それぞれの戦場
個室の扉が閉められると、外の喧騒はぴたりと遮断された。
机を挟んで向かいに座るギルド職員は、静かに頭を下げる。
「この度はドラゴン討伐の件で、
討伐隊の支援と住民の避難誘導、大変助かりました。
ギルドを代表してお礼を申し上げます」
形式ばった挨拶のあと、職員は一度言葉を切った。
「正直、我々も混乱していて……噓か真か、判断し兼ねている部分も多いのですよ」
視線が、こちらを正面から捉える。
「申し訳ありませんが、あなたがたが今回、何をしたのか。順を追ってご説明いただけませんか」
「――念のため確認しますが」
職員は低く、はっきりと言った。
「本日の内容は、事実関係の整理だけでなく、今後の扱いを決めるための正式な記録にもなります」
その言葉に、部屋の空気がわずかに引き締まる。
ルナは肩を回しながら、わざとらしくため息をついた。
その仕草は、張り詰めた空気を意図的に緩めるものだった。
「ええ、私もそのつもりだけど……正直、色々あって疲れてて。
何か甘いものがあれば、記憶が鮮明になるかもしれないわ!」
「ごもっともです」
職員は小さくうなずいた。
「すぐに用意させますので、どうぞ話しやすいように」
「ありがとう!
それじゃあ――ダスキー男爵領で受けた依頼から説明するわね」
ルナはそう前置きしてから、淡々と語り始めた。
護衛依頼を受け、ミラ嬢と共にエメラルド領へ向かったこと。
その道中で、盗賊の襲撃を受けたこと。
盗賊が魔封じを用いていたこと。
そして――同一と思われる盗賊が、今回のドラゴン襲撃においても作戦を妨害していたこと。
ドラゴンは、ルナとセレナが行動を抑制。
止めを刺したのは、アルスだった。
そして何より。
ドラゴンスレイヤーと称されていた男が、全くのポンコツであったこと。
一通りの説明を終えると、職員はしばらく黙り込み、手元の記録に目を落とした。
やがて、静かに顔を上げる。
「……成程。そんなことが」
短く息を吐き、
「理解しました。改めて、大変な仕事を達成して下さり、ありがとうございました」
そう言ってから、事務的な口調に戻る。
「この件は本部に共有し、《夜空》のお二人への処遇を決めさせていただきます」
続けて、アルスの方へ視線を向けた。
「そしてアルスさん。貴方も黒鉄級を大きく超える働きをしたと認識しました。
処遇については、同じく本部の判断を仰ぐ形となります」
「報酬についてですが
――討伐隊の主力であったと見なし、相応の額をお支払いいたします。
のちほど《夜空》の金庫へ振り込ませていただきます」
さらに淡々と続ける。
「また、ドラゴンの素材は伯爵家で処理することとなっていましたが……
そちらについても、いくらかの褒賞を出していただけるよう、掛け合ってみましょう」
ちなみに金額は……。
質素に暮らせば、寿命が尽きる方が資金が尽きるよりも早い。
そう断言できる額だった。
「そして、ドラゴンスレイヤーさんですが……」
職員は一瞬言葉を探し、
「――いえ、もうドラゴンスレイヤーではありませんね」
声音が、わずかに冷える。
「彼は虚偽および数々の迷惑行為の報告により、冒険者の資格を剥奪。
さらには資産と装備を差し押さえられる処罰は、免れないでしょう」
「……あいつ、パトロンがいたと思うんだけど」
ルナが、何気ない調子で口を挟む。
「どこの貴族?」
「……ここだけの話にしてくださいよ」
職員は周囲を一度見回し、声を落とした。
「彼の背後関係は口止めされていますが……《夜空》は今回の被害者でもありますので」
一拍置いて。
「――ヴィオレット侯爵です。くれぐれも、内密に」
その名を聞いた瞬間、部屋の空気がわずかに重くなった気がした。
ただの事件ではない――そう、否応なく理解させられる。
ヴィオレット侯爵。
スカーレット公爵に次ぐ地位を持つ大貴族。
エメラルド伯爵は、スカーレット公爵の派閥に属している。
それは、屋敷で仕えていた使用人――シエラから聞いた話だった。
勇者を輩出したスカーレット公爵。
スカーレット公爵と同派閥のエメラルド伯爵。
エメラルド伯爵家の崩壊を狙った、ヴィオレット侯爵。
頭の中で、これまで点だった情報が線で結ばれていく。
貴族の関係図が、はっきりと形を成した気がした。
***
エメラルド伯爵邸では、到着と同時に手厚いもてなしが用意されていた。
だが、宴の準備に先立って語られたのは、勝利の話ではない。
ドラゴン襲撃によって失われた命。
守りきれなかった家屋や畑、そして、民。
