#4 夜空
依頼された山菜を採取するため、俺と《夜空》の一行は、乗合馬車で街道を移動していた。
「改めて、あなたの後見役になる冒険者パーティ《夜空》よ!」
明るい声と、屈託のない笑顔。
肩まで伸びた髪を揺らしながら、彼女は胸を張る。
昨夜に見た顔よりも、ずっと幼く見えた。
布と革で仕立てられた、機能性を重視した装備。
腿の位置からは、短剣の鞘が覗いている。
「パーティリーダーで斥候の、ルナ=ノクティスよ! よろしくね!」
その明るさには作った感じがなく、自然と肩の力が抜けた。
「パーティメンバーで、修道女のセレナ=フィオレです」
ルナの隣に座る女性が、穏やかな声で続ける。
落ち着いた物腰で、表情には柔らかな余裕があった。
長く伸ばした髪は肩から腰のあたりまで丁寧に編まれ、最後にリボンでまとめている。
装備もまた、修道女らしい落ち着いた色合いだった。
「ご丁寧にありがとうございます。俺はアルス=アークスです」
「今日は一緒に行動することになるわ。よろしく、アルス君」
二人とも、想像していた“銀級冒険者”より、ずっと話しやすそうだった。
(……二人だけ?)
内心で首をかしげる。
銀級冒険者パーティといえば、もっと人数がいるものだと思っていた。
想像していた構成と比べると、どこか歪なバランスに見える。
その視線に気づいたのか、ルナがくすっと笑った。
「人数のこと、気になった?」
「よく言われるの。少ないって」
そう言って、ルナは軽く肩をすくめた。
「でもまあ、困ったことはないわよ。ね、セレナ」
「ええ。役割がはっきりしている分、やりやすいわ」
セレナはそう言って、静かに頷く。
「難易度の高い依頼なら、他のパーティと協力すればいいしね!」
そのやり取りを見て、アルスは思う。
この二人は、互いのことをよく理解している。
長く一緒にやってきた、そんな空気があった。
「じゃ、さっそく依頼の説明をするわね!」
ルナが気持ちを切り替えるように言った。
「今日の依頼は山菜採取。ついでに周辺の調査と警戒ってところかな」
「場所はノットセーフ山。
危険度は低めだけど、油断はしない。いつも通りね」
(……名前、あんまり安心できないな)
セレナが自然に補足する。
ルナはアルスの方を見て、にこっと笑った。
「アルスは周りを見ていてくれればいいわ。
今日は初めての依頼だから、まずは空気感を掴むのが目的よ。
でも、違和感があったら、すぐ教えてね」
「小さなことでも構わないわよ。判断は、私たちで引き取るから」
「絶対に危ない事はしないように!」
その言葉に、アルスは小さく頷いた。
守られる立場だということは、はっきりしている。
しかし、突き放されてもいない。
(……理想の上司だな)
胸の奥に、わずかな緊張と、それ以上の安心感が同時に芽生えていた。
***
乗合馬車を降りると、街道の印象が一気に変わった。
踏み固められた道を少し外れるだけで、空気の匂いが変わる。
「ここから少し歩くわよ」
ルナの先導で進むと、ほどなくして低い山並みが視界に入った。
切り立った険しさはないが、木々は密集し、ところどころ視界が遮られている。
「この辺りが目的地の、ノットセーフ山よ!」
ルナが軽い調子で言い、セレナがそれに頷く。
「足元に注意して、進みましょう」
山に分け入ると、すぐに目的の山菜が見つかった。
背丈の低い葉を、ルナが手際よく摘んでいく。
「ほら、アルス。これは根元からいっちゃダメ。
こう、葉を押さえて……そうそう」
指導がやけに丁寧だ。
「ルナ、昔からこういうの得意なのよ。
よく弟たちに、山遊びを教えていたわよね」
「ちょっと! 余計なこと言わないで!」
セレナの穏やかな指摘に、ルナがむっとした顔をする。
「勝手知ったる仲、ってやつかな」
俺が相槌をうつと、すぐに笑って誤魔化した。
「まあ、セレナとは長く一緒にやってるからね」
「そうね。出会ったころから数えると、もう十五年近くになるかしら」
「えっと、それって……」
「こら! 年齢を逆算しようとしてるわね!」
