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恋愛遊戯  作者: 魚京
12/17

恋愛遊戯12

「失礼します。腹痛みたいです。保健室受験をお願いします」

「あぁ、佐々木さんね。ご苦労様。じゃあ、君はこっちに座って受験票見せてもらえるかな? 保護者の方に保健室受験することをお知らせするから」

 担当の教師が柔らかく微笑んだ。古典専任の教師は眠気を誘う授業をすると評判だが、好々爺然とした雰囲気で、私はわりと好きだった。

 少女を椅子に座らせ、受け取った受験票を確認する。素早く番号をメモして受験票を教師へと渡し、インカムで保護者控え室の係へ連絡を入れた。教師も幾つか少女に質問をしている。

「先生、お水を頂けますか?」

「お薬かい?」

「はい。お守りです」

 臨時に備え付けられたサーバーから、紙コップに半分ほど水を注ぎ、少女に手渡す。銀色のシートに包まれた白い錠剤も一緒に。 少女の冷たい手を包むように、優しく握る。

「痛み止めだよ。少し強い薬だから、飲むと眠くなるかもしれない。でも、我慢出来ない痛みなら飲んだ方が良いよ。だけど今日の為にあなたは頑張って勉強してきたんだよね。不安で怖いのは皆同じだから、もう少し自分を信じてあげてほしいな」

 少女の目を覗き込み、私は安心させるように笑いかけた。

「大丈夫だよ。速効性だから、飲めばすぐに効くよ。無理だと思ったときに飲んでも良いんだからね」

「はい……」

 少しだけ少女の顔に赤みが差した。きゅっと錠剤を握り締めた。強張った頬が解ける。もう平気かもしれない。

「佐々木さんがいれば、カウンセラーは不要かもしれないなぁ」

「そんなわけないじゃないですか」

 呵々と笑う教師に振り向いて苦笑を返す。

 そこで私は初めて、他にも受験生がいたことに気がついた。背の高い少年が、静かな瞳でじっとこちらを見つめている。

「あ、うるさくしてごめんなさい」

「……別に」

「まだ開始時間じゃないから大丈夫さ。それに彼は具合が悪いわけじゃないから」

 教師が肩を竦めた。何か訳ありのようだ。少年に視線を向けると、怒ったようにふいと顔を逸らされた。 整った顔立ちの少年だ。

 どこかで見た顔だと思った。どこでだったか覚えていないが、私はこの少年を知っているような気がする。

 広い肩幅。長い手足。まだ中学生なのに、気負った様子もなく、やけに落ち着いていたのが印象的だった。

 この少年が『渋沢隼人』だったのだと、二人が迎えに来た保護者と一緒に保健室を退出した後で、教師に聞いた。

 だから覚えがあるのか。私は納得した。タウン誌にもインタビューが掲載されたし、彼の学校がバスケの大会で優勝したときには、ローカル番組ではあったがニュースにも取り上げられた。きっとそれらを目にしたことがあったのだろう。

 最初、彼は他の受験生と同様に教室で受験する予定だったらしい。しかし、彼を知る女子が浮き足立ち、他の教室からも彼を見に来る生徒が後を絶たなかったために、急遽彼は保健室受験へと変更になったそうだ。彼も、それから他の生徒も集中出来ないと判断されたのだ。

 合格発表の日も、彼を見ようと、彼の合否の行方を知ろうと思う者達が掲示板の前で待ち構えていたが、結局彼は現れなかった。会えずに気落ちしていたため、不合格と間違えられて周りから慰められた少年少女も少なくなかったそうだ。

 この学校のバスケ部のキャプテンも落胆した一人だ。それでもなんとか伝手を辿って、彼が合格したことを知り涙ながらに喜んだと聞く。

 ほぅ。微かな吐息に意識を転じると、由利が煙るような瞳でうっすらと微笑んでいた。

「どうしたの?」

「鈴ってば不思議ね。亜弓……保健室受験した子が女神様みたいだったって騒いでたけど、何か納得しちゃうなぁ」

「もう。まだ言ってる。いい加減その話題から離れようよ」

 眉根を寄せてひらひらと手を振ると、由利はゴメンと呟いて、思い出したかのようにパチンと手の平を合わせた。

「そうそう。渋沢って言えばさ、渋沢隼人のお父さんが再婚したんだって」

「へぇ」

「相手は昔のご近所さんらしいよ。再婚同士でお姉さんが出来たって聞いたけど」

「もしかして、編入生ってそのお姉さんだったりして」

 私が笑い、由利も「そうかも」と口角を上げたとき、ガラリと教室の扉が開いた。新しく副担任になった巳倉先生だけではない。小柄な少女を伴っていた。

 その少女が教室へ入って来たとき、空気が変わった。ひっそりと閉ざされていた部屋に、強い一陣の風が吹き込んできたかのような感覚に陥る。新しい風は停滞していた空気を押しやり、瑞々しい香りを運ぶ。

「渋沢未来です。香川県から来ました。小さい頃はこの辺りに住んでいたんですが、あんまりにも変わっててびっくりしました。いろいろと教えてください。よろしくお願いします」

 少女が綺麗な標準語でぺこりと頭を下げた。あの地方独特の訛りは微塵も感じさせない。明るい栗色の髪がふわりと揺れる。可愛い、と誰かが呟き、幾つかの頭が上下した。

「未来の席は、あの空いてるとこだ。何かあれば俺に言えよ?」

「はい」

 少女の頭を撫でながら、巳倉先生が優しく目を細めた。イケメンの英語教師は、彼女をいたくお気に召したようだ。彼女の満更でもないはにかんだ笑みに、一部の女子が喉の奥から低い唸り声を出した。自分を睨み付ける視線に動じることなく、少女は興味深そうに教室を見回してにこりと笑んだ。無垢な笑顔だ。楽しくて仕方がないとでもいうような、ワクワクした子供のような笑顔。

 軽快な動きで机の間を泳ぐ少女。細く、しなやかな手足は妖精みたいだった。少女が私に気付いた瞬間、更に笑みが深まる。鼻の奥に、甘やかな香りが広がった気がした。

「よろしくね。未来って呼んでくれないかな?」

 無邪気な声に、私も笑みを返す。

「うん、よろしく。私は佐々木鈴」

「鈴ちゃん、これから仲良くしてね」

 頭をこてんと傾けた少女に、私は頬を緩めて頷いた。

「未来はお前らと違って純粋なんだから虐めるんじゃないぞー。もし未来を泣かせたりしたら、英語は平常点ないと思えよ」

「巳倉先生横暴!」

「ひどーい」

「何とでも言え。んじゃ、ホームルーム始めるぞ」

 巳倉先生の問題発言とも取れる軽口に、クラス中から反発の声が上がった。未来、と親密さを殊更アピールされて、ファンの子達にとってみれば心中穏やかじゃないだろう。

 振り向けないため、未来の表情はよくわからない。隣で由利が僅かに顔を斜め後ろへ向けた。その硬く冷ややかな瞳に首筋が粟立つ。項根に凍えた指先を押し当てられたようだ。

 しかし視線はほんの一瞬で逸らされた。私が見ていたことに気付くと、由利は微苦笑を浮かべて肩を竦めた。


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