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第一章 開拓者2

「初めまして、アメリア・エンゲルスさん」


 黒ずくめの男――クルト・ホーエンローエに案内されたリビングには、十代後半と思しき一人の少女がいた。黒いおかっぱ頭に切れ長の青い瞳。細身の眼鏡をかけて、しわのない紺色のスーツを着用している。女性に促されるままソファに座るアメリア。彼女とはテーブルを挟んで対面のソファに座っている黒髪の少女が自身の胸に手を当てた。


「あたしはカタリナ・レームブルック。レームブルック不動産の社長を務めているわ」


「レームブルック不動産の社長?」


「別におかしな話ではないでしょう?」


 アメリアの疑問を読んでいたかのように少女――カタリナ・レームブルックが言う。


「貴女が倒れていた森――エルピダ地区は未開拓地だもの。危険な未開拓地にわざわざ出向くような人間は、相当の物好きか開拓者――或いは物好きな開拓者しかいないわ」


「俺は別に好き好んで未開拓地になんぞ出向いてないけどな」


 リビングの壁に寄り掛かっていたクルトがポツリと呟く。カタリナがクルトをちらりと一瞥してアメリアにまた視線を戻した。


「開拓者は基本的に不動産会社に雇われている。だから開拓者であるクルトに拾われた貴女が、彼の雇い主であるあたしの事務所兼自宅にいることは何ら不思議でもないわ」


 どちらかと言えばまだ十代後半だろうカタリナが会社の経営者であることに驚いていたアメリアだが、とりあえずカタリナの説明に頷いて気になっていた疑問を口にする。


「どうして私の名前を?」


「貴女の荷物を確認させてもらったわ」


 特に悪びれもせずカタリナがそう話す。


「その荷物の中にあった開拓者のライセンスから貴女の名前を知ったの。悪く思わないでね。素性の分からない人を家に泊めるなんて気味が悪いでしょ?」


「貴女たちには命を救われた。その程度のことで文句など言わないさ」


 アメリアは居住まいを正して、カタリナとクルトに向けて頭を深々と下げた。


「礼が遅れてしまい済まない。助けてくれてありがとう。貴女たちのおかげでこうして生き長らえることができた。心より感謝する」


「気にしないでちょうだい」


 カタリナが淡々と応える。彼女の返答にアメリアは下げていた頭を持ち上げた。どうやら彼らは紛れもない善意により自分を救出してくれたらしい。アメリアはそれを理解して彼らのことを僅かでも疑った自身を恥じた。


「貴女を救出したことで開拓が中断されて計画が狂ったけど――気にしないで」


 カタリナがさらりとそう呟く。彼女の言葉に「――うっ!」と胸を痛めるアメリア。僅かに頬を引きつらせた彼女に、無表情のカタリナがさらに言葉を続けた。


「ライバル社のマイヤーハイム不動産に雇われている開拓者(あなた)を救うことで、わが社はマイヤーハイム不動産から大きく後れを取ってしまうわけだけど――気にしないで」


「――ぐはぅ!」


「これが原因でエルピダ地区の開拓に失敗してしまい、マイヤーハイム不動産にその土地を奪われるようなことがあれば、わが社は大損害を被るけど――気にしないで」


「――ぎょほおぅ!」


 立て続けに放たれるカタリナの言葉。その胸に突き刺さる鋭利な言葉にアメリアは顔面を蒼白にした。アメリアを無表情のまま見据えているカタリナ。彼女の微動だにしない青い瞳に射竦められながら、アメリアは息も絶え絶えに謝罪を口にした。


「ほんと……ご……ごめんなしゃい」


「……冗談よ」


 カタリナが表情を変えずに呟く。ぽかんと赤い瞳を丸くするアメリア。困惑する彼女など気にする様子もなく、カタリナが青い瞳を一度瞬きさせて話を続ける。


「もともと予定していた調査を終えてクルトは帰還する途中だった。その帰り道で貴女を拾っただけ。貴女を救出したことで、あたしたちの開拓作業が遅れたなんて嘘よ」


「……なぜそのような嘘を?」


「貴女の反応が面白いからつい……ね」


 カタリナの言葉に、アメリアは「うぐ……」と頬を赤くした。カタリナが見た目通りの年齢ならば自分のほうが年上であるはずだ。だというのに弄ばれるような真似をされたことが恥ずかしい。アメリアはコホンと咳払いして話を本筋に戻した。


