恋愛遊戯15
サンドイッチを由利に軽く掲げる。
「ミックスサンドと野菜サンド、どっちが良い?」
「え? 鈴が買ってきてくれたんだから、先に選んで良いよ」
「ん~、じゃあミックスサンドもらうね」
「うん。雨の中ありがとうね」
美人な由利がにこっと笑うと、周りが一瞬明るくなるような気がする。美人で頭も良くて姉御肌の由利は、クラスにとどまらず人気が高い。何度も告白の呼び出しを受けているし、顔も名前も知らない男子に何度か由利のことを聞かれた覚えがある。
そんなモテる由利だが、好きな人がいるのだと以前そっと教えてくれた。
「もうね、絶対に手の届かない人なんだ。向こうは私のこと、これっぽっちも恋愛対象として見てくれないんだもん。でも、すっごく好き。諦めることなんて出来ないよ」
良いな。素直にそう思った。それ以来一度も好きな人について教えてくれないけれど、多分それなりに上手くいっているのだろう。曇りのない笑みは周りを魅了してやまない。
「獅童先輩はメロンパンなんですか?」
由利が私の肩越しに、獅童先輩に話しかけた。
「あ、ああ。もう殆ど残ってなくてな。仕方がない」
「そう言えば甘い物苦手でしたっけ。野菜サンドで良ければ交換しますよ」
はい、と由利は立ち上がり、獅童先輩へ野菜サンドを渡してメロンパンを掠めるように受け取った。
「……悪いな」
「い~え」
ひらひらと手を振る由利は、先程までの剣呑さは見当たらない。このサッパリとした気性も尊敬してしまう。それに、そのさり気ない優しさも。獅童先輩が甘い物が苦手だなんて私はまったく知らなかった。
二つ並んだミックスサンドの片方を差し出す。
「由利。半分こ」
「ん。あ~ん」
由利がふざけて口を開けた。黒々とした瞳が悪戯を仕掛ける子供のように輝いている。薄くリップの塗られた唇が笑いの形のままに開いている。サンドイッチを食べさせてやれば、お返しにメロンパンの半分が口元へ寄せられた。こうやって食べさせ合うのもしょっちゅうだ。いつもはチョコやクッキーなどのお菓子だったが、由利は他の人にこんな可愛らしい顔を見せることはない。これは私だけの特権だった。
「君達は仲が良いな」
「だって私と鈴はとーっても仲良しですから」
誰かと張り合うような子供っぽい口調に、私も笑って「ね~」と顔を見合わせながら首を傾げた。
「佐々木がこんなに楽しそうにしているところなんて、初めて見たな」
獅童先輩が切れ長の瞳を細めて感心したように呟いた。
そう、かもしれない。
私はいつだって視線を落として口を閉ざし、弾き出された空間の外側から時間が過ぎるのを待っているだけだった。
あの子を中心に、楽しそうに繰り広げられる会話に混じることもなく、ただ、ぼんやりと。
「それはきっと楽しくなかったからじゃないですか? 鈴って結構笑い上戸なんですよ」
由利が胸を張った。知らなかっただろうとでも言うように、黒々とした眸を煌めかせる。
自然に口元が緩んだ。
「私が笑うのって由利が笑わせるからじゃないの?」
「あら、嬉しい。それは私といると楽しいってことよね」
由利が真面目顔で言うから、私は更に笑みを深めてしまう。
「うん、楽しいね。最高」
「うふふ。私も鈴といると楽しいよ」
白い由利の指先が頬に触れる。桜色の爪はマニュキュアを塗る必要などないほど美しい。頬を撫で、顎のラインを確かめるようにゆっくりと指先が移動する。
くすぐったさに息が漏れた。
「……公共の場だぞ」
ごほんと咳払いして、獅童先輩が目元を微かに紅くして低い声で唸った。視線が僅かに揺れているせいで、いつもの迫力がまったくない。
由利と顔を見合わせて、また小さく笑ったとき、
「由利先輩、来てくれたんですね!」
突然、後ろから弾んだ声が掛けられた。青いジャージ姿の少女が笑顔で駆け寄る。ショートカットの毛先が弾んで揺れていた。
すらりと長い手足が小鹿のような少女だ。
「歩美ちゃん」
「歩美、俺は無視か?」
「お兄ちゃんが応援に来るのは知ってたもん」
少し恥ずかしそうに唇を尖らせた少女は、なるほど獅童先輩とどことなく似ている。
それよりも。
「歩美ちゃん、今日は君がとーっても会いたがってた人と一緒なんだよ」
由利がにやりと片目を閉じた。ちらりと視線を私に流す。少女がその後を追うように私を見つめた。
強い視線とぶつかった瞬間。
「お姉様っ?」
「ええっ?」
少女がへにゃりと目尻を下げて、泣き出しそうな表情になった。
「あ、あのっ、受験のとき、私、保健室まで連れて行ってもらって……。あのときはありがとうございましたっ!」
「ああ、うん。合格おめでとう。体調悪いのに頑張ったね」
「いえ、先輩のおかげです」
やはりそうかと由利をそっと見れば、悪戯が成功したような笑みが返される。
うるうると瞳を潤ませる歩美ちゃんの肩を、由利が宥めるようにぽんぽんと叩いた。
「ずっとお礼が言いたかったんだよね。良かったねぇ」
「私は保健室に連れて行っただけだよ。合格したのは歩美ちゃんの実力」
お礼を言われるようなことはしてないと苦笑すれば、獅童先輩がぽかんとした顔でこちらを見ていた。
「歩美? もしかして、お前が受験のとき世話になったのって」
「この先輩だよ」
「……そうか」
獅童先輩は気まずそうに視線を揺らした。それを眺めて由利がニヤニヤとチェシャ猫のような笑みを浮かべる。
由利、美少女の嘲笑って攻撃力高すぎだから。
私は小さく肩を竦めて歩美ちゃんへと声をかけた。
「歩美ちゃん、あれ友達じゃない? もうそろそろ休憩終わるんじゃないの?」
「あ、そうですね。……あのっ、先輩のお名前伺っても?」
「ごめんね、そう言えば教えてなかったね。私は佐々木鈴。改めてよろしくね」
「『ササキリン』……? いえ、何でもないです。鈴先輩今度ゆっくりお話ししてくださいね」
「うん。試合応援してるから頑張って」
「私も応援ですけどね」
じゃあ、と笑って歩美ちゃんは軽やかに走っていった。
良い子だと思う。プレッシャーから解放されて、柔らかな魂が歓喜に満ち溢れているようだ。
獅童先輩に通じるストイックさと、少女特有の曖昧さを許容する柔軟性が混じり合っている。
たぶん、歩美ちゃんは噂を知っているのだろう。
私と、未来と、未来を取り巻く彼らの噂を。
友人達は歯牙にもかけない噂でも、他学年では信じている人も多いだろう。
それでも、敬遠することなく近寄ってきてくれた。
嬉しさに目蓋が熱くなる。
自分が思っていたよりも広がる噂にダメージを受けていたようだ。
歩美ちゃん、感謝。
コートの隅に姿を現した少女に、にこりと笑って手を振った。




