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神々の林檎を貫く螺旋の織りなす物語の始まり

お初にお目にかかります。

Hanzoと申します。

高校生の読書感想文以来の長文になります。

浅学のため、見苦しい所もありますが、宜しくお願いします。

遥か昔、激しい戦あり。

戦士と騎士の戦争。

戦士の軍は激しく流れ、騎士の軍を押し流さんとす。

突如激しい地の揺れ起こり大地が裂ける。

両雄、混迷に囚わる。

そのような中、騎士の王の剣が明星の如き輝きを放つ。

怖じ気付く戦士、勢い付く騎士。

ここに流れ逆流となる。

二度の逆流なく戦士の軍は追い払われ、騎士の軍は勝利の声を挙げる。


国興る礎、此所に有り。


 時は流れる。







 寒いながらも晴れ渡った秋の一日の終わりが近づき、茜色の太陽が雪を冠した北の山脈の西端の山の峰に真円の下端を触れさそうとしていた。

 夕日が背後から照らすことで灰色がかった色合いになった北の山脈の峰々からは、万年雪に覆われた険しい山肌より一滴の雪解け水が常に滴り落ちる。

溶け流れ出た水は悠久の時をかけて荒々しく削られた斜面を伝い降りながら流れを形成し、幾多の小川となっていく。小川達は冷たさを保ったままの澄んだ雪解け水を湛え、絹織物のように輝きながら苔むした岩肌が目立つようになった斜面を流れ落ちていくいる。

幾つもの流れが交わり合わさり、やがて小川は幾重にも連なり数多の川となった。既に周りは川周辺にしか岩肌が見えなくなり、天を貫こうとする針葉樹とその足元を覆う羊歯植物や分厚い苔植物の鬱蒼とした森へと姿を変えていた。

 その中で未だ激しく流れる川は、北の山脈の南側の裾野に広がる雄大な針葉樹の織りなす絨毯を、あるものは曲がりくねり、あるものはただ真っ直ぐに切り裂きながらながら南に向かって流れている。

 数多の川は進む度に同じ様な川を幾つも連ねていき、より大きく深く、湛える水の量も多くなり緩やかな流れへと変化していった。

 更に川の流れを辿っていくと、針葉樹の森の切れ目から東西に広がる広大な盆地まで続いていくのが見える。ついに数多の流れは此所に一つとなり、北の山脈より始まった水の流れが、あたかも一枚の木の葉の葉脈が軸に集まるようにごうごうと流れる河へと完結されていた。


だが水の流れはこれで完結ではなくまだ続く。


 盆地に出た河の流れは、激しく大地を削り南や西から流れ込む河と合わさり、大きな湖を創っていた。湖の西側、巨大な獣に申し訳なく寄生するダニか蚤のように一つの城と城下町が形成されているのが僅かにに見てとれた。

広大な自然の中、力強く活きる人の息吹が僅かに感じ取れる。だがそんな息吹も大事前の我が儘の中では吹けば飛ぶような綿毛ほどのものでしかない。それほどに此処等の自然は力強く、共存を望む生物には寛容だが切り開こうとする生物には容赦がないような慈愛と荒々しさを併せ持っていた。


 その大自然と少しの人工物に囲まれた湖からは、北側の険しい山脈とは形が違う、南に広がる広葉樹林に覆われた緩やかな山々に阻まれるように、東に大きく流れる向きを変えて盆地の真ん中を滔々と流れる大河が流れ出ていた。どうやら水の流出口はこの一ヶ所らしい。かなりの大河である。

 大河の水は雪解けて流れ出した滴の一滴と同様に刺すように冷たく、河幅が広く、水面のその濃い青色から推測できるようにかなりの深さがあるようだ。


 視線を僅かに東に向けると大河の北岸は北の山脈を背景とした未開の広大な草原とその向こうに霞掛かった針葉樹の森を望むだけだが、南岸の大河と広葉樹の山々に挟まれた平野には様々な作物が植わる農地が東西に見渡す限りに広がり、その中に村や砦や刈り残された森が幾つも点在しているのが見える。開拓という名の鎌で大自然より刈り取った収穫物と言える土地が広がっていた。

ここにきてやっと人間は、大自然より自分等の版図と言えるべき場所を作る事ができていると言えるだろう。


 その豊かな農地の中の農村や砦を繋ぐように東西に貫く白い糸があった。それは湖にへばりついていた城を貫き遥か西へ。東へは畑や森を縫い砦を繋ぎながら大河と並び走るように遥か彼方へ。


