黄昏に訪れる災厄
《夜空》の一行は、依頼達成報告のため冒険者ギルドに来ていた。
「……なんか、騒がしいわね」
ギルドの扉をくぐった瞬間、ルナが小さく眉をひそめた。
普段なら依頼掲示板の前で談笑する冒険者たちの声が、今日はやけに荒い。
「ドラゴンが――」
「もう街の近くまで来てるって話だ」
「本当かよ、そろそろここを離れるか……?」
飛び交う単語は、どれも重かった。
受付カウンターに向かうと、対応に出た受付嬢もどこか疲れた様子だった。
「ご報告、ありがとうございます。《夜空》の皆さんですね」
形式的な言葉のあと、彼女は声を落とす。
「……今、ギルドはドラゴンの件で持ちきりです」
そこから語られた内容は、アルスの胸にじわりと嫌な違和感を残すものだった。
もともと、この近隣にドラゴンの生息記録はない。
それが突然、街からほど近い山に現れた。
最初は遠巻きにしていたはずが、日を追うごとに行動範囲を広げ、
今では街の近くまで姿を見せるようになっている。
「それだけなら、移動してきた個体と考えられるのですが……」
受付嬢は、そこで言葉を区切った。
「初めてこの周辺で目撃されるまで、他の村や街での目撃情報が、まったくなかったんです」
ドラゴンが人里に降り立つ際には、たいてい農村が被害に遭う。家畜が真っ先に狙われるからだ。
しかし、今回は農村での被害も、目撃談もない。
まるで――
「……人に見つからないように、一直線にこの街を目指してきたみたい」
セレナの言葉に、受付嬢は小さく頷いた。
「ありえない話ですが、そうとしか説明がつかないということです」
ギルドでも、その点を不審に思っているという。
現在、ドラゴン討伐依頼は最高難度で掲示されており、
白金級冒険者――件のドラゴンスレイヤーを筆頭に、高ランク冒険者が多数志願している。
「詳しい作戦内容はお話しできませんが……伯爵家の騎士団と連携し、
市街地ではなく、街から少し離れた平原で迎え撃つ想定です」
街を戦場にしない。
それ自体は、住民を思えば妥当な判断だった。
依頼報告を終えたあと、アルスはミラから協力を頼まれた件を口にした。
「……助けてあげたい、けど」
言い切れない声だった。
セレナは、その一言だけで察したように、すぐ首を横に振る。
「無理よ、アルス君」
迷いはない。
「平原じゃ遮蔽物が少なすぎる。
ドラゴンは飛ぶし、上からブレスを吐ける。
近接主体の私たちが近づく前に、終わる」
ルナも同意する。
「仮に接近できたとしても……
翼の一振りで吹き飛ばされるわ。
地面に足をつけたまま戦わせてくれる相手じゃないのよ」
「それに――私も前衛には出られないわ。
平原だと、援護も限定されるから」
「だからこそ、あの作戦なのよ」
セレナが低く言った。
「騎士団と高ランク冒険者で包囲して、街から十分に離れた場所で迎え撃つ。
平原には罠も張ってあるはずよ。
準備はもう整ってる」
「……私たちが入り込める余地は、ほとんどないわ」
理屈は完璧だった。
アルス自身も腹落ちする話だった。
それでも――
ミラの、不安を隠したあの笑顔が、頭から離れなかった。
***
ギルドを出て街中へ向かうと、違和感はさらに濃くなった。
人通りが、明らかに少ない。
この街の規模のわりに、活気がない。
「……避難した人も結構いるみたいね」
「残ってる人も、みんなピリピリしてる」
店の主人たちは、どこか落ち着かず、通りを歩く住民も、空を気にするような視線を向けている。
消耗品を買い足しながら、アルスは思い切って切り出した。
「……大型の魔物とやり合うとき、
近接戦闘する場合は、どうやって距離を詰めるんだ?」
ルナとセレナは顔を見合わせ、少し考えてから答えた。
「距離の詰め方は三つあるわ」
「盾で受けるか、
地形で避けるか、
それが無理なら――」
ルナは一拍置いて、言った。
「“認識阻害”の装備に頼るしかない」
その言葉に、アルスは息をのむ。
だが、すぐに続く説明は現実的だった。
「“認識阻害”の装備は、とても珍しくて高価よ。
だから普通の冒険者が手にすることは、まずないわ」
「国や貴族みたいな大きな後ろ盾があって、
ようやく信頼できる兵士に貸し出される――そういう“格”の装備ってことね」
「そういえば……」