「ここは外大陸のどこだろうか?」


「セラピア地区よ」


 セラピア地区。外大陸南に位置する広大な土地面積を誇る地区だ。五十年前に開拓された比較的古い土地であり外大陸でも有数の大都市とされている。アメリアは外大陸の地図を頭に展開しながら次の疑問を口にする。


「私が眠っていた時間は?」


「今が午後一時だから二十時間ほどね」


「右足の治療もやはり貴女たちが?」


「治療と呼べるほどのことじゃないわ。消毒液をしみこませたガーゼを包帯で巻きつけただけ。深い傷でもなかったし明日にはもう完治しているんじゃないかしら」


「確かに深い傷ではないようだが……それでも明日に完治するというのは――」


「それが()()()()()()()()()だから」


 カタリナの言葉にアメリアは()()する。とりあえず大方の状況は把握した。あと残された疑問はただひとつ。だがその疑問はこれまでよりもひどく重大なものであり――


 あまりに異質なものであった。


「……変なことを尋ねるかも知れないが」


 アメリアは意を決して疑問を口にした。


「私はなぜ()()()()()()()()のだろうか?」


 これまでの疑問に間を空けず返答していたカタリナ。その彼女がここで沈黙を返す。なぜ子供になっているのか。それは客観的に意味不明な質問だ。困惑されても仕方ないだろう。だがカタリナの感情のない表情は困惑とも動揺とも違うように思えた。


 カタリナがちらりと視線を横に移動させる。彼女の視線の先。そこには壁に寄り掛かり腕を組んでいるクルトがいた。これまで会話に参加してこなかったクルトが、カタリナの視線を受けて溜息まじりに口を開く。


「そりゃ()()のせいだな」


 呪い。クルトの軽い口調に反してアメリアは表情を強張らせた。疑問を口にしながらも半ば予想していた回答。クルトが組んでいた腕を解いて髪をポリポリと掻く。


「お前も開拓者なら知ってるはずだ。未開拓地に発生する怪物――呪瘍。お前は連中の攻撃を受けたことで()()()()()に感染したんだ」


「……確かに私も呪いの特性は理解している」


 包帯が巻かれた右足首を一瞥しつつ、アメリアはクルトの説明に頷いた。


「外大陸に存在する未開拓地。区画分けされたその土地には、それぞれ固有の()()()()()()()()()と考えられている。未開拓地に発生する呪瘍はその呪いの力が集約して具現化したものであり、呪瘍に傷つけられることでその呪いが人間に感染するとされる」


「未開拓地を調査する開拓者においての基礎知識だな。まあそういうことだ」


「……しかし、これが本当に呪いなのか?」


 アメリアは短い子供の腕を左右に広げて口調を僅かに強める。


「子供の姿になることが呪い? そんな馬鹿げた呪いがあるのか? そもそも呪いに感染した人間は誰も助からないと私は聞いている」


「助かる人間が皆無に近いというだけで、ごく稀にだが例外はある。土地に根付いた呪いは特性こそ千差万別だが総じて強力だ。人間が生き残れる呪いなんて数少ない」


「……では私が感染した呪いがその数少ないものであったと?」


「いや、お前は本来死ぬはずだった」


 アメリアは怪訝に眉をひそめた。困惑するアメリアにクルトがニヤリと笑う。


「お前が呪いでくたばる前に、ちょいと小細工をしてやったのさ。結果的にお前に感染した呪いは中途半端なものとなり、死ぬようなことにはならなかった」


「小細工?」


「覚えてねえか?」


 クルトが自身の首筋を指差して――


 その口元から鋭い牙を覗かせた。


「随分と色っぽい声で喘いだもんだがな」


 呪いに感染して気を失うその直前。首筋に感じた小さな痛み。そしてそれと同時に体を満たした強い快楽と唇からこぼれた甘い吐息。まだ鮮明に残るその記憶を思い出して、アメリアはカアッと顔を赤く染めた。