 地表に近付いて見るとそれは街道だった。白く焼き占められた煉瓦を敷き詰めた道。

 煉瓦の隙間から草等が生えるていないことから人々の往来は盛んであると伺え、割れたり欠けたりしている煉瓦がないことから頻繁に手入れされる重要な街道であると推測ができる。

 道幅は八頭引の大型馬車が悠々とすれ違える程広い。

 白いマント姿の巡礼者達、農具を担いだ農夫、牛や馬に様々な品物を満載した荷車、武器を持ち鎧を着た騎士や戦士の集団、色とりどりのマントに身を包んだ旅人達。

 日暮れ前という時間帯にも関わらず、街道の白煉瓦を踏みながら行き交う人々は多い。

 日暮れに伴い寒さをより強く感じる空気の中、街道に沿った大河を流れる水音に混じり、話声や笑い声や叫び声や怒号や家畜の鳴き声が飛び交っている。特に多いのが長期の旅装を思わせる大きな荷物を抱えた巡礼者と旅人。

 活気に満ちている人の流れの殆どは東に向かっていた。



 街道を辿った東の遙か彼方、何百デリータスも向こう、街道沿いの農村や砦を幾つも越えて、多くの人々が行き着く先。それは黒岩を積み上げた高く厚い塀だった。

 大河の南岸から南側の山々に届くまで、まるで全てを遮るようにそびえ立っている黒い岩の塀。

 茜色に染まる中で暖かい色合いで構成されていた木々や河や農地の続く大地に、突如現れた長大な黒い塀は圧倒的な存在感を示していた。人々はこれを『始王の御盾』と呼んでいた。この国において一番最初の建築物とされている。


 塀の西側、特に河沿いには、広大な農地を耕す農民達が住むであろう小さな家や家畜小屋が塀に寄り添う様にして、街道沿いには無かったかなりの大規模な農村落を形成していた。

 街道沿いの村や砦がそうであったように、夕飯の支度中なのか竈の煙が彼方此方の家から立ち上り、風の向きによっては何かの焼ける芳ばしい匂いが辺りにほんわりと漂う。

 塀の内側となる東側、そこには雄壮で巨大な都市が建設されており、都市の中心には太く高い塔が幾重にも建ち並ぶのが印象的な塀と同じ黒色の城がそびえ立っている。『始王の兜』と称されるこの国の第二の建築物、ドゥマ城である。

 城の塔の各々の先端には、下に行くほど窄まる金の螺旋と銀の剣が斜めに交差した図が刺繍された黒地の三角形の長い布が、北の山脈から吹いてきた寒風にユラユラとはためいていた。

 黒岩の城の北側と西側、特に河の水際の地区には石積みの豪奢で上品な邸宅や、美しい花や手入れの行き届いた植木で飾られた庭園がいくつも建ち並んでいる。

 水場に近い良い立地を望むアフラルン新教の寺院や貴族や豪商達の屋敷のようだ。

 その大きな邸宅や庭園や寺院を、小振りではあるが小綺麗な家が囲んで建っている。

 身分の高い者の家来、もしくは身分の低い貴族や寺院に仕える高僧達の住宅なのだろう。

 城の東側には粗末な木造の小さな建物が建ち並ぶ様子が目立つが、それは一般市民街のようだ。

 南側の日当たりが悪い区画には、押し込められるように雑多な木材やボロ布や石で作られた掘っ建て小屋の絨毯、所謂、貧民街が雑然と地面を埋め尽くしてる。

 さらに街の東側に目を向けると、町並みが切れて林や草原が点在する荒地が三デリータス四方にわたって広がり、その更に先では突然大地が遙か下まで落こんでしまっていた。

 まるで太古の伝説の巨人が、巨大な刃物を振るい斬り裂いたように長大な崖になっていたのだ。

 刃物の切り口の様な真っ直ぐな崖は南北に延びており、北は天高くそびえる遠くの山脈、南は盆地が途切れる南の山々の遥か向こうまで続いている。

 街の北側にあたる街道と農地に沿って流れていた大河は、黒い城塀と絢爛豪華な町並みと広大な荒野を舐めるように流れた後、雄大な滝に姿を変え、凄まじい轟音と共に夕日で紅に染まる崖下の海と見間違わんばかりの大湖に降り注いでいた。

