表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

私が足を無くして、旅立った理由。

 何とか年内に書きあげました。

 女の子の思考や話の筋に、穴があるかもしれません。

 ご一報頂ければ、可能な限り対応しますので、お手数ですがお知らせいただければ幸いです。

 では、お楽しみ下さい。


 …あの日も私は階段を登ってた。

 登り慣れた、板と杭で補強された土の階段。


 …364段。


 テッコ山の中腹の坑道の前にある、私達家族のボロ家に辿り付くまでの階段の段数。

 18年も登り降りしていれば段数を覚えてしまう。

 汗が吹き出る。

 立ち止まり息を整えた。

 ついでに額にくっつく前髪を掻き上げて、後ろにまとめていた髪を結わえ直す。

 顎に垂れた汗をグイッと拭うと、黒く汚れた汗が腕に付いた。


「…今日、…水浴び、…出来る、…かな」


 まだ整わない息に、独り言が途切れ途切れ。

 目の前にある階段、左側の杭が傾いてるのが見えた。


 ――新しい杭を打たなきゃ。


 ――…あぁ、ジイジイと蝉が五月蠅い。


 ケヤキ並木のトンネル、階段の先の我がボロ家の方を見上げると、夏の真っ赤な夕日がテッコ山に沈んで真っ黒の山が光の輪郭で彩られてた。


 ――またお父さんが遅い遅いと五月蠅いから、急がなきゃ。


 顔に集る羽虫を左手で払い、右手で肩に食い込む鞄を背負い直した。


 ――トレシア叔母さんから代金と一緒に貰った、鹿肉の塊と麦酒を蒸留した火酒の水筒、重い…。


 ――でも両方ともお父さんが好きな物なのよね。


 …大きく深呼吸。

 それに合わせ、濃い緑の匂いや土の匂いが鼻から肺へと通った。

 まだ整わない息のまま、重い足取りで228段目を踏み出した。

 晩ご飯はこの肉と裏の畑の芋とを焼いたのでいいかな?

 玉葱も一緒に焼こうかな?

 味付けは岩塩少しと、この前摘んできた香草をまぶしたシンプルなやつ。

 玉葱を焼くならバジルでもいいな。

 後は春キャベツの酢漬けと、昨日焼いた木の実入りのライ麦パンが残っていたな。

 少しだけチーズも出そうかな?

 肉は多分余るから、明日のご飯は余った肉と適当な野菜で煮物を作ろう。


 日が陰り涼しくなった風のせいで、冷たくなった汗が服にベッタリ張り付いて気持ち悪い。

 階段を登ることで新しい汗が額や背中に吹き出して来たから、もっと気持ち悪い。


 ――せめて体を拭きたい…。


 〔火炎神『フラム』の月〕は嫌いだ。

 暑いから、だけじゃない。

 もうすぐ豊穣祭で、その4日後が私の誕生日。

 …そして、お母さんの命日。…だから嫌い。


 3年前、北のリール砦に納品と集金に行っていたお母さん。

 お土産は鰯の油漬けをリールの町で買ってくるって言ってたお母さん。

 それで私の誕生日に、私の大好きなパイ包み焼きを取って置きの香草を入れて美味しく作るからって、笑ってたお母さん。

 その場で研ぎを頼まれてたお爺ちゃん作の槍を奪われて、それに突かれたお母さん。

 一緒に行っていたお父さんの目の前で刺されたお母さん。

 2日も生死の境をさまよって、私の誕生日に死んだ。

 毎年、北の海から略奪に来る“氷の大地の民”が、リールの砦と町に奇襲をかけてきた。

 奴等に殺されたんだ。

 毎年、沢山の食料や金品が奪われ、何人かの男の人や女の人が連れ去られる。

 奴隷としてアマネウスとか、他の国に連れて行かれて売られるんだって。

 お母さんが死んだその時も沢山の犠牲者が出た。

 たまたまリールの港を視察してた、リール砦の司令官さんも連れ去られたらしい。

 けどそんな事、私達には関係なかった。

 お母さんが死んじゃった。


 悲しい事と楽しい事、同時にやって来ると悲しい事の方に塗りつぶされるのは何故だろう?

 お母さんの命日、今年も父さんにちゃんと言わなきゃ、お酒の呑み過ぎや鍛冶仕事で絶対忘れてる。

 最近あんまり仕事が無いのに、鍛冶を始めるとお父さんは周りの事を絶対見ない。

 3年前から特にそうなった。

 お酒を浴びるように呑むのも3年前から。

 お母さんが死んでから。

 今日も朝早くから、木工職人のケーソン叔父さんに頼まれてた釘を一心不乱に作ってた。

 昼過ぎに釘が出来上がると、納品を私に任せて白色が目立つようになった伸び放題の黒髭も剃らずに、樽のままで麦酒をカブ呑みしてた。

 今日も酔い潰れるまで呑むんだろう。

 いや、もう酔い潰れているかもしれない。


 ――晩ご飯、食べてくれるかな。


 そんな事を考えながら、残り137段を登ってた。

 お酒の飲み方も鍛冶仕事も、前はこんなんじゃなかったのに。

 お酒は好きだったけど、酔い潰れるまで呑むことは殆どなかった。

 手入れや修理の素早さ、丁寧さや正確さから、村以外からのお客さんが大勢いた。

 製作依頼に対してはかなり頑固で、気に入った人の仕事しかしなかった。

 特に武器に関しては頑なで、『剣比べ』用の剣以外に武器を作った事がない。

 そんなお父さんに付いた2つ名が『武器嫌い』。

 それでも、剣や槍や戦斧や鎧通しや盾や鎧や馬具や日用品や農具を作って欲しいという人が沢山いた。

 お父さんの鍛冶仕事は、とにかく何を作らせても素晴らしいと評判だったから。

 ルーサンの東西に広い国土には鍛冶を生業とする村は3つあるけど、その中でも1番の腕前だという噂がある位だった。

 特に注目を集めたお父さんの作品は、4年に1度の『剣比べ』の剣。

 その中でも、4年前の夏の豊穣祭の『剣比べ』に出した、お父さんの作った『刀』という剣は怖いくらいに凄かった。

 その年の豊穣祭の準備の会合で、普段から「武器は人を選ぶ」とか言って武器を誰にも売った事がないお父さんを、村長のゲルンさんがからかったのが始まりだった。











「…これで『剣比べ』に関しての決め事はもう無いな。

では、会合はこれで終了だ。あとは心行くまで呑んでくれ。

鍛冶師の皆、明日から剣の製作、頑張ってくれよ。

4年に1度の『剣比べ』だからな。

…まあどうせ今年の1位の剣も、鍋か鋸に成っちまうんだろうがね。

たしかに、シエルさんの打った鍋や鋸は凄い。

鍋は使いやすいし、よく保つ。

鋸は素晴らしい切れ味で、何を切っても刃が飛ばない。

どの作品も文句の付けようのない物なのは認める。

そんな物をタダで貰っているワシラは、幸せなんだろうな」


 今までの『剣比べ』で1位になったお父さんの剣は、祭の後、包丁や鍋や釘や金槌や鋸や小物等に姿を変え、村の人達に配られていた。

 そんな事を何回も繰り返してると、お父さんが剣にイカサマしてるんだと思ってる人が出てくる。

 だって祭が終わった次の日には、もう潰してるんだもん。

 そう思う人が居ても当たり前だと思う。

 ゲルンさんもその一人みたいだった。

 だから事あるごとに、お父さんに嫌味混じりの台詞を言ってきた。

 ゲルンさんが嫌味を言うのは別の理由もあるんだけどね…。

 その時ももちろん嫌味を言い出した。


「…前から思っていた事なんだが、シエルさんの作った武器は『剣比べ』意外では見たことがないな。

シエルさんの武器は人を選ぶらしいが、武具が存在しなければ選びようがないよな。

…何だか矛盾してないか?