「アルス君には乙女の扱い方も教えてあげないと」
「……それは結構です」
そんなやり取りをしながらも、ルナの手は止まらない。
慣れた動きで山菜を摘み取り、籠に放り込んでいく。
セレナもまた、穏やかな表情のまま作業を続けていた。
からかい半分の冗談を交わしながらも、互いの動きは自然と噛み合っている。
「最初は、もっと人数がいたのよ」
「でも、色々あってね」
その一言だけで、続きを語る気がないことは分かった。
空気が重くなることはない。
ただ、長い時間を一緒に越えてきた者同士だけが持つ、静かな距離感がそこにあった。
***
和やかな空気の中で、山菜採取は順調に進んでいく。
俺も周囲を見渡しながら、言われた通り“空気感”を掴もうとしていた。
茂みの向こうで、枝が折れる音がした。
「……止まって」
ルナの声は低く、落ち着いている。
だが、それだけで十分だった。
一瞬で、場の温度が変わる。
次の瞬間、甲高い鳴き声とともに、魔物が姿を現す。
痩せた体躯、鋭い爪。見覚えのある醜い姿。
「ゴブリンね。三……いや、四体」
ルナが即座に数を把握し、短剣に手をかける。
「アルス、下がって!」
言われるより早く、ルナが前に出た。
短剣が閃き、最前列のゴブリンが悲鳴を上げる。
「セレナ!」
「ええ」
簡潔なやり取り。
詠唱は短く、祝詞の光がルナの動きをなぞる。
一体目が倒れ、二体目が距離を詰める。
だが、その動きは完全に読まれていた。
「今!」
ルナの一撃が、二体目を沈める。
(……速い)
アルスが息を呑んだ、その瞬間だった。
――昨日の光景が、脳裏をよぎる。
壁の向こうへ、魔物を吹き飛ばした、あの感覚。
確かに“何か”を掴んだはずの、あの一瞬。
(今なら……)
無意識のうちに、足が前に出ていた。
意識を集中する。
昨日と同じように――いや、同じ“つもり”で。
だが。
何も、起きない。
(……っ!?)
感覚が、まるで繋がらない。
焦りだけが先に立つ。
「アルス!」
ルナの声が飛ぶ。
その瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
心臓が、必要以上に強く脈打つ。
残っていたゴブリンが、こちらに気づいた。
醜い顔が歪み、武器を振り上げる。
間に割って入ったのは、ルナだった。
短剣が弾き、体勢を崩したゴブリンを、セレナの術が確実に仕留める。
残り一体も、同じだった。
数呼吸後。
森に、静けさが戻る。
「……アルス」
ルナが、ゆっくりと振り返った。
さっきまで戦場だったはずの場所に、もう緊張は残っていない。
それでも、その声だけは、はっきりと空気を切った。
怒っているわけではない。
だが、いつものように笑って流すつもりもない――
その境界線に立つ表情だった。
一拍置いて、セレナが一歩前に出る。
歩みは静かで、声も穏やかだ。
「今のは、いけないわ」
言葉は短いが、曖昧さはない。
「あなたを責めているわけじゃないの。
でも――危ないことはしないって、約束だったわよね」
責める調子ではなかった。
ただ、事実をそのまま告げているだけだ。
その淡々とした口調が、かえって胸に刺さった。
(……できると思った)
いや、正確には――
できる“気がした”だけだった。
昨日の再現など、どこにもなかった。
セレナの言葉が終わると、短い沈黙が落ちた。
アルスが何か言おうと口を開きかけた、その前に――
ルナが、ふうっと小さく息を吐いた。
「まあまあ、そんな顔しないで!」
そう言って、ルナは軽く肩を叩く。
「新人が一回も前に出ようとしなかったら、逆に心配になるって」
「……とはいえ、今のはダメ。そこは反省ね」
叱るような、でも突き放さない声だった。
セレナも、表情を少しだけ緩める。
責める空気は、もうなかった。
むしろ、二人とも“次”を見ているのが分かる。
「だからね」
ルナが、にっと笑う。
「焦らなくていいよ。できるようになるのは、もう少し先でいい。