セレナが思い出したように口を開く。
「ドラゴンスレイヤーさんのマントが、“認識阻害”だって話、聞いたことがあるわ」
ルナは眉間に皺を寄せ、口の端だけで笑った。
「白金級冒険者ともなれば、大きなパトロンが付くのね。
……そりゃ、装備も揃うわけだわ」
「……白金級、か」
アルスは苦笑する。
「遠いな」
今の自分には、考えるまでもない話だった。
せめて、できることをやるしかない。
――そのときだった。
「……アルス、ちょっと」
ルナの声が、妙に低い。
「認識阻害って、一対一だとあまり意味がないの。
視線を切らない限り、一度認識されたら終わりよ」
そう前置きしてから、彼女は周囲を一瞥した。
「でもね。こういう雑踏の中では、とても有効なの。
――今も、誰かが使ってるわ」
アルスは息を詰める。
「ほら、あの串焼き屋の前。意識を集中して、見て」
言われるがまま、視線を凝らす。
――人が通った。
そう思った瞬間、その姿はすぐに掻き消えた。
確かに、誰かがいた“気がする”。
「石ころみたいなものよ。意識すれば見えるけど、しなければ気づかない」
ルナは淡々と言った。
「街の中心へ行ったわ。殺気は感じなかった。
……まあ、どうせ例の金髪男でしょうね」
ルナが不機嫌そうに吐き捨てる。
「私たちのこと尾けてたんだわ。
本当に、気持ち悪い」
それ以上、追う理由もない。
《夜空》一行は気持ちを切り替え、買い物に戻ることにした。
店をいくつも回り、袋の中身もいつの間にか増えていく。
日差しは気づかぬうちに傾き始めていた。
建物の影が長く伸び、街路の輪郭をなぞる。
見上げれば、空は茜色に染まりつつある。
一日が、静かに暮れていこうとしていた。
――帰り道。
ふと、空が暗くなった。
いや。
影だ。
見上げた瞬間、巨大な影が街の上空を横切った。
ドラゴンだった。
***
街は、一瞬で地獄絵図と化した。
悲鳴。
怒号。
衛兵たちが必死に住民を避難誘導する。
ドラゴン討伐隊は街門に集結している。
外へ誘い出そうとするが、ドラゴンは街の中心上空を旋回し続ける。
そして――降り立った。
「街中だが仕方ない。ここで迎え撃つぞ!」
聞き覚えのある、やけに通る高らかな声。
混乱の中心で、ドラゴンスレイヤーが一歩前へ――出たように見えた。
だが、それ以上は進まない。
彼は安全な位置に踏みとどまったまま、大剣を高く掲げ、
あたかも戦場全体を掌握しているかのように言い放つ。
「作戦通りだ! キミたち!」
ドラゴンスレイヤーは朗々と言い放つ。
「その身をもって道を切り開け!
そして最後に――ボクの前に、あのドラゴンを跪かせるんだ!」
命令は派手だ。
だが、彼自身は前線へ出る気配を、微塵も見せない。
前衛が散開し、火線が飛び交う中でも、
ドラゴンスレイヤーは一歩も踏み出さず、ただ“指示を出す役”に徹していた。
ついに、ドラゴンが動いた。
それだけで世界が壊れた。
翼が空を打つ。
衝撃が街路を走り、石畳が悲鳴を上げる。
盾を構えていた前衛が抵抗する間もなく、まとめて弾き飛ばされる。
火炎が通りを薙ぎ、さっきまで人がいた建物が跡形もなく崩れ去った。
……近づく以前の問題だ。
そんな中でも彼は、指示を飛ばすだけだった。
「……白金級のくせに」
ルナの声には、隠しきれない失望が滲んでいた。
「威張ってるだけじゃない!」
セレナが周囲を見渡す。
「――私たちも、そろそろ離れないと。
討伐隊の邪魔になるわ。避難誘導を手伝いましょう」
セレナの提案に同意し、《夜空》一行がその場を離れようとした。
そのとき。
アルスは、隊列の奥にいるミラを見つけた。
騎士団に守られ、不安そうな目をしながらも――
彼女は、自分の役目を果たすべく、気丈に振舞っていた。
目が合う。
彼女は小さく微笑み、頭を下げる。
――大丈夫。
ミラは、わずかに首を横に振り、胸の前で手を軽く握る。
そして――安全圏へ向かう避難路の方へ、視線を一度だけ送った。
それで、十分だった。
《あなたたちは、ここを離れて》
昨晩のことが、脳裏をよぎる。
――討伐に参加してほしい。
確かに、そう言われたはずだった。
「……ごめん」
声にならない謝罪が、胸の奥で沈んでいく。
アルスは、唇を噛みしめることしかできなかった。




