恋愛遊戯7
昼休みになるとすぐ、私はお昼に誘ってくれたクラスメート二人と美術室に行った。絵の具なのか、独特の匂いがするけれど不快というほどでもない。美術部の彼女達は大抵ここでお昼を食べるらしい。菓子パンとサンドイッチが今日のお昼のようだ。
若草色の小さなお弁当箱に詰められたおにぎりとおかず。おにぎりの具は梅干としらす。混ぜるだけで冷めても美味しいとの謳い文句通りで、私のお気に入りだ。甘い玉子焼きをぱくりと一口。自分で作ったためあまり見栄えは良くないが、味はまぁまぁだと自画自賛してみる。コロッケは昨日の夕飯の残りだけど、好きだから問題なし。プチトマトにほうれん草の胡麻和え。未来御手製のお弁当には見た目も味も彩りも及ばないけれど、自分で食べるのだからこれで充分だろう。
ガールズトークは展覧会用の作品や個人的に描いている絵の話から始まり、話題はやはりイケメン達に移っていった。
「ねぇねぇ、鈴ちゃんは誰が好き?」
「さっきの阿狐先輩格好良かったよね~」
「えー、私は鷹栖会長が良いな」
まるでテレビや雑誌の先にいるアイドルを慕うように、彼女達は無邪気に笑う。決して恋の相手にならないと知っているからこそ、気軽に好意を向けることが出来るのだ。相手の感情や意思など必要としない。想うばかりの純然たる自己満足。だけど、だからこそ純粋で、眩い煌めき。
『渋沢未来』もそんなキラキラとした輝きを持った女の子だった。
何故、彼女達は皆、その輝きを失ってしまうのだろうか。曇り歪み壊れ、最後には全てを投げ出してしまうのだろうか。
ここは彼女達の望んだ世界なのに。
「りーんちゃん? ナニナニ? 兎川の絵に興味ある?」
「え?」
ぼんやりとした視線の先に、くすんだ金色の額に飾られた絵が飾られていた。
桜だ。黒くゴツゴツと節くれだった古木が、鈍い薄青の空を裂くように枝を伸ばしている。纏わりつく、艶めかしいほどの淡い桃色。純白にも見える仄かな白菫色。ちらちらと混じる幽かな藤色。けぶるような鉛丹。あえかな朱鷺色。薄葡萄。牡丹。石竹。撫子。色が重なり、混ざり、乱れ、踊る。
朽ちゆく生命の逞しさと鮮烈さが、狭い世界に閉じ込められているようだった。
彼が美術部だとは知っていたが、実際に彼の絵をじっくり見たことはなかった。柔らかそうな、芽吹いたばかりの萌芽のような薄緑のふわふわの髪。まだ幼さの残るまろい頬。くりくりとした瞳。あの可愛らしい外見からは想像が出来ない。
「これ、兎川君の絵なんだ……」
「兎川はやめたが良いよ~。顔は可愛いけど、アイツ性格悪いもん」
「でも確かに絵は上手いよね。この絵はこないだコンクールで入賞したヤツだよ。今はさ、渋沢さんにモデル頼んでるけど、あんまり進んでないみたい。いっつもイライラしてるから、こっちまでピリピリしちゃうんだ」
「まぁ、イライラもするよねぇ。彼女競争率高いし」
「こないださ、顧問から描けないならモチーフ変えてみろって言われて、彼女じゃなきゃ嫌だって噛み付いてたよ」
意地悪い笑みを浮かべつつも、後輩である兎川君のことを心配しているらしい。私はおにぎりの最後の一欠片を口に入れたまま、笑った。
「未来しかダメなんだね」
「アイツのスケッチブック、渋沢さんばっかなんだよ。ありゃ一歩間違えばストーカーだね」
「あぁ、それこないだ拾ってやったのにさ、触るなってめっちゃ怒られたよ。腹立つ。そんなに大事なら、ちゃんとしまっておけば良いのにねぇ。何冊も描いてるみたいだし」
口を尖らせる友人に、私は食べ終えた箸を片付けながら首を傾げた。もう二人も食べ終わり、腹立たしいとでもいうように袋をくしゃりと潰していた。
「何冊も? 兎川君が未来と会ったのは、入学してからだよね?」
「そうみたいだけど、何冊もあったよ」
「へぇ」
こんな短い期間で何冊もスケッチするほど、焦がれているのか。それでもまだ足りないと、未来の姿を捕らえられないと、もがいているのか。
私は兎川君の顔を思い浮かべた。女子に囲まれていてもムスッと不機嫌そうにしているか、ニコニコと未来に話しかけていた顔しか思い出せない。
記憶の淵を探れば彼のことも、いや、彼だけじゃなく他の彼らのことも判るのかもしれないけれど、それは『現在の彼ら』じゃ、ない。あくまでも、彼らを形作る情報にすぎない。人の内面など深い奥底に幾重にも重なる澱のようなものだ。清く、濁っている。
この残酷なほど美しい箱庭でも、それは変わらない。
かちり。頭の片隅で微かな施錠の気配がした。中途半端な記憶の残滓は必要じゃない。耳の奥で誰かが囁く。
私は彼女を見守り、いつか訪れるはずの終わりを見届けるだけの存在でしかないと。




