討伐と顛末
少し前の話。
ミラの魔法が打ち消された、その瞬間だった。
隊列を一望できる建物の上――本来、人がいるはずのない場所に、怪しい人影があった。
「……魔法なんて、使わせるわけないだろ」
男は低く笑う。
その左腕には、鈍い光を放つ腕輪が嵌められていた。
「ここで伯爵令嬢もろとも殺せと、主は仰せだ……へへ」
「主っていうのは――誰のこと?」
不意に、背後から声がした。
「……え?」
振り向いた瞬間、左腕が熱を失った。
次の瞬間、床に転がる金属音。
視線を落とすと、そこには――魔封じの腕輪を嵌めたままの、自分の左腕があった。
理解した途端、遅れて激痛が全身を貫く。
「が、ぁああああああっ!!」
悲鳴と共に、男は膝をついた。
「術中でも油断したらだめでしょ」
いつの間にか、背後に立っていた女――ルナが、短剣を拭いながら言う。
「私みたいな《探知》持ちがいたら、“違和感”は隠せないわ
……まあ、このスキル持ちは私以外、知らないけど。」
切り落とされた腕を拾い上げ、顔をしかめる。
「……うげ、やっぱり気持ち悪いわね」
男は歯を食いしばり、血の気の失せた顔で睨みつける。
「それにしても――
あんた、盗賊にしては装備が良すぎるわ」
腕輪を確認しながら、続ける。
「“魔封じの腕輪”。
こんな高級品、どこで手に入れたのかな?」
「か、返しやがれ!」
隻腕の男は叫び、懐から短剣を抜いて投擲する。
「返すわけないでしょ」
ルナは半歩だけ動き、容易く回避する。
――だが。
短剣は、不自然な軌道を描いた。
空中でわずかに軌道を変え、ルナの横腹へと突き刺さる。
「……ぐっ」
血が床に滴る。
一瞬、ルナの表情が歪んだ。
「油断、その言葉――そっくり返すぜ」
男は静かに笑い、距離を詰める。
「冥途の土産に教えてやるよ」
「――“白金級”がいるってだけで、人は勝てると信じちまう」
ルナの瞳が、わずかに細くなる。
「あの女は、この場で仕留めなきゃならなくてな」
「ハリボテの冒険者を担ぎ上げ、勝利を確信させて死地に誘い出す。
そのまま、一気に叩き落とす」
「最高の絶望を味わわせたあと――
この街ごと、灰にするってわけだ。そそるだろ?」
「……どこの貴族の差し金よ」
「貴族?」
男は嗤った。
「お貴族様より、ずっと上だ。
お前らが想像するより、はるか高見にいる御方の意思だ」
男は短剣を握り直した。
「この舞台に立てたこと、あの世で自慢――」
「ほら」
ルナの声が重なる。
「また油断した」
次の瞬間。
男の動きが止まった。
彼は、自分の胸元を見下ろす。
そこには――ルナの短剣が、深々と突き刺さっていた。
「……な、ぜ……」
「“腕のいい暗殺者”だったって、あの世で自慢できるわね」
あのときルナを仕留めたはずの短剣は、かつて自分のものだった左腕に深々と突き刺さっていた。
そのまま、男は崩れ落ちた。
「“魔封じ”に、“認識阻害”……。
とんでもない支援者が付いてるわね。」
小さく息を吐く。
「さて、これでミラの魔法が使えるようになるから……作戦は仕切り直せそうね。
あとはあの男の剣がどれほどのものか、だけど……」
男の言葉を思い出す。
――ハリボテの冒険者。
「……もし、さっきの話が本当なら」
作戦には、致命的な穴が空く。
ルナは立ち上がり、戦場の方角を見る。
少し考え、目の前の骸が身に着けている赤褐色のスカーフを見て、にやりと笑った。
***
閃光が収まり、
轟音がようやく大地に吸い込まれていく。
戦場には、異様な静寂が落ちていた。
倒れ伏すドラゴン。
首から上を殴り飛ばされ、もはや動く気配すらない。
――あの一撃がなければ。
誰もが、口に出さずとも理解していた。
前衛は既に限界だった。
魔法も通らず、陣形は崩れかけ、指揮官は撤退を命じていた。
「……」
その“詰みかけた空気”の中、
ドラゴンの頭を殴り飛ばした張本人が、何事もなかったかのように歩いてくる。
「“認識阻害”と他のスキルは併用できない……か」
アルスは、自分の手を見下ろしながら言った。
「これじゃ、スキルを使うたびに姿が見えちゃうな」
「熟練者じゃないと難しいわね」
隣でルナが肩をすくめる。
「それにしても、予防策を仕込んでおいて正解だったわ」
そう言って、視線を向ける先。
――腰を抜かし、地面にへたり込んだままの金髪の男。
白金級冒険者。
“ドラゴンスレイヤー”。
「やっぱりあいつ……、
“自称”ドラゴンスレイヤーだったってことね」
ルナは冷めた声で言う。
「冒険者ギルドに通報しなきゃ!」
楽しそうに、付け足す。
「虚偽申告は重大な罪よ。
よりにもよって――ドラゴン討伐、なんて!
あー、楽しみで仕方ないわ!」
「ち、違う……!」
金髪の男が、必死に首を振る。
「俺は……俺は、たしかに……ドラゴンの卵を……!」
ルナは、そんな彼を見下ろし、くすりと笑った。
「続きは、ギルドで聞きましょうか」
ルナはここぞとばかりに、”自称”ドラゴンスレイヤーをからかっている。
その様子を横目で見ながら。
「また、助けられてしまいましたわ」
ミラが、アルスに向き直る。
「この御恩に、どう報いればよろしいのでしょうか」
アルスは慌てて手を振る。
「いやいや!