そう思うだろう、皆」


 ルルド教主様が何時も祈りを捧げる一段高い台の上、会合の進行役であるゲルンさんは禿げた頭を撫でながら、お酒の杯を手に隅っこに座るお父さんを憎らしげな目で睨んでいた。

 お父さんが武器を作るのは『剣比べ』の為か自分が認めた人の為だけだし、『剣比べ』で1位になっても栄誉あるリール砦の司令官への剣の献上も拒んできた。

 武器を依頼してきた人でお父さんが認めた人は今まで1人もいないし、司令官みたいに威張ってる偉い人がお父さんは嫌いだ。

 だからお父さんの作った武器を持っている人は居ない。

 防具や馬具なんかは、何度か作っているのを見た事はあるけど。


「確かに矛盾だよな」


「『剣比べ』の時みたいな剣や槍を作って売ったら、すぐに大金持ちに成れるだろうに」


「天才のする事は解らんね」


「やっぱりイカサマなのかね?」


「今年も1位はシエルさんの剣だよな?」


「同じ材料を使ってるのに、何であんなに凄いんだ?」


「ズルい事でもしてないと、あんなに勝てないよな?」


「俺、シエルさんの必勝法、知りたいわぁ♪」


「その方法使ったら、俺勝てるかな?」


「バカ、お前がやったらバレバレだ。

イカサマは見破れないからイカサマなんだぜ」


「俺、今年もシエルさんが勝つのに30リヤル」


「先祖代々培ったイカサマ技術は、さぞ凄いんでしょうな~」


 ゲルンさんの振る舞ったワインに酔っているせいか、集会場を兼ねた教会に集まった村の皆が赤ら顔で饒舌に嫌味混じりの言葉を口々に喋り出した。


 お爺ちゃんの元で10才から本格的に鍛冶を初め、16才から『剣比べ』で1位を取り続けるお父さんは、村人からの妬みの対象だった。


「人は追いつける目標は羨み尊敬する。

追いつけない目標は妬み畏怖する」


 お父さんの事をこう言った人がいた。

 勿論、お父さんは後者の方だ。

 元々、人付き合いが下手で、人を見下したような態度をとったり言葉使いをしたりするのも妬まれる理由の1つ。

 本人のお父さんには、そんなような高慢な態度をしてる自覚無いらしい…。


 会合の日のお父さんは、北のリール砦の要員交代で王都に帰る兵隊さん達の剣の研ぎ仕事をお昼までに終え、そこから麦酒を呑んでた。

 少しは村の行事に参加しなさいと、お母さんに無理矢理会合に引きずってこられてたけど何も発言せず、最初からゲルンさんの振る舞ったワインを飲んでたお父さんはベロンベロンに酔っていたと思う。

 そうでなければ、お父さんの口からあんな言葉が出る訳がない。


「皆ぁ、聞けーい!

…今度のぉ祭のぉ『剣比べ』にぃ出す剣はぁ、先祖伝来の技術とぉ俺のぉ技術を全てぇつぎ込んでぇ、皆の目の前でぇ打つっ!

これならぁイカサマもぉ出来ないだろうぅ?

次のぉ『剣比べ』に負けたらぁ、鍛冶師を辞めるぅ!

これならぁ誰も文句はあるまいっ!」


 酔ってるのか怒りなのか少し呂律の廻ってない口調で、赤黒い顔のお父さんが皆を睨みつけてた。

 会合の手伝いに無理矢理駆り出されていた私は皆の嫌味に怒って震えてたけど、お父さんの言葉で怒りに震えていた事も忘れて口をアングリと開けてしまった。

 その場にいたお母さんを恐る恐る見ると、これまで見た事がないくらい怒っている様子だった。


 ――…何だか、お母さんから殺気を感じるんだけど…。


 鍛冶師の技術は息子や弟子に受け継がれ、各鍛冶師の家の門外不出の技術。

 それを皆に見せると言い出したのだ。

 お母さんがあんなに怒るのも解る。


 会合場所のアフラルン新教教会が一瞬静かになって、次の瞬間、歓声と叫び声に教会の建物が揺れたような気がした。

 皆が騒ぎ立てる中、誰かが用意したアフラルン新教の誓約書にまで宣誓していたお父さん。


 祭の会合から帰ってきたあの日、夜中までお父さんとお母さんは物凄い喧嘩してた。

 私は布団を被って寝たふりしてた。

 …だって怖かったんだもん、……お母さんが…。

 布団越しに「伝統が…」とか「あの子が男だったら…」とか「守ってきた秘伝…」とか「もし負けたら…」とかの怒鳴り声が聞こえてきてた。

 怖くて耳を塞いでたけど、喧嘩が終わったのに夜中まで眠れないで布団の中でぼんやりしていた。

 そんな時、深夜に家をこっそり出て行くお父さんに気付いて、後をつけてみた。

 そして見てしまった。

 お父さんは裏の畑の奥にある、ご先祖様達の螺旋の墓標の前で、座り込んで……泣いてた。


「親父、すまない…。

俺の代でシノギの鍛冶は、廃業かもしれん…。

弟子も育てられない、男の子も産ませられない…。

技術だけでも残せたらと思ってよ…。

俺、カラーネの言うように間違ってるのか?

目標さえ、まだ達成出来ていないしよ…。

俺、不甲斐ない息子だよな…」


って呟いてた。

 そんな弱々しいお父さん、初めて見た。

 何だか見てられなくて、すぐに帰ってまた布団を被った。

 …その日は朝まで眠れなかった。


 次の日のお父さんは昨日の事が嘘みたいに、仕事場に押し掛けた村の鍛冶師達に囲まれながら、黙々とフイゴを踏み、鉄を鍛錬し剣を作っていた。

 皆の質問にも驚くほど丁寧に答えてた。

 でも、皆の表情は戸惑ったままで、疑問は無くならなかったみたい。

 お父さんみたいに手間を掛けて鉄を鍛え、色々な砥石で研磨する理由が解らないみたいだった。


 ――村で1番古い鍛冶師の家の子孫、シエル=シノギが持てる技術の全てを明かしている。


 ――もし『剣比べ』に負けたら鍛冶師を辞める。


 娯楽の少ないシノギ村では、祭の日までその2つの噂で持ちきりだった。

 4週間もの間、村の鍛冶師達はお父さんの技術をじっくり見て、各々が頭を捻りながら自分達の工房に帰っていった。

 普通のお父さんなら4日もあれば、鋼の塊から剣に仕立てられるのに…。


 一足先に出来たお父さんの剣は、イカサマが出来ないようにゲルンさんの家で祭の日まで保管された。

 祭当日、お父さんの風変わりな剣は、『剣比べ』の会場の中央の広場に他の剣と一緒に置かれていた。

 他の鍛冶師さん達の剣は一般的な直線的な両刃の剣。

 お父さんの剣は、吟遊詩人が歌う叙述詩に出てくる異国の剣みたいに反っていて片刃だった。

 おまけに他の剣はピカピカに輝いているのに、お父さんの剣は鈍く光っているだけ。

 よく見ると刃の部分に、刃と平行に縞や波の様な模様がウッスラと浮き出ている。

 刃と逆の部分は青黒く光っていた。

 村長の家で保管している間に錆びたのかな?

 会場に並んだ他の鍛冶師が打った剣の中で、お父さんの剣は1本だけ異質だった。

 私が10才の時のお父さん作の剣は直線の両刃だったし、6才の微かな記憶の剣もそうだった。


 ――何故あんな形と色の剣なんだろう?


 お父さんにその事を聞くと

「お父さんが打ったのは、剣じゃなくて刀って言うんだ!

形や色が違うのは、シノギの鍛冶の原点に帰ったらそうなっただけだ!」

って怒鳴られた。

 その時のお父さん、物凄く不機嫌だった。

 どうやら、せっかく明かした秘伝の技術を誰も真似していないのが気に食わなかったみたい。


 ――真似しないんじゃなくて、真似出来ないんだよ。


 ――周りの技術が低いんじゃなくて、お父さんが凄すぎるんだ。


 ――だから弟子に成りたい人が来ても、すぐ辞めちゃうだよ。


 怒鳴られた腹癒せに、言ってやろうかと思ったけど止めた。

 …泣いてたお父さんを思い出したから。


 『剣比べ』というのは4年に1回のリール砦の兵士要員交代に合わせ、新しく砦の司令官に着任する人に献上する剣を決めるシノギ村の伝統行事。

 私のご先祖様が、リール砦が出来る前の場所に来た兵隊さん達の武器や防具を作ってあげたのが『剣比べ』の始まりらしい。

 時期が一緒だから、豊穣祭のイベントの1つとして行われてきた。

 普通の年の豊穣祭は夏の暑さ疲れや仕事の疲れを労う目的で、普段より少しお洒落して、普段より少し手の込んだ物を食べて、お酒を呑んで、歌ったり踊ったりするだけ。

 希に軽業師やハープやリュートを持った吟遊詩人、珍しい物を売る行商人や珍しい動物を連れた見世物屋が来るくらいかな?

 『剣比べ』がある年は、『剣比べ』が祭そのものになる。

 製鉄と鍛冶と木工しか取り柄のない、辺境の村の数少ない催し物だ。



 16才から『剣比べ』の1位を取り続けたお父さんだけど、剣を献上するを拒み続けているので、この40年間で9回、毎回2位の人が献上し続けていた。

 もし、今年もお父さんが1位だったら10回連続2位の人が献上するのことになるのかな?

 いくら剣を作った鍛冶師に献上するのを選ぶ権利があるといっても、そんな事は『剣比べ』が始まってから一度もないらしい。

 2番目の剣が献上されているというのは受け取る司令官さん側も知っていて、渡す役目のゲルンさんの面目は、毎回毎回ぐっしゃりと丸潰れ。

 なので、ゲルンさんとお父さんはお察しの通り仲が悪い。

 これがゲルンさんがお父さんを嫌いな本当の理由。


 ――…まぁ元々、仲の良い村人なんか居ないんだけどね。


 だから他の村人に甘くて気前の良いゲルンさんは慕われていて、高慢な態度で厳しくて人付き合いを避けてるお父さんは嫌われ、孤立しがちだ。

 だから、私にも友達はいない。


 ――…まぁ、私に友達がいないのはお父さんのせいだけじゃないんだけど…。


 お母さんは明るく社交的で、お父さんと結婚する前から村の人気者で友達も多かった。

 お母さんのおかげで、我が家は村から完全に孤立しないでいられてた。


 ――お母さん、何でお父さんと結婚したんだろう?


