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玻璃の静謀  作者: ガリ
5/6

玻璃の静謀5

5️⃣

「なぁんだ。誰かと思ったら山内のじーさんじゃない。それにおや…そこにいるのは伊達のおっさん」

目隠しと猿轡を解かれた雪臣は不敵な微笑を浮かべて目の前にいる男達を見た。冷んやりとした黴臭い空気が雪臣の頬を撫でる。鉄骨の骨組みが剥き出しになった天井からは裸電球がポツリとひとつ灯っていた。

『どうやらどこかの倉庫らしいな……』

キョロキョロと回りを眺める雪臣の耳に山内の横平な口振りが入ってきた。

「この小僧、物怖じをせんのはよいがこんな事態になっても泣きもしないというのは少々可愛げに欠けるのう、伊達?それとも自分の置かれている状況もわからぬ痴れ者なのかの?」

キリッと雪臣の目が吊り上がった。

「おいっ黙って聞いてりゃ言いたい放題に言いやがって!じゃ何かよ、おっさん達は俺が泣くのが見たくてわざわざかっ拐ってきたってのか?うへぇー気色悪う」

ベロンと舌を出した雪臣に賢章はカッとなって思わずその胸ぐらをつかんだ。勢い余って胸もとの紅バラがハラリと落ちる。だが山内の鋭い叱咤でそれは中断した。

「よせ、伊達!」

ここまではっきりと敵対関係に陥ったのだ。もうお義理の微笑やバカ丁寧な口調は不必要というものだった。雪臣の瞳が山内の酷薄なそれとかみ合う。

「それもー半分は当たっているかもしれんよ小僧……」

山内の骨太い指が、華奢な雪臣の顎へと伸びた。彼の視線は雪臣を通り越し誰かを見ている。歌舞伎座で初めて会った時もこんな顔をしていた。

「雛子とうり二つだな、小僧ー」

「雛子…って…母さんのことか……?」

「日本が高度経済成長のさ中にあった頃、まだほんの駆け出しだった儂は先生方の供でよく赤坂の料亭《榊原》に出入りしておった」

《榊原》とは雪臣の母、雛子の実家の料亭の名である。江戸時代から続く高級料亭で、歴代の政治家達に愛用される店であった。

「家業の手伝いで表に出ていた雛子は下っ端の儂にも優しくて…先生方の会食中外で待っている儂らにもよく茶やら握り飯を差し入れてくれたものだ。和服のよく似合う気立の優しい美しい娘だった…白い椿の花のようなー」

『何だよ、このじーさん……?』

訝しげに山内を見上げる雪臣は、それでも彼の手から逃れようと必死に顔を背ける試みを忘れない。

「出世の道を閉ざすのも覚悟で儂は雛子に結婚を申し込んだのにー雛子は断りよった!あの男ー松平桂之介がいるからと、な」

「なあんだ、結局叶わぬ恋の逆恨みって奴かよーくっだらねえ、いい年したじーさんのやることじゃあないぜぇ」

しっかしーと鼻で笑いながら雪臣はふと朧げな母の顔を思い浮かべる。雛子母さんて人は、体だけじゃなく頭の方もちょっとばかし弱かったんじゃないのだろうか?そうでなければ山内という将来有望な男(だったんだろう、首相までのし上がったのだ)を袖にして、結果的には未来のファーストレディの座を捨てて、松平桂之介に走ったことが説明づけられない。当時の父親は妻、敏子をすでに亡くしていたとはいえ、岳父への遠慮もあって新しい妻を迎えることはできなかったのだから。

『つまりは、ま…それだけ親父に惚れてたってことなんだけどな……』

自分の呟きに何とはなしに照れくさくなった雪臣は小さく口笛を吹いた。

だがーふいに顎に鈍い痛みを感じ我に返る。目の前の山内が雪臣の顎を砕かんばかりにギリギリと力を込めていたのである。

「松平めー雛子を奪っただけでは足りず、儂の政治生命まで断つと脅しよった。どこまでも憎らしい正義漢ぶった男よ。だがあやつも息子の命がかかっているとなればそう涼しい顔もしておられまい。どこまで澄ましておれるか楽しみだの」

