第二章 セラピア地区2
セラピア地区とエルピダ地区は地理的に距離が大きく離れている。車を使用しても片道で丸一日は掛かるだろう。さらに森に覆われたエルピダ地区では基本徒歩での移動手段しかない。比較的面積の狭い地区とはいえ散策するには多大な時間が必要となる。
だがそのような時間的問題を一挙に解決する手段がセラピア地区には存在していた。物理的に離れた二つの区間。それを瞬きする間に移動してしまう施設――
相互転移施設だ。
「余計な来客と話し込んでいた所為で、ハブポートに予約した時間までもう余裕がないな。少しばかり飛ばしてくれ、カタリナ」
車の後部座席に腰掛けたクルトが、運転席にいるカタリナにそう声を掛ける。余計な来客とは自分のことなのだろう。助手席に腰掛けていたアメリアはそれを理解して居心地の悪さを誤魔化すために口を開いた。
「今更だが、ハブポートとは便利な施設だな。どれだけの距離があろうと一瞬にして移動してしまうのだからな。おかげで地区間の移動はもちろんのこと、未開拓地に設置したレストポイント間の移動も可能となり、開拓途中でもこうして街に帰還することができる」
「そんな移動手段でもなきゃ、未開拓地で眠りこけてる奴をわざわざ助けやしねえさ」
クルトの言葉にアメリアは「うっ」と声を詰まらせる。話題を逸らしたつもりだったが藪蛇だったかも知れない。返答に窮するアメリアにクルトがニヤリと軽薄に笑う。
「ハブポート――俺たち人間が外大陸に進出するよりも前にそこで暮らしていた先住民族――外人種が残した遺産だな。確かに便利なものだが具体的な装置の仕組みはまだ解明されていない。なんたって制作者である外人種は姿を消しちまったからな」
「外人種は私たち人間がこの外大陸に進出した時にはすでに絶滅していたと聞いたが」
アメリアの確認に、クルトが一度頷いてすぐに左右に頭を振る。
「正確には絶滅している可能性が高いってことだな。外大陸の各地に残されている外人種の遺跡は最低でも百年以上も前のものばかりだ。外大陸をくまなく探したわけじゃねえが、外人種が今なお外大陸に生存しているとは考えられない」
「ハブポートは彼らの遺跡から発見されたものを流用しているのだったな」
「ハブポートだけじゃない。開拓者が拠点として設置するレストポイントも遺跡からの流用品だし、外大陸に存在する各地区の名前や境界、土地に根付いた加護や呪い、そして呪瘍なる怪物――これら外大陸の基礎知識もまた外人種の遺跡から得られたものだ」
クルトの説明は外大陸で暮らしている人間ならば当然把握しているだろう内容だ。アメリアは僅かばかり思案すると「それにしても」と疑問を口にする。
「これほど高度な文明を築いていた外人種とは何者なのだろうか。彼らがどのような姿をしていたのかさえも発見された文献からはまだ分かっていないと聞くが?」
「そう言われている。だが実のところ、その文献はとっくに発見されているのかもな」
「どういう意味だ?」
「外人種と便宜上呼んでいるが、連中が俺たち人間と同じような姿形とは限らない。もしかすると文献に姿が描かれていても、それが外人種だと気付いていない可能性もある」
「そんなことが?」
「俺たちが怪物だと恐れている呪瘍が、実は外人種の姿だったとも限らないんだぜ」
アメリアの背筋がゾクリと凍える。あのような不気味な怪物が当然のように街中をうろついている光景を想像したのだ。顔を青くしたアメリアにクルトが気楽に肩をすくめる。
「まあこれは極端な話だがな。真面目に話せば、残された道具や建造物から外人種が俺たち人間とさほど変わらない姿だったんじゃないかと専門家は予想している」
「……あまり適当なこと言わないでくれ」
乱れた呼吸を整えるアメリア。彼女の愚痴にクルトがクツクツと意地悪く笑う。
「これから呪瘍がわんさかいる未開拓地に乗り込もうって時に、こんな話でビビるなよ」
