#6 輪郭
乗合馬車が、街道をゆっくりと進んでいく。
車輪の音が一定のリズムを刻み、揺れはあるが不思議と落ち着く。
アルスは、向かいの座席に座る二人をちらりと見た。
ルナは外を眺めながら、いつもより少し静かだ。
セレナは膝の上で手を組み、考え込むような表情をしている。
しばらく、誰も口を開かなかった。
沈黙に耐えかねたわけではない。
ただ、今はまだ、言葉を選ぶ時間が必要だった。
やがて、ルナが視線を戻す。
「ねえ、アルス」
責める調子ではなかった。
確認するような、慎重な声だ。
「さっきのことだけど。
話せる範囲で良いから、正直に聞かせて」
アルスは、頷く。
「一体、何をしたの?
登録試験の時にも同じことをしてたよね」
一瞬だけ言葉に詰まる。
あの時の光景が、脳裏をよぎった。
「……たぶん、同じだと思う」
二人の視線が、静かに集まる。
「ただ、どうやってやったのかと聞かれると……」
首を横に振った。
「説明が難しい。まだ確信できていなくて。
同じことを試して、うまくいったのは……
正直、あの時だけで」
セレナが、ゆっくりと頷いた。
「ゴブリンの時、試そうとしていたのはそれね」
ルナが、ふうっと息を吐いた。
「なるほどね。
じゃあ、スキルに心当たりは?」
「……スキルとしては、心当たりはない。
少なくとも、洗礼の時と、冒険者登録の時には何も」
「スキルとしては?」
セレナが促す。
「その場で……何かが定着した、みたいな感覚があって。
説明できるほどじゃないけど」
「なにそれ、余計に分からないわ!」
そう言って、ルナは笑った。
困ったようでいて、どこか楽しそうな笑みだった。
「ま、いいじゃない。
これからゆっくり確かめていけば」
セレナが、頷く。
「重要なのは、再現性がある可能性が高い、ということよ。
そして――本人が、それを自覚し始めていることも」
「使いこなせるようになれば」
ルナが、指を一本立てる。
「ランクアップは、早いと思う」
「まずは銅級ね。そこまで行けば、晴れて一人前よ!」
「後見人の役目も、早く終わりそうね。
……それはそれで寂しいけど」
冗談めいた口調でルナが言うと、隣でセレナが小さく笑った。
「焦らなくていいわ」
セレナが補足する。
「今日の時点で、十分すぎるほどの成果よ」
その言葉に、胸の奥で何かがほどけた。
馬車は、変わらぬ速さで街道を進んでいる。
だがアルスには、自分だけが一歩前に出たような感覚があった。
少し間を置いてから、アルスは思い出したように口を開いた。
「……そういえば。
ボアの件なんだけど、現地に置いて来ちゃって大丈夫だった?」
あれほどの魔物を倒してそのまま置いてきたことが、今さら気になってきた。
「ああ、それね」
ルナが、あっさりと答える。
「討伐証明は現地に残してきたわ。
《夜空》名義でね。危険度の高い個体だし!」
セレナが補足する。
「個人で解体や運搬をするものじゃないの。
後でギルドが回収に来るわ」
「……じゃあ、俺たちは?」
「帰って、報告して、今日は終わり」
ルナが指を折る。
「それ以上は、ギルドの仕事よ」
なるほど、と納得する。
冒険者の仕事は、倒すことだけではないのだと、改めて思う。
やがて、馬車は街門へと近づいていった。
***
ギルドに戻った瞬間、空気がわずかにざわついているのを感じた。
俺たちが残してきた討伐証明は、すでに回収班の目に触れているはずだ。
ノットセーフ山での異常事態となれば、報告が回るのも早い。
受付の前で、ひそひそと声が交わされている。
「……《夜空》が動いたらしい」
「山菜採取の依頼だろ?」
「それで、あの現場って……」
「鉄背猪だって聞いたぞ」
「は? あの辺りに出るはずないだろ」
声は小さいが、熱を帯びていた。
事実と推測が、すでに入り混じっている。
掲示板の前でも、似たようなやり取りが交わされている。
「《夜空》が単独で出張る案件じゃないはずだ」
「なのに、討伐済み……?」
誰もが確信を持って話しているわけではない。
だが、“何かおかしいことが起きた”という認識だけは、すでに共有されていた。
アルスは、無意識のうちに姿勢を正していた。
自分の名前は、まだ出ていない。
だが、視線がこちらに流れてくるのは分かる。
《夜空》の同行者として。
あるいは――
“想定外”の現場に居合わせた新人として。
「反応が早いわね」
ルナが、小さく肩をすくめる。
「銀級想定以上の案件、鉄背猪。
この単語が並んだ時点で、放っておかれるわけないでしょ」
「噂になる、というより」
セレナが淡々と続ける。
「共有された情報が、勝手に尾ひれを付けていくのよ」
アルスは、曖昧に頷いた。
自分の知らないところで、
自分の話が組み立てられていく。
戸惑いはある。
だが、それ以上に、落ち着かない高揚感があった。
評価される側に立つ。
期待される側に立つ。
前世では、ほとんど縁のなかった感覚だ。
気づけば、自分の立ち位置が、少し変わっている。
そんな実感が、じわりと広がっていた。
