「個性とは一体・・・」
お久しぶりです。秋定 弦司です。
さて、今回は前作と違い、「笑える要素」は全くありません。むしろ読んだ後暗い気持ちになることは確実と思われます。
しかし、物事全てが「綺麗事『だけ』で済まないだろう」という気持ちで書きました。
その点、なにとぞご容赦ください。
最近でこそあまり耳にする機会は減ったが
「障害は個性」
この言葉にずっと違和感を感じている。
健常者だろうが障害者だろうが、一人一人考え方、行動その他が違う。それがそもそもの「個性」という言葉の意味ではないのか?
なぜ、特に「障害者」にだけその言葉が強調されるのだろうか。
ここからはあくまで「私見」であることを特に強調しておく。
この言葉が出てくる背景には障害者を一人の人間として見ていない。さらに言えば、「かわいそうな人たち」と思っている事の裏返しで、その内心を甘い言葉でコーティングしているだけではないのか。
ならばそんなコーティングはいらない。むしろその言葉を正面切って言えばいい。
更に言おう。当然ながら全てが全てそうだとは言わないという前提は当然付くものとして、「障害者というかわいそうな人達を支援している私」に酔っている人物もいるのではないだろうか。
ならば、そういう考えで障害者と接している人物こそ早々と去ってくれ…と言いたい。
私も含めて人間である以上、全ての人が何らかの形で「差別心」を持っているだろう。
それを内心に秘めている分には何ら構わない。
しかし、それを何らかの形で表に出した時、何らかの形で「しっぺ返し」が来ることは承知した上での話だが…
私自身「差別主義者」だという自覚は持っている。実際それを公言したこともあるが、しかしそれを記憶にある限りでは口に出してはない。
ここからは、再び一般論に戻るが、最近「インクルーシブ」や「LGBT+」という言葉を耳にする機会が増えたが(余談になるが、最近の「横文字傾向」何とかならんのか。「インクルーシブ」なんて「共生社会」という簡単な言葉があるだろうに。なにせこの年齢になると付いていけん)、「何を今更」とは思っている。
要は「健常者も障害者も『お互い様の精神』で行きましょう」って話だろ。
小難しい横文字を使う必要がどこにあるのかわからない。
なにせ、全ての一人一人が「個性」を持っており、「ある属性」に属するというだけで「特別視」する必要もない…といえば言い過ぎかもしれない。
逆に「助けてほしい事を助けて」ということを堂々と(「特別視を求める」という意味ではなく)言えれば、それこそが「共生社会」ではないだろうか。
今回は前作と違い、私が持っている「内心」をあえて吐き出しました。
特に「障害者」に限ったのは、一言で「差別」と言っても色々と内容があるわけで、それを一つ一つあげていけば際限が付かなくなることは確実で、また私にそこまで語ることができるような知識も技術も持ち合わせておりません。
では、なぜ障害者に関してのみここまで書けるのか。という疑問も湧くでしょうが、私自身が世間一般で「障害者」と呼ばれる方々と接する機会が多かっただけで、それ以上のことは何もありません。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
また何かの縁がございましたらよろしくお願いいたします。
秋定 弦司