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第四章 リカルド・バレラ

 パウロはエスペランサにお礼の手紙を残して、早朝に教会を発った。

 彼は、エスペランサと顔を合わせることを恐れた。

 彼女の瞳に魅入られた自分が、教会に留まる理由を探そうとしていることに気付いたからだ。


 赤いスーパーカブに跨って、エンジンをかけると、一つ深呼吸してアクセルを開いた。


 もう、ここに来ることもないだろう。

 彼女に会うこともないだろう。

 自分が、彼女や彼女たちのためにできることなどないのだ・・・本当に?


 パウロは迷いから抜け出すためにギアを上げる。


 教会前の並木道を抜けるとギアを落とし、エンジンブレーキを使って丘を下る。


 しばらく行くと脇道に黒塗りのSUV、ダッジ・デュランゴが停まっている。


 パウロが近づいていくと、二人の男が車から降りて来て、道を塞いだ。

 どうやら自分を待ち伏せしていたらしい。

 しかし、なぜ?とパウロは思う。

 待ち伏せされる覚えがないのだった。


「通してもらえないか?」とパウロが声をかける。

「わたしはただの神父だ・・・昨日の晩、セント・アンジェリカ教会に泊めてもらって、これから町をでるところだ・・・」


 二人の男は顔を見合わせる。一人が言った。

「そうか・・・じゃあ、あんただ。あんたで間違いない」

 そう言って、道に唾を吐くと「ボスがあんたに会いたいそうだ」


 パウロは強引に車に押し込まれた。

 いかつい男二人に挟まれる格好だ。


 車は丘を下り、町を横切る。

「なあ?あんたらのボスは何か勘違いしているんじゃないか」とパウロが前の席に声をかける。

「わたしはただの神父だ」

 助手席の男が振り向くが何も言わない。


 しばらくして、着いたのは大きな屋敷だった。


 銃を構えた男たちがゲートからエントランスまでダラダラとたむろしている。


 玄関前で派手なジャケットを来た大男に迎えられた。

「神父様、手荒な出迎えで申し訳ありません」と男は言った。

「わたしはフリオ、ボスに紹介します」


「神父のパウロ・ガウェインです」と一応名乗ってから「いったい、なんの御用なのでしょうか?」と尋ねた。

「要件は直接、ボスに聞いてください。なに、悪い話じゃありません。リラックスしてください」

 フリオと名乗った男はそう言うと、こちらへとパウロを先導してエントランス脇の豪勢な階段を登って行く。


 パウロは仕方無しに後に続いた。

 階段を登り長い廊下を行くとドアが開け放たれた部屋があった。

 そのドアをフリオがノックする。


 部屋で朝食を採っていた男が、中に入れと手招きするのが見えた。

 中に入ったところで、男は手で止まれと合図を寄越す。


 パウロとフリオを立たせたままで、男はベーコンの最後の一切れを頬張る。

 そしてグラスから水を飲み、首に掛けていたナプキンをむしり取って口をぬぐった。


 男はナプキンをテーブルにパンッと投げつけ、立ち上がる。

 男はまるで親友を迎えるように、パウロに向けて両手を大げて微笑みかける。


 そして歩み寄り、口をモグモグさせながらパウロをしっかりとハグし、頬にキスをした。

 パウロは、男の芝居がかった所作に、内心辟易する。


「リカルド・バレラだ」と男は言った。

「エル・カルニと呼んでくれ」


「エル・カルニ」とパウロは呼びかける。

「先を急いでおります・・・故郷へ帰る途・・・」


 バレラはパウロの胸に手を当て、パウロを黙らせる。

「だめだ」バレラはパウロの申し出を最後まで聞くことなく、きっぱりと拒否する。


 バレラは、部屋の奥に座るどこかまだ幼さの残る女性に向かって、こっちへ来いと手で合図する。


 女性は大きくなった腹を抱えてゆっくりとバレラのもとにやってきた。

「妻のクラウディアだ」そう言ってバレラはクラウディアを抱き寄せ頭に口づけする。


 パウロはクラウディアに小さく頭を下げ挨拶する。


「来月、生まれる」そう言って、バレラは妻の腹に優しく手を当てた。

「あんたに洗礼をしてもらう」バレラは断言する。パウロに否は言わせない。


 パウロは内心ため息を吐く。

「とりあえず5,000ドル、洗礼が終わったら10,000ドルだ」

 そう言うと契約完了とでもいうようにバレラはパウロの手を握った。


 バレラは妻を席へ戻らせ、パウロの肩に腕を回す。

 背の高くはないバレラのために、パウロは膝を曲げねばならなかった。


「で、今日は、だ・・・」とバレラはパウロに耳打ちする。

「懺悔を聞いてくれ」そう言ってニコリと微笑む。

 それは、とても愛嬌のある笑顔だった。


 バレラに連れられて通された部屋は、少し大きめのウォーク・イン・クローゼットくらいの広さだった。

 壁には聖画が所狭しと飾られている。

 正面に十字架が飾られていて、椅子が二脚向き合って置いてある。


 バレラはそのうちの一脚に腰を下ろすと、パウロにもう一脚を勧めた。

 パウロが席に着くと「さあ、始めてくれ」とバレラが声をかける。


 パウロは半ばヤケクソな気分で、形式的に告白の呼びかけを行った。


