シンデレラはお城を目指さない
ある日のこと、異世界転生って本当にあるんだと実感した。
朝目覚めると突然に、前世の記憶が蘇ったのだ。
当時、俺は五歳。
昨日までなんとも思わなかった寝室の天井が、やたら立派に見える。
賃貸のワンルームマンションの味気ない白い天井とは大違い。
あちこちに彫刻が施された、木製の重厚な天井は、レトロ建築を特集する番組ぐらいでしか見たことが無い。
ベッドから起き上がって鏡を見れば、なんと自分は金髪碧眼の美少年であった。
そして前世を思い出す前の記憶も、頭の中にある。
今世の俺は、王の子だ。
正真正銘、今の国王の子供。
しかし、母親は王妃ではない。
俺の母親は伯爵令嬢で、国王の秘密の恋人だったのだ。
王妃陛下は冷静な人で、政略結婚の相手である国王が恋人を持つことに、怒りを覚えたりはしなかった。
しかし、後継者の話となれば、放っておいてはくれない。
王妃陛下が王子を産んだ同じ年に俺が生まれた。
それを知った彼女は、俺を殺そうと考えたそうだ。
この判断そのものは、特におかしくもないと思う。
王位の継承問題は国を揺るがすのだから。
ところが、俺の容姿を確認すると、王妃陛下は方針を変えた。
俺が、彼女の産んだ王子と瓜二つだったからだ。
「この子を王子の影武者として差し出すなら、貴女も、貴女の家にも何事も起こることはありません」
王妃陛下にそう言われて、逆らえる者などいない。
それを機に母親は国王陛下と別れ、慰謝料までもらって、きれいさっぱりと俺と縁を切った。
そして、伯爵家も、俺の母親も、そして俺も生き延びたというわけだ。
まわりの使用人たちが、子供にはわからないだろうと、近くでしていた噂話は現状把握にたいそう役立った。
王子の影武者である俺の生活には、特に何の問題も無かった。
王宮の奥まったところにある離宮に隠されてはいるが、使用人も十分に配置され、着るものも立派なら、食事も豪華だ。
そして、教育も十分に受けさせてもらえた。
そりゃそうだ。
いつ、どんな場面で影武者が必要になるかわからないのだ。
正直、本物の王子より出来が悪いなんてことは許されない。
教師としては口の堅い、既に信頼を得ている年配の者が配置された。
もちろん、虐待などされなかった。
しかし、俺に愛情を注ぐ者も、またいなかったのだ。
そのまま育っていれば、寂しさから義務を疎かにし、役立たずと処分される未来もあったかもしれない。
だが、そうなる前に前世の記憶が戻った。
お陰で、俺は現状が悪くないものだと認識でき、与えられるものを貪欲に吸収する子供になったのである。
前世の俺は、親にも恵まれず、成人して勤めた会社にも恵まれず、の人生だった。
そして、それを覆してやろう、というほどの気概も持てない男だった。
周囲にいいように使われて、不満に思いながらもうまく立ち回れず、どんどん疲労が蓄積。
最後のほうは記憶も曖昧だから、おそらく過労死したのだろう。
それに比べれば、なんという恵まれた環境に生まれついたのか。
王太子の影武者ならば、警備を疎かにされることもない。
誰だって、何らかの原因で突然に命を失うことはある。
死ぬときは死ぬのだ。そこは運命と言っていいだろう。仕方のないことだ。
とりあえずは、影武者として役に立たないと判断されることが、もっとも危険だった。
一年に一度、王妃陛下が王子殿下を連れて、俺の確認に来た。
「わ、本当にそっくり!」
前世の記憶が戻ってから初めて会った時、王子の驚きは微笑ましいほどだった。
「王子、このことは他で話してはいけませんよ。
貴方の命にかかわることですからね」
「はい、母上」
俺はその間、人形のように動かず、姿かたちを確認されるに任せた。
少し肩は凝るが、媚びへつらうことを強要されないので助かる。
だがなぜか、確認の日は俺の誕生日と決まっていた。
王妃たちが去った後、緊張から解き放たれて気が緩むせいか、誰にも祝われない誕生日を少しだけ寂しく思ったものだ。
十五歳からは、たまに茶会などで入れ替わり、影武者としての訓練を受けた。
