第一章 開拓者1
「どうしてなの?」
家の玄関で少女はそうポツリと呟いた。少女の目の前には大人の男性が立っている。男性の顔を見上げる少女。だがどういうわけか少女の目には男性の顔がぼやけて見えた。少女の問いを受けて顔のない大人が答える。
「仕方のないことなんだよ」
顔のない大人がゆっくりと頭を振る。それはとても申し訳なさそうで、だがどこか淡泊な反応だった。困惑する少女に顔のない大人が言葉を続ける。
「君のお父さんがお墓に入ることはできない。しかしお父さんの遺体は私たちが適切に処理するから、そこは安心してほしい」
生まれてより過ごしてきた家。慣れ親しんだ心安らぐ場所。だが今はどこか余所余所しく冷たい。その理由は分かっている。その場所にいるはずの人間がいないからだ。これまでいつもそばにいた大切な人。自分を心より愛してくれた存在。最愛の父親。
その父がここにはもういないのだ。
「どうしてなの?」
少女は疑問を繰り返すと、その赤い瞳を不安げに瞬かせた。
「お父さんが言ってたよ。誰かが死んじゃった時はお墓を作ってあげるんだって。お墓を作ってあげれば、死んじゃった人にまた会いに行けるんだって」
父がそれを話してくれた時は、もっと難しい言葉を使っていた。だがまだ幼い少女ではそう説明するのが精一杯だった。顔のない大人が気不味そうに眉をひそめる。少女は小さく頭を振りその赤い髪を揺らした。
「お墓がなかったら、あたしはどうやってお父さんに会いに行けばいいの?」
「……残念だけどね、お嬢さん」
顔のない大人が溜息混じりに言う。
「君のお父さんは土地を所有していない。だから墓なんて作れないんだよ」
少女は首を傾げる。顔のない大人が話した言葉。その意味が分からなかったのだ。ますます困惑する少女。顔のない大人がまた溜息を吐いて肩をすくめる。
「お嬢さんにはまだ難しい話だと思うが、私たち人類はいま土地不足という問題に直面しているんだ。増え続ける人口に対して、人が暮らしていくための土地が圧倒的に足りていない。特に都心部の過密化は深刻で、もはや都市機能が麻痺しかねないほどだ」
「……どういう意味?」
「つまり簡単に言うとね――お墓なんて無駄なものに貴重な土地を使えないってことさ」
無駄なもの。その衝撃的な言葉に少女は息を詰まらせた。少女の反応を見てか、顔のない大人がややバツの悪そうに頭を掻いて、言い訳をするように口早に言う。
「今の時代、お墓を作れる人は土地を所有している地主だけだ。お金を払って土地を借りることもできるけど、その借りた土地にお墓を作るなんて地主が許さないだろう。だからまあ……君のお父さんがお墓に入れないことは何ら珍しいことじゃないんだ」
「……でも……だけどそれじゃあ……」
「それともう一つ……これも言いにくいんだが……君には立ち退き命令が出ている。つまり君はこの家から出ていかないといけない」
ようやく絞り出した声がまたも詰まる。怯えるようにカタカタと赤い瞳を震わせる少女。その彼女からやや目を逸らし、顔のない大人が言葉を続ける。
「ここは借家だからね。この家も土地も君たちのモノではない。他に所有者がいる。その人にお金が払えないのなら君はここに居てはいけないんだ。残念なことだけどね」
「……あたしは……どうすれば……?」
「この街には養護施設がある。とりあえずはそこで君は暮らしていくことになる。また後日に詳細な連絡があると思うけど、その心づもりだけはしていてくれ」
父の墓を作ることも叶わず、父との思い出がある家からも追い出される。どうしてこのようなことになるのか。最愛の父を失いただでさえ憔悴しているというのに、どうして立て続けに不幸に見舞われるのか。どうしてここまで苦しまなければならないのか。
その全ての元凶は――
(あたしが……土地を持っていないから?)
