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第一章 浪人神父

 〜プロローグ〜


「なぜ、メキシコでルチャ・リブレが人気かだって?

 ――ハハハ、そうか、あんたらにとっちゃ、不思議だろうな・・・」

 記者の質問を受けてチャンピオン、ミロ・マドカラスはソファーに座り直して言った。


「俺達、メキシコ人はさ、ガキの頃から爺さん、婆さんにクアウトリ・ピリの話を寝物語に散々聞かされて育つのさ・・・」

 チャンピオンの顔に懐かしむような笑みが浮かぶ。


「クアウトリ・ピリ――英雄の中の英雄さ・・・

 あのクアウテモックの息子なんだ。スペインに父親を殺されても、彼は戦いをやめなかった。

 太陽のマスク、月のマントをまとい、千倍、万倍の敵を退けたって話だ」

 チャンピオンはそこまで言うと、満足そうに葉巻を咥えた。


「彼を切りうる剣はなく、彼を貫く槍はない。彼の攻撃を防ぐ盾はない。

 ――信じるかって?・・・ハハ、信じるに決まってるだろ!」

 チャンピオンは記者に向け、厚い胸板をそびやかせて言う。


「ルチャ・リブレは俺達の魂そのものなんだよ」


 〜プロレス・スーパー・ヒーロー列伝 第3巻 ミロ・マドカラス談〜



 ーーー


 突き抜けるような青空の下、小さな赤いバイク”スーパー・カブ”が土煙を上げ、大男を乗せて健気に走っている。赤いスーパー・カブは、アメリカの国境を抜け、メキシコ領内を真っ直ぐ南へと向かっている。


 乾いた荒れ地に、灌木が所々に茂る。

 そんな景色が果てもなく続く一本道。

 炎天下の中、スーパー・カブはグズることなく快調にエンジンを回し続ける。


 ――ふぅ~

 カブに乗るパウロ・ガウェインは、鼻まで覆うバンダナの中で退屈さにため息を吐く。

 カブより前に、彼のほうが音を上げそうだ。

 すると一本道の先に、民家らしき建物が見えてきた。

 久しぶりの人の気配にパウロの頬が緩む。

 ――水でも恵んでもらうとするか


 民家の手前で、パウロはギアを落とすと、ハッとして、グッとブレーキを踏み込んだ。

 ゲートからダットサンが勢いよく飛び出してきたのだ。


「待て!考え直せ!」

 そう叫びながら、薄汚れたオーバーオールを着た年配の男が運転席にしがみつく。

「父さんたちが、何もしないからッ!・・・」

 運転席に乗るのは若い女だった。


「手を離して!」

 女はドアにかかる男の手を引き離すと、アクセルを踏み込んだ。

 ダットサンが砂利を弾きながら走り去る。

 年配の男は、よろよろと車の後を追い、足を止め、諦めて肩を落とす。


 パウロはクラクションを鳴らした。

 その音に男が振り返る。


 パウロは、そろそろとカブを年配の男に近づけ、ゴーグルを上げ、バンダナをずらして笑顔をつくった。

「神父のパウロ・ガウェインだ」

「すまないが、水をいっぱい恵んでもらえないか?」

 年配の男は、肩を落としたまま頷く。

「フアンだ・・・」

 男は名を名乗り、着いて来いと手を振った。


 石積のゲートを潜ると土壁に青い木製の扉のある建物があった。

 その右手には粗末な木製のガレージがあり、トラクターとフォードの古いピックアップトラックが並んでいる。


 フアンと名乗った男は一度も振り返ることなく、青い扉を開けて建物に入っていった。

 その姿を横目に、パウロはカブを古いポンプの脇に止める。


 試しにポンプを押してみると水が出た。

 冷たい水が出るまでギコギコとポンプを押す。

 冷たい水が出始めたところで、水流に頭を突っ込んだ。

 ――ハァ〜ッ!

