第九章 メヒコ・ザ・グレート・スーパー・スター③
フアンはおんぼろトラックを走らせていた。
娘フアナの酷い遺体が頭から離れない。
リカルド・バレラの屋敷へと通じる小道を暫く行くと、教会の黒いバンが見えた。
バンの先には数台のバイクが横たわっており、バレラの手下たちが転がっている。
それらを眺めながら、フアンはゆっくりと脇を通り過ぎる。
やがて屋敷が見えてきた。
屋敷から煙が上がっている。
フアンは車の窓を開け、前方に目を凝らし、耳を澄ませる。
怒声に罵声、銃撃音が微かに耳に届いた。
「なるほど・・・」フアンは、そう、つぶやくと、トラックを脇に逸らせ、屋敷を迂回するように走らせた。屋敷の周りは放牧地のようになっており、くるぶしくらいまでの草が生い茂っていた。
屋敷の裏手まで来た頃、ぽつんと一軒の小屋が見えた。
フアンは周りを警戒しながら、その小屋に車を寄せる。
人気はない。
フアンはトラックを降りると、その小屋へと入って行った。
ーーーーーーー
ダスト・シューターにパウロとエスペランサを突き落とし、フリオはふーっ息を吐いた。
銃身が湯気を出しそうな程、熱くなっているのがわかる。
「クソ坊主がッ」
全弾撃ち込んでやった「地獄に堕ちろ」と怨嗟の言葉を口にする。
エントランスから銃声が聞こえ、騒がしくなる。
「押されてるのか⁉」フリオは手下の不甲斐なさに、いらだちを覚えながら新しいマガジンを装填し、キッチンを出た。
廊下に出ると、こちらに逃げ込もうとする手下と目が合った。
「バカが!押し返せ!」怒声を上げて、場を立て直しにかかる。
エントランスへ躍り出て、フリオは銃を掃射する。
攻め込んできた男たちが、数人倒れ手下達が勢いを取り戻す。
「一人も中に、入れんじゃね―ぞッ!」
手下達に命じて、自分はバレラの部屋へと急いだ。
一体、あの男たちは何なのか・・・敵対するカルテルと関係があるとは思えない。
フリオが部屋に戻ると、息をつく間も与えずバレラが問いかける。
「女は?」
「パウロともども殺りました」
「確かだろうな?」
静かに頷き返すフリオを見て、バレラがほくそ笑む。
「よ〜し、後はフェニックス・へメロだけってわけだな」
ーーーーーーー
「ゴホッ、ゴホッ」
ダスト・シューターに落ちたショックで、意識を飛ばしかけたエスペランサがゴミの臭気に咽る。
「パウロッ・・パ、パウロ・・・」自分に覆いかぶさっているパウロに声をかける。
「ぐッ・・・グフッ」パウロが呻くように息を吐いた。
「えっ・・・」信じられないと声を上げるエスペランサ。
「す、すまない」と身を起こして、体をずらして壁にもたれかかるパウロ。
キッチンからこぼれてくる薄明かりの中、エスペランサが見開いた目をパウロに向けてくる。
「だ、大丈夫だ・・・心配ない」
「し、心配ないって・・・あなた撃たれたのよ、大丈夫な理由ないじゃない」
そう言われて、パウロは肩で息をしながら、自分の胸元へと視線を落とす。
僧服は無数の穴が穿たれ、綻びている。
エスペランサはパウロの僧服の破れ目に、見慣れた文様が覗いていることに気づいた。
彼女はそっとその破れ目に指を突っ込み、文様をなぞる。
脂汗を流し、荒い息をしているパウロに微笑みかけると、パウロの胸元から布を引き抜いた。
引き抜かれたのは彼女の夫の家の家宝。月のマントだった。
引き抜かれた勢いで、パラパラと撃ち込まれた銃弾があたりにこぼれ落ちた。
「なんなんだ、それ?・・・何が起こっている?」息が整い始めたパウロが尋ねる。
「わからない・・・ただの月のマントよ」
エスペランサはそう言って、パウロに月のマントを羽織らせた。
ーーーーーーー
「我らは、クアウトリ・ピリの遺志を継ぐもの!