俺たちは、ただやれることをやっただけ。
大したことじゃないよ。」
「……ドラゴン討伐の立役者、ですのよ?」
ミラは少し声を強める。
「それを“大したことない”などと仰られては、
エメラルド家の沽券にかかわりますわ」
そこへ、遠くから様子を見守っていた指揮官が歩み寄ってくる。
「この度は、討伐に助力くださり感謝いたします」
深く、頭を下げる。
「正直に申し上げて――
あなた方がいなければ、全滅していたでしょう」
「街も、放棄せざるを得なかった」
その言葉に、周囲の騎士や冒険者たちが静かに頷く。
「……あ、そうだわ」
ルナが思い出したように言った。
「指揮官さん。
さっき、お嬢様に“魔封じ”をかけていた不届き者を退治したの」
「あそこの建物に置いてきちゃったけど……
その時に押収したのが、この腕輪と」
ちらりと、アルスを見る。
「このスカーフです」
指揮官はそれらを受け取り、表情を引き締める。
「重ねて感謝を。
これらは悪事の証拠として、伯爵家で預かりましょう」
そして、ルナたちを見る。
「《夜空》の皆さん、詳しい事情を伺いたいのですが
落ち着き次第、伯爵邸までご足労願えますか」
「まあ!」
ミラがぱっと表情を明るくする。
「事情聴取は、数日かかることもありますわ!」
是非、我が家をお使いくださいませ」
「本当? 助かるわ!」
「ええ。お父様も、夜空の冒険譚には興味津々ですの。
昨晩の続きをしていただければ、きっと喜びますわ!」
そう言ってから、ミラはアルスを見る。
「アルスさん」
「今回の件で、あなたの力は知れ渡ってしまうと思います」
「貴族の後ろ盾があれば、厄介ごとは随分と減るはずですわ。
この件も、お父様に相談してみます」
「……いかがでしょう?」
「そうね」
ルナが頷く。
「伯爵家の後ろ盾があれば安心だわ。
《夜空》としても、願ってもないことよ」
アルスは少し考え、答えた。
「……そういうことなら、お願いします」
「ええ、喜んで!」
ミラは満足そうに微笑む。
「では、私たちは先に屋敷へ戻りますわ」
そして、へたり込んだままのドラゴンスレイヤーに、ちらりと視線を向ける。
「《夜空》の皆さんも――
“ご用事”が済みましたら、いらしてください」
「ええ、そうね!」
ルナが応じる。
「冒険者ギルドで顛末を報告したら、向かうことにするわ」
「アルスさんも」
ミラはもう一度、彼と目を合わせて微笑む。
「お待ちしておりますわね」
優雅に一礼し、
騎士団と共に、その場を後にした。
***
冒険者ギルド。
避難していた職員たちが戻り、
討伐隊に参加していた冒険者たちと、慌ただしく手続きを進めている。
血と煤の匂いが、まだ建物の中に残っていた。
壁際で様子を眺めていると、
受付の方から、はっきりとした声が響いた。
「――《夜空》の皆さん!」
呼ばれて顔を上げる。
どうやら、討伐隊に参加していた冒険者たちから、
今回の件について複数の報告が上がっていたらしい。
受付嬢は、書類を揃えながら言った。
「この度は、大変な功績を挙げられましたね」
「正直に申し上げて……
白金級でも、なかなか成し遂げられないご活躍です」
その言葉に、周囲の冒険者たちが小さくざわつく。
続けて、受付嬢は少し言いづらそうに視線を落とした。
「……今回、実績のある白金級の冒険者が参加していたため、
討伐は可能だと判断しました。ですが――」
一瞬、間を置く。
「結果として、その判断は誤りでした。
白金級が“いる”という事実に、私たち自身が過度な期待をしていたようです」
ギルドとしての反省。
その言葉は、重かった。
そして、受付嬢は次の書類に目を落とす。
「……それから、アルスさん」
呼ばれ、アルスは一歩前に出る。
「ドラゴンに止めを刺したのは、あなたですね?」
「え、ええ……そうなりますね……」
受付嬢は一瞬、動きを止めた。
書類を見返し、もう一度アルスの顔を見る。
「……黒鉄級、ですか?」
「はい……」
周囲の空気が、ぴたりと止まった。
「黒鉄級冒険者による、ドラゴン討伐は――」
受付嬢は、息を呑む。
「ギルド史上、初めての事例になります」
慌てて、言葉を継ぐ。
「現在、現場の情報が錯綜しており、正確な状況把握ができていません。
つきましては」
姿勢を正し、はっきりと告げる。
「あなたの行動について、詳しくお話を伺えませんでしょうか。
……もちろん、《夜空》のお二人も含めてです」
ルナが、静かに口を開いた。
「そうね。こちらも、ギルドに知らせたいことが山ほどあるわ。
セレナ、アルス」
二人を振り返り、言う。
「一緒に行きましょう」
その声には、
ただの事情説明以上の“含み”があった。
アルスは、まだ状況を飲み込めないまま、それでも小さく頷いた。
ギルドの奥へと続く扉が、ゆっくりと開かれる。
――この日を境に。
黒鉄級冒険者アルスの名は、ギルドの記録に、確かに刻まれることになる。
だが、その意味を、まだ誰も正しく理解してはいなかった。




