第九章 メヒコ・ザ・グレート・スーパー・スター⑥
バレラに銃を向ける男、そう町外れの牧場主にして、教会で死んだフアナの父親、フアンは思う。
「遅すぎた」と。
彼は、町でドラッグが蔓延し始めた時、自分には関係ないと思った。
で、何もしなかった。
町がカルテルに乗っ取られたと聞いた時、家族が幸せであれば問題ないと思った。
で、何もしなかった。
カルテルの一味に、義理の息子が殺された時、残された娘さえ守れればと思った。
で、何もしなかった。
そして、娘が殺された。
今更、どうにもならない。
死んだ家族は戻らない、ただ、だからっと言って、何もせずにはいられない。
家族の恨みを晴らすのだ。
そう、彼にとってこれは掛け値なしの復讐だ、自分の命なんぞどうなっても構わない。
その気迫だけでカルテルのボス、エル・カルニことリカルド・バレラに向き合っていた。
銃を向けられたバレラは、フアンの覚悟を察し、仕方なく向かいの席に腰掛ける。
「早くしろ、時間がねぇんだ」へメロに追いつかれる前に、ここを出なければならない。
「て、いうかなんでオメェはここにいる?」
フアンは微笑んで言う。
「わたしは、ここへ通じるトンネルを掘らされたもんでね・・・」
「な、わけ・・・」とバレラは思わず口走る。
「そんな理由あるかって・・・そうですよね、エル・カルニ・・・あんたは、ここを掘った奴らを口封じのために皆殺しにした」
バレラは押し黙る。
「義理の息子がね、儲かるいい話があるってね、わたしも一緒に掘らせてもらったんですよ」
フアンはせめてバレラに義理の息子と娘の無念を叩きつけてやりたいと考えていた。
一方のバレラは、内心ほくそ笑む。
こいつは、俺に家族の恨みを話し終えるまでは銃爪を引かない、撃ったとしても致命傷にならないところを狙うはずだとバレラは直感する。
「で、テメェだけ生き残ったってわけか?義理の息子を見殺しにして?」
フアンの頭にかっと血が上る。
バレラに事実を言い当てられた。
穴掘り作業の終盤に、フアンがふと現場を離れた時だった。
銃声が鳴り響くのを聞いて、彼は何が起こったのかを察し、身一つで逃げ出した。
夫の安否を尋ねるフアナに、事実を告げることもできず、曖昧な回答をし続けた。
そして、業を煮やしてフアナは家を出ていった。
義理の息子を見殺したばかりではなく、娘の死を招いたのは自分ではないかと言う思いが、フアナの遺体を目にした時からずっと胸に渦巻いていたのだった。
フアンは手にした銃をぐっとバレラに向け、小鼻を膨らませて息を吐く。
「クククッ、話せよ。聞いてもらいてぇ話があるんだろ?」
バレラが面白いものでも見るように、問いかけてくる。
フアンは口をへの字に曲げて、大きく息をついた。
彼は再び語り出すために、怒りで固くなった体をほぐそうと試みる。
その時――
バレラは体を沈み込ませ、勢いよくテーブルを跳ね上げた。
銃声が轟き、弾丸は虚しく天井を穿つ。
そのまま肩でテーブルを押し出し、フアンを壁際に押し潰す。
「ぐふっ」フアンが呻く。
バレラはさらに二度、三度と体当たりを繰り返し、フアンにダメージを与えると、テーブルを脇へ弾き飛ばし、フアンの手から銃を奪おうと手を伸ばした。
その瞬間、フアンの両腕が蛇のように絡みついた。
「なッ!?」
しくじった――。
その力強く無駄のない動きが、素人のものではないことを、バレラは悟った。
あと少し、あと少しで年老いたフアンの三角絞め、あるいは腕ひしぎ逆十字が極まるところだった。
いかんせん、彼の体は軽かった。
フアンは、腕に絡みついたまま持ち上げられ、床に叩きつけられた。
フアンの呻きは声にならない。
バレラはフアンを振り払い、唾を吐きかける。
床に転がる銃を拾う。
「死に損ないが、義理の息子とでもヤッてろ!」
そう言って、銃爪に指をかけた。
「ああっ、ここまでか」フアンが死を覚悟した、その時――
影が舞い、風が吹き込んだ。
「ぐへッ」と声を上げバレラが吹き飛んだ。
フアンの視線の先には、フェニックス・へメロがいた。
太陽のマスクに月のマントをまとったフェニックス・へメロが、両腕を組んで胸を反らしてている。
月のマントの隙間から僧服が覗いている。
「あんた・・・エライもんになっちまったな」そう言ってフアンはへメロに微笑みかけた。
部屋の端に、弾き飛ばされたバレラは起き上がると同時に銃を撃ち放つ。
月のマントが銃弾を難なく弾き返す。
そう、銃は通じない、わかっていてもバレラは撃たずにはおれなかった。
直ぐに弾丸が尽きる。
「バケモンがぁ!」
空になった銃を投げつけると、バレラは出口へと走る。
その首根っこを掴むと、へメロは再度、バレラを部屋の隅へと放り投げた。
壁に叩きつけられながら、くらくらする頭でバレラは手に取れる物を探した。
目についた椅子へとよろよろと歩み寄ると、それを抱えあげてへメロに襲いかかった。
「くたばれぇ!!」
ガツン!