受付に並び、順番が回ってくる。
いつも通りの光景――のはずだった。
「《夜空》の依頼完了報告ですね」
受付嬢はそう言いながら、提出された書類と、ルナが差し出した包みへと視線を落とす。
中身を確認し、わずかに目を細めた。
「……鉄背猪の牙、ですね。
確かに、討伐の証明になります」
淡々とした声だったが、書類をめくる手つきが、ほんの一瞬だけ慎重になる。
「依頼内容は、山菜採取および周辺調査と警戒。
現地での想定外事態への対処……こちらで記録します」
視線が、アルスの方へ一度だけ向けられた。
「今回、後見を受けて同行されていた新人の方ですね」
「ええ」
ルナが頷く。
「アルスよ。初めての正式な依頼だったわ!」
受付嬢は小さく肯き、事務的な手順を進めていく。
「では、依頼は完了扱いとします。
報酬は規定通り、《夜空》名義で支給されます」
「……なお」
そこで、言葉を選ぶように一拍置いた。
「今回の件について、いくつか確認事項があります」
「そうでしょうね」
ルナは肩をすくめる。
「ノットセーフ山で、あの規模の魔物だもの」
受付嬢は苦笑を浮かべる。
「はい。手続きとして、どうしても」
そして、少し申し訳なさそうに続けた。
「鑑定士より、再調査の要請が出ています。
……三度目になりますが、念のため、という判断です」
アルスは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに頷いた。
「分かりました」
特別な感情は湧かなかった。
すでに二度、同じことをしている。
ただ――今回は、その理由がはっきり分かっている気がした。
「順番を調整しますので、少々お待ちください」
受付嬢がそう告げると、手続きを締めくくる。
その背後で、抑えた声がいくつか交わされた。
「……新人で?」
「《夜空》の後見付き、だろ」
「あいつ、確か……」
言葉が、途中で止まる。
「……空白の」
誰かが、そう呟いた。
***
鑑定室に通された時点で、これはただの再確認ではないのだと分かった。
簡易鑑定なら水晶で済む。
それでも今回は、正式な鑑定室と鑑定士が用意された。
――それだけ、扱いに慎重を要するということだ。
淡い光が満ちる室内で、鑑定士は無言のまま装置を起動させた。
符文が立ち上がり、アルスの周囲を巡る。
鑑定士の手が止まる。
「……あります」
短い一言。
「スキルの反応は、確かにあります。
でも、名前が表示されていません」
鑑定を続けるが、結果は変わらない。
系統も、効果も、数値も出てこない。
ただ、“存在している”という事実だけが、そこに残っていた。
「通常、スキルは定義と同時に名前を持ちます。
不完全でも、何かしら表示されるんです。
普通は洗礼の時に定義されるのだけど」
一拍。
「でもこれは……定義だけが存在して、名前が追いついていません」
鑑定士は、記録用の魔導書を開き、静かに筆を走らせながら続けた。
「現時点では、暫定扱いになります。
仮称は――《名無し》」
アルスは、その言葉を胸の中で反芻した。
アノニマス。
名を持たない、という名。
鑑定士は淡々と言う。
「すでにスキルの骨子は固まっているようです。
使われ、観測されることで定義の解像度が上がるのだと思われます」
「そうなれば、いずれ正式なスキル名が発現する可能性があります」
セレナが、静かに頷いた。
「通常、スキルは名称を意識して発動するものなの。
でも、《名無し》には、それがない。
だから、再現性が低かったのね。……納得だわ」
一拍置いて、ルナが首を傾げる。
「じゃあさ、名前が付けば、急に安定したりするの?」
「理屈の上では、あり得ます。
名称が完全になれば、発動も迷わなくなります」
「なにそれ」
ルナが笑う。
「じゃあ今は、名前が決まる前の状態ってこと?」
「そういうことになりますね」
鑑定士は淡々と肯定した。
ルナは少し考えてから、にかっと笑った。
「面白いじゃない。まだ途中、って感じでさ!」
その言葉に、場の空気がわずかに緩んだ。
***
夜の酒場は、笑い声と杯の音が混じり合い、暖かなざわめきが満ちている。
「ここよ、ここ」
ルナが迷いなく奥の席へ向かい、
空いていたテーブルに腰を下ろした。
「今日は軽めでいいわよね?」
「さすがに、飲みすぎる気分じゃないでしょ」
「ええ」
セレナも頷く。
「今日はまだ、教会への報告書が待っているから」
アルスもそれに倣い、席に着いた。
料理と飲み物が運ばれ、しばらくは他愛のない話が続く。
戦闘時の細かい注意点。
山菜の出来。
依頼主の癖。
そんな中、ふとアルスが気になっていたことを口にした。
「そういえば……一つ、聞いてもいいかな?」
ルナがグラスを傾けながら、ちらりとこちらを見る。
「なに? 今さら改まって」
「《夜空》って、パーティ名なんだけど。
それと……ルナの姓が同じで」
一瞬の沈黙。
次の瞬間――
「ははっ!」
ルナが吹き出した。
「あー、そこね。やっぱり気になるわよね!