特に問題は起きず、俺は淡々と仕事をこなした。
王家の遺伝子が強力なのだろう。
幸いにも王子が成人するまで、俺の容姿は彼にそっくりなままだった。
十八歳の王子の誕生日には、盛大な夜会が開かれる。
誕生日とともに成人デビューを祝うのだ。
王家、主に王妃陛下の力の入れ様はすさまじかった。
ハプニングやアクシデントに備え、俺も会場近くに控えることを命じられた。
同じ衣装を身に着け、待機する。
準備の途中で、たまたま本物の王子と顔を合わせた。
王妃陛下と一緒の時は、俺に話しかけることなどなかった王子だが、妙に親し気に話しかけてきた。
「ご苦労だね。そっくりさん。
今度の夜会では、僕は愛人候補を見繕うつもりなんだ。
婚約者は他国の姫君に決まりそうだからね。
姫君は気位が高くて気が抜けないだろうから、大人しくて可愛い子を探そうと思う。
飽きたら、お前に譲ってやるよ」
俺は返事をしなかった。求められてもいないのだが。
ただ、少しばかり同情した。
俺も籠の鳥ではあるけれど、王子はそれ以上にがんじがらめなはずだ。
四六時中周囲に見張られ、自由はほとんど無いだろう。
「この前、街で見かけた、あの子なんか好みだったけどな。
透けるような肌に、輝く金髪。
どう見てもいい家の娘に見えたけど、身なりは粗末だった。
ちょっと派手だけど身なりの良い婦人に『シンデレラ!』と叱責されていたな……」
何だって? シンデレラ?
もしかして……
離宮に戻った俺は、名士名鑑を調べ直した。
商人、一人娘、後妻、連れ子。
あのストーリーに該当する家が確かにある。
異世界転生はしたが、どんな物語、あるいはゲーム、それともオリジナルな世界なのか、わからなかった。
シンデレラならわかる。
生前、並み居る有名物語の中から推しプリンセスを尋ねられる機会があれば、俺はシンデレラと答えただろう。
それはともかく、物語と同じように、虐げられているけれど健気に頑張っている娘が魔法使いによって夜会に参加できたとして、結果、王子に見初められたらどうなるんだ?
愛人にされて、飽きたら他の男にポイって。
冗談じゃない。
どこかに眠っていた、俺の正義感に火が付いた。
夜会当日、俺は控えの間を抜け出し、夜陰に紛れるための黒い装束に着替えると秘密の抜け道から外へ出た。
夜会で人手は不足気味。
これまで一度も逆らったことのない俺に、監視の目は緩い。
近くで馬を借り、シンデレラの家へと向かう。
カボチャの馬車を途中で止めることが出来れば、なんとかなるかもしれない。
思いっきり怪しい男認定されるかもしれないが、どうせ忠告しか出来ないのだ。
どう進むかは彼女自身が決めること。
そうして、気を張りながら馬を駆ったのだが、結局、豪華な馬車とすれ違うことは無かった。
シンデレラの家に着くと、門の中に一台の馬車がある。
しかし、豪華さとは程遠い古びた小さな箱馬車だ。
そして、その前にいるのは旅装のシンデレラと、いかにもな黒装束の年老いた魔女。
「あー、やっと来た。
シンデレラ、この男と一緒にお行き」
「はい、ありがとうございます。魔女さん」
話が見えない。
「何がどうなってるんだ?」
「あんた転生者だろう?
これがシンデレラの物語の世界だと知って、シンデレラの不幸を阻止すべく、ここまで来た。違うのかい?」
「その通りだが」
「あたしは占いが得意でね。全てお見通しさ。
役目を放棄したあんたには、もう帰る場所は無い。
シンデレラも、ここにいちゃ幸福にはなれないし、夜会に出たらもっと不幸だ。
あんたたちは駆け落ちする以外、未来は開けないんだよ」
乱暴な理屈だ。筋は通っている、ような気がするが。
「あの、突然のことで、一緒に行っていただきたいというのは不躾とわかっています。
でも、他におすがりできる方がいないのです」
彼女はシンデレラ。
ずっと家に押し込められていたから、頼れる人間を知らないだろう。
「本当に俺でいいのか?
見ず知らずの男を信用するのは、軽率だと思うが」
「あなたこそ、見ず知らずのわたしを助けに来てくださったのでしょう?
