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玻璃の静謀  作者: ガリ
3/6

玻璃の静謀3

4️⃣

夜の帳が降りた東京・目白の高級邸宅街ー。

ここにはかって現職中に汚職を適発された元首相の屋敷を始めとする日本各界の名士の住宅が軒を並べて建っていた。洋風や純和風の様々な家はしかしそれぞれに豪華で松平邸のある成城とはいい勝負であった。

その中でもひときわ目立つ洋館ーこの地価高騰の東京でその広大な土地は千坪ほどもあろうか。その中に明治中期に鹿鳴館を設計した技師コンドルの手によるレンガ造りの洋館が伊達銀行総師、伊達賢邦の邸宅だった。屋敷の門から車寄せまでは石が敷き詰められ、その上を様々な車が行き交う。車寄せに停まった車からは色とりどりの服を着た人々が降り、昼間のように明るい邸内へ次々と吸いこまれていった。今宵の伊達銀行創立70周年パーティーに招かれた人々であった。


やがて何台目かの車が車寄せに横付けされた。黒いベンツである。

「じゃ雪臣様、ここで降りて下さい。私は車を置いてから行きますから」

ギアーを入れてドアロックの解除ボタンを押しながら恭四郎が横を向いた。

黒のタキシードスーツに白いタキシードシャツ、黒無地のボウタイとカマーバンド、足許をやはり黒のストレート・ティップで固め、髪をオールバックに撫でつけた彼はあまりに決まりすぎてハリウッド映画に登場する1920年代の二枚目ギャングにも見えた。

「おうっ、じゃ親父の所でな」

素早くシートベルトを外した雪臣は恭四郎とは何から何まで対照的だった。純白のタキシードにドレスシャツ、カマーバンド、オペラパンプスにいたるまで全て白で襟元には白いクロスタイ、唯一の色物は胸ポケットの紅いバラ。

全身白づくめのせいか胸元のバラと唇の紅は見る人の記憶に鮮烈に焼きついた。

黒と白、剛と柔の完璧な一対ー恭四郎と雪臣が並んでいる所は一幅の絵を思い起こさせた。

「あっ、雪臣様!だめですよ。ちゃんと花束をお持ちになって下さい」

車の外に片足を出した雪臣に恭四郎は大きな花束を差し出した。白く、大きな百合の花束である。

「ちぇっ、やっぱり気づかれたか…忘れたふりしてお前に持ってこさせようと思ったのに。だいたい大の男がなぁ花束なんて……」

「いいじゃありませんか。もらったわけじゃなし、渡してしまえばそれで済むことです」

「フン、人ごとだと思ってさ」

雪臣は恭四郎の手から奪うように花束を受け取って肩に担ぐと、彼を軽く睨んで会場へ向かって行った。


勝手知ったる伊達の家ーというわけで、雪臣はまっすぐ迷わずに会場となっている広間を目指して歩いて行った。軽やかなオペラパンプスの靴音と背から突き出た百合の花束、そして何よりその透き通るような美貌に周りの人間は男女問わず振り向かずにはいられなかった。

階段の下で、廊下の曲がり角で。

しかし雪臣は知ってる顔にも会わなかったので、これ幸いと並み居る人々の視線を無視して広間の中にいた2人の人物に近寄って行った。果たしてー2人の人物が近づく雪臣を見てその表情に浮かべたものはおおよそ正反対のものであった。

「おお雪臣来たか。時間に間に合ってよかった。ギリギリについてお前の心臓に負担をかけるのはよくないからなるべく早目に着くように但馬に注意しておいたのだよ。おや、そういえば但馬はどこへ行った?」

紋付きの黒羽織に折り目正しい仙台平の袴、足許には真っ白な足袋と草履を履き、どちらかといえば線の細い顔付きの男は雪臣を見ると優しげに目を細めた。この初老の男が雪臣の父親の松平桂之介である。

「お久しぶりですね、父様。恭四郎は今、車を置きにいってますからたぶんもうすぐ来ると思いますけど」

雪臣は周囲をはばからない父親の溺愛ぶりが妙に照れくさく、意識的に父と目を合わせずに話していた。

「そうか...それにしても本当に久しぶりだな。お前、1週間に1度ぐらいは電話くらい入れなさい。私が自宅にいなくても携帯電話もあるし、恭四郎に伝言くらい持たせられるだろう」

「はあ…」

とんだやぶ蛇だったと雪臣が上目使いで考えていた時、思いがけない助け舟が入った。

「まぁあなた、お説教はそれくらいになさったらいかが?雪臣さんだって遊びたい年頃ですもの。連絡しなくてはと思っていらしてもつい忙しさにとり紛れてしまわれることだってありますわよーねぇ?」

助け舟の主は桂之介の傍らに寄り沿って立っていた40代前半の女性である。暑いこの季節にふさわしく涼しげな薄藤色の呂の着物を着、その上から白っぽいしゃ)を纏って手にした扇子をゆっくりと仰いで桂之介に風を送っている。その指も顔も既に盛りは過ぎていたがまだ充分美しさの名残りを留めていた。しかし、その優しげな口調もその目の奥に光る冷たい光の前では空しいばかりだった。