へメロの側頭部を椅子が強打する。
まともに食らってへメロは後退ってバレラに背を向けて壁に手をついた。
「へメロ!」フアンが声を上げる。
がら空きの背中に、バレラが渾身の力で椅子を叩きつけた。
鈍い音が響き、へメロが床へと崩れ落ちる。
そこへ容赦なく椅子を叩きつけるバレラ。
木製の椅子は衝撃に耐えられず、砕けるようにバラバラになった。
「立てへメロ!」フアンが叫ぶ。
床の上でもんどり打っているへメロに馬乗りになると、バレラは折れた椅子の足を勢いよくへメロの顔面に打ち下ろした。
「ふんッ」へメロはなんとかささくれだった椅子の脚を掴む。
掴みはしたもののへメロが圧倒的に不利な状況は変わらない。
バレラが全体重を乗せてくる。
折れて尖って凶器となった椅子の足が、マスクから覗く目に向かってジリジリと迫った。
「死ねぇぇえええッ!!!」叫ぶバレラの背中にフアンが飛びかかる。
「ぐわあぁああ!!!」と雄たけびを上げ、フアンはバレラの首をチョーク・スリーパーで締め上げる。
堪らずバレラは身を反らす。
危機一髪で、何を逃れるへメロだが、椅子攻撃のダメージから回復できない。
バレラはフアンを背中に背負うかたちで後退ると、そのまま勢いよく壁にフアンを叩きつけた。
ゴンとフアンの頭が叩きつけられる音が響いた。
チョーク・スリーパーがほどけた。
ゴホゴホとバレラは咳き込んだが、ダメージは負っていない。
背や腰をさすりながらやっと立ち上がったへメロに襲いかかる。
へメロの顔に膝を叩き込む。
「うッ」仰け反るへメロの金的を蹴り上げる。
へメロが堪らず両膝をつく。
その顔面に向かってバレラは拳を打ち込んだ。
「このまま、殴り殺してやんよ!」バレラは左手でへメロの頭を抑えながら何発も拳を打ち付けた。
ガシッ、ガシッと拳を打ち付けられるたびに、へメロの首がかしげる。
両手をだらりと下げ、打撃に首を傾げながら、へメロは倒れない。
それどころか、へメロは片膝を立てると、殴られながらゆっくりと立ち上がった。
「クソがぁあ!!!」逆上したバレラが振り上げた拳を、待っていたと言わんばかりにへメロはサッと躱し、バレラを羽交い締めにした。
そして、バレラの体をフアンの正面に向ける。
フアンはへメロが何を求めているかを悟る。
くらくらする頭を抱えながら立ち上がり、息を整え勢いよくバレラへと突進する。
羽交い締めにされたバレラの顔面にエルボーを叩き込む。
ガシッ!フアンの肘が捉えたのはへメロの顔面だった。
バレラは咄嗟に身を屈め、相撃ちへと持ち込んだ。
堪らず羽交い締めを解いて、顔を庇うへメロ。
「死に損ないが!」バレラがフアンを蹴り倒す。
床に転がる木片を再び手にして、へメロへ襲いかかった。
「これで終わりだ!」
そう叫んだバレラが横に吹っ飛んだ。
「パウロ!大丈夫!!」
エスペランサの体当たりに救われた。
カロリーナが穴から顔を出して状況を見守っている。
エスペランサは、床に倒れているもう一人の男を見て叫んだ。
「おじさん!」
エスペランサはフアンを抱え起こし、頭を抱きかかえる。
「エスピ、久しぶりだな」とフアンが微笑みかける。
「おじさん・・・フアナが・・・」
「知っている、知っているよエスピ、さあ、仇を取ろうじゃないか」
そう言って、フアンはエスペランサに支えられながら立ち上がった。
エスペランサに弾き飛ばされたバレラを、へメロが壁に叩きつける。
「いくぞ!」 へメロの声に、フアンとエスペランサが頷いた。
へメロがバレラを大きく振り回し、二人へ投げつける。
フアンとエスペランサは目を合わせ、ダブル・ラリアットを叩き込んだ。
バレラは宙を舞い、床に背中から落ちる。
ダブル・ライアットをキメた二人の頭上をフェニックス・へメロが飛び越え、鮮やかなムーンサルト・プレスを決める。
「ぐへッ」バレラから息が漏れる。
「どりゃ!」とへメロの上から、追い打ちをかけるようにフアンがボディ・プレス。
「そりゃ!」とエスペランサが続く。
「とう!」カロリーナまでが飛び込んできた。
四人は重なり合い、そして誰からともなく笑い出した。
気を失っているバレラを後ろ手に縛り上げると、フアンが言った。
「エスピ、神父のマスクを取ってやりなさい」
「取るって、どうやって?」
「姉さんに聞いてないのか?」
「お義母さんからは何も……」
「たっく……」フアンはやれやれといった感じでフェニックス・へメロの前に立つ。
「クアウトリ・ピリの魂よ。太陽と月と共に、この男を人へ還し給え」
そう言ってマスクに手をかけると、ぱっと青い光が走り、するりと外れた。
マスクの下のパウロの目は白目を剥いていた。
