折れぬ剣
「どうしたんだい?攻めてこないのかい?」
イラゼルが不気味な笑顔を深くしながらカイルを挑発してくる。その声には余裕があり、まるで勝負の結末がすでに決まっているかのようだった。
(……挑発してるだけだ。落ち着け。相手のペースに乗せられるな……だけど、このままじゃ……)
カイルの額にはじっとりと汗が滲み、心臓の鼓動が耳鳴りのように響く。視界の端で観客たちの注目を感じるたび、そのプレッシャーがさらに彼を追い詰める。
「いいねぇ。この前を教訓にしてしっかりと敵の動きを観察している。だけども、動きのない試合じゃ、みんな退屈してしまうよ?」
イラゼルが一歩、じりじりと間合いを詰めながら剣先を振るう。それは攻撃ではなくただの仕草だったが、カイルには蛇が獲物を見定めるような不気味さが感じられた。
(挑発に乗るな……。冷静に、冷静に……!)
自分にそう言い聞かせながら、カイルは足を踏み出すタイミングを探る。だが、体が硬直してしまい、剣を握る手もわずかに震えた。
「動かないのかい?それとも、怖いのかい?」
イラゼルの声には嘲笑が混じり始める。その挑発に、会場のあちこちから微かなざわめきが広がった。
(違う……僕は、怖いんじゃない。冷静になっているだけだ。自分の全てが武器になるんだ。技術も経験もないならもっと頭を使え!)
カイルは深呼吸をして震える手を押さえつける。そして、ゆっくりと目を細め、イラゼルの動きを観察する。剣先の微かな揺れ、呼吸のリズム、重心の移動……。敗北から得た教訓、ラグーザからの教え、レオン達友達からの声援が、彼に少しずつ冷静さを取り戻させた。
「確かに、この前はやられた。でも、今日は違う。」
カイルが低く呟くと、その声にはわずかながら確固たる意志が宿っていた。イラゼルの不気味な笑みがわずかに揺らぐ。
「ほう?このまま何もしてこないのかと思ってたけど、少しは抵抗する気になったようだね。」
イラゼルの目が一瞬鋭く光り、その瞬間、少しの隙ができた。
(この隙を逃すな……攻めるなら、今しかない!)
一気に間合いを詰めるカイルの木剣が、空気を切り裂いた――。
イラゼルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐ冷静になりその一撃を受け流す。
「ちゃんと踏み込めるようになっているじゃないか。」
乾いた木剣の音が響き渡る中、イラゼルが心底楽しそうに口を開く。
「男子三日会わざれば、ってやつかな?」
挑発じみた言葉に、カイルは息を切らしながら短く応じる。
「言うね。」
剣戟の応酬が続く。カイルは焦りを振り払うように、攻撃に全てを注ぎ込んだ。だが、イラゼルの動きにはまるで隙がない。受け止め、いなされ、また受け止める――その動きはまるで流れる水のようだった。
(止まったらダメだ!このまま攻め続けて隙を作り出さないと勝機がない!)
カイルの額から汗が滴り落ち、息が荒くなる。しかしその攻撃には、確かに今までにはなかった鋭さが宿っていた。
「なるほど、考えるのをやめたかな。」
イラゼルの声には失望の色が混じっていた。イラゼルはカイルの剣をいなしながらカイルにだけ聞こえるようにつぶやく。
「君はもっと面白いやつだと思っていたのに実につまらないな。」
「なんだって?」
予想だにしない言葉をかけられたカイルは一瞬動きが止まってしまう。そこにイラゼルが強く踏み込み強烈な一撃を打ち込む。その一撃をかろうじて木剣で受け止めたカイルを見てイラゼルは失望の色を強くにじませる。そして次の瞬間その目が冷たく光る。
「もういい。これ以上は何もないだろ。もう終わりにしようか。」
イラゼルの気配が変わったその瞬間、カイルの全身に鳥肌が立った。目の前のイラゼルが急に巨大に見え、その圧倒的な存在感が彼の心を支配し始める。観客席のざわめきが一瞬にして消え、場の空気が凍りついたかのようだった。
(な、なんだ……この威圧感は……!)