我らは、フェニックス・へメロであり
わたしはフェニックス・へメロである!」
知らず知らずのうちにカロリーナは男たちが叫んでいる言葉を、口にしていた。
なんとなく恐れが消えて、勇気が湧いてくるような気がする。
男たちは、この言葉を唱え、突入すると、二度と怯むことはなかった。
先陣を切ったはずの、カロリーナたちが置いていかれそうになるほど、勢いよく敵に攻め込んだ。
それも、そうだろう。
目の前でフェニックス・へメロが獅子奮迅の姿を見せているのだ。
奮い立たないわけがない。
カロリーナには、よくわからない。
彼女が見ただけでも、フェニックス・へメロは三度倒れているはずだ。
胸を撃たれ、背中を撃たれ、頭を撃たれた。
しかし、その度ごとにフェニックス・へメロは立ち上がった。
どこからともなく青い光が、倒れたへメロのところに飛んできて、その光がへメロに吸い込まれていく。
するとへメロは再び宙に舞い上がり、敵を攻撃し始めるのだった。
もう理由がわからない。
激しい銃撃がエントランスの方から聞こえる。
カロリーナの横にいた男がばたりと倒れた。
「大丈夫⁉」カロリーナが抱き起こす。
すると男の胸が青く発光し始めた。
やがて青い玉が浮かび上がり、エントランスの方へ飛び去った。
カロリーナの腕の中で、男が息絶えている。
もう理由がわからない・・・・
ーーーーーーー
廊下から激しい銃撃の音が聞こえてきた。
「どうやらエントランスを突破されたようですね」フリオがバレラに呟く。
苦々しい思いで、聞きながら「いいか、ここで仕留めるぞ」とバレラが応じ、銃を構えた。
手下たちはそれに倣って銃口を部屋の扉へと向ける。
廊下での銃撃音がジリジリと部屋へと近づいてくる。
「クソったれ!」
「バケモンが!」
押されているのだろう、手下たちの叫びが部屋まで届く。
「グへッ」「あグッ」という声の後、廊下が急に静かになる。
バレラの額に玉のような汗が浮かぶ。
奥歯をギュッと噛みしめた、次の瞬間――
バアアン!フェニックス・へメロが部屋へ飛び込んできた。
そして、バレラの一味が放つ銃撃音が屋敷を揺るがす。
数多の弾丸を受けて、壁に打ち付けられるへメロ。
ズルズルと床に崩れ落ちる。それでも銃弾は鳴り止まない。
銃弾を浴びたへメロの体が、打ち上げられた魚のように跳ねた。
「やめぇ!!!」バレラが叫ぶと、やっと銃撃が止んだ。
一番端にいる手下に、見てこいと顎をしゃくる。
命じられた若い男は、ヘラっと笑って見せ、スタスタと死体へと向かう。
完全に、完璧に死んでいるへメロを恐れる必要などないのだ。
若い男は、へメロの屍の傍らまで来ると、足先でへメロの体を小突いた。
いや、小突こうとした瞬間、足をすくわれバレラの方へと投げ飛ばされる。
石を投げ込まれた魚の群れのように、バレラたちは一丸となって身を躱す。
その躱したところへ、フェニックス・へメロが飛び込んできた。
「!?」手下の一人が、へメロのローリング・ソバットを喰らい、吹っ飛ぶ。
へメロは宙に舞い上がり、フリオの隣にいた男の肩に乗ると、足を絡ませ男の首を捻り折った。
「ば、バケモンがぁああ!!!」叫んだ男が銃を向ける。
へメロはひらりと宙に舞う。
撃ち放たれた弾丸は、男の味方の腹を抉っていた。
「あっ!」撃った男が自分のしくじりに気付いたときには、へメロの肘が脳天に叩きつけられていた。
サメに襲われた魚の群れのように、バレラの一団は部屋の中を逃げ惑う。
フリオはバレラを庇いながら、必死でへメロと距離を取ろうとした。
手下たちはへメロに殴られ、蹴られ、投げられてどんどんと倒れていく。
「クソがッ!」フリオがそう口にした時、味方はもう自分とバレラの二人だけだった。
部屋の中央で右足を少し前に出し、中腰の姿勢をとったへメロが、左腕を腰にあて、右腕を右膝に乗せて挑発するようなポーズを取っている。
バン!