「は…ぁんー」

雪臣はようやく事態が飲み込めたと頷いた。

「察するにじーさん、汚職がバレそうになってヤバくなったんだろーが?ったく離せよ、鬱陶しいな!」

山内の手を振り払った雪臣。激しく頭を振ったせいで綺麗に撫でつけた前髪が乱れて落ちる。間から覗くぬば玉の瞳、挑発するように吊り上がる朱唇ーこんな中にあって雪臣の美貌は一層冴え渡っていた。

「ジジイの戯言なんか聞きたくもねぇや!で、最終的に俺をどうしようってのさ!!」

「もちろん消えてもらうのよーそれ、そこのヤミ献金手形や書類リストと一緒にな」

山内が顎で指し示したのは倉庫内にうず高く積まれたいくつものダンボール箱だった。

「もうじきお客人がやってくるでな、お前はこれらの書類と共に灰になってもらう。火付け人はその御仁だ」

「山内先生ー松平夫人がお見えになられました」

姿を消していた伊達賢章が一人の女性らしき人影を連れて戻ってきた。

「おお、松平夫人ーお早いお越しでしたな」

暗がりから小走りに走り出たのは見覚えのある薄紫色の呂の着物、鼻をつくのはプワゾンのきつい香りーゆるゆると見上げた雪臣の瞳に映ったのは、予想通りの義母だった。般若さながらの表情で雪臣の前に立ち尽くす。ゆらりと動いた電球の光がそれをいっそう凄まじく見せた。

「お義母様ー」

口を聞きかけた雪臣の頬に松平夫人の扇子がバシッと投げつけられた。

「お前などに……お前などに母親呼ばわりされるいわれはないわッ! お前は初めから私のことを蔑んだような目で見下して…この芸者上がりがとーその上家を出て、あの人の関心を自分に引こうとしたりーお前さえいなければ、私は幸福に政治家の妻として新しい人生を築けたのに!!」

完全に逆上した松平夫人は髪を振り乱して雪臣に掴みかかり雪臣の細い首を締め上げる。 女の細腕ゆえすぐに死に至るわけではないだろうが、自分達の計画が狂うことを恐れた賢章が慌ててから雪臣から夫人を引き離した。

「まぁま松平夫人…こんなこわっぱの為に何もあなたのお手を汚すことはない。すべてはこれが片づけてくれますのでな…」

ニャリと笑った山内の背後で伊達がライターを取り出した。彼は夫人に布を巻つけた棒を握らせるとそれを近づける。引火した火はたちまち闇を照らす松明となった。

「さぁ、松平夫人ー」

導かれるままに夫人はフラフラと歩き出した、あらかじめ撒かれていたガソリンの上に火をつける。火はたちまち地面を舐め尽し炎となった。

「先生、ここは危のうございますーそろそろお戻りを」

「うむ…ではな、小僧。安らかに死ねよー事の真相と共に、なー」

事の成り行きを見守った山内は満足げに頷くと残忍な微笑を雪臣に投げかけながら去って行った。

後に残されたのは気抜けのように座り込んで炎を見つめる松平夫人と、首を締められ意識が朦朧としている上、手首を縛られて身動きのできない雪臣であった。

『くっそーっ!こんな所で死んでたまるかよ。せっかく夏休みが始まったばかりだっていうのに、何ひとつ遊んじゃいないんだぞ、俺はーうっ!! 』

ふいにー心臓を襲った激しい痛み、見る間に額に油汗が滲み出る。

「っきしょーめっ…!!こりゃマジに…ヤバイ…かもー」

発作であった。よりによってこんな時に、である。縄を解こうと必死にもがいていた手首から力が抜けていく。

『一恭四郎ッ!!』

声にならぬ声をあげた雪臣は、薄れていく意識の中で誰かが自分の名を呼ぶ声を聞いたような気がした。


話は少し遡る。

前方に美しくライトアップされた横浜ベイブリッジが見える。夏の夜の夕涼みをシャレこんだカップル達が鈴鳴りになってその両端に所狭しと並んでいた。

常ならばそんなカップル達に必ず冷やかしのクラクションを鳴らす隼人であるが、今夜はさすがにそんな暇はない。ランドクルーザーは彼らに目もくれず猛スピードで通り抜けた。

