#3 希望と失意
修練場に喧噪が戻ったのは、教官の一声がきっかけだった。
「本日の登録試験は、これにて終了とする。
受験者はギルドに戻り、結果を待て」
ざわついていた空気が、ゆっくりと落ち着いていく。
人々はそれぞれに深呼吸をし、現実に引き戻されていった。
「銀級はこれより、魔物の捜索と回収に当たれ」
その指示に、周囲がざわつく。
——回収?
臨戦態勢を取っていた銀級冒険者たちは、短く応じると修練場の外へ散っていった。
先ほどまでの緊張が嘘だったかのように、修練場は“日常”へと戻っていった。
「……よく見えなかったけど、あなたがやったのかしら?」
すれ違いざま、誰かが独り言のように呟いた。
答えようとして、言葉が見つからない。
「《空白》のアルス。
ギルド到着次第、改めて鑑定を受けろ」
名ではなく、肩書で呼ばれる。
それが、今の俺の立場なのだと、否応なく理解させられた。
***
冒険者ギルドへ戻ると、すぐに職員から聞き取りが始まった。
「光ったと思ったら、ものすごい音と衝撃で……」
「気づいたら、魔物の姿が見えなくなってました」
志願者たちは口を揃えてそう語る。
だが、続けて別の者が言った。
「修練場の外壁が、ぶち抜かれてて……」
「その先の森、奥まで木が倒れてました」
——消えたんじゃない。
吹き飛ばされたのだ。
しかも、冗談みたいな距離まで。
俺自身も、同じ印象しか持てていなかった。
何をしたのか、分からない。
倒した感触も、手ごたえもない。
だが、結果として——
“目の前からいなくなった”。
それだけだ。
借りた盾の効果なのか、
魔物が勝手に爆ぜたのか、
あるいは、まったく別の何かなのか。
考えれば考えるほど、答えは遠ざかる。
そのとき、受付の方から声がかかった。
「アルスさん。事情は伺いました。
念のため、もう一度鑑定をお願いします」
差し出された水晶に手をかざす。
「……先ほどと変わらずですね」
受付嬢は淡々と結果を告げた。
「スキルは確認できませんでした。
ですが、試験の条件は満たしています」
小さく微笑み、続ける。
「アルスさんは、本日付けで冒険者登録となります。
黒鉄級のタグをお渡ししますね」
「あ、はい……。
正直、何が起こったのか、さっぱりで。
今になっても、まだ、頭がぼうっとしています。」
「こちらでも調査は続けていますが、現時点では分かりません」
それ以上、踏み込まれることはなかった。
「それと、宿の斡旋はいかがでしょう?」
「お願いします。
手持ちが少ないので、なるべく安いところだと助かります」
「ご安心ください。
新人冒険者には、しばらくギルドから助成が出る仕組みになっています」
「……福利厚生が、しっかりしているんですね。
さぞエンゲージメントが高いことでしょう」
「すみません、少し意味が分かりませんが」
受付嬢は困ったように笑い、地図を差し出した。
「今日はもう休んでください。
依頼は、明日から受けられます」
そうして、俺はギルドを後にした。
***
宿へ向かう道すがら、領都の空気を肌で感じる。
生前に暮らしていた街とは、まるで違う。
中世西洋風の建築が立ち並び、石畳の道を、豪奢な馬車が音を立てて通り過ぎていく。
点在する屋台からは、香ばしい匂いが漂ってきた。
——世界は、何事もなかったかのように動いている。
あの修練場で起きた出来事だけが、
俺の中で、まだ終わっていなかった。
案内された宿は、思っていたよりもずっと質素だった。
古い木造の建物。
軋む床。
だが、清掃は行き届いており、最低限の安心感はある。
受付で鍵を受け取り、二階の一室へ通された。
ベッドと小さな机、それから椅子が一脚。
荷物を置くには十分で、長居するには少し物足りない。
扉を閉め、深く息を吐いた。
——静かだ。
修練場の喧噪も、街のざわめきも、ここには届かない。
それなのに、頭の中だけが、やけにうるさい。
砕け散った盾。
空気を震わせた衝撃。
壁の向こうへ消えた魔物。
(……俺は、何をしたんだ?)
