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黒く鈍く濁りゆく想い

某出版社オムニバス応募作品。1500文字くらい。続き、描くかもしれない(気になっている)。



「お待たせ」


瀧奈は学校の帰りらしかった。


私にもこうした時間のあったことをついこのあいだのことのように思った。


宿題のメモだろうか、明日の提出物の心覚だろうか、


テーブルについた左手親指の根っこの膨らみに、何か黒くちいさな文字がすっきりと覗いて見えた。


この街の人間のみならず、都内の者なら通う先の察しがだいたいはつくであろう、グレーの制服を纏い、少女は私の目の前にすっと腰を下ろした。



「ごめんなさい、お待たせして。まさみちさんに送ってもらったんだけど、けっこう、どこも渋滞してて」



私の、笑みとともに次の言葉を開きかけていた唇から一気に角が沈みゆく。


固く結ばれてしまったそこからはもう何も出てこない。


代わりに巻き起こったのは、たった今迄この少女と居たらしい、雅倫という男と過ごした昨晩の記憶。


短い記憶。


いつも通りだった。何もかも。


そんな予定があるとどこかで告げていたか。否、そんな素振りすら無かった。


会話や様子をいちいち思い返し確認し、しかしどうしてだろう、安堵するどころかどんどん黒くこころが塗られてゆく。



「仲良くしてあげないんじゃ、なかったの」


わからない。雅倫さんも。この子も。雅倫さん、昨日の今日よ。教えてくれても、良かったじゃない。云えないような事?まして隠すような事でもなかったでしょう。


「学校の前まで来られてたら振り切れないよ・・。みんなの観てる前で恥かかせるわけにも、いかなかったし・・。それに」


いまどき珍し過ぎて親同士の決めた結婚相手だなんて、初めて知らされた時などは少し、胸だけでなくおなかまで縮こまるおぼえがしたこと。


瀧奈の高いような歌っているような聲の反対側で、そう過ぎり、上司の許婚として数ヶ月前顔を合わせて以来友人のように姉妹のように時間を重ねてきた瀧奈を改めて視界に定めた。


「思ったより、話しやすかった。そう、前に会った時よりも、ずっと」



都合がいい。なんて、わがままな子。


はじめは、あの人と同じ、運命に翻弄され哀れな、救いたいとさえ思ったこともあった。


けれどこの子の関心があの人に向いた途端このじぶんの刃の鋭さは、なんだ。砥ぐ遑など、どこにあったというのか。


先回この子の顔をみたのは、つい数日前だ。


あのときの鬱々とした眼差しは、いま、私の目の前で、幼くもその顔色さえ潤して、新たな光を目一杯湛えていた。まるで、別の子と話しているかのような想いにさえなる。



いま目の前で、私の前で、あの人の事を語るこの聲に私の奥底がひどく反応している。自ら、はっきりと、わかる。


あんたの知らないあの人を、私は何度も知っているのよ。


普段と顔色ひとつ変えず、どんなふうにあの人が悦ぶのかあんたは知らないでしょ。どう、私を麻痺させるのか想像もつかないでしょ。




「どうしたの。さえかさん。私の話、聞いてる?」


瀧奈の顔を見据えたまま、じっと心を波立たせていたようだ。


彼女の、年の割にキリとした顔立ちと裏腹に耳にまとわりつくような聲でもって大いなる渦から醒めた私は、


それでもなお顔を動かすことをせず濁った眼を伏せて、なんでもありません。とだけ口を動かした。



今日、否今晩、雅倫と会う約束は無かった。

けれど、会おう。会いたい。夜、彼に空いた時間はあるだろうか。


彼と空間を隔てたばかりの、彼との将来を約束された目の前のこの女ならば、その答えを知っているのかもしれない。


しかし彼女に、この子にだけは、聞くわけにはいかなかった。


それはたとえ、私と高居部長の間柄が、公のものだったとしても、だ。


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