「別に怯えてなどいない。私だって開拓者として呪瘍とは戦い慣れているんだ」
「そいつは何より。呪いに感染したことで呪瘍がトラウマになったのかと心配したぜ」
まるで心配した素振りなくクルトが軽い口調でそう言う。自分の失態を嘲笑されたようでアメリアは気分を悪くした。だがそのミスした自分を助けてくれたのはクルトだ。この点にかんして彼に文句など言えない。
「確かに私はクルトさんの助けがなければ、呪いにより命を落としていただろう」
アメリアはそれを素直に認めると、その赤い瞳をキリリと引き締めた。
「だが次はそのような失態はしない。開拓者としてそれをここに誓おう」
「誓うも何も……そんな幼児体形じゃ呪瘍とまともに戦えないだろ、お前は」
クルトの冷静な指摘にアメリアはぎくりと肩を揺らした。自分が無力な幼女であることを忘れていたのだ。まるで人形のような自身の小さな手。これでは剣などまともに振れない。アメリアは嘆息してポツリと言う。
「この呪い……ちゃんと解けるのだろうか?」
「まあ……多分な」
アメリアの思わずこぼれた不安にクルトが曖昧ながら首肯して見せる。
「俺たち開拓者の役割は未開拓地の呪いを解いて人の住める土地に開拓することだ。エルピダ地区の開拓が成功すれば、その土地に根付いたお前の呪いも消えるだろうぜ」
「それは確かなことなのか?」
「言っただろ? 多分だってな」
クルトが断定を避けて言葉を続ける。
「如何せん、呪いに感染したまま生きている人間なんて数少ない。十分なサンプルが取れねえんだ。あくまで俺の経験則では、そういった事例がほとんどってことだな」
「……仮に元の姿に戻れないようなら、私はこれから一体どうすればいいんだ?」
「まず学校に通うための手続きをしねえとな」
「……茶化さないでくれるか?」
後部座席をじろりと睨みつけるアメリアに、クルトが軽薄に笑いながら肩をすくめる。
「お前も言ったように、普通は死んでいたところなんだ。生きていただけ儲けものだと思えよ。良かったじゃねえか。感染した呪いがチビになるだけの馬鹿げたものでよ」
「……そもそも何なんだその呪いは? 私は呪いに感染すれば十中八九死ぬものだと認識していた。呪いの特性は地区ごとで異なるようだが他の地区もこんな妙なものなのか?」
「そのあたりの詳細は分かってねえんだ。外人種の文献にも、呪いに関して大枠の説明はあっても地区単位の説明はねえからな。呪いに感染してくたばった奴は数多くいるが、あまりに非常識な死にかたで、具体的にどんな呪いだったのか判明しないことが多い」
「非常識?」
「俺の聞いた話では、頭だけを地面に埋めて窒息死する呪いがあったらしい。お前はこの行動パターンからその呪いがどんな特性があるのか見抜くことができるか?」
頭だけを埋める呪い。その特性など見当もつかない。何となくクルトの言いたいことを理解するアメリア。クルトが「それによ」と溜息混じりに言葉を続ける。
「現代における人類の急務は土地の確保だ。開拓すれば消えちまう呪いの調査なんて優先順位が高くねえのさ。もちろん研究自体が全くされてねえわけじゃねえけど」
「……それなら詳細が判明している呪いは一つもないのか?」
「いや……数は少ないがあるにはある。有名なのはこの土地――セラピア地区の呪いだ」
唐突に身近な名前が出てきてアメリアはドキッと心臓を鳴らした。外大陸でも有数の大都市。セラピア地区。その土地が未開拓地であった当時。そこに根付いていた呪い。自然と緊張感を高めるアメリア。クルトが自身の膝に頬杖をついて詳細な話を始める。
「約五十年前に実施されたセラピア地区の開拓。稀にみる広大な土地面積を誇るセラピア地区の開拓は難航を極めた。最終的に開拓における犠牲者は約六千人。これは未だに開拓史上の最大犠牲者数とされている」
「六千人も……」
