12.婚姻編〔Ⅲ〕
「ぼっちゃまぁ、あんメルスデスちゅうお嬢様ば、好いとらんとですか?」
考え事がある、と言ってメルセデスに部屋から出て行って貰ったのだが、リズは動こうとしない。
『あては、置物ッスから』
と言って居座って居るのだが、何処の世界にここまで良く喋る置物がいると云うのだ、とジェジェジェは呆れる。
そう思いつつも、考えを整理するには丁度良い質問だったのでついつい答えてしまった。
「いや、嫌いじゃないよ」
「では、結婚なさるんですね。目出度えこってす!」
その言葉にジェジェジェは首を横に振る。
「彼女は良い子だが、好きというのとはちょっと違うんだよなぁ」
「はぁ~?」
一息置いたリズは、考え込むように尋ねてきた。
「も、もすかすてぇ他に好きな人、おられるんで?」
「逃げられた!」
「えっ!」
その驚き声だけが、綺麗なクイーンズ・イングリッシュに聞こえた。
「声が裏返るほど驚かんでくれ!」
「はぁ、貴族様も色恋は上手く行かんもんですか。で、相手はどちらのご令嬢でごぜえますか?」
「知ってどうする?」
「いやぁ~、その、なんちゅうか。他の家に使いに出された時、好きな方の家でしたら、使用人としても良い印象をば、持って貰わんといけんっしょ?」
思いの外マリアの教育が行き届いているのか、或いはこの田舎娘リズ自身の人の良さなのか、中々に殊勝なことを言う。
だが、それには何の意味もない。
「安心しろ、俺が惚れた女は貴族じゃない。いや、イギリス人ですらないんだ」
それを聞いてリズは芝居がかった様に驚いた。
「へぇ~、貴族様でもそんな事があるんッスかえ? 貴族以外を好きになるッスか?」
「珍しいか……、そうだな……」
不意にリズが話題を変える。
「あての親父は税が払えんで、貴族様に撃ち殺されました」
ジェジェジェの心臓が跳ね上がる。
白人の恐ろしさは此処にある。自分たちと階級が違えば人間とは見ない。
有色人種など『マン・ハンティング』の的だ。
イギリスでも地方に行けば『狐狩り』と称して、納税を怠った農民を“狐に見立て狩り殺す事が有る”とは知っていたが、その犠牲者遺族が目の前に居ようとは、と驚く。
この様な過去を持つリズは、貴族が貴族以外を人として扱うことに心底驚いているのだ、とジェジェジェは気付いた。
「貴族が憎いか?」
「前は憎かったッス」
「前は?」
「坊ちゃまや旦那様みてえな方もいらっしゃいます。
貴族を一括りにしちゃあいかん、思う様になりますた。
あての村でも力自慢で粗暴な奴は幾も居ますた。けんど、それで村全体が悪人、思われたら悲しいッス」
「なるほどね……」
この子は見所がある。親父が目を付ける訳だ、と思う。
リタもこんな感じで、様々な視点から物事を考えられる娘だった。
あそこまで怒らせたのは悪かった。
でも、そんな娘が感情を丸出しにするという事は、本気で俺に惚れていてくれたのかな? 等と思う。
そうやって思いに耽る事も許さず、またまたリズが話題を変えた。
賢い人間にありがちな急激な思考転換だが、付いていく方は大変だ。
「何だよ?」
ジェジェジェはいつの間にか自分の事は諦め、リズにつきあう事にした。
「あんですね。これ、不思議っすなぁ」
そう言ってリズは自分が掛けているビン底眼鏡を指す。
「どうすて、これ使うと目が見えるようになるんっすかな?」
ジェジェジェはリズを自分の執務机まで来るように言うとノートを広げる。
あのな、人間の目ってのはこうなってる。
そう言って、瞳の断面を描き、水晶体と網膜について説明する。
「水晶体ってのは、要はレンズだ。
そこで眼球の奥(眼底)の網膜に像が結ばれてものが見える。
処が、目の周りの筋肉に異常があって網膜がゆるんだり、目を覆う角膜にゆがみなどの異常があると、当然、入ってくる光は歪んで正確な像が……、あっ!」
説明の最中、何かに気付いたジェジェジェは思わず大声を上げる。
「糞! なんてこった。確かにあの薬は成功作こそが大失敗作だ!」
それから、慌ててリズにふたつの事を命じる。
くれぐれも内密に行動するように念を押した。