そっか、まだ説明してなかったわね」
セレナが、静かにため息をつく。
「ええ。初対面の人には、だいたい聞かれるわ」
「やっぱり、気になるんですね……」
「パーティ登録の時ね、代表者の欄と、パーティ名の欄が並んでて」
ルナは、指で机の上をなぞる。
「疲れてたのよ、あの日。で、勢いで――」
「間違えて自分の姓を書いた」
セレナが、淡々と補足する。
「そう!」
ルナが指を鳴らす。
「気づいた時には、もう受理されてて。
変更するには、再申請と手数料と……手続きが、面倒だったの」
セレナが続ける。
「……ひどくない?」
ルナは笑う。
「完全に事故よ、事故」
アルスは、一瞬考えてから言った。
「でも、覚えやすいね」
「でしょ?」
ルナが胸を張る。
「結果オーライ!」
セレナも、わずかに口元を緩めた。
「今では、名前負けしない働きもできているしね」
場の空気が、ふっと和らぐ。
やがて、話題は自然と冒険者になった理由へと移っていった。
「アルスはさ」
ルナが何気なく聞く。
「どうして冒険者になったの?」
セレナも、静かに視線を向ける。
アルスは、一瞬だけ言葉を選び、そして、正直に答えた。
「強くなって……再会したい人がいるから」
「再会したい人?」
アルスは頷く。
「幼馴染で……今、勇者として修行していて」
その言葉に、ルナとセレナが同時に目を瞬いた。
「……勇者?」
ルナが、ゆっくり聞き返す。
セレナが続ける。
「それって、もしかして――」
ルナが、思い出したように言った。
「スカーレット公爵令嬢?」
アルスは、そこで初めて気づいた。
「……え? 公爵令嬢?」
その声には、驚きが半分、戸惑いが半分混じっていた。
スカーレット公爵家。
王国でも名を知らぬ者はいない大貴族。
軍や魔導の分野で発言力を持ち、“公爵”と聞けば、それだけで空気が変わる家だ。
その令嬢——リリア=フォン=スカーレット。
「そりゃ、すごいな……
何か訳アリな感じはしていたんだけど」
ぽつりと漏らすと、一拍置いて――
「え、幼馴染なの!?」
ルナが、思いきり身を乗り出した。
驚きのあまり、幼馴染と公爵令嬢が紐づいていなかったようだ。
「……すごいわね」
セレナも、珍しく目を瞬かせる。
「いや、ほら」
アルスは少し照れくさそうに言う。
「一緒に育っただけで……」
「それがもう十分すごいって!」
ルナが、笑いながらグラスを鳴らす。
「だって、今の勇者よ?
王国中が、次の世代の象徴として見てる存在」
セレナが、落ち着いた声で補足する。
「現在は、各地を巡って実戦訓練を重ねているはずよ。
魔物討伐だけじゃないわ。
将としての判断、民との折衝、同盟国との顔合わせ……」
「勇者って、忙しいんだね……」
アルスが思わず言うと、
「そりゃそうよ」
ルナが肩をすくめた。
「最終的には、国を背負って前線に立つんだから」
「本人の意思とは関係なく、期待も重たい」
セレナが静かに続ける。
「けれど、それを理解したうえで歩いている子よ」
アルスは、グラスを見下ろす。
(ああ……)
自分が知っているリリアは、いつも少し先を歩いていた。
今も、きっとそうなのだろう。
「でもさ」
ルナが、ふっと笑った。
「そんな子と再会するために強くなるって言えるなら」
アルスを見る。
「アルスも、なかなかの覚悟じゃない?」
「……自覚は、あまりないですけど」
「それでいいのよ」
セレナが微笑む。
「覚悟って、あとから追いつくものだから」
酒場の喧騒の中、話はまだ続いていく。
だがアルスの中では、幼馴染の姿が、少しだけ別の輪郭を持ち始めていた。
***
酒場を出るころには、夜もすっかり更けていた。
街の明かりを背に歩きながら、
アルスは、胸の奥に残る熱を感じていた。
名前のない力。
定まりきらない立ち位置。
それでも、確かに前へ進んでいる実感。
明日からも、きっと忙しくなる。
そう思いながら、夜空を見上げる。
――その翌日、
ただの護衛依頼が想定外の事態へと変わることを、
この時のアルスは、まだ知らなかった。