 毎年の豊穣祭は、お母さんは村の皆を手伝ったり歌ったり踊ったりして祭を盛り上げていた。

 だけど、その年は違ったんだ。

 私達家族3人は肩を寄せ合って、我が家の命運を賭けた刀を見つめていた。


 『剣比べ』の進め方はいたって簡単、各剣に番号を付けて、クジで引いた順番に撃ち合わせる。

 先に引かれた番号の剣は専用の台に固定され、次に引かれた番号の剣が村の雇われの傭兵さん達の手によって撃ち合わされる。

 順番に撃ち合って、折れなかったり刃の欠けが少なかったり、曲がりが少ない剣を勝ちとする。

 勝った剣をまたくじ引きにかける。

 そして、また撃ち合わせる。

 これを繰り返して、最後に残った剣が1位だ。



 …『剣比べ』が始まった。

 会場にはシノギ村の人達だけじゃなく、噂を聞き付けた近くの村人達まで集まって、凄い熱気に包まれてた。

 馬で1日半の距離にあるリール砦からも来たのか、兵隊さんや騎士さんの姿もちらほら見える。

 お父さんの刀の番号のクジがゲルンさんの手により、1番最初に引かれた。

 刀が台に固定される。

 早速の主役登場に、湧き上がる会場。

 野次や野蛮な叫び声が聞こえた。

 私の隣でお母さんは唾を飲み込んで、後ろから回された私の肩に置かれたお父さんのゴツい手は、私の肩を強く握った。

 撃ち付ける役の傭兵さんの手には、お父さんの剣の相手になる短くぶ厚い刀身の輝く剣、というか鉈?が握られた。

 村長のゲルンさんの次男、エリアスの打った剣だ。


 エリアスは嫌な奴だ。

 村で2番目の腕前の鍛冶師、アルドネさんの工房に親であるゲルンさんのコネで入った。

 ゲルンさんは村長で、村の物流を担う荷車馬車の管理運営をしているから、逆らう事は出来ない。

 今はアルドネさんの大所帯の工房の若手頭みたいな地位にいるらしい。


 ――腕は良くないくせに、一流の道具と材料ばかり使って、二流の作品を作ってる。


 人について評価をするのが嫌いなお父さんが、珍しく評価したエリアスへの評価の一言。

 何を勘違いしてるのか、私に会うとお父さんの悪口を言ってた。

 お父さんをライバル視してたのかな?

 何度かは我慢したけど、あまりにも執拗だから鼻っ柱に拳を叩き込んでやったわ。

 それからは嫌味は言わなくなったけど、私の村での評判は物凄く下がったみたい。

 エリアスがゲルンさんに大げさに言いつけたらしい。


 ――私より4つも年上のくせに、尻の穴の小さい奴…。


 事情を知ったお母さんに連れられて、謝りに行ったけど私の村での評判は低いまま。

 …お母さんは謝った帰り道、私のお嫁の行き先が減るって嘆いてた。


 ――あんな奴の嫁になんて成りませんよーだ!






 湧き上がる『剣比べ』会場。

 会場の全員の注目の中、エリアスの剣を持った傭兵さんが太い腕を力一杯振り下ろした。


…キンッ…


 澄んだ金属の音が広場に響いた。

 『剣比べ』の会場は、喧騒から一転、静まり返ってた。

 …だって、エリアスの剣は、刀身半ばまで斬り裂かれてたから…。


 普通の『剣比べ』の場合は一撃では決着はつかない。

 鍛冶師が己の持てる技術を総動員して打った剣は、少し欠けたり曲がったりしても、簡単に折れたりはしない。

 だから何度も撃ち合って、勝敗が決まるのがいつもの『剣比べ』。

 それがたった一撃で、鋼製の刀が鋼製の剣を“斬った”のだ。

 確かに折れたのではなく、斬れた。

 驚かずにはいられなかった。

 いつもの『剣比べ』は小さな村を一日中、歓声が覆うのだけど、今回の『剣比べ』は儀式のように静かに粛々と進んだ。

 動いているのは、傭兵さん達だけ。

 皆の視線の先はお父さんの刀。

 お父さんの刀は4回の撃ち合わせにも、何事もなかったように『剣比べ』の始まる前の姿形のまま。

 よく見ると、少しだけ刃こぼれしてるかな?くらいだ。

 お父さんの刀に撃ち合わさせられた4本の内、3本の剣は程度はそれぞれ違うけど“斬れた”。

 唯一斬れなかったのは、最後に撃ち合ったアルドネさんの剣だけ。

 でも、3度の撃ち合わせで、アルドネさんの剣は大きく欠けてた。

 後に残ったのはお父さんの刀だけ。

 静まり返った会場でいつの間に私の隣から移動したのか、汗ビッショリで肩で息をしている傭兵さんの横に、思い詰めた表情のお父さんが立っていた。

 お父さんは何も言わず傭兵さんの手から刀を奪い取った。


「イカサマじゃないのが証明された」


 皆にむかって静かで、でもよく通る低い声でそう言うと、家のあるテッコ山の階段の方に早足に歩き去って行った。

 静まりかえった空気のまま、その年の『剣比べ』は有耶無耶に終わった。


 私とお母さんは、祭の後片付けもそこそこにお父さんの後を追った。

 お母さんと競い合うように階段を駆け上がり、やっとの事で家に辿り付いた。

 私は階段の終わったすぐ前の広場で息を切らして座り込んでしまったけど、お母さんは取り乱して這うようにしてお父さんを捜していた。

 私の息が整った頃、家の裏の畑の方からお母さんに抱えられるように、魂の抜けたようになっているお父さんが一緒に歩いてきた。

 お父さんの右手には欠けてしまったお父さんの刀が、左手にはお父さんの仕事場の1番端に掛けられている古い細い剣が握られていた。


 とりあえず、家の中に入ってお父さんが正気を取り戻すのを待った。

 お母さんがお父さんと私の前に、祭の残り物の山葡萄の絞り汁を水で割った飲み物が入ったコップを置いてくれた。

 夏の熱気で生暖かくなった山葡萄の酸っぱい香りが、部屋一杯に立ちこめた。

 喉の渇いていた私は、一気に飲み干した。

 お母さんは自分のコップを持って椅子に座る。

 それを合図にするかのように、下を向いて刀と剣を持ったままのお父さんは訥々と喋り出した。


 シノギ家の鍛冶師になる男の子は、仕事を覚える前に目標を立てる決まりがあるんだって。

 それを達成するまでは一人前と思うな、とお爺ちゃんには言われたそうだ。

 お父さんは、ご先祖様よりも優れた武器を創る事、それを目標に立てたんだって。

 お父さんが『剣比べ』で1位になると、毎回1人でご先祖様達の剣に『剣比べ』を挑んでいたらしい。

 その中でどうしても勝てないのが、シノギ家初代レンジロウ=シノギ作と伝えられている目の前の古い細剣。

 前回の『剣比べ』の時も、お父さんの剣では傷1つ付けれなかったんだって。

 50才を越えて自分に衰えを感じるし、後継者も育てられていないお父さんは焦っていた。

 自分は何も結果を出せていない、半人前なんだと焦っていた。

 そんな悶々とした気持ちでいた時、あのゲルンさんや村の皆の言葉に頭が沸騰したんだって。


 ――お酒が入っていたせいもあったんだろうな。


 カーッとなって帰ろうと思ったけど、せめて技術だけでも後世に残せたらと思い直して、シノギ家に伝わる技術を見せると言ったんだって。

 シノギ家に代々残る文献や、お父さんの今までの試行錯誤を全てを皆の前に明かした。

 だけど、誰も理解してくれなかったらしい。

 後継者も技術も残せない。

 自分の代でシノギの家は途絶える。

 ならばせめて自分の立てた目標を達成するのが、鍛冶師として結果を残せる唯一の方法。

 なり振り構わず、持てる知識とご先祖様達の文献を元に必死で刀を鍛えた。

 その結果が目の前にあった。

 テーブルの上の欠けた新しい刀と、何ともない古い細剣。


 話終わると、お父さんはお母さんや私に泣いて謝りだした。

 お母さんには、

「結果を残せない駄目な鍛冶師と結婚させてしまってすまない。

男の子を産ませてやれない、駄目な男ですまない」

だって。

 私には、

「鍛冶師の娘たるもの使う側の心が解らないといけないとかいって、料理や針仕事、大工仕事や木こりの真似事、ついには剣や槍や弓矢や拳闘まで覚えさせてすまない。

おまえの気持ちを考えず、お父さんの我が侭に付き合わせてすまない」

だって。

 そして、号泣し机に崩れ伏せるお父さん。

 刀と剣はお父さんの手を離れ、大きな音をたてて床に転がった。


 …気まずい時間が流れた。

 沈黙を破り、突然すっくと立ち上がるお母さん。

 お父さんにツカツカ近づくと、胸ぐらを掴んで………何回も叩きだした。

 …しかも、平手じゃなくて拳で…。


 ――うわっ、…お父さんの鼻血や血混じりの唾が床や机に飛び散って、…うわっ…。


 私には、それを見守ることしか出来なかった。

 …というか怖くて動けなかった…。お母さん、怖いくらいに真顔だし……。




 数十回も殴っただろうか。

 胸ぐらを放されたお父さんは、床に座り込んだ。

 …お父さんの顔の左側だけ、唇や頬や目の横が真っ赤になって腫れ上がって、鼻や唇からは血が出てきてた。

 無傷な右目は驚きでドングリみたいに見開かれて、お母さんを見上げてた。

 見上げた先には両拳を腰に当て、仁王立ちのお母さん。

 大きな溜息をつくと、お母さんは静かに喋り出した。


「…あんた。

いつもは威張ってるくせに、根っ子は相変わらず根性無しだね。

人はあんたを何て呼んでるか知ってるかい?