「ハロッズで誂えさせたタキシードがよくお似合いですこと、雪臣さん。やっぱり白い生地でよかったわ。急いで仕上げさせたから出上がりが心配でしたけどさすが英王室御用達の店だけあって写真を添えたら菅臣様に一番合う形を誂えてきましたわ。ね、あなた?」

「うむ」

「それはずいぶんとお手数をおかけしました、お義母様。お陰様でこれでどこの週刊誌に撮られても恥ずかしい思いをしないで済みますーでは綾さんに挨拶して参りますので失礼」

雪臣は実父と継母に一礼するとくるりと背を向けて歩き出した。追いかけるように背後から微風と共に人工的な甘い香りが漂ってきたのに気づいて口許を歪めて皮肉げにつぶやく。

「プワゾン(毒)…か。フン、まさにあのおばさんの為の銘名だよな」

途中、側を通った給士の盆から小さなシャンパングラスを取りながらそぞろ歩きをしていた雪臣は窓際のテーブルの近くで何人かの客に囲まれながら談笑している綾を見つけ出した。

綾の方も雪臣の姿に気づいたらしい。形のよい唇をキュッと片方だけ吊り上げて笑った。 瞳は野性の小鹿のように、悪戯っぽく輝いている。

綾に答えて笑い返した雪臣は近くの窓からベランダへ出て手すりに背をもたれかけながら出てくる綾を待っていた。

「雪臣ちゃん!よく来てくれたわね」

やがて少し高めの華やかな声と共に、肩も露わなシルクのロイヤルブルーのイブニングに包まれた綾が姿を現して雪臣の首に抱きついた。

雪臣ちゃんーこのひとつ年上の婚約者は雪臣のことをそう呼んでいる。1年前、雪臣が心臓病で倒れるまで同級生だった彼女は教室でもよく雪臣のことをそう呼んだものだ。まるで母親が子供を呼ぶようだが遊んでいるように見えてその実けっこう雪臣の世話をなにくれとなく見ているような所のある(と雪臣は思っている)姉御肌の綾にそう呼ばれるのは雪臣も悪い気がしなかった。

「綾さん、今日はお招きいただいてありがとう。伊達銀行の益々のご発展を祈って」

おそらく今夜、この会場で最もポピュラーな挨拶の言葉を雪臣はおどけた口調で花束と共に綾に送った。

「松平の融資の為にねーありがとう、頑張るわ」

顔つきは真面目たが、同じくおどけた口調で切り返した綾と雪臣は顔を見合わせるとどちらからともなく吹き出した。

「んー最高ね。今夜受けた挨拶の中じゃ一番真実味に溢れてて面白かったわよ」

雪臣が何か答えようとするより早く、綾の唇が雪臣のそれに重なった。

雪臣は驚いたように、一瞬目を見張ったが、すぐに綾の肩を抱き寄せるとその耳許に朱い唇を近づけてささやいた。

「続きは?」

「この続きはあんたがもっと丈夫になったらね雪ちゃん。具合はどうなの?この暑さで参ってない?」

雪臣の腕の中で綾はくすぐったそうに片目をつぶって笑った。太くて真っすぐな髪がサラリと揺れる。

「ああ、元気だよ。ほら、綾さんがスマトラだかイースター島だかに行ったとき、心臓に 効くからってイモリかトカゲの黒焼き買ってきてくれたじゃない。あれ飲んでるせいかすこぶる快調」

「何ーそれ?」

「あれ、忘れちまったの?冬に行ったばかりじゃない。ほらー」

闇に溶けてしまいそうな、夜目にも白い顔を少し傾けて微笑みかける雪臣に綾の指が伸びてその口許をつまんだ。

「い、痛っ!綾さん何するの…さっ!」

「あれは熊の手よっ!私が行ったのは北京。中国のペ・キ・ン!わかったっ!?」

「わかったから…さ、綾さん、そうすごい顔で睨まないでよ。せっかくの花束が大なしじゃない。聖母の(マドンナリリー)だよ、それ……」

つねられてほんのり朱く染まった頬をおさえながら雪臣は、キリリとした眉を一層吊上げて睨む綾にひかえめな抗議を試みた。

つねられてほんのり朱く染まった頬をおさえながら雪臣はキリリとした眉を一層吊上げて睨む綾にひかえめな抗議を試みた。

「あらーそういえばずい分大きな白百合ねぇ。こんな大きいの始めて見たわ」

「カサブランカって品種なんだってさ」

「私とイングリット・バーグマンのイメージが重なったってわけ?まったくうまいわね、雪臣ちゃんは…いいわ許しましょ、その気配りに免じて。これでバラでも持ってきたらもう片方の頬もつねってやる所だったけど…たいていの人間って人に送る花束っていうとバラばっかり持ってくるのよね、もうとっくに飽きちゃったわよ、バラなんて」