 滝の飛沫が夕日に照らされ、淡い虹を描いている。

 崖から望む東側の遙か彼方、何とか目視で確認できる大湖の東の端に幾つもの大きな建造物が霞の中、茜色の夕日にキラリと光った。

 湖の北側には広大な常緑樹の樹海が、南側には草原や丘が広がり、その先には夕日で朱に染まる海が僅かに望めた。



 ここは城壁と大河と山と崖に囲まれた、東西五デリータスにも及ぶ巨大で堅牢な城塞都市ドゥマ。この国の首都にして最東端の都市である。

ここまでで疑問に思った方もいるかもしれない。最東端であるにも関わらず、何故東側に堅牢な城壁があるのか。

事実、この国は東西に長く東はこのドゥマ、西は大河の源流である湖のさらに西にある海にまで広がる大国である。

だが、それは後に語られる事。






 街道に面している『始王の盾』には一カ所だけ大木と黒鉄で出来た大門が内側に大きく開かれており、街道の人々の流れを次々に吸い込み、また人々の流れを吐き出していた。

 塀の上には弓と剣を携えた見張りの兵士が幾人も歩き回り、不測の事態を見逃さぬよう、警備の目を光らせていた。

 夕暮れに染まる都市の中では、それぞれの建物の周りに様々な格好の人々が、それぞれに忙しく動き回っている。

 何処も彼処も人々が溢れ、活気に満ちてガヤガヤと賑わい、豊かで平和な街の様相を呈していた。



 とある、“一部分”を除いては。



 その“一部分”の河の流れと城壁に面した200トトレス四方の一区画、埃舞う通に面した建物の前に、杖をついた小柄な人影が足を止めた。






 日の入りはまだ先のはずが、高い塀に阻まれて陰がかかるこの辺りはもうすでに薄暗く薄気味悪さが漂う。

 ただ薄暗いから薄気味悪いという訳ではない。

 というのも、周囲には、住人、商売人、警備の兵士、猫や犬すら見あたらず、異様なまでに静まり返っているからだ。

『始王の盾』から街を警備するはずの兵士でさえ、首に掛けたアフラルン新教のシンボルである銀の螺旋を握りながら怖々と覗き込では「幼子と年召した主神よ、我等を守りたまえ」と聖句を唱え、早々に覗かせた頭を引っ込めるの繰り返しである。

 この地区の踏み込んだ“余所者”を拒絶する妖気をはらんだ様な雰囲気は、太陽が沈む度に更に不気味さが増しているようであった。

 この人気の無い地区に踏み込んだ者は、事実件の小柄な人影も例外なく、理由のない後悔と恐怖に苛まれる。

 賑やな街中、しかも貴族や金持ちが多く住むドゥマ北西区画にあるとは思えない、まるで墓場の様な空気を持つ空間であった。






「ここがそうなのね…」


 呟きながら目深にフードを被った人影が、目の前の建物を先ほどからじっと見ている。

 声や背格好から推測すると若い女性のようだ。ただその容貌は深く被られたフードとマントに遮られ伺い知ることが出来ない。

 夕刻の一陣の冷たい風が彼女が着ている脛まである白い毛氈製の厚いマントをなびかせる。

 10人が見て、10人全てが巡礼者だろうと言うであろう白マント姿の小柄な女性。

 吹き抜ける風は冷たいはずが、巡礼者風の彼女の背中には冷や汗が幾筋も流れていた。

 この区画の持つ空気と、彼女の目的からくる緊張のせいである。

 彼女のマントやフードはよく見ると、埃や泥に汚れ、手にした杖の先の部分はかなりすり減っており、遠方からの旅路を経てきた事を感じさせた。


 収穫や麦蒔き、そして厳しい冬の準備に忙しい〔豊穣神『バル』の月〕が終わり、年末年始の聖祭に向けて賑わい出す〔老神『アフラ・シン』の月〕の季節の地方からの巡礼者が王都にやってくるのは珍しくはないのだが、場所が場所だけに巡礼目的ではない事が容易に想像出来る。