シノギ村1番の鍛冶師、『武器嫌い』のシエルって呼んでるよ。

少し変だけど立派な“2つ名持ち”じゃないのさ。

ご先祖様の剣に負けたからってグジクジしてさ。

それがなんだい!

シノギ一族で、2番目の鍛冶師に成っただけじゃないか。

素晴らしい事だよ、胸をお張りよ!」


 ここまでまくし立てたお母さんは、腰を屈めお父さんの鼻を指さした。


「子供の性別は、アンが女なのは、あんただけの問題じゃない。

子供が他に産まれなかったのもそうさ。

あたしにも問題は有るんだよ。

それを馬鹿みたいに1人で抱え込んでさ…。

あんたが謝ることはないし、アンはあたし達の大事な娘なのには変わりない。

鍛冶師があんたの代で廃業したって良いじゃないか。

あの世に行ったら、あたしが一緒にご先祖様達に頭を下げたげるよ。

今はこの子の幸せを考えるのが私達の努めだよ」


 今度は両手でお父さんの血と涎と汗で汚れた襟首を掴み、無理矢理立たせる。


「それからね、アンに料理や大工やらをさせたのは、まあ、良しとしよう。

…だけど、武術をさせてたのは初耳だね。

 だからこの子は、人様をすぐ殴ったり蹴ったりしてたのかい?

 だったら、この子に友達がいないのは、半分あんたの責任だよ!」


 …そうなのだ。

 私は悪口や嫌味を言われると、殴ったり蹴ったりしてた。

 弁解する訳じゃないけど、私より小さな子や女の人、お年寄りには手は出していない。

 それに私の悪口や嫌味は無視してた、と思う…。

 でも、お父さんやお母さんの悪口や嫌味に対しては別。

 いい年コいた大人が、高慢で頑固で変わり者とはいえ、本人に何も言えずにその娘にグチグチ言ってる姿はみっともなかった。

 だから気の短い私は、お父さんに習った剣技や槍術や拳闘で、悪口を言った相手に殴りかかっていってた。

 その度にお母さんは傷だらけの私を引きずって、相手の家に謝りに行ってた。

 そんな事しても、私が相手を傷つけた事には変わりがない。

 そんな事が何回も起こった。

 だから私には友達がいなくなってしまった。

 村の男の人の殆どを傷つけるような暴力娘と、友達に成りたい奴はいなかったんだ。

 週に3日ある教会学校でも、いつも独りぼっちだった。


 お母さんのお説教はまだまだ続いている。


「いいかい、これからはアンの為にも、あたしの為にも、何より自分の為に村の人達には愛想良くしな。

人は1人じゃ生きていけない。

家族や村や町みたいな集まりがなきゃ駄目さ。

村に属してるんなら、村は家族と一緒だよ!

もう一度言うよ、人は1人じゃ生きてけないのさ!

解ったね!

解ったら返事しな!」


 真ん丸の目のまま、壊れたカラクリ人形のようにコクコク頷くお父さん。


「アン、あんたもだよ!」


 突然此方に向いた矛先に、目を白黒させながら私もコクコクと頷いた。

 お母さんは満足げに微笑むと、頭1つ分高い位置にあるお父さんの頭を抱え込んで、…その、……情熱的な…接吻…をした。


「愛してるよ、あんた♪

…さあ、ゲルンさんとこに行って事情を話すよ。

アン、簡単で良いから夕食の準備お願いね♪」


 唇にお父さんの血を付けたまま、お父さんの襟首と床に転がってた刀と剣を持って、風のようにお母さんは出て行った。

 呆気に取られた私は、呆然と見送ることしかできなかった。


 ――……色んな意味で、ごちそうさまでした……。






 その後の話し合いで、お父さんは司令官さんに兜と胸鎧を作る事になったらしい。

 司令官さんは隊の後で居るから、重装備は必要ないんだって。

 出来た兜と鎧は黒鉄色で、ルーサン国の紋章とリール砦を図案化したものが打ち出された、それはそれは見事な物だった。

 それらはゲルンさんの手でリール砦に納品された。

 聖王都まで名を届かせる名職人、シエル=シノギの作品を貰った司令官さんは大喜び。

 指令官さんの在任中の4年間、武器、防具、馬具の製造修理をシノギ村に出来るだけ発注するよう取り計らってくれたらしい。

 リール砦との取引は、鍛冶を生業とする3つ村の間で、4年毎に順番に担当すると決まっている。

 その年はシノギ村の順番じゃなかったのに、特例で仕事が沢山でた。

 村の職人達は突然の仕事に大忙しになり、皆は儲けられると大喜びだった。

 お父さんは武器はもう作らないと言って、武器の文献や資料を焼いちゃった。

 あんな晴れ晴れとした顔のお父さん、初めて見た。

 あと、後身の指導をすると、自分の培った技術を若い鍛冶師の皆に出来るだけ噛み砕いて説明をしだした。

 お母さんは前と変わりなく明るく過ごしてた。

 私には友達と呼んでいい知り合いが少し出来た。

 教会学校が少し楽しく感じることが出来るようになった。

 あの刀とシノギ家初代作の細剣は、お父さんが私にくれた。

 売るなり潰すなり好きにしろ、だって。

 そんな凄い刀と剣を売ったり潰したりしたら申し訳ないので、何かの役に立つかもしれないからベットの下に放り込んどいた。


 次の年の祭の準備の会合で、豊穣祭には『鍋比べ』をしようとお父さんが発案した。

 料理上手なトレシア叔母さんを始めとする村の女衆に、同じ料理を同じ課程で各々の鍛冶師の作った鍋で調理してもらって、出来た料理の味を競うという案だった。

 その案は採用され、その年の豊穣祭は大いに盛り上がった。

 『鍋比べ』は、村の皆の味見の結果、お父さんは3位になった。

 でも、お父さんは満足そうで、お母さんは凄く笑ってた。

 それまでの事を考えると、ビックリするくらい幸せな1年だった。

 …でも、それはすぐに終わってしまうことになる。


 その年の豊穣祭の終わった次の日、二日酔いのお父さんと元気に手を振るお母さんを乗せた馬車を含んだ納品と買い出しの馬車の隊列は、リール砦に向かった。

 私の誕生日までには帰るからねと私の頭をグリグリと撫でてから出かけていった。

 …生きてるお母さんを見たのはそれが最後だった…。

 私の誕生日から3日後、お父さんは物言わぬ骸となったお母さんを納めた棺と共に帰ってきた。

 お父さんは帰って来るなり現実を受け入れられず呆然としている私を余所に、何も言わず仕事場に入って行った。

 赤く目を腫らしたまま、泣きながら鋼の螺旋の墓標を打って打って打ち続けてた。

 次の日、ルルド教主様の祈りの中、一晩で仕上げたそれをお母さんのお墓に突き立てたお父さん。

 真っ赤な真っ赤な目で墓標をずっと見つめてた。

 お父さんは黙ったまま、もう泣いていなかった。

 やっと現実を理解した私はずっと泣きっぱなしだった。


 その日からお父さんは、1年前のお父さんに戻った。

 …いや、もっと酷くなったと言っていい。

 口から出る言葉は刺々しく村の人達を傷つけ、弔問に来る人を見下したような態度で接していた。

 朝昼晩構わずお酒を浴びるように呑んで、体からは何時もお酒の匂いがしてた。

 私は何度も何度も、意味なく打たれた。

 何回も何回も、村の人達と揉め事を起こした。

 最初は同情してた村の人達も、段々シノギの家に近づかなくなり、次の月になるとお父さんを厄介者扱いしだした。


 お母さんが生前言っていた。


「信頼は、築くに長く崩すは短く」


 全くその通りだった。


 泣いてばかりでは駄目だと、せめて私の友達には解って貰うため、必死にお父さんの弁解をした。

 あんなのは本当のシエル=シノギじゃない、本当は優しいお父さんなんだ、お母さんが死んじゃって動揺してる、すぐに元に戻る、ってね。

 でも、弁解すればするほど空回り。

 私の友達だった子達も、厄介者の娘として私と距離を取り出した。


 ――また1人になっちゃった。


 いや、前はお母さんがいたから、今度こそ本当の独りぼっちだ。

 …お父さんを庇うんじゃなかった、と後悔した。

 でも、もう手遅れ。

 村で付き合いが出来るのは、お父さんの弟で木工職人のケーソン叔父さんとトレシア叔母さんの夫婦の家だけ。

 叔父さん家に出入りするのは、裏口からコッソリしてくれと頼まれたけど…。











 そこから3年の月日がたって、鹿肉と火酒を担いで階段を登ってるというわけ。


 今でもリール砦からの仕事は沢山あるけど、誰もお父さんのおかげなんて思ってないんだ。


 ――こんな窮屈で居ずらい村での生活は、何時まで続くんだろう?