「隼人、もっとスピードを上げられないのかっ!!」

横浜が近づくにつれ、恭四郎の理性はしばしば限界を超えそうになった。猛スピードで車を操っている隼人は必死で、傍らで何を言われても気がついている余裕がなかったのだが、後座席の綾が恭四郎の言葉を聞き咎めた。

「ちょっと但馬…このおにーさんは一生懸命やってんじゃないのっ!この車200kmは出てるわよ。ったくひとりで熱くなんないでよね、雪臣ちゃんを心配してるのはみんな一緒なんだから!」

恭四郎はミラーに映る綾をギロリと睨みつける。

「みんな一緒ですとー?心外ですね、お嬢さん…あなたと私を一緒にされるとは」

鼻であしらう恭四郎の態度に綾は今度こそ怒髪天をついた。

「何よ!いい年して彼女の1人も作らないで雪臣様、雪臣様って雪臣ちゃんの後ばっかり追い回してさっ。あんたゲイなんじゃないのっ?但馬っ!!」

目を吊り上げて、前の座席に身を乗り出してきた綾を見て恭四郎は少し冷静になったらしい。煙草に火をつけながら彼女を振り返った。

「何とでもおっしゃって下さい、綾様。ただし、婚約者が何かは知りませんが、雪臣様が成人されて結婚なされるまでは、あの方の保護者はこの私ですから…あの方に手出して寿命を縮めることは許しませんよ」

「そんなんじゃないわよ、私ー賢章叔父が雪臣ちゃんの命を狙っていたなんて…」

綾はうなだれ、肩を落とした。高速道路を走る車中で、恭四郎は松平桂之介の汚職弾劾に対する、匿名の脅迫の数々を明かしたのだった。最も匿名とは表向きのことで、主謀者は与党を牛耳っている山内とその腹心である第一秘書の賢章であることは日を見るより明らかなことだったのだが…。

「賢章氏は雪臣様と綾様のご婚約があるから、この度のことは松平先生も水に流すに違いないと思い込んでいたようですーところが先生は正義に反するを潔よしとしないお方、たとえ将来姻戚になられる方々でも容赦はできぬと強硬な態度を崩されませんでした。が、まさかその反撃が雪臣様に向いてこようとは……」

恭四郎はぎリッと唇を噛んで前方の信号を睨みつけた。

「だからって、娘っこをいたぶるのは感心しないな。恭四郎ー」

信号待ちしている車を器用によけながら突っ走り続けてた隼人が口を挟んだ。途端に湧き起こる、クラクションのブーイング。うるさげに顔をしかめながら恭四郎はボソリと呟いた。

「…目上の者の責任を目下の者が負わなければいけない理由などどこにもないー別にあなたを責めてるわけじゃないんです、綾様。ただ私はー」

”雪臣様がご無事ならそれでいい”恭四郎の瞳が訴えてくる言葉にならない声を感じて綾は大きくうなづいた。

「そうよね、言い争いなんかしてる場合じゃなかったわ。私、とっておきのものを持ってきだんだから!」

言いながら綾は傍らのポシェットを引き寄せた。中から取り出したのはーPPK、女性が護身用に持つ一般的な銃である。もちろん一般的とは外国でのことだが…。

「あーっ、銃刀法違反だっ。恭四郎が持ってるならまだわかるが、こんな娘っ子が銃を持つようになったとは、日本も物騒になったもんだね」

目を丸くした隼人に答えるように片目をつぶった綾はジャキーンと音をたてて弾を装填し終った。瞳には自信ありげな光が溢れる。

「資産家の子弟には必須のものよ。誘拐や殺害から身を守る為にはね。私はアメリカで資格を取ってきたの。確かに日本じゃ銃刀法違反だけど、見つかったところで何年か刑務所に入ってればいいだけじゃない?おとなしく法律を守って殺されちゃったらそれでもう一生はパァだわ。私はそんなのゴメンだわ」