「ななな……なんでそれを……あああ、あれは夢ではなかったのか!?」


「なんだ夢だと思ってたのか? あんな気持ち良くしてやったのにつれねえな」


「ききき、気持ち良くなんてなってない!」


 軽薄に笑うクルトにアメリアは顔を赤くしたまま声を荒げた。唐突に首筋がチクチクとムズ痒くなる。アメリアは首筋を手で押さえると子犬のごとくキャンキャンと吠えた。


「気持ち良くなんてないし喘いだりもしていない! むしろあまりに気持ち悪くて思わず声が漏れただけだ! か、勘違いをするのはやめてくれ!」


「そうか? 気を失うその直前まで俺の体に抱きついて離れなかったんだぜ? えらく爪を立てるもんだから俺の背中にその痕が付いちまったし……何なら見るか?」


「ううう、嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 私はそんな真似していない! というかあの時、私に一体何をしたんだ! あ、あんな悍ましい感覚……ふ、普通ではなかったぞ!」


「そうか……お前初めてだったのか? そいつは悪いことしちまったな」


「ま――まさかぁあああ!?」


「冗談だよ。別にやましいことはしてねえから落ち着けって。あれは――」


 何かを言いかけたところ、クルトがハッとしてカタリナに視線を移動させた。会話を沈黙して聞いていたカタリナが、その青い瞳を細めてクルトを睨みつけていた。


「……やっぱり噛んでいたのね」


「ああ……まあ……そうだな」


 カタリナの淡々とした確認にクルトが頬を引きつらせつつ答える。


「緊急事態だからな。ああっと……言ってなかったっけか?」


「聞いてない」


 カタリナの穏やかな口調。だがそれは明確な怒りを孕んでいた。何かを誤魔化すように空笑いをするクルトに、カタリナが獲物を追い詰める獣のごとく瞳を鋭くする。


「アメリアさんを助けたのは……彼女が綺麗な女の人だから?」


「綺麗なって……こんなガキンチョにちょっかい掛けるような趣味はねえって」


「それは彼女が呪いに感染したからで、本当の彼女は好みタイプだったんじゃないの?」


「勘弁しろよ……正真正銘の善意から助けてやっただけだ。見捨てるのも後味悪いだろ」


「それならどうして噛んでいたことを黙っていたの?」


「そりゃあ……こうなることが予想できたからなんだが……」


 カタリナが無表情のまま怒気を膨らませる。口ごもるクルトを睨みつけるカタリナ。しばしの沈黙。クルトが観念するように嘆息した。


「隠していて悪かったよ。どうすれば許してくれる?」


「……今日、一緒にお風呂入って」


 カタリナの言葉にアメリアはぎょっと目を丸くした。若い女性が男性と一緒に入浴する。それはアメリアの道徳観では考えられない衝撃的な発言だった。カタリナの要求にクルトが頭をポリポリ掻きながら言う。


「あのな……お前だってもう十八歳になるんだから、そういうのは卒業しろよ」


「それなら許さない」


「……分かったよ。約束する」


 クルトの返事を受けて、カタリナがその視線をアメリアへと移す。相変わらず無表情のカタリナ。だがその無表情の中に僅かながら満足げな気配が感じられた。


「……あの……噛みつくというのは――」


「この話は終わりよ」


 疑問を口にしようとしたアメリアをカタリナが容赦なくシャットアウトする。先程の態度からも分かることだがカタリナにとってこの話題はあまり愉快ではないらしい。


「とりあえず命は助けてあげたから、これ以上の詮索はなしね。アメリアさんの雇用主であるマイヤーハイム不動産には昨日のうちに連絡を入れてあるわ。社員の誰かがここに迎えに来るそうだから、アメリアさんの口から彼らに事情を説明してちょうだい」


