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第五章 男たちと刻印

 パウロは、呼び止められて足を止めた。

 女は声を掛けたきり、何も言わず辺りをキョロキョロしている。


 すると四方から男たちがソロソロと姿を現し、パウロを取り囲んだ。

 事態が飲み込めず、黙って様子を伺うパウロ。


「神父様」斜め後方から声がした。

 振り向くと小柄な年老いた男が帽子を取って頭を下げる。


「神父様・・・お探してしておりました」

 そう言って、目をしょぼつかせる。

「誰か、お亡くなりに?」

 パウロは尋ねる。自分を囲む男たちが皆、喪章を付けているのに気づいたからだ。

「……息子が。昨日の晩に」


「弔ってやりたいのですが、この町に司祭がおらず・・・そのぉ・・・」

「わかりました。わたしがやりましょう」とパウロは告げる。


 年老いた男は深々と頭を下げて礼を言うと、墓地へとパウロを案内した。


 粗末な棺の蓋はまだ閉じられていない。

 パウロは棺の中を覗く。

 若い男が眠っている。

 カルテルの抗争にでも、巻き込まれたのか、こめかみに銃創がある。


 棺の周りには男たちが立ち尽くしていた。その間を割って、一人の男が現れる。

 喪服が洒落ていて、妙にキマっている。よく見ると、酒場のウェイターだった。

 彼もパウロに気づくと、帽子のつばに手を添えて挨拶してきた。


 彼は、父親のもとへ歩み寄ると、肩を抱き、耳元でお悔やみを告げ、何かを手渡した。

 父親は、棺の息子から目を離さず、手渡されたものが何であるかを確認しようともしない。

 何を渡されたのかを見ることなく覚っている。


 父親は、手渡されたものを丁寧に、棺に収める。

 亡骸の胸で合わされた手の下に手渡されたものを滑り込ませ、整える。

 それは、ルチャ・リブレのマスクだった。

 銀地に赤い双頭の鷲


 そのマスクを見て、パウロはリカルド・バレラの懺悔を思い出す。

 バレラは、ルチャ・リブレのチャンピオン、フェニックス・へメロを手下に殺らせたと言っていた。

 パウロはあらためて棺の若者をまじまじと見る。

 ――この細身の青年がルチャ・リブレのチャンピオン?