 ここは大陸西の大国ルーサンの首都『黒き聖王都』と賞されるドゥマの都、その恥部であり、王都の人々が皮肉を込めて「死街地」と呼ぶ無法地帯。

 巡礼の主な目的地である、アフラルン新教国家ルーサンの初代アサルト=ルーサン王の立像や、豪華な装飾の施されたルン・サン大聖堂は聖都西門の真正面に位置している。

 また、一般巡礼者用の宿泊施設や酒屋、賭博場、娼館等は東側の平民街に集中しているはずである。

 巡礼目的ならば、このような場所に足を踏み入れるどころか、間違えても近づきもしないだろう。

 と言うのも、彼女が七日前に西大門の検問を通る際、顔を合わせる役人全員が


「命惜しくば王都北西部には足を踏み入れぬように!」


と繰り返していたからである。

 更には彼女がこの区画に入る為には、何人もの兵士や、行くのを止めるよう言い寄る住人達を説得し振り切らなければならなかった。

 このような場所、女の巡礼者1人が来る理由も無いし、来たところでろくでもない事になるのは解っているはずである。

事実彼女は“ろくでもない事”に既に遭遇していた。

 目的の場所を探す彼女を人気がないこの区域で、刃物をチラつかせた2人組の男の強盗に襲われたのだから。

 ルーサン王国の革の軽鎧を着けていたことや、体の重心をおとした戦い慣れた立ち振る舞いから、強盗の2人ともが兵役経験者であることを物語っていた。

 前後を挟まれ金と持ち物を要求されたものの、幸いにも武術の心得があったのと道に迷った女巡礼者と見て油断してくれていたこともあり、2人共を意外にあっさりと撃退させることが出来た。

 埃まみれだが整然とした区画の中で目的の建物は、悪漢達に襲われた所からすぐ近くに在って、彼女は先程ここを見つけたところだった。


 先程の強盗の恐怖が今になって襲い掛かってきた彼女は、小刻みに震えながらも目的の建物に入る素振りも見せず、目の前の物を観察し続けている。

目の前の建物が目的の場所とは解っているものの、此所に入ることで先程以上の出来事が起こりそうな気がして踏ん切りがつかないのだ。




 過去は宿屋兼酒場だったのだろう、扉の上部の看板には風雨に晒され霞んでしまった茶色い字で、「酒と宿 白狼亭」と書かれているのが薄暗い中で何とか読みとれた。

 立派な外壁は白い石を削り隙間なく積み上げた素晴らしく手のかかった物だが、長年の土埃を放って置いたためか、本来の白さが殆ど見えなくなり全体が鼠色に、所々が黄色っぽいシミになってしまっている。

 一階の窓という窓には板が打ち付けられ、中の様子が見えなくされていた。

 人の住む気配が感じられない様子に、フードの中の彼女の顔が不安に曇る。

 鮮やかな緑で塗られていたらしいクスんだ緑色の扉は乱暴に蹴り開ける人物がいるらしく、足元付近の塗装が剥げて木目が見えてしまっていた。

 扉の周囲は茨を模した鉄製の鈍色の金具で装飾と補強をされている。

 見落としてしまいそうな何気ない細工物のようだが、よく見るとかなり精巧な技巧が施されており、腕の良い職人が手掛けた名品のようだった。

 観察を続ける彼女の目の高さより少し上位には、これも見事な細工の人の右手を模した金具に掛けられた土埃にまみれた白板の看板が、風に煽られ乾いた音を立てて揺れている。

 その看板には黒色の癖がある字でこう書かれていた。


〔『生』と『死』と老人と下僕共〕


 彼女にこの『店』を紹介してくれた北地区の上流階級層が足繁く通う酒場「妖花」の主人アロウネと名乗る妖艶な老女は、彼女の名前や目的を聞きもせずに「妖花」の中へ招き入れ、この店の場所を教えてくれた。