「ちょ――ちょっと待ってくれ。こんな子供の姿では話を聞いてもらえるかどうか」


「それはそちらの都合で、あたしたちに関係あることじゃないわ」


 アメリアの言葉を軽くあしらい、カタリナが淡々とした口調で言う。


「知っていると思うけど不動産業界は未開拓地を取り合うことから全ての会社がライバル関係にある。そんな状況にある中、他社の開拓者を助けただけでも十分だと思うけど」


 土地単価が高騰している昨今。多くの不動産会社が未開拓地を獲得しようと躍起になっている。他社との熾烈な競争に勝ち抜こうと犯罪スレスレの行為――或いは犯罪そのもの――に及んでしまう会社もあると聞く。確かにカタリナの言う通り、そのような状況にある中で他社の開拓者に命を救われただけでも十分すぎる幸運と言えるだろう。


(それは分かっているんだが……)


 心なしかカタリナが数分前より素っ気ない気がする。詳細が聞けずじまいのクルトが話していた小細工。その話題が出たのを境に、彼女の青い瞳に冷たい気配を感じるのだ。


「マイヤーハイム不動産の人間が来るのは午後二時。あと一時間ほどね。時間が来るまでは客室――アメリアさんが寝ていた部屋で休んでいるといいわ。お腹が空いているようなら簡単な食事ぐらいは出せるけど?」


「それはありがたいのだが……できることなら……服はどうにかならないだろうか?」


 カタリナが怪訝に首を傾げる。アメリアは自身が着ている男物の白シャツを見下ろすと、膝丈まであるその裾を指先で摘まみながらたどたどしく言う。


「下着もつけずにシャツ一枚では……その……人前に出る恰好ではないないだろ? 可能であれば……普通の服と下着を用意してもらいたいんだが」


 カタリナが思案する素振りをして「残念だけど……」と頭を振る。


「アメリアさんの体形に合う服はこの家にないわ。あたしが小さい頃に着ていた服は処分してしまったし、今のあたしの服では大きすぎるでしょ?」


「それは……そうなのだが……」


「逆にあたしの上着だけだと裾が股下ギリギリだし、それだとあんまりだから、クルトの上着を貸してあげたのよ。これならワンピースと大差ないから」


「しかし……シャツ一枚というのは……」


「本音を言うとね……クルトの上着を女の人に貸すことにあたしは反対なの」


 カタリナの青い瞳が音もなく細められる。


「できることなら……この場で引っぺがしたいぐらい」


 何やら悪寒を覚えて、アメリアは咄嗟に口をつぐんだ。どうやら別の服を用意してもらうことは難しいらしい。アメリアはそれを理解して嘆息した。


「……私が着ていた服と荷物はどこに?」


「服は汚れていたから洗っているわ。荷物はアメリアさんが寝ていた客室の棚に押し込んである。それとアメリアさんが所持していた剣だけど――」


 カタリナがおもむろに自身が腰掛けているソファの背後に腕を伸ばす。ごそごそと探るように腕を動かして、カタリナがソファの背後から鞘に納められた剣を取り出した。


「こちらで預からせてもらっているわ。家の中で振り回されても困るからね」


「私は命の恩人に対して剣を振り回したりなどしない」


「あくまで念のためよ。この家を出る時になったら返してあげる」


 カタリナが肩をすくめてアメリアの剣をテーブルの上に置く。位置的にアメリアが手を伸ばしても届かない絶妙な距離。アメリアを本気で疑っているというより、カタリナにとっては当然の防衛意識なのだろう。


(それに私はライバル社に雇われている開拓者でもあるわけだしな)


 最終的に荷物が返ってくるなら異論などない。アメリアは「分かった」と頷くと、今更ながらに自身の空きっ腹を意識して、申し訳なく思いながらも再度口を開く。


「話を戻すことになるが……食事を頂けるなら本当にありがたい。もちろん食事代を含めたお礼は後日きちんとさせてもらうつもりだ」


「お礼なんかいらないけど本当に大したものなんてないから期待しない――」


 ここで突如乱暴なノックが鳴り響き――


 怒鳴るような声が聞こえてきた。


「すんませーん! マイヤーハイム不動産の者ですがねえ、お宅にウチの開拓者がお世話になってるってんで迎えに来たんっスけど!」



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