 腹の底から声が漏れた。


 フアンが手にグラスとレモネードが入ったピッチャーを持って出てきた。

 フアンがグラスを差し出しながら尋ねる。

「サン・ルトへ行くのか?」

 グラスを受け取りながらパウロが答える。

「ああ」

「神父があの町に何のようだ?」 

「特に・・・一晩泊まって南へ向かう予定だ」

「それがいい・・・あんな掃き溜め長居するもんじゃない」


 パウロは一口レモネード啜って、声を上げる。

「うまいな、これ、自家製か?」

 フアンは小さく頷いた。

「で、さっきのは娘さん?」

 フアンは聞くなというように手を振る。


「町までは、あとどのくらいある?」

「100キロってとこだ」

 フアンはもういっぱい飲むかとピッチャーを掲げて見せる。


「いや、もういい。ありがとう」

 グラスを返す。

「神のご加護を」

 フアンは嫌なことでも聞いたかのように手を振った。


 パウロはクラクションを鳴らし、ゲートを出た。

 バックミラーに手を上げて見送るフアンの姿があった。


 それから30分、退屈な一本道を走ると、分かれ道に出た。

 標識が立っていたであろうところには、コンクリートの土台だけが残っている。

 根こそぎ引きちぎって、鉄くず屋にでも売られたに違いない。


 パウロはポケットからコインを取り出し、ピンっと弾くと左手の甲で受け止めた、裏だ。

 コインをポケットに仕舞い、右肩をぐるっと回すと、アクセルを開け左の道へと乗り出した。


 パウロ・ガウェインは若くない。もう五十を超えている。

 丸一日バイクを走らせて、そろそろ限界だ。腰も、肩も、膝も悲鳴を上げ始めた。

 フアンに恵んでもらったレモネードもすべて汗になって流れ出た頃、やっと町が見えた。

「サン・ルト」標識はスプレーで落書きされているが、盗まれることなく残っていた。


 町のゲートをくぐる。

 まだ、日は高いというのに人影がない。

 目についた酒場の前にカブを止めて、パウロは大きく伸びをした。

 体の節々がギシギシと軋む。


 バイクを降りて、酒場へと一歩踏み出した時――

 ――ドサッ!


 空から何かが落ちてきた。

 上空を見上げるとコンドルがその爪に人間の半身らしきものを引っ掛けて飛び去るのが見えた。


 落ちてきたものに目を向ける。

 ――人の・・・腕?


 パウロに驚きはなかった。

 麻薬カルテルに牛耳られた地域に入ってからというもの、抗争だの、粛清だの、見せしめだので殺された遺体をいくつも見てきた。


 おおかた、砂漠で殺されたか、殺した後に砂漠に捨てられたかした人間の死肉を食らったコンドルが、その死肉を巣に持ち帰ろうとしたところで、腕が千切れて落ちてきたのだろう。

 

 慣れたくはないものだと、ひとつため息をついて、パウロは腕に歩み寄り、拾い上げた。

 引きちぎられた腕の薬指にリング、左腕だ。

 パウロはリングを外し、内側を確認する。

 〜2025・6・15 フアナへ永遠の愛を誓う〜


 まだ新婚であったその指にリングを戻すと、バンダナに包み、カバンに入れた。

 そして、酒場の前に立つ。


 パウロは重たいドアを押し開ける。

 ドアベルがカンロンと鳴った。

 薄暗い店内にたむろする男たちの目が、一斉に神父姿のパウロに注がれた。


 シーリングファンが物憂げに回転している。


 男たちの視線を受けながら、パウロはカツカツとブーツの音を響かせてカウンターへと向かった。

 バーテンダーが、カウンターに両手をついて、挑むようにパウロを見つめてくる。

「水を一杯、もらえるか?」

 静まる店内。


「神父さん、ここは教会じゃない、酒場ですよ」

 ――ギャハハハ

 男たちが笑い声を上げる。


 パウロは目を伏せて、フーっと息を吐く。

「コロナを・・・」

 そう言って、コインをカウンターに置いた。


 バーテンダーがライムを突き刺したコロナをカウンターに置く。

 パウロはコロナの瓶を手にし、男たちに乾杯とばかり掲げてみせた。

 数人がそれに応え、グラスを上げる。

 悪い奴らじゃなさそうだ。


 パウロがコロナを一口飲んだところで、奥から声がかかる。

「新しい神父さんか?」

 何のことだとパウロは顔を上げる。

「違うのか?うちの教会の神父になるんじゃないのかよ」

 パウロは静かに首を横に振る。

 男たちから親密さがいくらか失われる。


「神父さん、どこの教会だい?」

 誰かが声をかける。


「どこでもない・・・」

 パウロはコロナを一口飲んで言った。

「教会には所属してないんだ・・・」


 それを聞いて男たちがヒソヒソと呟き合う。

「あれだ、あれ・・・RONINてやつだ」

 壁際の男が言う。

「あっ?」

 手前の男が問い返す。

「この間、テレビでみたぜ・・・古い日本の侍映画でよ」

「RONINってんだろ・・・雇い主のいねぇ侍のことをよ」


「よっ浪人神父ッ」

 壁際に並んで腰掛けている男が囃すように声をかける。

 ギャハハハハハッ

 男たちが笑う。気の良い奴らだった。


「聞きたいことがあるんだ・・・」

 パウロは男たちに言った。


「最近、結婚したフアナって女を知らないか?」

 スーっと薄い膜がはられたように、酒場の空気が変わった。

「よそ者のあんたが、そのフアナって女に何の用があるんだ?」

 背を向けている男が、肩越しに問いかける。


「道で、拾ったもんを届けてやりたいんだ」

 そう言ってパウロはバンダナの包をカウンターに置いた。


 訝しそうな男たちの視線が集まる。

「なんだそれ?ランチボックスか」

 ケケケケと乾いた笑い声がした。


 パウロはゆっくりとバンダナを解き、コンドルに食いちぎられた左腕を掲げてみせた。

 男たちが目を見開いている。

 奥から「クソッ!」と叫ぶ声がする。


 その声に向かって「何か知っているのか?」とパウロが声をかける。

「神父さん」

 バーテンダーが割って入った。

「ここのやつらは何も知らねぇ」

 パウロが向き直るのを待って、続ける。

「最近、結婚したってんなら、教会に行きゃあ何か分かるんじゃねぇか・・・」


 パウロは丁寧に左腕をバンダナに包み直し、カバンに戻す。

「教会はどこに?」

「西の丘の上にある」

 それを聞いて、パウロはコロナを一気に飲み干すと、西の丘の上の教会へと向かった。

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