 疑問がそのまま、口をついて出た。

「彼が・・・フェニックス・へメロ!?」

「いや・・・あの・・・」年配の男が口ごもる。

「そうだ・・・彼はフェニックス・へメロであり、我々全員がフェニックス・へメロだ」と父親に代わって酒場のウェイターが答える。


 具体的な問いを、抽象的な答えで返すウェイターにパウロは興醒める。

 最初に声を掛けてきた女が、棺の男の頬を撫でている。

 名残惜しそうに、瞳に涙を湛え、鼻を啜りながら、いつまでも男の頬に手を添わせる。


 周りの男が彼女を優しく抱きかかけるように、引き離し、棺に蓋をした。

 そして、数人で棺を支えあげると、掘られた穴へ棺を下ろした。

 女は堪えきれず、嗚咽を漏す。


 墓地に鐘が鳴り、パウロの祈りの声が重なる。


 葬儀が終わると、父親である男がパウロに礼を言い、財布に手を伸ばす。

 パウロは彼の腕をそっと押さえた。

 とても、謝礼をもらう気分ではなかった。


 遠巻きにそれを見ていた酒場のウェイターが声を掛けてきた。

「神父さん・・・うちに寄ってきな、一杯奢るよ」


 参列していた男たちは当たり前のように、酒場へと向かって行く。

 パウロも後に続いた。


 カウンターで奢ってもらったコロナをちびちびやっていると奥にいた男が声を掛けてきた。

「神父さん・・・昨日は、教会に泊まったって?あそこの女たちと楽しめたかい?」

 下卑た冗談に笑いが起こる。


「彼女たちは、抗おうとしていたよ・・・」

 言わずもがなの言葉が口をついた。

 その言葉のトゲに、男たちが押し黙る。


 別の男が言う。

「神父さん・・・エル・カルニの屋敷に行ったって聞いたぜ」

 パウロは、口に含んだコロナが急に苦みを増したように感じる。

「いくらもらった?」

 誰かが言う。

「抗うって、何だよ」

 他の誰かが言う。


 パウロは自分もきっちり絡め取られたことを思い知らされる。

 余所者の気楽さで誤魔化していた現実を叩きつけられる。


 パウロは何も言えず、コロナを飲み干すと、店を出た。


 少し、目眩を感じるのはアルコールのせいではない。

 羞恥、憤怒、諦念、惰気、何やかやでこめかみが熱くなる。

 抗うエスペランサ・・・

 絡め取られた自分・・・


 西の丘の登り口にたどり着いた頃には、パウロは汗まみれだった。

 丘を見上げ、ため息をついたそのとき――ブワッ、と風が吹き下ろす。

 身をよじって耐え、ふと目の端に赤いものが映った。


 二度見する。

 店先に――赤いスーパー・カブ。


「……ふざけるなッ!」

 パウロは叫ぶ代わりに歯噛みし、怒りのままに店へ向かった。


 店主らしき黒人が、ロッキングチェアで居眠りしている。

 カブに掛かった“20,000ペソ”の値札を引きちぎり、男に叩きつけた。


「わたしのバイクだ!返してもらおうかッ!」

 男は目を細め、長い指で値札を摘んだ。


「ふざけるな。これはおれのだ」

「鍵を渡せ!」


 パウロが右手を突き出すと、男はゆっくりと立ち上がった。

 腰に手をやり、拳銃を抜く。


「撃つ気か?」

 パウロがにらむ。


「撃ちたかねぇよ。ギャングじゃないからな」

「おれが盗んだとでも?買ったんだ。若い男からな、今朝」

「つまりこれは――おれの物だ」


「黙れ。鍵を出せ!」


「ふん……盗人はどっちだ?」


 パウロの頭に“訴える”という考えが浮かび、すぐに消えた。

 ここには法も秩序もない。必要なのは、大きな銃だ。

 胸の奥に虚しさが沈んでいく。


「ドルで払う……500ドル」

「800だ」


 ようやく鍵を手にして走り出す頃には、陽が傾いていた。

 とろとろと教会に向かって坂を登る。


 ――バックミラーに車の影。


 後ろから車が来る。バイクを脇に寄せて道を譲る。

 一台、二台……七、八台。

 通り過ぎるのは、酒場にいた男たち。手を上げていく者もいる。


 だが彼らは教会には向かわず、脇道を登っていった――

 パウロが攫われた、あの道だ。

 (何がある……?)