 村を出て行こうという提案を、お父さんに一度だけした事があった。


「お母さんを放って置いて、何処に行くというんだ!」


 それで会話は終わり。

 …私は頬を1発打たれた。


 ――去年の命日忘れてたくせに…。


 でも、心の拠り所だったお母さんをあんな形で亡くしたんだ、自暴自棄になるお父さんの事も解るような気がする。


 偏屈で酒飲みなお父さんに殴られながら、村の人達からは煙たがられながら、私の一生はこの村で終わるのかな?

 お父さんを捨てて、私だけが新天地で新しい生活を始めるという選択もある。

 …お父さんに毒を盛って、殺しちゃおうと思った事さえある。

 …でもやっぱり家族だもん。

 そんな事、出来るわけがない。

 溜息を息継ぎの間に混ぜるという器用な事をしながら、364段を登り切った。

 すると、目の前に最近では珍しい光景が目に入った。

 人が10人程居たんだ。

 村の警備にゲルンさんが雇った傭兵かな?

 それともリール砦の傭兵?

 全員、見慣れない武装をした兵隊さんだった。


 ――階段下の馬留めには馬は居なかったけど、どうやって来たのかな?


 たぶん、お父さんの噂を聞いてやって来たお客さんだ。

 肩で息をしながら、ぺこりと頭を下げた。


「おい、そこの女。ここの娘か?」


 1番近くにいた男が声をかけてきた。

 よく見る鎧兜じゃない。

 鉄鍋みたいな兜をかぶり、膝丈まである変わった編み方の鎖帷子、短めで幅広の片手剣を腰に吊り、蛇の彫りの入った長柄の斧と円形の派手な大型の盾を背負ってた。

 近くで見ると、今まで見たことのない武装なのが改めて解った。

 どこか別の国の傭兵さんかな?

 その割には、アフラルン語が流暢だな…。


「…はぁ、はい、…はぁ、そうです、…はぁ、けど…」


 何だかニヤニヤしてる男に返事を返した。


「親父さんが中で待ってるぜ、早く入りな」


 お父さんが待ってる?

 来客中じゃないの?

 考えている内に男に両肩を掴まれ、家の中に押し込まれちゃった。


「族長、その鍛冶師の娘がいました」


 私は家の中の状況を見て言葉を失った。

 …家の中はとんでもない事になってた。

 部屋は滅茶苦茶に荒らされ、何人かの男が立ってた。

 お父さんもその中の1人だった。

 お父さんの首には、初めて見る素材で出来た黒い刀身の大剣が突きつけられていた。


「おう♪

それは話が早いね♪

良い仕事だ、ルビル。

引き続き外を見張ってな♪」


 お父さんの首に大剣を突きつけた男が答える。

 この言葉の軽い、金髪と金の髭、胸鎧を着けた30代の男がこいつ等の首領らしい。


 あれ?

 この首領の着けてる胸鎧、どっかで見た事があるような?


 …?


 ……?


 ………あーっ!

 4年前にリール砦の司令官さんに献上した胸鎧だ!

 胸のルーランの紋章が黒い革に覆われてたから解らなかった。


 私は言葉が出て来なくて、首領を指さして口をパクパクしてた。

 ルビルと呼ばれた男は首領の言葉に頷くと、また外に戻っていってた。

 部屋の中にはお父さんと首領以外に4人の男がいた。

 1人は狼の毛皮をスッポリ被った顔の見えない男。

 1人は熊の毛皮を腰に巻き付けた、上半身裸で黒髪黒髭の大男。

 後の2人は、両手のナイフをニヤニヤ眺めてる金髪の双子。


「このパクパクしてるの、お前の娘?」


 空いてる手で、私を指さす首領。


「…そうだ」


 首領の問いに、お父さんは苦々しい表情で頷いた。


「じゃあ、もう一度お願いするよ。

娘を殺されたくなければ、我々と来な♪

居ずらい土地を離れ、新天地で鍛冶しようぜ♪

親子共々、歓迎するよ♪」


「…断る」


 あっさり断るお父さん。


 ――私、…殺されたくないよ、お父さん…。


 お父さんと首領以外の男達の異様に輝く視線が、喜びに満ち溢れて私に向けられた。

 恐怖でその場から動けなくなり、顔の血の気が引く私。


「おい、お前等。

この娘の手足を押さえろ♪

膝と肘の所ね♪」


 ――楽しくない事を楽しそうに言うな、バカ首領!


「殺すんじゃないのかよ!」


「あー、殺さないのか?」


「「殺そう!」」


 非難の声を挙げる4人を見て、私は思った。


 ――チャンスだ!


 こんな時でも体に叩き込まれた動きは自然に出るらしい。

 次の瞬間、私は1番近い所に立っていた熊皮の男に向かって、倒れた棚とテーブルを飛び台にして飛び上がった。

 次の瞬間には異変に気付いて此方を向いた熊男の顔面に右足を叩き込んでた。

 だけど熊皮の男は何も無かったかの様に、私の右足首を捕まえる。


「…痛…」


 小さく呟きながら、万力のような力で私の足を掴む熊男。


 ――…何で何ともないのよ!?村の男達なら痛さで、のたうち回ってるはずなのに!?



 無駄な抵抗の後、私の手足は4人の男に押さえ付けられた。


「娘、動くと余計な所を斬るよ♪」


 薄ら笑いを浮かべながら、私に近ずく首領。


 ――いや、な、何を斬るの?


 恐怖に私の口の中がからからに乾く。

 お父さんが首領の後ろから掴みかかるけど、後ろ蹴りで敢え無く倒されたのが見えた。

 ニヤケた顔のまま、首領の剣が動いた。

 左足からの燃える様な痛みが、稲妻みたいに背骨を走った。

 …誰かが激しく叫んでるのが聞こえた。


 ……叫び声をあげてるのは私だった。


「あ゛っ、あ゛がぁっ!!」


 人の言葉になってない、私の言葉。

 斬り裂かれたのは私の左足首。

 白い筋、桃色の肉、白い骨。

 …そして一瞬遅れて吹き出す赤い血。

 吹き出す血流は私の鼓動に合わせ、強く、弱く、強く、弱く、吹き出していた。


「これで気が変わったかな?」


 嬉しげにお父さんに聞く首領。

 食器棚に突っ込んで座り込んだお父さんの顔が歪んでる。

 痛みと恐怖に震える私の体。


「おい、死なすなよ~。

血止めに膝下縛っとけ♪

じゃあ、次ね♪」


 首領の剣がまた動いた。

 今度は右足首が、皮1枚残して斬り裂かれた。


「ーー!!ー゛!!」


 もう声にすら成らない、私の叫び声。

 唯一動かせる首を左右に激しく振る。

 私は頭を左右に振ると、涙と涎と鼻水が飛んだ。

 家の床は私の血で染まってた。

 私を押さえてる4人は、ケラケラ声を出して笑ってた。


「ちょいと、慌てすぎたかな?

次は手の指を一本ずついこうかな♪」


 残虐な首領の言葉に、お父さんはついに口を開いた。


「止めろ!

行く…、行くから手を出すな!」


 心が折れてしまった、お父さんは了承の言葉を叫んでいた。。


「あらら、お楽しみはこれからなのに、以外にあっさりね♪

おーい、お前等、右足も縛っといてやれ。

血失いすぎで、死んじゃうよ♪」


 首領の葡萄色の瞳が嬉しそうに笑う。


「お前等、ずらかるよ♪

鍛冶師殿と娘さんをお連れしろ」


 4人に指示を出す首領の前に、立ち上がったお父さんが立ち塞がった。


「…娘は、…アンはここに置いていく。

お前等の国に着くまで、アンの命は保たない可能性が高い。

今来てるのは戦士だけで、治療魔法を使える奴はいないだろう?

だから、お前等の国に行くのは俺だけだ」


「それは駄目♪

あんたを働かせるには人質が必要だし、アンちゃん残して行ったら、俺等の事がアンちゃんの口からバレちゃうから」


 すぐ断る首領。


「俺はこの村の鼻つまみ物だ。

俺が居なくなれば、皆喜ぶだろう。

アンも村からは嫌われている。

アンの口からお前等の事を言っても、まともに聞く奴はいないはずだ。

例え信じても、証拠がなければ疑いの目はアンに向くだろう。

ここに来るまでにお前等が村の者に見られてなければ、俺が狂って娘を斬って失踪したと思われるだけだ。

どうせ、その辺の人間関係も調べはついてるだろう?」


「確かに、調べはついてるよ♪

あんた等は嫌われ者で、居なくなっても誰も悲しまない。

俺等はコッソリ来たから、誰にも見つかってない。

アンちゃん1人が騒いでも、誰も聞かないだろうね♪

でも人質いなくて、ちゃんと働くの?」


「アフラルンでも、ルメルタでも、グランでも、あんた等の信じる神でも、何でも誓う!