魔女さんの水晶玉で見せてもらいました。
愛人をお探しの王子殿下に憤って、自分のことは顧みず、わたしのところに来てくださった。
そんな方が信用できないはずがありません」
まっすぐに俺を見つめる美しく清楚な娘。
馬車を必死に止めようとしたドキドキハラハラからのこの展開。
そりゃ落ちるわ……恋に。
「何が起こっても知らないぞ」
「覚悟の上です」
シンデレラは不敵に微笑む。
勘弁してくれ、ますます魅力的に見えて来る。
「さ、話は決まった。さっさと出発しな。
この馬車には魔法を大盤振る舞いしたよ。
追々わかるだろうけど、腰抜かすんじゃないよ」
「だが、時限付きだろう?」
魔女は鼻で笑う。
「あたしを舐めるんじゃないよ。
そこらのちゃちな魔法使いと一緒にしないでおくれ」
魔女は俺たちを馬車の中へ追い立てると扉を閉めた。
「おい、御者は? それに、馬も見なかったが……」
窓を開けて外を見ると、もうシンデレラの家は見えない。
それどころか、道も見えない。
馬車は空を飛んでいた。
「まあ、すごいですね」
「俺たちはどこへ行くんだ?」
「さあ? 馬車にお任せするしかありません」
もう十分に腰を抜かしそうな魔法の馬車だ。
乱気流も問題なしなのだろう。空の旅は少しも揺れを感じない。
これならば、後ろの扉からも外を覗けるかと思って、慎重に開けてみる。
すると。
「なんじゃこりゃ!?」
「どうしました?」
シンデレラも見に来る。
「キャンピングカーだな」
「キャンピングカーですね」
後ろの扉の向こうは、前世の世界のキャンピングカーのようになっていた。
コンパクトにまとめられたキッチン、ベッド、リビングスペース、トイレにシャワーまである。
外見と容量が合わないのは、異世界あるあるで解決する。
さっきの魔女は正真正銘の偉大なる魔法使いというわけだ。
「そして君も転生者か」
「ええ、王子殿下も」
「俺は王子殿下じゃない。ただの影武者だ」
落ち着いたら、適当な名前を考えよう。
影武者として隠されていた俺には、自分の名前が無いのだ。
馬車は数日飛び続け、やがて暖かな土地に着いた。
速度が落ちて、ゆっくり下を見回せるようになったので、二人してよく眺めてみた。
「あのあたり。少し高くなった場所なんか、いいんじゃないかしら?」
近くには川、そして少し離れて森がある。
一面の野原は、畑に向いているかもしれない。
「ああ、暮らしやすそうな感じだな」
二人の意見が一致したのが解ったらしく、馬車はその土地に下りた。
そして、小さな家へと外見を変える。
「まあ、すごい!」
「本当に偉大なる魔女、だな」
可愛らしい外観より、家の中身は立派だ。
独立したキッチン、リビングに水回り、収納。
そして寝室が二つ。
シンデレラと俺は、とりあえず一緒に住む仲間であって、まだ、何の関係性も築けてはいない。
ともあれ、俺たちはもう帰るところが無い。
ここで新しい人生を始めるのだ。
感慨に浸っていると、外で馬が嘶いた。
「え? まさか」
「外へ出てみましょうよ」
家に入る前には何も無かったのに、しっかりとした柵で囲われた馬の運動場が出来上がっていた。当然のように厩も立っている。
仲良さげに毛づくろいをしている二頭の馬は、番なのだろう。
「空から見た時、最寄りの町までだいぶ遠かったから、馬があると助かるわね」
「馬には乗れる?」
「もちろん。
でも、買い物に行くなら、荷車もいるわね」
「……あるよ」
もしやと思って、厩の隣りに立つ物置小屋の戸を開けると、畑道具に囲まれて、それがあった。
「シンデレラ、君は一体、魔女とどんな取引をしたんだ?」
城を抜け出して、のこのこやって来ただけの俺が、おこぼれに与って良い恩恵なのだろうか?
それと同時に、疑問がわいた。
魔女がシンデレラを助けるにしたって、ここまですごいことをやってくれるものだろうか?