 今もその時の様子や言葉を彼女は鮮明に覚えている。






「支払わなければならない額は、5万や10万リヤルじゃ足りやしないよ。」


 今までの七日間が何であったのかと思うほどあっさりと店の場所を教えてくれたアロウネは、何故か嬉しそうに喋り出した。

 体に巻いた紫色の薄いショールのむこうに豊満な体の曲線が透けて見えていた。

 ショールの下に着た体に密着したショールと同じ紫色のドレスは、大きな谷間を描く胸元を惜しげもなく晒している。

 その下には、ふっくらとはしているが括れもある悩ましい腰。

 腰骨辺りにまで入った大胆なスリットからは、年齢を感じさせない、いや年齢を経たからこその艶めかしい太股が見えた。

 組まれた足を逆に組み替える様は妖しく、もし話を聞いているのが男なら情欲の電撃が背中から脳髄へと駆け抜けていただろう。


「ただね、それを支払う以上の物を手に入れる事が出来るのは確かさ。」


 老女の声は低音でかなり掠れていた。

 だが、その掠れた声は彼女の妖艶さを損なうどころか、魅力を増しているように感じて、彼女はフードの奥で思わず唾を飲んだ。

 数々の男女達を手玉に取ってきたであろうその美しくも妖しい老女は、琥珀色の瞳を熱心に耳を傾ける巡礼者姿の彼女に向け、嬉しげに小さく鼻を慣らす。

 老女は怪しく輝く深紅の紅を指した唇で、七宝が施された優美な煙管をくわえ、爪に灯した小さな火で火をつけると大きく吸い込みゆっくりと紫煙を吐き出す。一部の人が使える初歩の火の魔法だ。

 その様はまるで故郷の村の老人達から語り聞いた童話の悪い魔女の様であり、また、年に数度村にやって来た吟遊詩人が吟う物語に聴いた上流階級の煙草を嗜む貴婦人の様でもあった。

 アロウネは妖しく艶めかしい唇の片側をくいっと引き上るように小さく微笑すると、顔に垂れてきた一房の白銀色の髪を軽く掻き揚げ言葉を繋いだ。


「ただし、あんたが“あの人達”に気に入られさえすればね」


 今から向かえば、日暮れの鐘までに目的の店に着ける事を彼女に伝えると、老女は彼女に興味を無くしたように颯爽と店の奥へと去って行った。






 机に残されていた老女の煙管の吸い口部分に付いた紅と共に思い出される最後の一言が、彼女に目的の建物へ入る事を躊躇させていた。


「『気に入られさえすればね』か…」


 彼女はアロウネに言われた言葉を繰り返し、ただそこに立ちすくんでしまっていた。

 遙々王都にやって来たこの七日の内に、昼間はありとあらゆる職人の店や工房、はては裏通りの情報屋と名乗る輩の元を訪れ、夜間は寝る間も惜しんで、眉唾物の情報と怪しい人達と怒号が渦巻く盛り場を廻り、ある店とある人物の噂を追いかけてきた。

 ここが彼女の探す噂の店でなければ、何の後ろ盾もない彼女の集めた数少ない情報は底を衝いてしまう。

 だからこんな危険な所まで来たのに、入る決心が付かないでいる自分がいる。

 戸惑う彼女をあざ笑うかのように、負の意識が増長し彼女の心を埋めていく。


『そんな店ねぇよ。俺に喧嘩を売ってるのかい、嬢ちゃん』


 聖都に来て一番最初の鍛冶屋に尋ねた時に言われた素っ気ない言葉。


『ただし、あんたが“あの人達”に気に入られさえすればね』


 アロウネの言葉が耳に残る。


“あの時”の父の顔が脳裏に浮かぶ。


 この地区の、この建物の持つ雰囲気が恐ろしい。

 今もまだ背中には冷や汗が流れる。さっきからの震えもまだ収まらない。


 村を旅出つ時に村長から言われた言葉が頭を過ぎる。


『今のおまえには、もう無理だ。諦めるのがお前の幸せのためだ』


 彼女は自分の中の否定的な自分に負けぬよう、自分を叱咤激励する。


 何をそんなに躊躇するのか?


 今の自分に失う物など、命以外に何も無い!


 村を出るとき、母の螺旋を描く墓標の前で誓ったではないか!