伯爵は静かな口調でそれらを悼み、深く頭を下げた。
「多くの民を失いました。
それでも――領が滅びずに済んだのは、あなた方のおかげです」
そうして改めて、《夜空》に感謝の言葉が贈られる。
領地を守った英雄であること。
その功績に報いるため、多額の褒賞金が用意されていること。
さらに、今回の戦いで用いられた”魔封じの腕輪”と、”認識阻害のスカーフ”についても言及があった。
「これらの品は、伯爵家から《夜空》へ貸与しようと思う」
伯爵はそう前置きしてから、理由を語った。
「”下賜”としない理由について――道具を使って、万が一、何かが起きた時。
その責任を、私が、このエメラルド家が引き受けやすくするためです」
視線が、まっすぐに向けられる。
「だから君たちは、存分にその力を振るってほしい。
それが、領を守った者への、せめてもの願いです」
夜になると、領をあげての宴が開かれた。
《夜空》の二人はもちろん、アルスも英雄としてもてはやされ、杯を向けられ続ける。
笑顔で応じながらも、身体の奥に溜まった疲労は、隠しきれなかった。
しばらくして、アルスはそっと席を外し、庭へと出る。
夜風が、熱を帯びた頬を冷やしてくれた。
――色々、あったな。
そう思いながら、今日までの出来事を反芻していると、背後から声がかかる。
「こんなところにいらしたんですね」
振り返ると、ミラがいた。
宴の喧騒から少し離れた、静かな距離を保って立っている。
「本当に、ありがとうございました」
彼女はまっすぐに言った。
「私は、信じていました。
貴方は、この領にとっても――そして、私にとっても、英雄です」
少し間を置いてから、続ける。
「困ったことがあれば、力になります。
私にできる範囲で――ですが」
言葉は控えめだったが、そこに込められた誠実さは、はっきりと伝わった。
しばし、他愛のない会話が続く。
やがてミラは、アルスに問いかけた。
「……アルスさんは、冒険者として、
何を目指しているのですか?」
少し考えてから、正直に答える。
「勇者である幼馴染を、支えられるだけの役割をもつことです」
その言葉に、ミラは一瞬、言葉を失った。
驚いたように目を見開き、すぐに視線を伏せる。
「……そう、だったのですね」
短く息を整え、ゆっくりとうなずき、納得した様子だった。
「実は私も……遠からず。
魔術師として、勇者の支援に加わることになると思います」
その言葉を受け、アルスはすぐに返事ができなかった。
一拍置いてから、ゆっくりと息を整える。
「勇者の支援、ですか」
「ええ。これも、貴族の務めですわ」
「……幼馴染、の方とは、仲が良かったのですか?」
問われて、少しだけ苦笑する。
「仲は、良かったと思います。
でも……ずっと先に行かれてしまって。
今は必死に、背中を追っているところです」
言葉を探しながら、続ける。
「ライバル、というわけではないし。
支えたい相手、というのが一番近いかもしれません」
ミラはすぐには返事をせず、夜空を見上げた。
その横顔には、納得と、ほんの少しの寂しさが混じっている。
「……追いかける背中がある、というのは」
静かに、そう呟いて。
「きっと、幸せなことでもありますね」
その後、《夜空》の二人が庭に現れた。
「おーいアルス、こんなとこで何サボってんのよー!」
「酒も飲まずに抜け出すとは、後見役として説教をしなければなりませんね」
遠慮のない声に、空気が一気に緩む。
軽口を叩かれ、肩を叩かれながら、アルスは再び宴の輪へと引き戻された。
こうして、長い一日は終わりを迎える。
英雄としての夜は、賑やかに、そして少しだけ静かな余韻を残して、更けていった。
***
その後、アルスたちは数日間をエメラルド邸で過ごした。
戦いのあとの静かな時間だった。
ミラとは自然と顔を合わせる機会が増え、夜になると、短い時間だが寝る前に話をしに来てくれることもあった。
取り留めのない話ばかりだったが、不思議と居心地が良く、距離が縮んでいるのを感じられた。
日中は、《夜空》の二人と共に街へ出て買い物をしたり、依頼をこなしていた。
たまに騎士団の訓練に混ぜてもらったりもした。
剣の振り方、足運び、仲間との距離感。
実戦とは違うが、確実に“足りていないもの”を突きつけられる時間でもあった。
そんな日々の中、冒険者ギルドから呼び出しがかかる。
内容は――褒賞と、処遇について。
個室で向かい合ったギルド職員は、まず《夜空》の二人に視線を向けた。
