14.婚姻編〔Ⅴ〕
夕食になっても、メルセデスの執事役は雀卓の間から出てこられなかった。
何の間違いか、入ってすぐに『天和』という役満を三連発してしまい、そのまま麻雀に嵌り込んでしまったのだ。
実は、これこそが連中の罠である。
亡霊達は勝負を出来るだけ長く楽しみたいために、先に相手に大勝ちさせることから勝負を始める。
また、自分たちを追い込んでギリギリのスリルを味わう事も目的としている。
最下位になって“ドボン”すると彼等は昇天だ。
ジェジェジェもそれで一人を綺麗にあの世に送り込んだことがある。
しかし、普通はそうは行かない。
あの部屋に最初に入った人間は、亡霊達の目論みに気付く筈もなく、結果として一晩でもつきあってしまうことになるのだ。
寝食を忘れて、或いは亡霊達がそれを許さず、延々と麻雀を打ち続けることになる。
過去には衰弱死した者も珍しくなかったとか。
あの部屋の本当に恐ろしい処はそこなのだが、亡霊達は近頃、相手になる人間を殺してしまっては元も子もないと云う事に気付き、程ほどで開放してくれる。
但し、あの執事役がジェンスン家と無関係の人間と知ったなら久々の死人が出るかも知れない。
まあ、明日の朝には開放してやろうと思うので、そこは問題無い。
何より、あの執事役、身ぐるみ剥がされる訳には行くまい。
リズの『返事』に彼が反応した時、その秘密は皆が知った。
彼も可哀想ではあるが、「とっととカミングアウトした方が楽になるのに、」などと思いつつ、ジェジェジェは自分の髪を指で梳く。
ともかく、これで『一人は捕まえた』事になる。
残るは、後二人。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深夜二時を廻った今、城門前にジェジェジェ達は立っている。
ジェジェジェとメルセデス、そして父親のジェームスと執事のマークスである。
いや、マークスの後方にもう一人。
ビン底眼鏡のリズが皆と同じにカンテラをぶら下げて立っていた。
カンテラとはオランダ語が語源で、もとはキャンドル(蝋燭)という意味だ。
だがイギリスに於けるカンテラは、ランプの内部を一方向だけガラスで閉じた後、残りの面の幾つか、或いは全てを鏡張りにする事で蝋燭の明かりを増幅し、通常の何倍も強力な光を発する携帯ランプの一種となった。
門柱のなかばに据え付けてある“ランタン”にも明かりが入れられ、この場はそれなりに明るい。
しかし、夜は夜である。
フクロウが鳴き、近くの茂みがざわめくだけでも何やら狼でも出て来るのはないか、と思えるほどに不気味だ。
その不気味な中で、ジェンスン伯は地面に大きく円を描いた。
あの助手と思われる男が消えた辺りである。
「この円の中に入ってはならんぞ!」
全員を見渡し、きつく念を押す。
「な、何が起きますの?」
震える片手でメルセデスは、ジェジェジェの腕にしっかりとしがみつきもう片腕のカンテラを右に左にと振っては、暗闇を消そうと必死だ。
メルセデスをチラリと見たジェジェジェは何やら、妙な気分になる。
理由は今日の『夕食のメニューに不満を持った理由』がメルセデスと同じであったからだ。
夕食には珍しくセルシグが出た。
(セルシグ=ウェールズ語でウインナーの事です)
だが、ジェジェジェは、“どうしても”それに手を付ける気になれなかったのだ。
ふと、正面を見るとメルセデスも、同じように手を付けかねている。
「ヴルスト《ドイツ語でのソーセージ》は、お嫌いでしょうか?」
そう尋ねると、メルセデスは首をひねった。
「いえ、何やら近頃から、そう、あの薬を飲んで生き返ってからでしょうか?