シンデレラはにっこり笑って話し始めた。
「魔女さんとは、一年ぐらい前に知り合ったの。
亡くなった母と友人だったと言っていたわ。
最初は、夜会に出られるよう手伝ってくれると言われて……」
夜会まで一年間の猶予があったから、魔女は何度もシンデレラを訪ね、話し相手になってくれた。
転生者であるシンデレラは、話のついでに故郷の様子を魔女に教えた。
その中には、魔法のヒントが満載で、魔女はとても喜んだそうだ。
「魔女さんは、わたしを幸福にしてくれる相手を占ってくれたの。
水晶玉に現れたのは王子様だった……」
水晶玉には、王子と瓜二つの俺の顔が映ったのだ。
「自分がシンデレラに生まれ変わったと理解した時、夜会まで我慢できれば、幸福になれるんだって闇雲に信じていたけど……
考えてみたら、義母や義姉に嫌味を言われながらこき使われてたって、肩身が狭いってほどじゃない。
要領よく立ち回って、自分の時間を作ることだってできるわ。
でも、妃でも愛人でも、王子様の相手となったら、何かと窮屈でしょ。
そんな未来を考えたら、なんだか憂鬱になってしまって」
どうも、王子殿下はシンデレラを幸せに出来そうもない。
そう思った魔女が詳しく調べてみると、王子には影武者がいた。
なるほど、こっちかと、人柄を探ってみれば悪くなさそう。
それで、夜会の日に俺がシンデレラのもとに来るよう、魔女がちょちょいと小細工した。
「俺に普段話しかけない王子が、愛人だのなんだのって言いだしたのは魔女の仕業か」
「ええ、本心をツルっと話してしまう呪文があるんですって」
「やっぱり、本心なのは変わらないんだな」
「王子殿下が意外にいい奴だったら面倒だった、って魔女さんが笑っていたわ」
これは、仕組まれた必然と言えるのだろうか?
「貴方の普段の様子を時々、水晶玉で覗かせてもらったの」
「覗き……」
「ご、ごめんなさい。あ、でも、見ちゃいけないものは見てないです!
誓って!」
「男だから、そんなに気にはならないよ」
正直、命を保証されるかわりに常時監視を受けていた生活。
覗かれることには耐性があると言うか、非常に鈍感と言える。
「本当に?」
「ああ」
「それで、魔女さんに、貴方に会えるようお願いしました」
「そうだったのか」
魔法のヒントになる異世界の知識のお礼に、魔女は大盤振る舞いでシンデレラを逃がしたわけだ。
俺というおまけをつけて。
翌日、荷馬車を引き出して馬に繋ぎ、町まで出かけた。
国を横断する大街道沿いの町は、小さいけれど人が多く、外国人にも慣れているようだった。
「ここなら、しばらく落ち着けそうだ」
「ええ」
珍しい食料と、この辺で目立たないための衣類を調達して帰る。
家に入ると、リビングのソファには魔女が堂々と座っていた。
「二人して出払うとは、安全対策がなってないね」
さっそく、お小言である。
「申し訳ありません」
「しょうがないね。
番犬をやるから、可愛がるんだよ」
「犬をいただけるんですか?」
シンデレラは犬好きらしい。目が輝いた。
「外に呼びよせたから、馬たちと顔合わせさせておやり」
「はい、すぐに!」
「さてと」
二人きりになると、魔女はやや厳しい感じになった。
俺も姿勢を正す。
「魔女さん」
「なんだい?」
「俺たちの衣食住を、ここまで気遣ってくださってありがとうございます」
「あんたはおまけだよ。全部、シンデレラの話の対価にやったことさ」
「聞きました」
「あんたらは転生者同士、話も合うだろうし、仲良くやってるようで結構だが。
……なんで手を出さないんだい?」
「水晶で覗いたんですか?」
「それくらい覗かなくてもわかるよ。
空の旅の途中も暇だったろうに、なにをしてたんだ?