お前等の望む場所で、お前等の望む物を作る!

だから、お前もお前の信じる神に誓え!

アンにはこれ以上、手出しするなと誓え!」


「うーん…、確かにアンちゃんが死んだら、人質にはならないよね…。

生きてれば、カッサラいに来ればいいかな?

この足じゃ逃げれないよね。

しかし、住みにくい所に娘を置いてくなんて、あんたも鬼だね♪

…まあ、いいや。

我らが戦神、ガントルに誓う。

もうアンちゃんに手出ししない…。

これで良いかい?

じゃあ、行きますか、我らの国に♪

行くぞ、お前達。


 首領の言葉に、不満げながら我が家を出て行く4人の男達。


「何だよ、犯さねぇのかよ?」


「そうだよ、犯して殺そうぜ」


「神なんか無視して殺しちゃえば?」


「あー、族長、変な所、義理堅い…」


 お父さんが私に駆け寄り、私の体を抱きあげた。


「大丈夫か!?

…すまない。俺のせいで、こんな目に会わせて、すまない…」


 お父さんは泣いてた。

 あのお父さんが、私を心配してくれてた。

 痛みか悲しみか嬉しいのか、何なのか解らない涙が、私の目から溢れた。


「…お父さん…」


 やっと出た言葉はそれだけ。

 他の言葉は、激痛に震える体が邪魔して出てこなかった。


「奴等は、“氷の大地の民”だ。

お父さんはそこで奴等に武器を作らされる事になった。

…だがな、生きてれば会える事もあるはずだ。

死ぬんじゃないぞ」



 ――!


 ――薄々感ずいてはいたけど、こいつ等が“氷の大地の民”!


 ――こいつ等がお母さんの仇!


 私は涙でグシャグシャの顔で、ドア横の壁に寄りかかった首領を睨みつけた。

 首領は私の視線にも平然としていて、ニヤニヤしてた…。


「はい、そこ。

俺等の素性を言わないの。

アンちゃんを殺さないといけなくなるよ♪」


 慌てたお父さんは私を床に横たわらせると、私と首領の間に無言で立ちはだかった。


「はいはい、別れは済んだね♪

…行くよ、シエル=シノギ♪」


 扉の前に立って、首領がお父さんを呼ぶ。

 振り向きながらお父さんも首領について出て行った。

 …私は独りぼっちになってしまった。




 そこからが地獄だった。


 ――絶望している場合じゃない。


 ――お父さんの言いつけ通り、生きるんだ!


 両足の出血は縛られてるおかげで、もう止まってた。

 だけど痛みは無くならなかった。

 血も失いすぎた。

 私は気を失いそうになりながら、村へと這いずり続けた。






 どれくらいの時間が掛かったのだろうか?