「何、贅沢なことおっしゃってるんですか?自分から花束を欲しがられたくせに。どんな花だろうと送られたという事実に感謝の心がないんですか、あなたは」

「まっ但馬!」

ふいに綾の背後で低く呆れたようなつぶやきか聞こえた。綾はすばやく雪臣から離れ、振り返ると声の主を見てたちまち不気嫌な顔になった。

「よう、恭四郎」

雪臣は綾の肩越しに苦笑を浮かべながら恭四郎に向かって手を振った。

「恭四郎、じゃありませんよ。松平先生の所にいらしてるかと思っていれば突然行方をくらませてしまわれて……」

「親父の所には行ったんだよ。でもあのおばさんがさ…」

「雪臣ちゃん、言い訳なんてしなくていいわよ!フィアンセに早く会いたいってのは当たり前のことだもの。それをわざわざ邪魔しにやってくるなんて但馬ってばさーいてい、馬に蹴られて何とやら…だわ」

恭四郎に近づこうとした雪臣にがっちりと腕を絡ませて、綾はチラリと第3の男を眺めた。 対する恭四郎、懐から取り出した煙草に火をつけながら、余裕の笑みで答える。

「馬に蹴られて…ですか。伊達のお嬢様はずいぶんと下世話な表現をお用いになられる。おそらくその調子で雪臣様の頬をつねられたんでしょうが…まったく女性の、良家の子女のなさることではありませんね」

恭四郎は軽く眉をひそめながら綾と雪臣の方に歩を進めた。瞬間綾は気圧されて数歩後ろに退がったが恭四郎はそんな綾に見向きもせず、雪臣の前に立つと朱くなった頬を掌に包み込むようにして口を開いた。

「ああ、朱くなってしまいましたね、内出血はしないと思いますがー後で冷しておきましょう」

「ふん…だ。何よ、そのくらい」

心なしか綾の声がさっきよりも小さくなる。恭四郎の言葉は容赦がない。

「あなたにはそれくらいでも、この人には大事なんです。この間も風呂場で足を滑らせて

頭にシャワーを落とした時、それは大きな内出血になってー」

「もうーいいってば恭四郎、そんな情けねぇ話やめろよ、ほら綾さんも機嫌直して…俺、伊達のおじさんにあいさつするの忘れてた」

「私も行きます」

人格が入れ替ったようにコロリと表情をひきしめた恭四郎は吸いかけの煙草をつぶして雪臣の後に続こうとした。

「ちょっと待ちなさいよっ!私を置いて行く気!?」

恭四郎に理詰めの理論で責められ、憮然としていた綾も自分1人取り残されそうになるといつもの高飛車な口調に戻った。2人を追いかけようと踏み出した足がドレスの裾に絡まってあわや、という所を飛んできた雪臣に抱き止められる。

「ー危ないなぁ、綾さん」

「ーごめん」

「危ないのは雪臣様の方ですよ。そんな急に駆け出されたら発作が起きます。綾様は私が見てますからあなたは静かに真っすぐお歩きになって下さい」

「フンッだ。過保護!」

雪臣の背を軽く押し出し、前に行かせて自分と並んだ恭四郎に、綾は思いきり舌を出した。その鼻孔を甘く懐かしいような匂いー香水とも食べ物とも違うーがふんわりとくすぐる。どうやら目の前の雪臣から香ってくるらしい。

「雪臣ちゃん変わったオーデコロンつけてんのね。ディオール?」

「ああ…これ?」

振り向きながら雪臣が内ポケットから取り出したのは鮮やかな紫縮緬の小袋だった。

「匂い袋だよ、伽羅の。俺、オーデコロンは使わない主義なの」

「まぁ、今流行りのお香でしょ、雪臣ちゃんてばお洒落ね」

「ははっ、好みの問題だと思うけど」

「雪臣樣ー」

恭四郎の気づかわしげな声と視線に気がついて、雪臣はきまり悪げに彼から目を外らせた。

伽羅の香りー幼くして母を失い、その顔すら覚えていない雪臣だったが不思議とその香りは記憶の中で母の温もりと結びついていた。

母の雛子は赤坂のとある料亭の娘だった。家業柄、普段の生活にも和服を着ていることが多かった彼女は、雪臣を生んでからもほとんどを和服で過ごし、その衣類に伽羅の香を焚き染めていたのである。

母を亡くして以来、雪臣は無意識に好んで伽羅を身につけるようになったが、数年前恭四郎も同席してた時に父親にそのことを指摘されて以来、忝四郎の前で匂い袋のことは一切口にしたことがなかった。雪臣してみればいつまでも母親の影から脱しきれない子供という印象を少しでも恭四郎に与えたくなかったのだろう。そうでなくとも恭四郎は”病弱”にかこつけて雪臣を1人前に扱おうとしないのだ。雪臣の心中を察した恭四郎もその事には触れないようにしてきたのだった。それを忘れて雪臣はつい恭四郎の前で伽羅の2文字を出してしまった。

「さぁ、2人とも何してんの?そんな所で立ち止まってたらパーティーが終わっちゃうわよ」

そんな内情を知らず困惑顔の2人を尻目に、かなり大胆にドレスをたくしあげた綾は形のよい顎をしゃくって彼らを広間に導いたのだった。

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