あの子のこと、気に入ってると思ったんだがね」
「一目惚れですよ。
だからこそ、少しずつ確実に距離を縮めたいと思っています」
「女十六歳、男十八歳となれば立派な大人だよ。
そんなにのんびりで大丈夫かい?」
「俺たちの前世の世界では、親に食わせてもらって学校に通う年齢でした」
「そうなのかい?」
空の旅の間、シンデレラとは懐かしい前世の話をしていた。
同じ国の、同じ時代の記憶を話しながら、興味の範囲が重なる部分が多くて、楽しかった。
「シンデレラは最高に可愛いんですよ。
すごく気も合う。
こき使われてきたから家事も得意で、毎食うまいものを作ってくれる。
胃袋も心臓も掴まれて、それで据え膳状態。
ここで成り行きに任せたら、俺は一生後悔する」
「あんた、意外と面倒臭い男だったんだね」
「意外とはなんですか?」
「まあいいよ。あんたらのタイミングで頑張りな。
それはともかく、ここまで世話してやったんだ。
あんたの前世の知識も、もったいぶらずに全部お出し」
「はい、喜んで」
俺に、他のどんな返事が出来ただろうか。
魔女の聴取はなかなか厳しく、半日も続けると相当にくたびれる。
「ふん、もうバテたのかい? 今日はこのくらいにしといてやるよ」
その後も、魔女は一か月に一回くらい聴取に訪れた。
シンデレラの時は、お茶を飲みながらキャッキャウフフな雰囲気だったらしいが、男には容赦しないタイプなのか。
しかし、来るたびに、家の内外を何かしら快適に変えてくれるので、文句が言えない。
シンデレラと俺はゆっくりと歩み寄り、彼女が十七の誕生日に求婚し、十八の誕生日に結婚した。
「シンデレラを幸せにしないと承知しないよ!」
「はい、お義母さん!」
「誰が誰の、お義母さんだって?」
魔女がギロリと俺を睨む。怖い。
「魔女さんは、わたしたちにとって母親のような存在だと思ってるんです。
ご迷惑でしたか?」
すかさずシンデレラがフォローしてくれた。
いや、本心かな?
「……シンデレラに母と慕われるのは悪くないが、あんたに母とは呼ばれたくないねえ」
相変わらず厳しい。
『お義母さん』呼びを許されたのは、俺たちの子供が魔女を『お祖母ちゃん!』と呼び始めた頃だ。
「さすがに、可愛い孫の父親となれば、義理の息子と認めてやるしかないか」
「ありがとうございます、お義母さん」
俺の姿は少々情けないかもしれない。
だがそれでもいい。魔女は俺たち二人の大恩人だ。
それから後、俺たちは食べる分だけの畑を耕し、のんびりと生活……するのかと思ったが、そうはいかなかった。
偉大なる魔法使いで、高名なる魔女には弟子志願の者が多い。
それを篩にかけるため、魔女は俺たちを利用することにしたのだ。
俺たちが住む野原を大きな農園にし、弟子志願者にそこで三年間働くことを義務付けた。
馬鹿々々しいと逃げる者、魔法より農業の方が向いていると本気で働き始める者、見どころありと魔法の修行を許される者とそれぞれの道に分かれていく。
俺たちは農場主夫妻だ。
俺の受けた影武者教育は多少役立ったが、新しく学ぶことのほうが多かった。
「隠居したら、私もここでのんびりしようかね」
丘の上の特等席で、揺り椅子に陣取った魔女が言う。
魔女の寿命は長い。
隠居するのは、俺たちのひ孫の代より、ずっと先のことだろう。
「また会えるさね。
あんたにも、シンデレラにもね」
俺はきっと、寂し気な顔になっていたのだろう。
慰めるような、魔女の優しい笑顔を初めて見た。
「あの子を大事にしてくれて、ありがとうよ。
水晶玉の占いは絶対じゃない。あんたは、自分で頑張ってくれたんだ。
これからも頼むよ」
「……はい」
「お祖母ちゃん、お父さん、お茶にするってお母さんが」
「ばあちゃ、おちゃ!」
子供たちが呼びに来た。
「ばあちゃ、おててつなご!」
下の子がねだる。
「嬉しいけれど、ごめんねえ。
あんたたちと手をつなぐには、ちょいと腰がねえ」
偉大なる魔女も万能ではない。ここは俺の出番だ。
「レイディ、お手をどうぞ」
「おやおや、気が利くこと。
シンデレラの教育の賜物かねえ」
「お陰様で」
照れるとついつい出て来る嫌味口調には、すっかり慣れた。
「シャルル、お母さんをエスコートしてくれたのね、ありがとう」
「どういたしまして」
俺は名前をシャルルにした。
そして、シンデレラはあだ名を本名にすることに決めた。
俺たちが逃げ出してきたあの国では、シンデレラは灰まみれという意味だった。
だが、この国は言葉が違う。
侮蔑の気持ちを込められることは無いのだ。
「前世の世界では、シンデレラは幸福になった女の子の名前だもの」
「素敵な君の、素敵な名前だ」
シンデレラが俺にキスする。
偉大なる魔女は、呆れ顔をしながらも子供たちの視線を逸らしてくれた。
魔女がちらりと見れば、シュンシュンと絶え間なく上がっていたポットの湯気が形を変え舞い始める。
愛らしく羽ばたく小鳥たちに、子供たちは目を輝かせ、歓声を上げた。