「恐れ入りましたっとー」

ペロッと舌を出した隼人の横で、恭四郎もまた銃を出した。

「雪臣様はー私が守る」

装填し終った弾倉が綾のそれと同じく音をたてた。

同時にランドクルーザーは急ブレーキをかけて港沿いの倉庫の前に止まった。

「着いたぜ、恭四郎大さん橋埠頭だ!!」

ものも言わずに飛び出した恭四郎を筆頭に綾と隼人も負けじと続いた。


「先生、そろそろお戻りを一」

賢章の声が倉庫に韻々と響いた。それを合図に扉の陰に隠れていた恭四郎、隼人、綾が互いに顔を見合わせた。隼人は不敵な笑みを浮かべると、録音モードにしたスマホを懐にしまい込む。

「よっし、バッチリだぜぇ」

恭四郎は、だが隼人の言葉に答えるより早く倉庫の中に向かって駆け出していた。

入ロ付近を固めていた数人の黒服の男達がその姿を認めて懐に手を伸ばす。

ーその瞬間ー。

「ちょっと待ちなさい、あんた達。私が相手になってあげるわ!!」

恭四郎と男達の間に躍り出たのはPPKを構えた綾だった。

流血と修羅の男達の巷に場違いに艶やかな華一輪の出現ー鼻白んだ男達の腕を一層鈍らせたのは、その時ちょうど出てきた腎章の上げた声だった。

「綾!!お前、こんな所で何をしてるッ!」

「何してるですって!? 聞きたいのはこっちの方だわ、叔父様っ!!雪臣ちゃんにしたこと、全部お父様にご報告しますわよっ!」

スガァーン!!

銃声が響く。綾の金切り声を掻き消したそれに、人々は一瞬顔を見合わせた。が、やがて人々は気づいたのだった。山内のうめく声、手の甲にあふれ出す鮮血にー。

打ったのはー恭四郎だった。雪臣の傍らに駆け寄った彼を山内が撃とうとして返り打ちにあったのである。

しばしの沈黙ー硝煙の立ち昇る銃を片手に、眉ひとつ動かさず周囲を睥睨する恭四郎に居合わせた者は敵味方の区別なく呑まれた。

「雪臣様、お迎えにあがりました。さ、戻りましょう」

その声に雪臣が薄っすらと目を開いた。

「…よぉ…遅かったな、恭四郎」

床を舐める炎の中から雪臣を軽々と抱き上げた恭四郎は出口に向かって歩き出す。

「ちょっ…と待て一恭四郎」

雪臣は力なく恭四郎のネクタイを引っ張り、歩みを止めさせた。その足許に松平夫人が座り込んでいる。

恭四郎の腕の中から義母を見下ろした雪臣の目にかすかな憐憫が宿った。

「ーおばさん、やり方を間違えたね…平和な老後を過ごしたかったんなら俺を消すんじゃなくて手なづけておくべきだったよー」

反応はなかった。恭四郎が黙ったままその前を通り過ぎる。いつの間にか中に入ってきていた隼人が、夫人をかかえて外に連れ出した。

外では山内が怪我した甲を賢章に手当てさせていた。雪臣と恭四郎が目の前に現れると双方の間の空気が張りつめたものへと変化した。

「ーバイ…おっさん…雛子母さんへの純情に免じて、今回バラすのは汚職の件だけにしといてやるよ」

「雪臣様!それはっー!!」

非難めいた視線を腕の中に向ける恭四郎。雪臣が手を上げて遮る。

口をつぐんだ恭四郎は仕方なさそうに溜め息をついて、ランドクルーザーの後部席に被保護者の少年をそっと乗せた。

しかしそれは雪臣に対してのみー山内と賢章を振り返った彼のまなざしは刃のように鋭かった。

「では失礼いたします。山内先生、伊達氏ーこのお礼はいずれ松平の方から伺わせていただくと思いますので…ああそれからー」

恭四郎は隼人を振り返る。

「無駄な根回しは不必要ですのでー今夜のことはすべてこの男が録画、録音しております」

「ー」

山内は恭四郎を睨んだまま動かない。賢章はオロオロと彼ら二人を見た。

「行くぞ、隼人ー」

「お、おうっ!!」

「ちょっと…私も行くわよっ!」

身を翻してランドクルーザーに乗り込んだ恭四郎を追って、隼人と綾は慌てて駆け出した。

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