既に辺りは真っ暗。

 汗と土埃まみれでケーソン叔父さんの家の扉を叩いた所で意識が無くなった。






 気がつくと、叔父さん家のベットの上。

 あの日から3日も過ぎていた。

 布団をめくって足を見ると、…両足とも膝下から無くなってた。

 血止めの布が強く縛り過ぎで、脛辺りまで壊疽を起こしてて、膝下から切断してこの状態にするのが限界だった、とルルド教主様に言われた。

 必死で“神の祈り”(傷口を塞ぐ回復魔法)をしてくれたのだろう。

 40過ぎの教主様が、50過ぎに見えるくらいヤツれて老けて見えた。

 力の限りで命を救って貰ったのだ。

本来なら、感謝の言葉を並べ立てても足りないんだろう。

 でも、私の口から出た言葉は1つ。


「…有り難う」


 具合を見に来てたルルド教主様と、その場にいた叔父さんは、顔を見合わせて変な顔してた。

 心から何かが抜け落ちてしまってた私は、教主様をボウッと見てた。

 そのままでは不便だろうと、叔父さんが義足を作ってくれる事になった。

 出来上がった義足は、お父さんの打った釘や鋼板を使ってて、服を着て靴を履いてしまえば義足なのが解らない素晴らしい物だった。

 お礼を言うべきなんだろう。

 でも、出た言葉は一言。


「…有り難う」


 叔父さんは少し嫌な顔をした後、ヒキツった笑顔で私を見てた。

 心のおかしくなった私は、義足を虚ろな目で眺めたまま。


 ゲルンさんからの知らせを受けて、リール砦から調査団がやって来た。

 私の聞き取りに当たった騎士さんの話によると、今年に入ってからリール砦は“氷の大地の民”には襲われてないのだそうだ。

 村の西や南から回ろうにも、海に面している所は険しい崖になってる。

 人が登るのは無理な高さ。

 上陸出来そうな所まで進むには、船乗り達を惑わして生気を吸うセイレーン達が住んでる“船乗りの墓場湾”を越えなきゃいけない。

 そんなのは絶対無理。

 通った人の話なんか聞いた事がない。

 東は黒き聖王都と聖剣の崖がある。

 奴等の団体が通るのは無理。

 北は神々の山脈。

 …論外。


 入り込む余地の無い所を、何処からか奴等はこの国に入って来た。

 今、その進入路の解明するのに、リール砦は大騒ぎらしい。

 私の覚えていた容姿から、首領の名前が解った。

 “氷の大地の民”の5族の1つ、リーグ族の族長アイオーン=シュグワルドとその一族の戦士達。

 族長のアイオーンは、『狂戦士』の2つ名を持ってる凄腕の戦士。


 ――凄腕の戦士ではあったけど…、あの性格は…。


 いくら時間を費やしても、村の皆や調査団が探しても、奴等の侵入した経路が解らなかった。

 調査団や村人の中からは、私やお父さんの狂言だという人まで出てくる始末。


 ――…お父さんの言ってたみたいになってきた。


 雲行きが怪しくなるのを、私は霞がかった意思のなかで見つめる事しかしなかった。


 私が尋問されそうになっているところに、猟師のジャックさんが“船乗りの墓場湾”の近くで、大勢の見慣れない足跡を確認したと飛び込んできた。

 それとジャックさんの手には、その場所に落ちていたと、お父さんの革ブーツが握られてた。


 ――お父さん、私に罪が架からないように、何とかしようとしたんだな…。


 調査団の人達は、ぼんやりと虚空を見つめる私を信じられなさそうに見てたけど、村人の何人かが、お父さんがそんな所に行った事がない事を証言してくれた。




 “船乗りの墓場湾”付近を監視する拠点を新たに建設する必要がある。


 出た結論はそれだけ。

 シノギ村や“船乗りの墓場湾”の近くに位置する村から、人や資材を出し合って、新しい砦の建設する段取りが始まった。


 お父さんを救おうといった声は、誰からも出なかった。

 そんな人の模様を、私は唯、虚ろな目で見ていた。

 その年は『剣比べ』の行われる年だった。

 こんな事の後で、しかも新しい砦の建設に忙しいながらも、ゲルンさんが押し切る形で祭は行われた。

 『剣比べ』はエリアスが1位になった。

 ホクホク顔で1位の剣を新しい司令官さんに献上してきたゲルンさんは、暗い顔して帰って来た。

 4年前からシノギ村がほぼ請け負っていた、武器、防具、馬具等の取引を他の村に取られたらしい。

 村人全員が、村長さんのせいじゃない、順番だよと慰めてた。

 私はその様子をぼんやりと眺めてた。


 季節が巡り、次の年の豊穣祭。

 トレシア叔母さんが歩く練習を手伝ってくれたからか、私は普通に出歩けるまでに回復してた。

 でも、私の心は壊れたまま。

 必要なことしか話さない。

 誰も私を見ない。

 私も誰も見ていない。

 生きたままの死体だった。

 この村では、もう私は空気みたいな存在。

 何時着替えたか解らない薄汚れた服、櫛を通していないボサボサの髪で、フラフラと祭の喧騒の中を歩いてた。


 突然、リュートを携えた吟遊詩人が声を掛けてきた。

 以前、お父さんが気に入ってリュートの鋼の弦を作ってあげた、旅の吟遊詩人のカシエさんだった。


「お久しぶりです、アンお嬢さん。

…全て聞きましたよ。

お母様の事、お気の毒に思います。

お父様の存命、祈っております。

…しかし、村の人達は、お父様の事、関心があまり無い様子。

…私は、それが残念でありません。

聞けば、助けの話も出ないとの事。

余りにも薄情な仕打ち。

…私に力があれば…。




……時にアンお嬢さん、こんな時、力が欲しいとは思いませんか?」


 虚ろな目の私は、唯、首を傾げた。


「…ちから?」


 カシエさんが言うには、聖王都ドゥマに“ある職人”が居る店がある。

 その職人は、神の御技を持つという。


 武器を作れば竜をも一撃で殺し、防具を作れば落ちてきた巨岩さえも跳ね返す。


 装身具を作れば、醜女が世紀の美女になり、宝飾品を作れば、誰もが時間の経つのを忘れて見惚れる。


 鍋を作れば、残飯が絢爛豪華な食べ物に変わり、皿を作れば、木石を乗せて出されても食欲をソソられて食べてしまう。

しかも、弱者には好んで力を与えてくれるらしい。

 カシエさんもリュートを作ってもらいたくて、探した事があるらしい。

 だけど、会う事さえ出来なかったんだって。


「…信じて目指すのは、アンお嬢さんの自由です。

あなたに音楽の神の加護を…」


 そう言うとカシエさんは、また祭の人混みの中に去って行った。


 太古の吟遊詩人の“歌”は、それを聞いた人の心に力という名の火を灯らせたと言う。

 古代の吟遊詩人の言葉には、魔力が宿っていたからだ。

 少なくとも、カシエさんの言葉には力があった。

 …カシエさんの言葉で、私の心に火が灯った。


 ――神の力を持つ職人なら、奴等を蹴散らし、お父さんを助ける事が出来る様な義足や武器を作ってもらえるかもしれない。


 ――幸いにも、今私は弱者と言える。


 ――元々お母さんの仇でもあるんだ、あんな奴等、殺しても構うもんか。


 ――いや、むしろ殺してやる、全員殺してやる!


 ――誰も何もしてくれないなら、自分でどうにかしてやる。


 ――私の全てを売り渡しても構うもんか。


 ――あとの事なんか構うもんか!


 ――どうにでもなれ!


 気付けば、私は家への階段を駆け上がっていた。

 走るのに慣れてなくて、義足との接点が痛む足を引きずりながら、家に飛び込んだ。

 すぐにしたのは、お母さんの衣装入れをひっくり返す事。

 目当ての乳白色の毛氈のマントを引きずり出し、羽織ってみた。

 脛までを覆う、フード付きの長いマント。


 ――巡礼者に見えるかな?


 旅に必要な物、木の実と干した果物を入れたライ麦の粉で練って焼いた保存食、塩味の干し肉、皮袋の水筒、小さな火打ち石、麻の布、小刀、…。


 ――色々足りない。


 ちょっと考えて、ベットの下から剣と刀を引きずり出した。

 少し考えてから、剣を手にした。

 刀は使った事がないから、旅に持って行くなら剣だ。

 また刀をベットの下に放り込んだ。


 ――次はお金。


 台所にある壷の中の1つを開けた。

 中身はお母さんのへそくり。

 お母さんが死んでから、我が家の収入が激減して結構使ったけど、まだ残ってたのを全部出した。

 1万リヤル金貨を10枚を両足の靴の隠しにねじ込んだ。

 残った1000リヤル銀貨、100リヤル銀貨、10リヤル銅貨をそれぞれ数十枚、皮袋に入れ首から下げた。

 さあ、旅の準備だ。

 家を飛び出し、階段を駆け下り、ケーソン叔父さんの家に飛び込んだ。

 叔父さんは、丁度家に居た。

 祭でお酒を呑んでたらしく、真っ赤になった顔で、私の格好に素っ頓狂な声をあげた。


「なっ、ななっ、何なんだい、アンちゃん?!

何処か行くのかい?!」


 慌てて出てきたから、毛氈のマントを羽織り、剣を握ったままだった。


「旅に出ます。

ドゥマに行ってきます」


 叔父さんは困った顔をして、酔った赤い目で私を見た。


「巡礼かい?

きっ、急には無理だ。

えっと…、兄貴の件が片付いてないし、通行証の符を村長に頼まないといけないし…。

アンちゃんを村から出すには、リール砦にも許可を貰わないと

…あっ」


 ――何、最後の“あっ”って?


 最初の2つ理由は解った。


 ――でも何で、私が旅をするのに砦の許可がいるの?


「おじさん、私に何か隠してません?」


 ワザと叔父さんに見えるように、剣の柄に手を掛けてみた。

 大きな溜息を吐く叔父さん。

 逃げ腰になりながら、渋々話してくれた。


「…村長には内緒にするように言われてたんだが…。

…アンちゃんは、まだ容疑者なんだよ。

“氷の大地の民”を引き入れた反逆者の容疑が掛かっている。

アンちゃんの話をそのまま鵜呑みにしたとしても、兄貴は敵に武器を作ってる反逆者になるんだよ。

…そう村長が言ってたんだ」


 …呆れた。

 税をちゃんと納めてる(収入はなくても納めてたんだから!)村の人間を護れなかった事を棚に上げて、捕虜にされた村人を反逆者扱いにするなんて、ゲルンさんには幻滅したわ。

 ――でも、何で秘密にしてるのかな?

 思い当たる事があるけど、まだ確信が持てないでいた。


 ――ゲルンさんに直接話した方が良さそうね。


 靴の隠しから金貨を1枚出すと、叔父さんに投げ渡した。

 反射的に受け取る叔父さん。


「叔父さん、それで巡礼の旅に必要そうな物、買っといて下さい」


「…はぁ」


 気の抜けた返事を背に受け、豊穣祭が行われてる広場に向かった。




 ゲルンさんはすぐ見つかった。

 広場の真ん中で禿頭をお酒で真っ赤にして、皆と談笑してた。

 近づいてくる私を無視しようとしたけど、様子の違う私に嫌な表情の顔を向けた。


「…何かね、アンちゃん。」


 静まり返ったゲルンさんの周り。

 皆が私が何を言うか、注目してるのを感じた。


「巡礼の旅に出たいんです。」


 皆に聞こえるように、大きな声で言ってやった。


「…巡礼だってよ」


「村から出て行くのかな?」


「巡礼なんだから、すぐ帰って来るよ」


「…あの子、いつもフラフラ歩いてて不気味だったのよね。

少しの間でも居なくなるなら、歓迎よ。」


「村長、許可するかな?」


「許可しない理由なんてあるのか?」


 周りはぼそぼそと、好き勝手な事を言ってる。

 周りの様子を見るに、やはり私が“氷の大地の民”を引き入れた容疑者となってるのを知ってる人はいなかった。


 ――やっぱり。


 この時、私の持ってた疑問が確信に変わった。

 ゲルンさんの顔が少し青ざめた。


「…アンちゃん、少し場所を変えて話をしよう。

わしの家ではどうかね?」


 頷く私。


 このゲルン(もう“さん”なんか付けない!)の選択は、私に幸運を、ゲルン一家に破滅をもたらす事になった。

 …でも、それは後の話。


 場所をゲルンの家の居間に移した。

 昔に一度、お父さんに連れられて入った事があったけど、明らかに昔より調度品が増えてる。


 ――儲かってるんだ。


 私は名工の娘に産まれたせいか、目利きの才能はある方だと自負してる。

 ざっと見渡しても、かなり高価な調度品が並んでた。


 ゲルンは若い頃に、この村にやって来た。

 まだ、リール砦との行き来が個人の馬車しかなかった時。

 ゲルンは馬や荷馬車を高値で買うと、村人達に言ったらしい。

 殆どの村人は、馬や馬車をゲルンに売った。

 だってゲルンが提示した金額が新品の馬と馬車とが買える金額だったから。

 村の人達が新しい馬と馬車を買う前に、ゲルンが沢山の馬と荷馬車で運送会社とリール砦までの乗合馬車定期便を作った。

 料金設定は法外に安く、皆が利用しやすいようにしていた。

 ゲルンが運送会社と定期便をやりだして、それまでが個人の行き来だけだったこともあり、物の流通がとても良くなって村は豊かになった。

 村の人達は新たに馬や荷馬車を買う気が無くなり、ゲルンから得たお金は日々の生活費や各々の仕事の設備になっていった。

 村の物流はゲルンがほぼ全てを取り仕切り、沢山の村人を味方に付けて彼はシノギ村の村長まで登り詰めた。


「凄く努力するか、悪い事しないとお金は貯まらない」


 生前のお母さんの言葉だ。

 極端な事をしないとお金は貯まらない、と言いたかったみたい。


 前の椅子に座るゲルンの様子を見てみた。

 私の動きに、いちいち反応してビクビクしている。


 ――これは悪い事してるよね…。


 私の直感。


「…巡礼をしたいそうだが、何故かね?」


 何も喋らない私に痺れを切らして、話しかけてくるゲルン。


「母の冥福と、父の無事を祈りたいんです。

いけませんか?」


 しれっと言ってやる。


「いけなくはないが…」


 口ごもるゲルン。


「では、通行証の符を出して下さい」


 街道沿いに幾つもある砦を通るには通行証の符が必要だ。

ゲルンの目を見ながら言ってみた。

 目がキョロキョロ泳いで怪しさ丸出しのゲルン。


「それは、その…。えー、なんだ…」


 ――…今かな。


「“氷の大地の民”を引き入れた容疑が私に架かってるから、すぐには通行証は出せないんですか?」


 驚いて目を見開いて私を見るゲルン。


 ――私に禿げたおっさんに見つめられて喜ぶ趣味はない。


「何で、そうなってるんですか?