「当時はまだ未開拓地の知識も浅く、何より開拓者のライセンス制度がなかった。大勢の素人が一獲千金を狙おうと未開拓地に侵入して犠牲になったわけだ。だがその状況を加味しても、これほどまでの犠牲者を出した原因はセラピア地区の強力な呪いにある。セラピア地区の呪いに感染した人間は――一瞬にしてスープ状の肉塊に変化しちまうのさ」
スープ状の肉塊。その日常では聞かない単語の組み合わせにアメリアは鳥肌を立てた。彼女が動揺したのを感じてか、クルトが面白そうにニヤリと唇を曲げる。
「スープ状の肉塊を調べると、全ての生体組織がグズグズに腐っていることが判明した。当時それを目撃した連中は、そのあまりに凄惨な光景とひどい悪臭から、一ヶ月はまともに食事ができなくなったって話だぜ」
「……どうしてそんな……」
「当時の人間もそれが分からなかった。だがセラピア地区が開拓されて、その土地に根付いた加護の特性に気付いた時、同時にその土地の呪いの特性にも気付いたんだ。因みにアメリア。セラピア地区の加護が何なのかお前も知っているはずだな」
「……セラピア地区の加護――」
アメリアは一呼吸の間を空けてクルトの問いに答える。
「それは『治癒』だ。この土地には病や怪我を治癒する加護が根付いている」
アメリアの答えにクルトが満足げに頷く。
「その通りだ。土地に根付いた加護。その恩恵は該当する土地で暮らしている誰もが公平に与えられる。つまり治癒の加護が根付いているセラピア地区に暮らしているだけで、あらゆる病や怪我から俺たちは守られるわけだ」
「私の右足の怪我が一日で完治したのもセラピア地区の加護のおかげなのだな」
「ああ。セラピア地区が外大陸でも一、二を争う人気を誇るのも、この土地に根付いた加護があればこそだな。話を戻すが、土地の呪いとは加護の力が制御されず暴走した状態だと説明されている。セラピア地区の加護の特性が判明し、ようやく多くの犠牲者を出した呪いの特性も判明した。セラピア地区の呪い。それは――過剰治癒だった」
クルトの黒い瞳が静かに細められる。
「大量の水を与えると植物が枯れるように、過剰治癒は生体組織を腐敗させる。結果としてセラピア地区の呪いは感染した人間をスープ状の肉塊に変貌させちまったわけだ」
「……本来は人間を助ける加護が、制御を外れたことで呪いに変わるということか」
「そういうことだ。しかしなんだな――」
クルトが頬杖の姿勢から背中を伸ばして大袈裟な身振りで嘆息した。
「一昔前の開拓者ならこの程度の知識は持っていて当然だったけどな。最近はライセンス試験がぬるく開拓者の質が落ちているという噂はどうやら本当らしい」
クルトの皮肉にむっと表情を渋くするアメリア。だが実際初耳の情報ばかりだったため反論も難しかった。不満顔の彼女を無視してクルトがだるそうに頭の後ろで手を組む。
「まあお前の感染した呪いが何にせよ、土地を開拓しちまえば関係ねえんだから深く考えるだけ無駄だぜ。せいぜい童心に帰ってお人形さん遊びでもしてろよ」
クルトが一方的にそう告げて窓の外に流れている景色をちらりと一瞥した。
「もうすぐハブポートに到着か。俺もそろそろ気合を入れようかね」
そう誰にともなく独りごちながら――
クルトが黒い瞳をギラギラと輝かせた。
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「カタリナさんもエルピダ地区の開拓に同行するだってぇええええ!?」
駐車場から出たところで、アメリアはその衝撃の事実に声を上げた。開拓者としての武器。鞘に納められた剣を胸に抱きながら唖然とするアメリア。その彼女にカタリナが無表情のまま「当然よ」と淡々と答える。
「人気のない場所でクルトと女の人を二人きりにさせられないでしょ」