「ルナさん、セレナさん。
今回の功績を鑑み、金級への昇格を認めます」
迷いのない宣告だった。
さらに、エメラルド伯爵からの推薦により、
“ドラゴンスレイヤー”の肩書も正式に与えられることになる。
「名実ともに、トップクラスの冒険者です。
今後の活躍にも、期待しています」
ルナは気にも留めない様子で頷き、セレナは静かに目を伏せた。
だが、その表情に戸惑いはない。
この場所に立つことを、当然の結果として受け止めている。
次に、視線がアルスへ向けられた。
「アルスさんについてですが……今回は、昇格を見送ります」
その言葉に、部屋の空気がわずかに揺れる。
理由は明確だった。
スキルの出力に対して、基礎が追いついていないこと。
極端にアンバランスな状態であり、このまま銅級に昇格させ、後見役を外すわけにはいかないこと。
「もうしばらく、《夜空》と共に依頼をこなしてください。
一人前と判断できた時点で、銅級への昇格を認めます」
一瞬、間を置いてから、続けられる。
「正直に言えば……今回の働きは、銀級への飛び級でも十分でした」
だが、いきなりの飛び級は周囲の反発を招く。
それを避けるため、まずは銅級。
そして、ほとぼりが冷め次第、速やかに銀級へ――。
そういう形で話は落ち着いた。
理不尽だとは思わなかった。
どこかで、自分でもわかっていたからだ。
そして、最後に告げられたのが――スキルについて。
「アルスさんのスキルですが。
今後は、出力を必要最小限まで絞れるよう、訓練をしてください。
やむを得ないことですが、ドラゴン討伐では複数の建物に被害を出しています。」
「……出力って、絞れるんですか?」
思わず、そう聞き返す。
「あれ、言ってなかったっけ?」
ルナが、あっけらかんとした調子で言った。
「絞れるわよ。
じゃなきゃ、山や街が更地になってるって」
冗談めかした口調だったが、その言葉は重かった。
確かに、あの一撃を無造作に使っていれば――被害は敵だけでは済まない。
攻撃対象のみ意識して力を振るっていたので、必然的に影響範囲が狭まっていたのだろう。
アルスは、静かにうなずく。
力があるだけでは、足りない。
だが――扱えるようになれば、その先がある。
致命撃の出力制御。
それが、アルスに課された当面の目標となった。
***
そこは、魔王軍と刃を交え続ける、終わりの見えない最前線。
剣が振るわれるたび、魔物が崩れ落ちていく。
一体、また一体。
数を数える意味は、もうなかった。
剣を振るう。
踏み込み、斬る。
それだけの動作を、リリアは淡々と繰り返していた。
剣を振るうたび、思考が削ぎ落とされていく。
迷いも、恐怖も、怒りさえも。
感情は摩耗し、やがて形を失っていく。
表情はない。
ただ、目の前の敵を屠るために身体が動いている。
――もう、三日三晩。
戦場に立ち続けているはずだった。
本来なら、心も身体も限界を迎えていてもおかしくない。
だが、疲労はなかった。
身に着けている”聖武具”と呼ばれる勇者の装備が、身体を支え、精神を静めているように感じられた。
心は、不思議なほど静かだった。
波立つことも、軋むこともなく。
ただ、凪いでいる。
「……敵が、引き始めました」
背後から声がかかる。
「先に戻って、次の準備をしましょう」
リリアは短くうなずき、聖剣を収めた。
刃が鞘に収まる音すら、どこか遠く感じられる。
前哨拠点に戻り、装備のメンテナンスを受ける。
剣身に付いた血を拭い、鎧の留め具を確かめる。
その最中だった。
「そういえば、聞きましたか」
同じパーティの一人が、何気ない調子で言った。
「スキル無しの少年が、ドラゴンを倒したらしいですよ」
その言葉に、リリアの手が止まる。
……スキル無し。
「空白のアルス、って呼ばれてるみたいです」
その名を聞いた瞬間、胸の奥で、何かが跳ねた。
長い間、沈黙していた場所が、確かに反応した。
リリアは、ゆっくりと顔を上げる。
「……アルス……」
かすれた声で、その名を呼ぶ。
その瞳に、久しく失われていた光が宿った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
このお話で、第1章は一区切りとなります。
少しでも「先が気になる」「面白い」と感じていただけたなら、
評価や感想をいただけると、とても励みになります。
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。