その時が来るまで、私たちが前に立つからね!」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
(……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません)
反射的に、そう思ってしまうあたりが我ながら情けない。
評価を下げていないか。
信頼を損ねていないか。
そんなことばかりが、頭をよぎり、我がことながら滑稽に思えた。
(今世は、自分のペースで歩んでもいい……かな)
***
山菜の籠がそれなりに埋まったところで、撤収することになった。
「よし、こんなところかな!」
「十分ね。無理する理由もないわ」
ルナが明るく言い、セレナも頷く。
来た道を戻りながら、張り詰めていた空気は少しずつ解けていった。
「初仕事にしては上出来よ!」
「そうね。ちゃんと周りも見ていたし」
「き、恐縮です……」
二人の会話を聞きながら、アルスは一歩後ろを歩く。
先ほどの失敗が頭をよぎりつつも、言葉にされない配慮がありがたかった。
(……怒られなかったな)
そう思ってしまうあたり、やはり前世の癖が抜けきっていない。
森を抜け、少し開けた場所に差しかかった、そのときだった。
ルナの歩みが、すっと止まる。
「……静かすぎる」
その声は低く、穏やかだ。
だが、先ほどまでの和やかさは、そこにはなかった。
「え?」
セレナも足を止め、周囲に視線を走らせる。
鳥の声がしない。
風に揺れる葉擦れの音も、どこか遠い。
「アルス」
名前を呼ばれて、思わず背筋が伸びる。
「私の後ろに。離れないで」
冗談めいた口調は、もうない。
短剣にかけられたルナの手に、力が入るのが分かった。
「……来るわね」
セレナがそう告げた直後、
森の奥で、地面がわずかに沈んだ。
地面を踏みしめる、鈍く湿った音。
枝が折れ、下草が踏み荒らされる。
影が、動く。
森の奥から、巨体が姿を現した。
獣の形をしている。
だが、どこかおかしい。
背中から側面にかけて、皮膚が金属のように鈍く光っていた。
まるで分厚い装甲をそのまま生やしたかのような、歪な外殻。
木々の隙間を抜けるたび、幹が軋み、枝が押し折られていく。
「……鉄背猪」
ルナが、低く呟いた。
猪に似た体躯。
だが、通常のそれとは比べものにならないほど大きい。
頭部は低く構えられ、地面すれすれに突き出た牙が、鈍い光を帯びている。
一歩、踏み出す。
それだけで、足元の土が沈み、空気が揺れた。
力任せではない。
重さそのものが、脅威になっている。
「背面、完全に甲殻化してる。
……おかしいわね。この辺りに出る個体じゃないはずよ」
セレナが、冷静に観察する。
「刃じゃ通らない」
「しかも、あの体格であの脚力……厄介ね」
鉄背猪は、こちらを睨み据えたまま、低く鼻を鳴らした。
獲物を威嚇しているのか、それとも距離を測っているのか――
判断がつかない。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
(……正面から、止められる気がしない)
本能が、そう告げていた。
「……銀級想定、ではあるわね」
ルナが、視線を外さずに言った。
軽口は消え、声音だけが低くなる。
「でも――」
セレナが、静かに言葉を継ぐ。
「鉄背猪は、前衛殺しよ」
「どこを攻めても、短剣じゃ有効打にならないわ」
「正面に回り込んで、足を止めるのも厳しいわね」
ルナが短く息を吐く。
「私一人で相手するには、重すぎる」
セレナは一瞬だけ、アルスの位置を確認してから続けた。
「時間をかければ、こちらが削られる」
「長期戦は不利。……というより、勝ち筋がないわ」
ルナが、振り返らずに告げる。
「アルス、正直に言うわ」
「これは、私たちの構成じゃ――倒せない」
断言だった。
そこに迷いも、慢心もない。
鉄背猪が、森を揺らす咆哮を放った。
空気そのものが押し潰されるような圧が、肌を叩く。
分厚い装甲が、月明かりを鈍く弾いた。
――強いから、危険なのではない。
噛み合わないからこそ、致命的な相手だった。