思い返そうとするほど、あの瞬間は指の間からこぼれていく。
確かに何かを掴んだはずなのに、輪郭だけがぼやけていく。
(これが……俺のスキルだとしたら)
胸の奥が、ほんのわずかに高鳴った。
嬉しい。
――けれど、その感情は長く続かなかった。
再現できる気が、まるでしない。
どうすれば、なぜか、説明すらできない。
(偶然だ。暴発しただけだ)
そう思った瞬間、現実が静かに戻ってくる。
再現できない力は、力とは呼べない。
今の自分が“弱い”という事実は、何一つ変わっていない。
ベッドに腰掛け、天井を仰ぐ。
そこには、さっきまでの奇跡の欠片すら残っていなかった。
しばらくそのまま過ごしたが、結局、立ち上がる。
気分転換でもしないと、思考が同じところを回り続けそうだった。
鍵を手に取り、部屋を出る。
「切り替えないと」
宿の扉を押し開けると、夜の空気が肌に触れた。
昼間の熱は引き、石畳はひんやりとしている。
魔導灯の淡い光が等間隔に並び、領都は静かな顔を見せていた。
俺は宿の前で立ち止まり、軽く伸びをした。
(深夜にエナドリを飲んだ時のような……妙な冴えがあるな)
転生前、夜に散歩をするのが好きだった。
仕事終わり、考え事をしながら歩く夜道は、頭を空っぽにするのにちょうどよかった。
時には、客先から数時間かけて、ただ黙って歩いて帰ったこともある。
――だからだろうか。
この世界でも、夜の空気に惹かれてしまうのは。
折角の領都の夜だ。
楽しまなければ、損だろう。
そう思いながら歩き出し、気づけば細い路地に入り込んでいた。
人通りはほとんどない。
酒場の喧騒も、ここまでは届かない。
「……そっちは行き止まりよ」
不意に、後ろから声をかけられた。
驚いて振り返ると、街灯の下に一人の女性が立っていた。
俺と同じくらいの年頃だろうか。
落ち着いた雰囲気で、夜の空気に自然と溶け込んでいる。
「あ、ええと……ありがとうございます?」
素直に礼を言うと、彼女は小さく頷いた。
「あなた……今日の登録試験、受けてたでしょ?」
それだけの一言。
「見られてましたか」
「うん。同じ時間に、修練場にいたから」
言われてみれば、確かにそうだ。
あの場にいた志願者の一人、というだけの話か。
「……あんなこと、あるんだね」
彼女は夜空を見上げるようにして、続けた。
「壁の向こう、森が一本の道みたいになってた」
「俺はもう、何が何だかでテンパってました」
「あの場にいた全員がそうなっていたわ」
「私はルナ」
名乗ってから、こちらを見る。
「《空白》のアルス。
本当に、スキルが無いの?」
「残念ながら、本当だよ。」
「……ふうん」
何かを測るような視線が、一瞬だけ向けられた。
「少し、歩きながら話さない?」
誘うというより、提案。
断る理由は、特に見当たらない。
俺は頷き、彼女の隣に並んで歩き出した。
夜の領都は思ったよりも賑やかだった。
店じまいの準備をする商人。
遅い時間の食事をとる人々。
昼間とは違う、生活の気配が街に残っている。
「……正直さ」
歩きながら、俺は口を開いた。
「まだ、頭が追いついてなくて。
試験で起きたことも、ギルドで言われたことも」
ルナは何も言わず、歩調を合わせてくれる。
「魔物に襲われて、ああ、殺されるなって思った瞬間があって」
あのときの感覚を思い出す。
ぞっとするほど、はっきりと。
「次の瞬間には、もう魔物はいなかった」
俺は、自分の手を見た。
「あの時、……何かに触れた気がしたんだ。
言葉とか、形とか、そういうのじゃなくて。
もっと、こう……結果だけが先にあった感じで」
言い終えてから、少し気恥ずかしくなる。
「変な話だよね。自分でも、そう思う。
言語化が難しいなあ」
「ううん」
ルナは、即座に否定した。
「変じゃないと思うよ」
それだけ言って、少し考える。
「説明できないことが起きた、ってだけでしょ。
世界のほうが、ちゃんと説明してくれないんだから」
その言い方が、妙に腑に落ちた。
「……そう言われると、楽になるよ」
「でしょ!」
彼女は、少しだけ笑った。
「少なくとも、あなたが“おかしくなった”わけじゃないわ」
胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりとほどけていく。
「ありがとう。
誰かに、そう言ってほしかったのかもしれない」
「たまたま、居合わせただけよ」
また、その言い方だ。
踏み込みすぎず、引きすぎもしない。
それが、今の俺にはありがたかった。
「明日から、どうするつもり?」
「冒険者として、やれることから……かな。
正直、戦うのはまだ怖いけどね」
「それでいいと思うわ」
ルナは即答した。
「生き残るのが、一番大事だからね!」
試験官と、同じことを言っているはずなのに。
不思議と、まるで違って聞こえた。
「そのうち、同じ依頼を受けることになるかもね」
宿の前まで戻ってきたところで、ルナは足を止めた。
「そうだね。その時はどうぞ、お手柔らかに」
「ええ。無理しない範囲で、ね!」
それだけ言って、ルナは夜の街へと溶けていった。
「どこの世界でも、同期って大切だな」
***
翌朝。
ギルドで依頼の確認を済ませていると、職員に呼び止められた。
「アルスさん。後見役制度の説明を受けていただけますか?」
「後見役……ですか?」
「新人冒険者には、一定期間、先輩パーティが付きます。
安全面の配慮と、育成を兼ねた制度です」
「なるほど、それはありがたいですね」
案内された先にいたのは、見覚えのある顔だった。
「……あ」
昨夜の女性——ルナ。
そして、その隣に立つもう一人。
「こちらが、アルスさんの後見役になります」
「銀級冒険者パーティ《夜空》よ!」
ルナは、何事もなかったかのように、元気よく言い放った。
「今日から、あなたの後見役を担当するわ!」
「え……新人、じゃ……」
「そんなこと、言わなかったでしょ?」
淡々とした返事だった。
「……た、確かに」
「あら、もう既にお知り合いでしたか」
ギルド職員が、少しだけ意外そうに言った。
「こちらが《夜空》のルナさんと、セレナさんです」
続けて、事務的に説明が始まる。
「後見役は新人冒険者と共に依頼に同行し、一人前になるまでサポートする制度です。
通常のパーティ加入とは異なり、銅級に昇格した時点で後見関係は解除されます。
その際、正式にパーティへ加入するか、独り立ちするかを話し合っていただきます」
「それにしても……」
思わず口を挟んだ。
「俺、スキルも無いですし。
正直、ご迷惑なんじゃ……」
「後見役には、ギルドから手当が支払われますので、ご安心ください」
(人財投資、手厚すぎないか……?)
「最初の依頼は、軽いものからにしましょう」
そう言って、ルナは依頼書を差し出す。
「おすすめはこれ。山菜採取よ!」
「……冒険者って、本当に山菜取りもするんですね」
「ええ」
彼女は、当たり前のことのように頷いた。
「生きるためなら、何でもするわ!」
俺は依頼書を受け取り、深く息を吐いた。
——まさか本当に、山菜取りから始まるとは。