 疑問を抱きつつも、パウロは教会へ向かった。


 ローラが銃を肩に立っていた。

「戻ったのかい、神父さん」

「少し、世話になる」


 バイクを止め、パウロはローラに近づく。

「なあ、丘の中腹に脇道があるだろ。あの先、何がある?」

「遺跡さ。マヤかアステカか……まあ、どっちでもいいけど」


 遺跡と男たち、仲間が死んで、その死を遺跡で偲ぶ・・・わかったようでわからない。

 ちょっと覗いてやろうとパウロは思った。


 カバンから札束を取り出して、ローラに手渡す。

「エスペランサに渡してくれ。自由に使っていい。あと、一ヶ月ほど泊めてもらいたいって」


「神父が銀行強盗かい。えらい大金じゃないか」

「汚い金だ。でも、ここで使えば少しはキレイになる。バイクも見ててくれ」

「……どっか行く気か?」


「遺跡だよ。ちょっと興味が湧いてな。インディー・ジョーンズのファンでね」

「日が暮れるよ。明日にしときな」

「思い立ったが吉日。今日、行きたい。歩いてどれくらい?」


「バイクで行きゃ早いのに」

「音を立てたくないんだ」

「変わりもんだねぇ。……歩きで三十分ってとこだ」

 ローラは腰から懐中電灯を外し、差し出した。

「じゃあ、これ持ってきな」



 ローラの言った通り30分きっかりで遺跡の前にやって来た。陽は暮れている。

 森を抜けたところに、崖を彫り抜いた遺跡があった。


 マヤかアステカかの神か神獣か大きな石像が施された石門がある。

 その門の前に車が停められている。

 人の姿はなかった。


 男たちは、あの遺跡の中にいるのだろう。


 パウロは慎重に門の脇まで歩み寄り、遺跡の中を覗き込んだ。

 ドラムの音が響く。何かを唱える声も聞こえてくる。

 ――間違いない、男たちは中にいる。


 パウロはそろりと遺跡へと踏み込んだ。

 音の鳴る方へと足を進める。

 遺跡の中はカンテラで灯されていた。


 パウロはそろりと中へと足を踏み入れた。


 カンテラの明かりが遺跡の内部を照らしている。

 揺れる光に、自分の影が長く伸びている。


 音がどんどん大きくなる。

 進むほどに、腹の底まで響くようなドラムの音が体を包んだ。


 やがて、行く手の壁から光が漏れている。


 パウロは息を殺して近づき、窓のようにくり抜かれた穴から下を覗いた。

 そこはドーム状に広がる空間だった。

 階下では松明が焚かれ、まるで昼間のように明るい。


 ――狂喜乱舞

 男たちが半裸に近い格好で、ドラムに合わせ、何かを唱えながら踊っている。

 その異様な光景にパウロはただただ息を飲む。


 ――なんなんだこれは!?

 その瞬間、何者かに背中を押された。

 声を上げる間もなく、パウロの体は宙に放り出された。


 抗う暇もない。

 ビル三階分ほどの高さ――。


 死を覚悟した。

 落下中、窓から影が跳び降りてくるのが見えた。

 ――フェニックス・へメロ!?


 その直後、パウロの体は階下の男たちに受け止められた。

 助かった――と思う間もなく、彼らはパウロの四肢を取り、広げた。


「なにッ」


 とてつもない衝撃がパウロの体を襲った。

 肺の中の空気が一気に抜ける。

 全身の穴という穴から内臓が飛び出しそうなほどだった。

 ――フェニックス・へメロのボディ・プレス。


 息ができない。

 床でもがくパウロの腕と頭をつかみ、へメロは無理やり立ち上がらせる。


 勢いをつけて、パウロを壁に叩きつけた。

 何とか体を捻って、正面からの衝突だけは避ける。

 続けざま、へメロが側転しながら飛びかかってきた。


 ――が、その攻撃はパウロが膝から崩れ落ちたため、空を切った。

 自爆したへメロが胸を押さえてふらつく。


 距離をとった男たちが手を打ち、足を鳴らして歓声を上げる。

 正気ではない。


 狂乱の中で、パウロは覚悟を決めた。

 ダーメージから回復しきれていないへメロに向かって、身を低くして突っ込む。


 渾身のタックル。

 だが、へメロはそれをしっかり受け止めた。


 そして――右腕を首に回し、締め上げた。

 ――フロント・チョーク。


 視界が揺れ、意識が遠のく。

 抵抗もむなしく、パウロの意識は暗転した。


 ……


 頬を叩かれ、意識を取り戻す。


 目を開けたパウロは、岩の椅子に括りつけられている自分に気づいた。

 衣服は剥ぎ取られ、身動きできない。


 その前に、フェニックス・へメロが立っていた。

「パウロ・ガウェイン・・・我々はクアウトリ・ピリの遺志を継ぐものだ。その存在は、知られてはならない。この町の、特定の男たちによって継承されてきた結社なのだ」


「メンバー以外に結社の存在を知られてはならない」


「パウロ・ガウェイン・・・君は知ってしまった」


「君に残された道は二つ」


「結社の一員となるか――ここで死ぬかだ」


 パウロは、自分の軽率さを悔やんだ。

 なぜ、この遺跡へ来ようと思ったのか。

 いや、なぜこの町へ来てしまったのか。

 そもそもバイクで南米縦断の旅など考えたこと自体、浅はかだったのではないか。


 突きつけられた言葉が、ハッタリだとは思えなかった。

 町で拾った左腕――あれも、カルテルに殺されたものと思い込んでいたが、この結社の仕業だったのではないか?