 マントの下に帯びた父から貰った細剣の柄頭をいつも癖でぐっと握る。




 その時、王都中央に座するドゥマ城の幾つもの塔より重厚な音色が響いてきた。

 荘厳な何十もの鐘の音色が黒い城塞都市を越え、北の山脈、南の山々、西の盆地、東の湖、四方に響きわたる。

 城の時告げからの日の入りを知らせる鐘の音である。

 彼女はその音に背中を押されるように、意を決して扉に未だ震える手をかけた。











 恐る恐る覗き込んだ室内は予想に反しかなり明るく、彼女は目を細める。


「開けたら入れ。入ったら閉めろ」


 不意に男の低く、良く通る声が室内に響いた。

 彼女は慌てて光溢れる室内に飛び込んだ。男の声には人を従わせる力がこもっていた。


「さて、ここに来たってことは望みがあるんだろう?お前の望みは何だ?」


 ようやく明るさに慣れてきた彼女の目が、言葉を放った人物を捕らえる。

 外観から想像もつかないような、大型のテーブルなら8組は充分に置ける純白に塗られた広い清潔なホール。

 そのガランとしたホールの真ん中に、一人の大柄な男が酒の大樽の上で背中を丸め右手で頬杖を突いて座っていた。

 家具らしき物は男が座る樽、天井から下がる異様に明るいシャンデリア以外には何も無く、男の後ろには三つの赤い扉があるだけのどこか現実離れした部屋。

 天井も壁も床も全て純白に覆われていた。

 彼女は目の前の男の詳細を観察する。

 まず目を引いたのは、彼の無造作に短く切られた髪の毛。

 日に焼けた赤銅の肌に映える銀髪が、天井からの明るい光にキラキラと輝いている。どう見ても目の前の男性は二十代後半から三十代前半。普通、人の髪の毛は金、茶、赤、黒。あんな風な銀髪になるのは年を経ていなければ不可能だ。

 次に目に付いたのが、左目に着けられた眼帯。

 そこら辺の目を負傷した兵士や傭兵がしているような、悪党が着けるような黒革製の物ではなく、頭の毛と同じ銀色に輝く金属製の微細な細工が施された物で、これまた銀色の細く編み上げた鎖によって男の左目に止められている。

 着ている物は濃紺に染色されたフェルト生地の長袖の上着。

 凄まじい筋肉に包まれているであろうぶ厚い体を少し右に傾いで、右足で支えた右腕で頬杖を突き、軽く握られた左手は左膝に肘を当てて両足の間にだらりとぶら下げている。

 下半身は履き古した艶の無い黒革らしき素材のダブついたズボンと、これまた黒革のゴツいブーツを履き、両足を左右に大きく開いて金属のタガがはまっている古木の樽の側面を踵で小突いている。

 粗造りながらも整っている顔立ちは不機嫌そうに歪み、その顔に付いている薄い灰色がかった切れ長の右目の瞳は彼女を真正面から睨みつけていた。


「おまえの望みは何だ?」


 男は再び同じ言葉を、先程よりも大きな声で室内に響かせた。

 若干怒気も含まれている。樽を蹴る踵の音も大きくなる。

 ただ観察に時を費やし立ち尽くしていた彼女は、乾いた唇を舌で湿らせ、思いが詰まった言葉を喉から押し出そうとした。

 とその瞬間、年寄りの嗄れたガラガラ声が彼女と男の間に割り込んできた。


「まあまあ、旦那。そんなに急かしちゃ、喋れるもんも喋れやしませんでの。…顔も怖いしの」


 オドケた調子の言葉と共に、男の陰から椅子を持った小柄な老人がひょっこりと現れた。まるで魔術。彼女は思わず半歩後退りした。

 皺くちゃの顔に伸ばし放題の白髭、そしてこれも伸ばし放題の白い髪の毛、それら全てを左右に振るよう体を揺らしながら彼女に1歩づつ近づいて来る。

 その仕草は道化な様を通り過ぎ、怪異さえ感じさせるものだった。

 脅えた彼女は知らず知らずの内に入ってきた扉の前まで後ずさっていた。

 彼女の背中に入ってきた扉が当たる。

 椅子を抱えた老人は、女の前まで来ると彼女の被ったままのフードの中を見上げ、垂れた栗色の目を皺に埋め込むように細め笑った。

 老人の風貌の割には腰が真っ直ぐに延びているのだか、身長は低く彼女の胸辺りまでしかない。

 小柄というよりも、まるで童話に出てくる小人のようだ。


「さあさ、お嬢ちゃん、ここは室内じゃの。

フードとマントを取ったほうがいいんだがの。

何だったら、両足の義足も取るかの?

かなりの長旅で義足に当たる所が擦れて痛いんじゃないかの?