仮にそうなってるにしても、皆には何故内緒なんですか?」


 私が詰め寄ると、下を向くゲルン。


 ――私には見当が付いてるんだから!


 畳み掛ける私。


「罪人の持ち物は、土地や家を含め、1度、国に召し上げられた後、罪人の所属してた集団の長、今回の場合はシノギ村の村長の貴方に二束三文で売り渡され、管理を任される」


 ギョッとした顔で私を見るゲルン。


「もしかして、私の家の坑道が目当て?

リール砦の司令官に何らかの働きかけをして罪人に仕立て上げ、何も知らない村の人達には内緒で捕縛。

その後に私を無実だと知っている村の人達には私から山を買って、他の街の療養施設に行かせたとか嘘を言って、気の弱いケーソンなら丸め込める…って感じですか?」



 ゲルンの次男のエリアスは、去年の『剣比べ』で1位になり、鍛冶師として独立した。

 工房は親父の金で、無駄に大きいのが出来た。

 従業員はシノギ村の人間を使わず、他の村の人ばかりを雇った。

 村から雇えば村全体が豊かになるのにと、叔父さんがボヤいてたんだ。

 でも、仕事を始める段になって材料の調達が上手くいかなくなったらしい。

 何でも、大量の鋼を欲しがってるんだそうだ。


 ――何を作ろうとしてるんだろう?


 村の製鉄師から鋼を買うと高く付く。

 鉄鉱石が必要な時に掘れる坑道は鉱山師や製鉄師によって手近な所では掘り尽くされている。

 それに新しく鉱山を掘るには莫大な金がかかる。

 金がかからずにすぐに使えて、持ち主をどうにか出来そうな坑道は?

 ゲルンは我が家の鉱山に目を付けたらしい。

 私達親子を犯罪者にしたら、シノギ家のテッコ山はゲルンの物になるはず。

 私達親子が無実と知っている村の皆を騙して、リール砦で内々に処刑すれば問題は無し。

 もしかして事情を知るケーソン叔父さんも処分するつもりでいたんじゃあないかな?


 ――この狢爺め!!



 …脂汗にまみれたゲルンが私を凝視する中、静かな時間が流れた。


 ――…だから、おっさんに見られる趣味は私にはないんだって。


「…だから、どうしたと言うんだね?

何も証拠はないぞ?

村長を侮辱した罪は重いぞ」


 ――…このおっさん、開き直りやがった。


 他にも後ろめたい事があるから皆に黙ってたはずだけど、それが解らないとゲルンを説き伏せる事は出来そうもない。


 ――どうしてやろう…この、狸親父…。


 いっそ力づくでと考えていたその時に幸運な事に、答えは向こうから飛び込んできた。

 ゲルンと私が睨み合う中、ゲルンの家の裏口の扉の開く音がした。


「親父~、居るか~。

リール砦とマウリ砦の上級仕官用の鎧出来たぞー。

祭に隠れて作ったかいがあったぜ~。

鋼さえ有れば、すぐに量産にかかれるぜ。

見ろよ~、ほらーっ……って、えぇ―!?」


 私が居間に居るのに驚くエリアス。

 手には大きな布に包まれた物。

 素早く立ち上がり、固まったままのエリアスから布を奪った。

 中身は、黒鉄色の胸鎧。

 ルーサンの紋章とお父さんが過去にリール砦の司令官さんに献上した鎧に付いてた砦を図案化した時のソックリの図案が打ち出してあった。


 ――図案までパクられた!


 リール砦との取引は、1年前に別の鍛冶を生業とする村が取っていったはず。

 すぐにでも量産するみたいだから、次回の取引に向けた試作品でもない。

 という事は、新しい司令官さんからも鍛冶仕事を頼まれているんだろう。

 ついでにもうすぐ完成する“船乗りの墓場湾”の砦の仕事まで取っていたみたい。

 司令官が2人も続けて同じ村と取引する事は不公平性が強いので暗黙のルールで禁じられている。

 それを破ったという事は、交渉役の村長のゲルンが新しい指令官さんと裏取引をして、引き続きシノギ村に鍛冶仕事を出してくれるよう便宜を図って貰ったという事だ。

 しかも、村人には嘘を付いて、利益を独占しようという悪徳な計画付きで。

 これが村全体に仕事が回る様な裏取引なら、何の問題も無かったはず。

 暗黙のルールは皆が知ってるけど、殆ど文句は出なかっただろう。

 所詮、人は自分が可愛いし大事で、お金が好きなんだから…。


「どういう事でしょうか?

ご説明願えます?」


 ワザと丁寧に聞いてやった。

 私の抜きはなった細剣はエリアスの首筋に突きつけられている。


「…あー、そのー…」


「…いや、違うんだ…」


 ワタワタする親子。


「訳は聞かない。

皆にも言わない。

そのかわり、ゲルンさん、解りますよね?

貴方なら、砦の指令官さんに無理を言える。

そうでしょう?」


 あまり好きなやり方じゃないけど、取引を持ちかけた。


「…巡礼の旅に出れるようにすればいいんだな」


 …いや、そんな条件だけじゃ駄目。

 私達が犯罪者というのも気に食わない。

 聖王都に行ってる間の、我が家と坑道の維持管理もお願いしてやる。

 きちんと文章にしてアフラルン新教の宣誓文にしておかないと、この親子は信用できない。


 色々考え、ゲルン達に笑いかけた。

 私の笑みは、奴等には悪魔の笑いに見えただろう。


「他にも、色々提案があります。

さあ、話し合いましょう。

お座り下さい♪」


 ゲルンとエリアスは、青い顔で温和しく、そして居心地が悪そうに自分達の椅子に座った。






 結局、話し合いの元、アフラルン新教の宣誓文が2枚作られ、ゲルンと私の手に渡された。

 宣誓文用の紙を買いに来たゲルンと私を見て、ルルド教主は不思議な顔をしてた。

 私の分の宣誓文は旅の荷物には入れられないので、お父さんの仕事場の炉の中に隠した。

 私は旅の準備をしながら、リール砦からの知らせを待った。

 〔豊穣『バル』の月〕に入ってすぐの朝、砦からの知らせが入った。


「旅に出ていいそうだ」


 忌々しげなエリアスが、階段を登り告げに来た。


「そう、じゃあ出かけるわ」


 近所にお使いにでも出るように軽く答えてやった。

 旅の荷物を肩から提げ、剣を提げ、マントを羽織り、フードを目深に被る。

 家を出ると、裏の畑に回ってお母さんの墓標の前に立つ。


 ――お母さん、お父さんを助けて、2人で帰ってくるからね。


 ――お母さんの仇も取ってくるからね。


 そのまま出かけようと思ったけど、何かが心に引っかかった。

 少し考えてから、叔父さんの家に向かった。


 朝食の時間は過ぎてるけど、まだ叔父さんも叔母さんも家に居るはずだ。

 ノックすると、トレシア叔母さんが出た。

 訝しげな顔をする叔母さん。

 フードを取った。

 途端に輝く叔母さんの顔。


「あら、アンちゃん、おはよう。

…どうしたの、その格好?」


 叔母さんはお母さんの従姉妹だ。

 だからなのか、お母さんにどことなく似ている。


 頭を振って、要らない考えを追い出す。

 家から此処までに考えてきた言葉を並べる。


「巡礼に行きます。

帰って来れるか解りません。

1年経って帰って来なければ、家と土地は叔父さんにあげます。

旅の間の土地の管理は村長親子に任せてます。

お気遣い無く。

さようなら」


 クルリと回って歩き出そうとした。

 でも出来なかった。

 …叔母さんに後ろから抱きつかれたから。


「…待ちなさい、アンちゃん。

何だか知らないけど、唯の巡礼じゃないんだろう。

…気を付けて行っておいで。

旅先では出来るだけ、新鮮な生野菜を食べなさいね」


 頭に軽いキスをされた。


 お父さんが居なくなってから、私はもう本当に独りぼっちだと思ってた。

 誰も私の心配をする人なんかいないと思ってた。

 でも、違ったんだ。

 お母さんが死んでから、何かと叔母さんが食事の世話をしてくれてた。

 お父さんが死んで、足を無くした私を甲斐甲斐しく看護してくれたのも叔母さん。

 義足で歩く練習を影ながら見守ってくれてた。

 この1年、影ながら護ってくれてたんだ。

 私はまだ独りぼっちじゃなかったんだ。

 …もう1人の血縁の叔父さんは、義足を作ってから私を避けてたけどね…。

 …同じ肉親でも、えらい違いだね。


「…ありがとう、叔母さん。

行ってきます…」


 こうして、少し涙目の私は故郷を旅立った。


 設定等、気になることが有る方は、ネタバレにならない範囲で可能なかぎりお知らせさせて頂きます。

 希望があれば、ご一報下さい。

 誤字脱字もありましたら、教えていただければ幸いです。

 次回に生かせるよう、頑張ります。

 拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