「教えてくれ・・・なんの結社なんだ」

「クアウトリ・ピリの遺志を継ぐ結社だ」

「だから、その遺志とはなんなんだ?」

「クアウトリ・ピリの遺志だ」

 ――もう、これ以上の答えは得られない。

 パウロは観念した。

 あまりの運のなさに、神への祈りすら浮かんでこない。


「さあ、どうするパウロ・ガウェイン」

「・・・わかった・・・メンバーになる」


「よろしい、では、わたしに続けて宣誓しろ」


「我らは、クアウトリ・ピリの遺志を継ぐ者」

 パウロは復唱する。

「われらはフェニックス・へメロであり、わたしはフェニックス・へメロである」

 パウロは復唱しながら、昼間の葬儀を思い出す。

 同じようなことを酒場のウェイターが言っていた。


「よろしい」

 へメロが頷くと、再びドラムの音が鳴り響いた。

 男たちが声を揃えて唱和を始める。

「我らは、クアウトリ・ピリの遺志を継ぐ者」

「われらはフェニックス・へメロであり、わたしはフェニックス・へメロである」

 何度も、何度も。

 その言葉が、呪文のように繰り返され、パウロの耳に虚ろに響き始めた。


 すると、男たちの輪がさっと開いた。

 真っ赤に焼かれた烙印を手に、一人の男が現れた。


 その烙印の柄をフェニックス・へメロが手に取った。

 パウロは、次に起こることを悟る。


 全身の筋肉が強張る。

 逃げ出そうと身をよじるが、岩の椅子に縛りつけられた体はびくともしない。


 へメロが、烙印を高々と掲げた。

 男たちが歓声を上げる。

 その胸元には、双頭の鷲の烙印が浮かんでいる。


 へメロが、烙印をゆっくりと突き出す。

 赤く焼けた金属から立ちのぼる熱気が、空気を歪ませる。


 次の瞬間――。

「――ッ!」


 パウロの左胸に、焼けた鉄が押し当てられた。

 ジュッ、という音が空気を裂く。

 皮膚が焼け、肉が焦げる臭いが立ちこめる。


 パウロは悲鳴を上げようとするが、締め付けられたように喉から声が出ない。

 ただ、口を大きく開け、呻くように息を吐くだけだった。


 へメロが烙印を引き剥がす。

 すぐさま、そばにいた男が焼け跡に酒を吹きかける。

「――クゥッ!!」


 痛みに震え、パウロは声にならない叫びを上げた。

 ようやく、縄が解かれる。

 パウロは身体を起こし、焼けた胸を庇いながら顔を上げた。


 フェニックス・へメロが、酒坏を二つ手にして立っている。

 一つをパウロに差し出し、もう一つを自分で一気に飲み干した。

 パウロもそれにならい、酒坏の中身を一気に飲み下す。

 喉を焼くようなアルコールが、わずかに痛みを紛らわせた。

 ようやく少しだけ、呼吸が整ってきたところで――。


 男たちが列をなして近づいてきた。

 次々に、酒坏を満たしては差し出す。

 一杯、また一杯と飲み干すうちに、パウロは数を数えるのをやめた。

 十八杯目までは覚えていた。

 そのあとは――何も覚えていなかった。

ここまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございます!

短くしようと頑張ったのですが、ちょっと長くなってしまいました・・・

評価、ブックマークしていただけると、大変励みになります。

どうか、よろしくお願いします!!!!

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