何だったら、取るのを手伝おうかの?」


 彼女は声に成らない驚きを発した。

 この1月の旅の間というもの、足が不自由と言われる事は何度があったものの、ここまでの短時間の間に両足を義足と見破られた事は無かった。

 この老人の観察眼は、まるで道を極めた武芸者か卓越した職人ではないか。

 それに老人は職人が作業時に付けるような皮の前掛けをしているし、椅子を持つその手は職人独特のゴツゴツしたぶ厚い手をしている。


「あ゛あっ、あの!」


 彼女がドモリながら老人に話しかけた。

 老人は玩具のようにカクンと首を傾げる。


「この店の職人の方ですか?!」


「そうじゃがの?」


 彼女は問い、老人は簡潔に答えた。

 彼女の顔が驚きと喜びに輝く。


 ――この人が伝説の職人さんだ!


 彼女の心を被っていた疑問や不安や後悔は粉微塵に吹き飛んだ。


 ――法螺話ではなく、実在した!


 溢れ出す安堵と嬉しさにその場に座り込みながら、女は涙混じりの懇願を吐き出した。


「私、アンといいます!ルーサンの西の端のシノギ村から来ました!お、お願い、です!私に、あ、足を!け、剣を振れ、る足を!おね、がいし、ますぅ…」


 彼女の語尾は目的の人物にやっと会えた安心から最後は嗚咽となってしまい、後は室内に啜り泣く声を響かせるだけになってしまった。

 彼女の座り込んだ床には涙と涎の水溜が出来る。

 沈黙よりも重い時間を破ったのは、律儀に椅子を抱えたままの老人だった。


「女の子が剣をの…。物騒な話じゃの…。

…アンさん、…申し訳ないんじゃがそれを決めるのは、あそこに座ってる銀髪の旦那で、あっしではないんでの。

あっしは、ここの雇われ職人のゼフトというただの爺じゃでの。込み入った事情がおありのようだの?

アンさんの願いが本物なら、あそこに座っとる『死』の旦那が何でも創ってくださるでの。

…ちょいと値は張るがの。

さあさ、涙を拭いて旦那の前に座ろうかの」


 ゼフトと名乗る爺は椅子を置くと、アンと名乗った女が立つのに手を貸す。

 次の瞬間、魔法のような手捌きでアンのフードとマントを取り去り、薄汚れた生地の上着とズボン姿にされてしまった。

 驚いて目を丸くするアンを尻目に、マントを小脇に抱え椅子を掴むと銀髪男の前までヒョコヒョコ歩いて行く。

 そして椅子を樽の前に置くと人が良さそうな笑いをうかべ、彼女に手招きをした。

 老人の背を見ると長く伸ばした白髪の先に緋色のリボンが三つほど結わえられており、それが老人の手招きに合わせてピョコピョコ揺れている。


 ――何だか毒気を抜かれてしまった。


 アンは今だ手招きを続ける老人に何故か安心感を覚えた。


 ――茶目っ気があるだけのお爺さんだったみたいだ。怪しい人と思ってしまった事は、後で謝罪しよう。


 アンは涙と鼻水と涎を袖口でゴシゴシと豪快に拭うと、自分に小さく喝をいれる。

 杖を突き足早にゼフト爺さんと銀髪の男に近づき、軽く一礼すると椅子に腰を降ろした。

 アンの動作に合わせて後頭部で赤と白の紐に結わえられた黒茶色の髪の毛が馬の尻尾の様にフワリフワリと揺れ、左腰の細剣の鞘が椅子に当たりガチャリと大きな音を立てた。


「用件は解った。剣を振るえる義足が欲しいんだな。

…で、誰を殺す?」


 それまで黙ってゼフト老人とアンの会話を聞いていた銀髪の『死』と呼ばれた男は、その不機嫌な表情を少しも崩すことなく物騒な事をサラリと言ってのけた。

 それもそのはず、アンと名乗った女の顔は凄まじい狂相を呈していた。

 少し太めだが形の良い眉を眉間に作った皺の方に寄せ、血走った目は疲労からか落ち窪み、目の下には盛大に隈が出来て、ソバカスが目立つ頬はげっそりと痩けて、厚めの唇はカサカサに乾き、真一文字に引き結ばれている。

 誰が見ても鬼気迫る表情と感じるだろう。凶事を起こそうとしているのは誰が見ても明らかだ。

 『死』という名の男の問いに、アンは困惑の表情を浮かべ斜め下に視線を落とすが、すぐに顔を真っ直ぐに向け右手で愛刀の柄頭をしっかり握った。


「最終的には殺そうとするかもしれません…。でも私は父の行方を知りたいだけなんです!

でも、それには剣が振るえるような、普通じゃない位に走れるような、そんな魔法の様な義足が必要なんです!