へメロに向けてフリオが発砲する。
へメロはスッと横へ飛ぶ。
そこへ、バン!バレラが発砲する。
へメロは元の位置へとスッと戻る。
タイミングと射線を完全に見極められている。
「クソがッ!」再びフリオが口にする。
「これでいい・・・あと少し、ヤツを引きつけろ」フリオの耳元でバレラが呟く。
フリオはへメロに銃を向けたまま息を飲む。
へメロが一歩前へ出て、両腕を腰にあて、胸を反らす。
さらに一歩・・・
「フッ」とバレラが笑みを漏らすのを、フリオは背中で聞いた。
バレラはポケットに隠し持っていたリモート・スイッチを押した。
「カチッ」へメロは足元の異音に気付きサッと飛び退る。
先ほどまでへメロが立っていた床が口を開けている。
落とし穴が仕掛けられていたのだ。
「クソがッ!」口にしたのはバレラだった。
へメロが二人に大胸筋を見せつけるようなポージングをとった時――
バン!
一発の銃弾がへメロを背後から襲った。
部屋の入口で銃を構えているのは腹のでかい女。バレラの妻、クラウディアだった。
「でかした!」バレラが叫ぶ。
フリオはバン!バン!と間隔を置きながらへメロに銃弾を撃ち込みながら近づいていく。
「逃げてください!エル・カルニ」
「任せたぞ!」
バレラはそう言って、クラウディアと共に部屋を出ていった。
フリオはへメロのマスクに手をかけながら、もう一発銃弾を撃ち込んだ。
「テメェの顔を拝ませてもらうぜ!」そう言って、マスクを勢いよく剥ぎっとった。
マスクは宙に舞い、ヒラヒラと口を開いた床の穴へと落ちていく。
「どうなってやがる!?」フリオが叫ぶ。
目の前に横たわっているのは、討ち倒したはずのへメロと似ても似つかない痩せこけた農夫だった。
ーーーーーーー
ダスト・シューターの底では、パウロの肩に乗ったエスペランサがもがいていた。
キッチンの落とし口に手が届きそうで、届かない。
エスペランサは膝を曲げて、飛び上がった。
手が枠に掛かった。
宙ぶらりんになった靴底を、パウロが押し上げるとエスペランサはなんとかキッチンへと滑り込んだ。
落とし口から顔を覗かせたエスペランサが「パウロ、待ってて。引き上げられるものを探すわ」と声をかけてきた。
それを聞いて、自分を引き上げられるような縄のようなものが果たしてキッチンにあるだろうかとパウロは思いを巡らせる。
「ないだろうな・・・」そう思った時だった。
キッチンの落とし口より更に上、天井がパカッと開いた。
光とともに、銃声が響き、やがて静かになる。
何かがヒラヒラと落ちてくる。
銃声を聞きつけエスペランサが落とし口から再び顔を出した。
「パウロ、大丈夫?」
エスペランサの頭を掠めて、何かが落ちてくる。
「?」エスペランサもそれに気付く。
パウロは、落ちてきたそれをキャッチして、静かに笑った。
「なに?なんなの」
下でパウロがゴゾゴソと動いている。そして顔を上げた。
「マスクだ、フェニックス・へメロのマスク」
双頭の鷲のマスクを得意げに被って見せてパウロが言う。
「パ、パウロ!?大丈夫」エスペランサが心配そうに声をかける。
ダスト・シューターの底で、パウロの体が青く発光し始めたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!!!
次がラストになります・・・多分。
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