なんとも滅茶苦茶な理由だ。まるで新妻のようにクルトの右隣りをピタリとくっついて歩いているカタリナ。アメリアは慌ててその彼女の正面に回り込むと、小さな足を後ろ向きに動かしながら彼女を説得する。
「冗談じゃない! 未開拓地は危険な場所なんだ! 開拓者でもないカタリナさんを連れていけるはずがないだろ!」
「そんなこと言って……あたしを追い払ってクルトと二人きりになろうって魂胆ね」
「全然違う! 果てしなく違う! 徹頭徹尾違う! 純粋無欠に違う!」
カタリナの的外れな指摘をアメリアは全身全霊で否定する。だがそれでもなお納得しないのか、カタリナが無表情を維持したまま青い瞳を静かに細めていく。
「信用ならないわ。さっきもあたしが車の運転に集中していることを良いことに、あんなに楽しそうにクルトとお喋りして。クルトと恋人にでもなったつもりかしら?」
「おおよそ恋人同士の会話ではなかったと思うのだが」
スープ状の肉塊が登場する恋人の会話とは何なのだろうか。アメリアは体の向きを正面に戻すと――後ろ向きで走るのに疲れた――クルトの左隣に並んで彼に話し掛ける。
「クルトさんからもカタリナさんを説得してくれ。彼女があまりに危険だろ?」
「ちみっこのお前が言っても説得力ないがな」
体格に不釣り合いの剣を胸に抱いているアメリアにクルトが苦笑する。開拓に必要な各種荷物。それを入れたリュックサックを背負いながらクルトが肩をすくめた。
「カタリナがこうなったら頑として聞かねえよ。無理に置いてこうものなら、一人ででもエルピダ地区に向かいかねない。それなら近くにいるほうが安全だ」
「旅行に行くのとはわけが違う。彼女を預けられる親戚とかはいないのか」
「俺もカタリナも頼れるような身内はおろか知り合いもいねえよ」
カタリナが拗ねたような無表情でアメリアとクルトを見据えている。どうやら二人だけの会話が気に入らないらしい。この嫉妬深い彼女をどう説得すれば家に帰すことができるのか。必死に思考したアメリアは――
プライドをかなぐり捨てる決意をした。
「カタリナさん。よく考えてくれ。今の私は見ての通り――幼女なんだ!」
自身を幼女だと発言する。それは誇りある開拓者のアメリアにとって屈辱的なことであった。だがもはや背に腹は代えられない。アメリアは大きな剣を胸に抱いたまま体をフルフルと揺らして意識的に幼女アピールをした。
「仮に――万が一――私がクルトさんに好意を寄せていたとして、こんな子供を相手にするような男ではないだろ? クルト・ホーエンローエとはそれほど変態なのか?」
アメリアの懸命な訴えに、カタリナの無表情が雷にでも打たれたように硬直した。ようやく理解してもらえたらしい。ほっと胸をなでおろすアメリア。カタリナが震えている指先を唇に触れさせてポツリと言う。
「ガスの元栓……閉めたかしら?」
どうやら理解してもらえたと感じたのは勘違いだったようだ。安堵から一転落胆して肩を落とすアメリア。カタリナが硬直していた無表情をさらりと解いて平然と言う。
「何を言われようとついていくわ。クルトはカッコよくて優しくてハーレム気質だから。きちんとそばで見張らないと老若男女問わずに言い寄ってくるのよ」
「……俺は野郎共ともハーレムしなきゃいけねえ運命にあるのか?」
カタリナのとんでも発言に、さしものクルトも引いているようだ。アメリアはもはや反論するのも馬鹿馬鹿しくなり、ただ思ったことをそのまま口にした。
「……命を助けてもらって何だが……私にはクルトさんがそこまで魅力的だとは思えない。カタリナさんが気にするほど言い寄ってくる女性なんかいないと思うぞ」
我ながら無礼な発言。だが当人のクルトは気分を害した様子もなく「言うねえ」と面白がるように笑っていた。問題はカタリナの方だ。そう気構えていたアメリアだが意外なことにカタリナも冷静であった。ただ無表情に小さな苛立ちを覗かせて――
「それがいるから……面倒なのよ」
そう憂鬱そうに嘆息する。