お願いします!

御代はいくら掛かっても構いません!…って言っても、用意できるお金は2000万リヤルがやっとですが…」


 『死』の顔に向けて必死の懇願の言葉を口にするも、語尾が尻切れになりアンは再び斜め下に目線を落とし下唇を強く噛んだ。

 ゼフト爺が『死』の横に立ったまま2人の顔を交互に見ている。

 『死』は頬杖をついたまま隻眼を瞑り考え込んでしまった。

 室内には『死』が踵で樽を小突く音だけが響く。


「この先の所で馬鹿の2人組を気絶させただろう?」


 突然の『死』からの質問にアンが翠の瞳を丸くする。


「…そうです。でも何故…?」


「知り合いに情報通いてね」


 『死』は意地悪な笑いを浮かべ直ぐに不機嫌な顔に戻る。


「あのチンピラ共、傭兵団から逃亡した脱走兵だ。

 田舎から一旗挙げようと出てきたが居辛くなって逃亡して、終いに懸賞金を掛けられて逃げ回っていたらしい。

最近、ここいらに居着いていた馬鹿どもだ。

田舎者の脱走兵といえど、軍の経験者ならそこそこに腕は立つ。

女のおまえがそんな奴等相手にあっさりとケリをつけた。

そうだろう?」


 アンは小さく頷く。

 『死』は瞼を開き、灰色の瞳でアンを睨む。


「ということは、おまえは十分に強い。

それだけ動けるなら新しい義足はいらん。

杖を突いているのも長旅で義足と触れている所が痛むから使っているだけで、万全の状態ならその腰の細剣振り回す位何の問題もないはずだ。

誰が作ったか知らんが、しっかりした良い義足だ。生活に支障はないし、並の相手なら剣では負けないだろう。

仇討ちか何だか知らんが、その義足で十分だ。

百歩譲って俺がおまえに魔法の義足を創ったとしよう。それを使って誰かを殺すかもしれないんだろ?

“かも”なんて言葉を付けて誤魔化そうが、殺すなんて言葉を簡単に使う奴は気に入らん」


 『死』は一気にまくし立てると、入り口を指さした。


「帰れ。そして二度と来るな」


 『死』の踵が樽を小突くのを止め、白い室内を静寂が包む。




「ねえ。『死』、話くらい聞いてあげたら?」


 突然、鈴を転がしたような美しい声が沈黙を破った。

 女性と思われる声が『死』の真後ろから聞こえた。


「あなたはどう思っているか知らないけど、私その子の事気に入ったわ。ゼフトもそうでしょう?」


 『死』は驚いた様子で目を丸くしている。

 そして不機嫌そうに歯噛みをすると、左手で頭をバリバリと音を立てて掻きむしる。


「…こりゃ、驚いたの。お嬢さんが…」


 ゼフト爺は何かを呟くと呆けたように女性の声のした方を見ている。


「久方ぶりに喋ったと思ったら…。ったく、うちの奴らはお人好しばかりだな …」


 『死』はさも忌々しげに顔を歪め、何かを小さく呟く。




 帰れと言わてしまい、望みが断たれた。

 望みを断たれた悲しさに何も出来ず、涙が溢れそうになった直後、予想もつかない場所からただならぬ様子の人物からの助け船がでた。

 希望が繋がったのを感じながらも、どうしてよいか解らずアンは涙で潤んだ目で『死』とゼフト爺を交互に見ていた。


「…解った。アンさん、話だけは聞いてやる。

…『生』、これでいいんだろ」


 『死』が苦虫を噛み潰した表情のままで、後ろを見ずにぼやく。


「ありがとう、『死』。…愛してるわ♪」


 『生』と呼ばれた女が、悪戯っぽい声で『死』に礼と愛の言葉を囁く。

 途端に『死』の浅黒い顔が真っ赤に染まり渋い顔をする。


「…さあ、アンさん、何故俺の作る義足が必要なのか、詳しく話せ」


 まだ赤いままの顔の『死』は、平静を取り繕いながらアンに話を促す。

 涙を拭ったアンは、また剣の柄頭をグッと握ると、不吉な名前の男と呆けたままの爺と姿が見えない女に、思い出すのも辛い話を始めた。


誤字脱字がありましたら、お手数ではありますが、お知らせいただければ幸いです。

あと、感想、苦情、苦言等、頂けると参考になり喜びます。


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