刃と影
夜風が学園の敷地内を吹き抜ける中、レオンは訓練場の重い扉を押し開けた。レオンにとって苦い思い出なっているこの場所に来るのは嫌ではあるが24時間剣の練習に使えるのはここしかないため苦渋の決断ではあるがここで訓練することにした。
昨日はすぐ模擬戦が始まったため周囲を観察する暇などなかったが、改めて確認するととてつもなく大きい。学園の生徒全員が入っても余裕がありそうである。
壁にかけてある練習用の木剣を1本手に持ち軽く振る。十分な重さのその剣に満足し、備え付けられている戦闘訓練用の人形に魔力を注ぎ込み起動させる。人形と相対するレオンの目は真剣そのもの。昼間の学園で見せていた穏やかな表情とはまるで別人のようだ。
練習用とはいえ、あの学園が用意しているだけあってとてもいい動きをする。軍の末端兵ぐらいの動きはしてくるため訓練にはちょうどいい。
最初の一振りは、控えめだった。木剣が空を切る音が薄暗い空間に乾いた響きを残す。
動きはまだ硬く、疲労が全身に染み付いているのがわかる。しかし、彼はそれを気にも留めず、振り下ろす、踏み込む、回り込む。
ひとつひとつの動きに迷いはない。剣の振り方を確かめるように、丁寧に繰り返す。
身体が温まるにつれ、振りの速度は徐々に上がった。
「まだだ……ゼフィスはもっと速かった……もっと正確に……!」
振るう剣が汗ばむ手に食い込む。木剣が空気を裂き、手に伝わる衝撃が腕の奥まで響く。打ち合うたび、木と木がぶつかる甲高い音が闇の中に弾けた。
昨日のゼフィスとの戦闘が脳裏に浮かぶ。あの時の彼の動きはあまりにも完璧だった。レオンの剣を軽々といなし、同時に魔法発動の準備までしていた。今のレオンではとてもではないがそんな器用なことはできないだろうとゼフィスを尊敬している。
「……くそ、悔しい……!」
焦燥と羨望が混じり合った感情が、胸の奥で燃え上がる。
しかし、それはただの悔しさではなかった。敗北に打ちひしがれる一方で、初めて身近な目標を見つけた喜びが心の奥底から湧き立っていた。
「もっと……速く……強く!」
その想いが、疲労で止まりかけた身体を再び動かし続ける。彼の剣筋は次第に洗練されていき、やがてその音が訓練場全体に響き渡った。
――――――――――――――――――
「そうですか。レオンは負けましたか。」
豪快な笑い声が静寂を破る。その声の主はミレーナだった。広々とした部屋には、彼女の他にもう一人、老人が座っている。黒髪に白髪が混じり、皺が刻まれた顔には年齢を感じさせるが、その端正な座り方や引き締まった筋肉からは、衰えを感じさせない。
「あの少年は大丈夫かのう。」
老人が静かに問いかける。その声には疑念というよりも、どこか楽しげな響きが含まれていた。
ミレーナは笑みを消し、真剣な眼差しで老人を見つめた。
「大丈夫ですよ。あいつは私の弟子です。それに……その私があなたの弟子なんですから。信じてください、理事長。」
理事長と呼ばれた老人は、彼女の言葉に満足したように微笑むと、ミレーナもまた楽しそうに笑った。
「まあでも、思い返せば実践経験は何一つ積ませてないですけどね。」
ミレーナの無邪気な笑い声が響く。その言葉に、理事長は一瞬目を丸くし、次いで呆れた表情を浮かべた。
「お前というやつは……。だがまあよい。そんなことよりも、例の任務はどうなっておる?」
ミレーナは一転、真剣な表情に戻ると淡々と答えた。
「まだ有力な情報はつかめていません。内部に潜入するにはリスクが大きすぎて、準備に手間取ってしまって……。」
少し申し訳なさそうな声色で報告する彼女に、理事長は落ち着いた声で応じる。
「無理はせんでよい。潜入などそう簡単に頼めるものでもないからのう。しかし……困ったもんじゃ。」
理事長は天井を見上げながら、思案するように呟いた。
「そもそも、まだ噂の段階なのじゃが……」
「ええ。でも、確証はなくとも、足取りくらいはつかんでおきたいんですよね?」
ミレーナの問いかけに、老人はうなずいた。
「そういうことじゃ。まあ、急ぐ必要はないが、油断もできん。わしが長年見てきた限り、噂というものは、時として火のない所に煙を立てるが……今回はその煙がどこから出ておるのか、確かめる必要がある。」
その言葉を聞いたミレーナは口元に微かな笑みを浮かべた。
「任せてください。あなたの弟子として足取りくらいは掴んで見せますよ。」
「うむ。お前の判断に任せよう。何か気づいたことがあればすぐに知らせてくれ。」
「ええ、もちろんです。何かあれば真っ先に報告します。」
そう答えながらも、ミレーナの表情には微かに緊張が浮かんでいた。彼女にとっても、この任務がただの噂話では済まされないのではないだろうかと感じていたからだ。
老人は椅子に深く座り直し、ふと窓の外に目を向けた。夜風に揺れる学園の木々を見つめながら、小さくつぶやく。
「それにしても、最近は妙に静かすぎる気がするのう……。嵐の前触れでなければよいが。」
その言葉にミレーナは思わず視線を鋭くしたが、次の瞬間には肩をすくめて笑い飛ばした。
「理事長、そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ。まあでも、何かあれば私とレオンが何とかしますよ。」
老人は愛弟子からの無邪気な返事に微笑むと、軽く手を振った。
「わしも年じゃから、若い者に頼らせてもらうとするかの。……では、今日はここまでにしておこう。」
「わかりました」
ミレーナは一礼すると、部屋を後にした。
廊下を歩く彼女の足音が遠ざかる中、理事長は再び窓の外に目を向けた。揺れる木々の影が、夜の闇に溶け込んでいく。
「……さて、学園の平穏がどこまで保たれるかのう。これもまた、試練というやつか。」
老人の静かな独り言が、夜の静寂に溶け込んだ。