ヴルストは”もう三千年は口に入れっぱなしだった”という様な気がしまして……」
「おや、珍しい。実は私も先だって死にかけてからセルシグがまるで駄目になりまして」
そう言って彼も笑った。
結局、マークスに命じて急ぎローストビーフを出して貰う事で場は収めたが、実に不思議な気分なのだ。
(リタより彼女との方が、考え方や感性が近いのだろうか? しかしなぁ……)
その様な事を考える中、ジェンスン伯が“静かに!”と低い声で全員に注意する。
フクロウすらもその言葉に応えるかの様に、場は静寂に包まれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「良い所に目を付けたな。だがひとつは不正解で、もうひとつも五十点だな!」
夕食後、父の書斎を訪ね『物質透過薬』に関する二つの問題点を語ったジェジェジェに父のジェンスン伯は落第点を出した。
ジェジェジェが思い付いた薬の問題点とは何か?
まずひとつ目は『使用した人間の目が見えなくなる』という事である。
何故か?
あの薬を飲むと、身体が透明になる。
いわゆる『透明人間』の出来上がりだ。
だが、生物がモノを見るときは、対象を眼底に『像』として写さなくてはならない。
ならば眼底が透明になった場合はまるでモノが見えなくなる事は間違い無い。
しかし、そのジェジェジェの答を間違いと断じた父親は説明を進める。
「確かにお前の見つけた問題点は正しいんだが、その点は既に解決済みなんだよ」
薬を飲んだ所で目が見えなくなる事は無い。
また、鼓膜も正常に動き、耳もしっかり聞こえるそうだ。
具体的な方法は秘密だが、その点は間違い無い、と父は言う。
「じゃあ、もうひとつが五十点というのは?」
ジェジェジェはそう言って、父の執務机の上に纏められたあるモノを指した。
男物の服と靴が一式である。
つまり、本来の効用である物質を透過するという効き目が現れたなら、服用者の服をも擦り抜けてしまうのではないか?
と云う点にジェジェジェは気付いたのだ。
そして、そこからふたつの証拠をリズに探す様に命じた。
ひとつめは『服のありか』だが、“残念ながら”ジェジェジェの予想は見事に当たった。
そして“もうひとつの予想”、それも正しい事が知れた。
こちらはやや苦労した様だが、例の執事役が『雀卓の間』に閉じ込められたことで最終的には上手く行った。
リズによって探し出された『彼』は、別館の客間に其の身を隠しているという。
結局、「答は今夜を待て!」というジェンスン伯に押し切られた。
伯爵は“人を脅かしたり、ドラマチックに演出する”のが好きなのである。
こうして夜を迎え、今に至っているのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『それ』は唐突にジェンスン伯が描いた円の中に現れた。
「あ、あれ、何ですの?」
「いや、見ての通りだと思いますが?」
ジェジェジェとメルセデスの会話がマヌケなものになっしまうのもやむを得まい。
円の中に現れた、いや、正確に言うならば『円が描かれた地面から生えている』ものは、逆さまになった人間、おそらくは“男の足”だったのである。
つま先から現れて足首、ふくらはぎ、と次第に姿が露わになってくる。
まるで植物が生える様をスピードを上げて見ている様だ。
「計算通りだな」
ジェンスン伯がそう言うと、いつの間にだろうか、その隣に初老の男性が立っている。
先に取り逃がしたフランスの科学者と思われた老人であるが、彼はジェンスン泊に向けて妙な言葉を返した。
「はい、いくら何でもあのまま死んでしまうのでは、可哀想ですからねぇ」
その姿を見たメルセデスが「あっ!」と声を上げる。
それから踵を返すと、闇を突っ切って逃げ出そうとした。
だが、一歩遅かったようだ。
回り込んだリズによって、彼女の腕はしっかりと押さえ込まれてしまったのだ。
「旦那様。つまり、どういう事ですかな?」
マークスが、地面から生える足とジェンスン伯を交互に見ながら尋ねる。
リズに腕をねじ上げられ、苦痛に顔を歪ませていたメルセデスも今や逃亡は諦めた様だ。
ジェンスン伯の口元に注目していた。
だが、ジェンスン伯は直接は答えず、ジェジェジェに答を振る。
「どうだ、分かるかジェフリー?」
“まったく、この親父は”と思いつつも自分で答える機会を得たのは有り難かった。
二問中一問だけが半分正解では百点満点なら二十五点で、確かに落第点だ。
ならば、名誉挽回と行こうではないか。