましょう」

「お、おう!」

 どちらがスパイか分からぬ二人であった。


 電車を降りて目的地に向かう道すがら、街角に座る占い師が彼等に声を掛けて来た。

 ジプシーの婆さんであろう。

 フードを目深に被り顔は全く見えない。

「そこの旦那様とご婦人、少し宜しいでしょうかな?」

「金ならねーし、占いにも興味は無いぞ!」


 ジェジェジェはオカルト好きなイギリス人には珍しく、占いやら占星術には一切興味がない。

 彼はイングランドには珍しいケルト系である。

 生まれ故郷のコーンウォールの田舎の光景が好きで妖精や神話なら好むが、それと胡散臭い占いを信じるかというと話は別物なのだ。


 コーンウォールはイングランド南西部にあり、常にフランスとの最前線に立ってきた人物が土地を与えられて領主となる事が多かったという歴史がある。

 彼が進んでスパイ活動に身をやつしたのは、植民地獲得よりもその当たりの意識が強い。

 この頃のイギリス貴族としてはやはり変わり者の部類なのだ。


 無視して進もうとするジェジェジェだが、その腕をリタが掴んでジプシーの前に引きずっていく。

「おい、何すんだよ!」

 ジェジェジェの抗議を聞き流して、占い師のテーブル前の椅子に腰掛けるとリタは何気にこう言った。

「あんたが連絡員?」


 ジプシーの肩がビクッと跳ね上がり、そっとフードから顔を覗かせる。

 メイクアップのため顔は相変わらずの老婆だが、声は確かに若い女のものに変わった。

「どうして分かったんですか!?」

「あんたね。手の甲ぐらいはカムフラージュしなさいよ。

 でなきゃ完全に隠すとかね。そこ、一番年齢が出やすい部分なのよ」

 リタの言葉に彼女は慌ててテーブルから手を引っ込める。


「お前、すげーな!」

 ジェジェジェは感心しきりだが、リタはそれすら切って捨てる。

「あんたが間抜けなだけでしょ?

 それともイギリスのスパイ網はこの程度の変装術で成り立ってんの?」

 


   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 変装を解いた彼女とホテルのラウンジで再度会うことになった。


 彼女の名はメルセデス。

 ドイツ人だがフランスに長く住んでおり、フランス語もネイティブと同じくらいに見事に使いこなす。

 見た目の雰囲気もフランス人そのものだ。

 その為、彼女が連絡員としてフランス国内でイギリス諜報員との連絡役を行っていると云う事である。


 イギリスは総じてドイツとの関係は良好であったが近年は悪化の一方だ。

 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世がどうにもビクトリア女王に対して外交的に高圧的な発言を続けて来た事が大きい。

 孫の立場という事で甘えきっていたのであろう。

 現在の叔父に当たるエドワード七世にもそれが通じると思っている処が甘いのだ。

 それでも両国は僅かな望みを掛けて型式だけでも協調関係を取っているが、それもいつまで続くやらである。


 ホテルに現れたメルセデスは目も醒める様な美女であった。

 黒いドレスの上からでもそのボディラインの見事さが伝わってくる様だ。

 白い肌に金色の髪、フランス人と言うよりは北欧系と言った方が通りが良いのではないだろうか?

 化粧のためにかなり気取った感じもするが、その表情は何やらあどけなくもあり、やや下がり気味の眉目(びもく)が優しげな雰囲気を醸し出している。

 (これ)で彼女をスパイと思う人間が居たなら、赤ん坊の頃から自分の親ですら信用しなかった類の人間であろう。


 後方にはお付きの執事らしき人物まで付いてきており、建前上、貴族制度を嫌うフランスにしては異色の組み合わせと言えたが、これも彼女の真の姿を隠すのに役立っている様だ。


 それに絵になるものに理屈はいらない。やはり良いものは良いのだ。

 廻りの客も彼女に興味津々(しんしん)である。


 また美女に目がないジェジェジェである。

 当然、『仕事上の役得』と思い、彼女に積極的にアプローチを仕掛けようとする。

 ジェジェジェには珍しく、彼女とは何処かで会った様な気すらするのだ。

 これは運命の出会いかも知れない、などと脳天気な事まで考え、にこやかに彼女に視線を送った。

 処が驚いた事に、彼女も満更でもない視線をジェジェジェに向けてきたのだ。


 それに気付いたリタが不機嫌な顔を見せてきたので、ジェジェジェは慌てて顔を引き締めて視線を宙に舞わせる。


 そうして鼻の下を伸ばしたジェジェジェを押さえると、リタが最初に問い掛けた。


「ねえ、あんた何であんな格好してたのよ?

 いまのまんまでも“連絡員”だなんて誰も思わないわよ」

 リタの言葉にメルセデスは、露骨に恥ずかしそうな顔をする。


「あ~、あのですね~。一度、変装ってのをやってみたくってですね……」

 そう言って俯いてしまった。


「遊びでスパイやってるとは良い度胸ねぇ、流石貴族様だわ」

 リタの嫌味を交えた言葉にメルセデスは少し頬を膨らませる。


「遊びだなんて酷いです! 私だって勉強したいことは山ほどあるんですから!」 

 その怒り顔すらも垂れ目が強調されるだけで可愛らしさが増すばかりであり、リタとしてはそこも気にくわない。

 自分には無いものだと分かっているからだ。 


 問題のジェジェジェはメルセデスのその顔を見てヘラヘラと頷くと、

「うん、うん。分かるよ。最初は変装ってしてみたくなるよね!」

 などと相づちを打っているのだ。


「わ~、やっぱりそうですよね。プロとして学ぶチャンスは大事ですからね!」

「そうそう」

 ジェジェジェの相づちにメルセデスは大喜びで、後方に控える執事に何らかを命じた。

 執事が鞄から出したのは、正方形のふたつの箱である。

「これは?」

 (いぶか)しむジェジェジェにメルセデスは、にっこりと笑って答える。 


「お近づきの印にどうぞ。パリ名物、エッフェル塔せんべい明太子味です」

「おお、好物なんですよ!」

 一瞬はそう言ったジェジェジェだが、


「な、わきゃねーだろ!」

 次の瞬間フルスイングで窓から放り投げる。

 セーヌ川に水柱が上がった。 


「エッフェル塔まんじゅう『こしあん』がお好みでしたか……」

 特に怒るでもなく、がっくりと項垂れるメルセデス。orz


「そーゆー問題じゃないと思うわね」

 ちゃっかり自分の分は確保していたリタのセリフに説得力はない。


 話を元に戻すことにしたが、メルセデスの伝達は今回の仕事がかなりの大事(おおごと)である事を示していた。

「実はフランスの科学者が新しい薬を開発したそうです」

 

「薬?」

「はい、スパイ活動に革新をもたらす品だそうです」

「具体的には?」

「何処にでも忍び込む事が可能になる薬だとか。」


 聞き捨てなら無いメルセデスの情報に、ジェジェジェは更に詳しい話を求めた。


 



コーンウオールの歴史についてちょっと修正を入れました。

コーンウォール自体はカレー(フランス)から遠く離れており、直接の戦場となった事は少ないのですが、先の記述ではここが主戦場だとしか読み取れない書き方でした。

スイマセンでした。

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