息苦しさに喉が詰まるような感覚に襲われるカイル。イラゼルがゆっくりと剣を持ち直し、その剣先をわずかに下げる動作が、まるで獲物を確実に仕留めるための構えに見えた。
「君が成長して変わったように、僕も違うんだよ。」
低く響く声には、これまでの挑発とは異なる冷酷な響きが混じっていた。
「残念だよ。もう少し楽しませてくれるかと思ったけどね……これで幕引きだ。」
次の瞬間、イラゼルが動いた。カイルの視界に映るのはわずかな残像だけ。木剣が唸りを上げながら迫ってくるのを、カイルはギリギリで察知した。
(避けろ――間に合え!)
必死に身を捻ってその一撃をかわそうとするもわずかに遅かった。木剣の先端が肩口を掠め、強烈な衝撃とともにカイルは地面に倒れ込む。肩に鈍い痛みが走り、息が詰まる。
「これで終わりだね」
イラゼルが静かに言う。その顔にはもうカイルへの興味などはなかった。
地面に倒れ込んだカイルの視界がぼやける。そのぼやけた視界に映るイラゼルの冷笑が、まるで過去の誰かと重なるように見えた。
(まただ……また、こんなふうに笑われるのか。)
頭の中に過去の記憶がフラッシュバックする。幼い頃、豪奢な屋敷の中で響いていた冷たい声――。
「本当にうちの子かねぇ?」「全然役に立たないな。」
両親の失望に満ちた表情が脳裏に浮かぶ。何をしても期待に応えられず、冷たい視線だけが返ってきた。
「こんなこともできないなんてお兄ちゃんって本当にどうしようもないよね」
兄弟たちの嘲笑。努力をしても、それは常に軽蔑とともに退けられた。
(僕は……逃げたんだ。)
カイルの胸に突き刺さる、どうしようもない無力感と自己嫌悪。その痛みを埋めるように、学園でこそ自分の価値を証明しようとした。だが、今まさにその場でもまた――。
「これが君の限界だ。」
イラゼルの声が冷たい現実としてカイルを引き戻す。その言葉は、かつて家族に言われ続けた「お前には何もできない」という言葉と響きを同じくしていた。
(ダメだ、こんなところで負けるわけにはいかない!)
肩の痛みに顔を歪めながらも、カイルは震える手で木剣を掴む。その剣は軽いはずなのに、まるで全ての重圧が乗っているように重かった。それでも、握る手を離さなかった。
(僕は……僕の力で証明するんだ!)
過去の声を描き消すように、カイルは拳を強く握りしめ、木剣を支えにして立ち上がろうとする。ふらつく足に全身の力を込めながら、彼は歯を食いしばった。
「簡単に終わらせるもんか……!」
重症を負いながらも立ち上がるカイルを見て、イラゼルの冷たい瞳がわずかに揺れた。その目の奥に、一瞬だけ別の感情――驚き、あるいは興味が浮かんだように見える。
「まだ諦めないんだ……。やっぱり君は面白いのかな。」
イラゼルが再び剣を構える。その動きには初めて、わずかな本気が感じられた。観客たちは固唾を飲んで次の展開を見守る。
(倒さなくてもいい――でも、僕がここで諦めていい理由なんてない!)
カイルの目に宿る決意がはっきりとしたその瞬間、彼の中で何かが弾ける感覚があった。握りしめた木剣に力を込め、再び構えを取り直す。
肩が痛む。身体が重い。呼吸をするのも辛い。それでも、過去の何も出来ない自分と決別するためにカイルは今、一歩前へと歩みを進めた。
「来いよ、イラゼル。まだ終わらせるつもりはない!」
会場全体に響くその叫びが、試合の緊張をさらに高める――。