「えっ」とエスペランサが声を上げる間もなく、パウロはどっと倒れた。
「魂消たってやつだ……なに、直ぐに目を覚ますよ」とフアンは軽く笑った。
「さて、さて、この後のことだが……」
「突き出す警察もないし、ただ殺すんじゃ芸がない」
カロリーナがにやりと笑う。
「わたしに考えがあるんだけど……」
二人が耳を寄せると、フアンが腹を抱えて笑い、エスペランサも思わず吹き出した。
「あなた、なかなかエグいこと思いつくのね」
「なんだ!? どうした!?」パウロがむくりと起き上がる。
「エスペランサ! 無事か?」
彼女が指さす方を見れば、バレラが縛り上げられて転がっている。
「エスペランサ、よくやった!」とパウロが言うと、三人はまた笑い出した。
パウロはフアンを見て言った。
「あんたは確か……」
「フアンよ。フアナの父親で、わたしの伯父さんよ」
「そうか……フアナのことは――」悔やみを言おうとするパウロを、フアンは手で制した。
「いいんだ。あの娘もやっと休めただろう」
その背に、エスペランサが優しく腕を回した。
「そりゃじゃぁ、帰るとしますか・・・」とフアン。
パウロは気絶しているバレラを担ぎ外にでると、フアンのおんぼろトラックの荷台へと放り込んだ。
「お前ら二人も荷台だ」とフアンがパウロとエスペランサを指差す。
「なんでよ、そんなのひどいわ」とエスペランサ。
「ひどいのはお前らの匂いだ」とフアンは言い、早く乗れと手を振った。。
仕方なくパウロはエスペランサを抱えあげ荷台に乗せると、自分も乗り込んだ。
「ねぇ、どこまで覚えてるの?」
「ダスト・シューターの底に落ちたろ?その後、マスクを拾って・・・その後が思い出せない」
そう言うパウロの瞳を見つめて、エスペランサは言った。
「良かった。キスしたことは覚えているのね」
エスペランサはいたずらっぽく笑い、パウロの肩に頭を預けた。
のろのろとトラックが動き出す。
「ねえ、ねえフアンさん、荷台の二人、いい感じじゃない?」
「どうにも救いがないね」フアンは渋い顔で返す。
確かに神父じゃどうにもならないと思い直して、カロリーナは話題を変えた。
「そういえば、前にエスペランサからルチャをやってた伯父さんがいるって聞いたことがあるんだけど、あなたのこと?」
「また、あの娘はつまらんことを・・・」
「リングネームは? わたし、知ってるかも。兄弟に混じってルチャばっかり見て育ったから」
「知るはずないだろ。あんたが生まれる前の話だ」
「いいから教えてよ、なんて名前?」
フアンは鼻の頭を掻いて、照れくさそうに言った。
「ミロ・マドカラス……」
カロリーナは眉をひそめ、「うーん……聞いたことないわね」
チャンピオンになったこともあるんだという言葉を、せんないことだとフアンは飲み込んだ。
高く登り始めた太陽の下、おんぼろトラックが砂煙を上げて走っていく。
荷台からこぼれる笑い声が、青い空へと吸い込まれていった。
ーーーーーーー
「神のご加護を」
教会に戻り、フアナをはじめ倒れた女たちを弔うと、パウロは早々に立ち去る決意を固めた。
パウロの別れの言葉に、見送りの全員が嫌なことでも聞いたかのように手を振る。
パウロは、その様子に目を細め、赤いスーパー・カブのエンジンをかけた。
軽く手を上げ、別れを告げアクセルを開く。
バックミラーに手を振るエスペランサが映る。
パウロは思いを断ち切るようにクラクションを鳴らし、教会の門をくぐり抜けた。
その音が、西の丘に長く長く木霊する。
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バレラは妻のクラウディアにつねられたと思った。
彼女は、バレラに相手にしてもらいたいときには、そうして気をひこうとしたものだった。
違った。
目を覚ました時、見えたのは突き抜ける青空だった。
やたらと喉が乾いている。
体の自由が効かない。縛られている。
上空を旋回するコンドルの群れが目に入った。
脇腹に衝撃が走る。
つねられた程度ではすまない、引きちぎられるような痛みだった。
痛みに身悶え、なんとか首を上げると、コンドルと目があった。
そのコンドルの首が、黄色い嘴がシュッと目の前一杯に広がった。
バレラの感覚は、コンドルに目を抉られ、さらに奥を嘴で突かれ、何か引きずり出されるところでプツリと切れた。
メヒコ・ザ・グレート・スーパー・スター 〜 完 〜
最後までお読みいただきありがとうございました。
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