 バレラは神父が2ヶ月前に去ってから、この方、溜まりに溜まった懺悔をつらつらと開陳していく。


 知事や判事や大臣の買収、抗争相手の殺害、見せしめのためのリンチなどなどなど・・・


「まあ、ここまでは、はっきり言ってどうでもいいんだ・・・」

 とバレラはとんでもないことを言った。


「俺も悪いこととは思ってない・・・仕事だからな」

「業務報告みたいなもんだ」

 自分から罪を告白したいと言っておきながら、この言い分。

 パウロの半ばヤケクソな気分は、いまや全開となっていた。


「なあ・・・あんたにとって英雄ってのはどうだ」

「英雄はいるか?思い焦がれた英雄はいるか?」

 パウロは黙って、両手を開き、告白を続けるよう促した。


「俺にはいた・・・いやこの町の男たちにはいるんだ・・・英雄ってのが」

 バレラは「いた」と過去形で言った。


「どれだけ貧乏コイても、どれだけクソみたいに扱われても・・・そいつを杖にして立ち上がり、そいつを糧にして日々生きていけるような英雄が・・・」

 とても忌々し気に、とても苦々し気に英雄について語る。

 そうして大きく深呼吸する。


「この町にはいたんだよ」ポツリと寂しげに、悲しげに呟いた。

「ルチャ・リブレのチャンピオン・・・フェニックス・へメロ」

「知ってるか?」


 パウロは首を横に振る。

「そうか・・・あんた余所者だったな」

 バレラは何度か頷くと、説明してやろうと話し始めた。


「ルチャには筋書きのあるやつと、ガチのやつがあってな。フェニックス・へメロはガチの方で400戦無敗の王者さ・・・信じられるか400戦無敗」

 あるわけ無いとパウロは思う。あったとしても、それはプロレスの世界でのことだ。


「そいつが町の英雄で、皆が崇める英雄で・・・」

 バレラから悔しさがにじみ出る。この男は、嫉妬したのだなとパウロは思った。

 金も権力も手にしながら、町で一番の尊敬を得られないことに嫉妬したのだ。


「それで、昨日の夜に奴を殺させた・・・」フフッとバレラは笑う。

 そして、拳をバシッともう片方の手に打ち付ける。

「まあ、若いやつに殺らせたんだが・・・そいつがボンクラでな」

「殺ったのに、マスクを剥いで来なかった」

「マスクだよ、マスク、双頭の赤い鷲のマスク、伝説の不死身のクアウトリ・ピリとおんなじマスクだ」

「マスクマンを殺って、マスク剥いで来ねぇなんて、ありえねぇ、ありえねぇんだよ」

「で、その若いやつも殺った」

 そこまで話してバレラは以上だと言うように両手を広げて見せてから、祈りの姿勢をとった。


 パウロはそれを見届けて、形式通りに神に赦しを乞うた。

 その祈りを聞き終えると、バレラは上機嫌でパウロの両手をとった。

 パウロは直ぐにでも自分の手と口をそそぎたい気分に襲われる。


 エントランスまでバレラに見送られたのだが、そこまでの間、何を話したか覚えていない。

 薄っすらと故郷がペルーであることを語り、その故郷をからかわれたような記憶がある。


 エントランスでバレラはパウロの右手を握りながら、フリオに左手を向ける。

 フリオはその手に札束を渡した。

 バレラは、その札束をパウロに握らせ言った「町を出ようなんて思うなよ。安心しろペルーは逃げたりしねえからな」


 バレラは上着のポケットからデュポンのライターを取り出して「それと・・・これは友情の証だ」と言って、パウロの僧服のポケットに入れた。


 パウロはフリオの先導でエントランスを出る。

 ここへ連れてきた男たちの車が停まっている。

「神父さんを町までお送りしろ」とフリオが男たちに言う。


 パウロは車に乗り込むと大きくため息を吐いた。

 なんてことだと自身の運の無さを嘆いた。

「あんたペルーまで、あのバイクで行くつもりか?」

 行きは無口だった男が尋ねてくる。

「ああ」とパウロは気の無い返事を返す。


「本気かよ」と別の男が言う。

「チェ・ゲバラ気取りか」運転している男が言う。

 車内に笑いが起こる。


 そう、今回の旅を思いついたのは、チェ・ゲバラが若き日に、バイクで南米を縦断したことが頭に浮かんだからなのだ。


 その旅を通して、ゲバラは自分の進む道を見つける。

 パウロもそうあればと願ったのだったが、50代の自分が今更何をと可笑しくも悲しい思いがこみ上げた。


 車は町の入口で止まる。

「着いたぜ、神父さん」と助手席の男が声をかける。

「おいおい・・・西の丘まで、バイクのところまで送ってくれよ」

「俺達は町まで送れと言われたんだ。で、ここが町だ。早く降りろ」

 パウロは頭を抱えたくなるのを必死で抑え、自分の運の無さを噛み締めて車から降りた。


「くそったれ」路上に取り残されて、出た言葉がそれだった。

 腹が鳴る。飯も食っていなかった。


 パウロは辺りを見渡した。

 昨日と同じ、通りは閑散としている。

 カフェらしき看板を見つけ、そちらの方に歩き出した時に、不意に呼び止められる。

「神父様でいらっしゃいますか・・・」

 振り向くと、そこには喪服の女が立っていた。

 やれやれ、今度は今度で、なんなんだとパウロは泣きたい気持ちになった。

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