少女は自然と口を開いていた。
「どうすれば……土地をもらえるの? あたしも土地が欲しい」
少女の言葉が意外だったのだろう。顔のない大人が動揺するのが分かった。顔のない大人を見つめる少女。顔のない大人が「そうだな……」と口ごもりながら問いに答える。
「一番簡単なのは不動産から土地を購入することだね。土地が不足しているとはいえ空き地がないわけじゃない。地主たちの殆どがそうやって土地を手に入れている」
「あたしも買えるの?」
「お金があればね……ただ――」
顔のない大人がゆっくりと頭を振る。
「土地の購入には驚くような大金が必要だ。国中の資産家が競り合っているからね。土地単価は年々増加している。とても私たち一般人が手を出せるものじゃないさ」
「……そうなんだ」
どうやら土地を購入することはひどく難しいらしい。少女はそれを理解してしゅんと肩を落とした。沈黙した少女に居心地悪そうに体を揺らす顔のない大人。するとここで「あ……そういえば」と彼がふと口を開く。
「開拓者ならお金がなくても土地を貰えることもあるらしいね」
「開拓者?」
聞き馴染みのない言葉に少女はきょとんと首を傾げた。疑問符を浮かべた少女に、顔のない大人が「私もあまり詳しくないが……」と前置きしてから説明を始める。
「さっきも話した通り、私たちは深刻な土地不足に悩まされている。そこで国は新たな土地の開拓を推進しているんだ。王都が存在している国の中心地――ナウス島には新たに開拓する土地などない。だが島の外海に存在している外大陸――私たちがいま暮らしているこの大陸には、未開拓の土地がまだ多く残されているからね」
「土地の開拓……?」
「簡単に説明すると、人の住めない土地を人が住めるようにするってことさ。土地の開拓に成功すれば、その開拓された土地をまるまる獲得できる。だから不動産会社は開拓事業に全力で取り組んでいて、その開拓に必要となる優秀な開拓者を探しているんだ」
顔のない大人が一呼吸の間を空けて、改めて説明を再開する。
「未開拓地は往々にして危険な場所だ。そんな土地を開拓する開拓者には、不動産会社から多額の報酬金が支払われる。そして聞いた話では、案件によっては開拓した土地の一部を報酬として貰えることもあるらしい」
「それじゃあ、あたしも開拓者になれば土地を持てるんだね」
そして土地を持つことができれば、父の墓を作ることができる。これまで当たり前に存在していた生活。その全てを奪われて絶望していた心。その疲弊していた心に――
一筋の光明が差した。
「まあ……そうなるのかな。ただしそれは簡単な話ではないよ。開拓者として正式に認められるためにはライセンスを取る必要があるし、そもそも開拓者は本当に危険な――」
顔のない大人が説明を続ける。だがその声はもはや少女に聞こえていない。開拓者となり土地を手に入れる。この世界に家族だけの居場所を作る。その決意を胸にして――
少女は赤い瞳を燃え上がらせた。
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(……昔の夢……か)
アメリア・エンゲルスは夢から覚めると、目を閉じたまま胸中で独りごちた。
まだ十歳にも満たない幼き時代。最愛の父を亡くして、父の墓さえも作れないという事実に、絶望に打ちひしがれた過去。そして同時に、開拓者となる決意をした記憶。
(……そうか……あれはもう……十年以上も前のことになるのか)
目を閉じたまま思う。先日に二十歳の誕生日を迎えた。開拓者のライセンスを得たのが十八歳の頃であるため、開拓者として活動を始めて二年が経過したことになる。
(だが……成果は芳しくないな)
未だ解消されない深刻な土地不足。開拓産業は近年さらに活発化しており、数多ある不動産会社が未開拓地を獲得するために動いていた。開拓者の需要は増加傾向にあり、アメリアもまた不動産会社と契約して、未開拓地に赴いたことが何度かある。
(しかし……そう都合よく土地なんか手に入るモノじゃない)
土地単価は年々増加している。貴重な土地を報酬とする案件など少なく、そのような案件は総じて倍率もすさまじい。アメリアのような新米開拓者に任される案件など、調査隊として未開拓地の情報収集をするという、本格的な開拓前に行われる準備作業ばかりで、土地はおろか報酬すら微々たるものであった。
(今回の仕事もそうだ……未開拓地の情報収集並びレストポイントの設置。危険な仕事には変わりないが、いわゆる本格的な開拓のお膳立てに過ぎない。だがその仕事を――)
しくじってしまった。未開拓地に発生する呪瘍なる怪物。その怪物の攻撃を受けて呪いに感染したのだ。開拓者としてひどい失態だろう。業界内の評価も厳しいものに――
ここまでアメリアはハッと気づいた。
(そうだ……しくじった私がどうしてまだ生きているんだ?)
開拓者として赴いた未開拓地。危険な呪瘍が蔓延る森の中で無防備にも気を失った。どれだけの時間が経過したのかは知らないが、それが短時間であろうと無事で済むとは思えない。そもそも呪いに感染したのだ。感染者に助かる術などないはず。アメリアは脳裏に浮かんだ疑問に困惑しつつ――
閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
仰向けに倒れた体。見上げた視界に見知らぬ天井が映された。普段寝泊まりしている安アパートの天井でもなければ気を失った森の中でもない。アメリアは赤い瞳を二度瞬きすると倒れていた上体をゆっくりと起こした。
重心が下半身に移動して尻が沈む。柔らかなベッドに寝かされていたのだ。起こした上半身からシーツが滑り落ちて、アメリアは自身の赤い髪をポリポリと掻いた。
「……ここは……一体?」
呟きながら視線を巡らせる。自身が寝かされていたベッドと最低限の家具だけが置かれた簡素な部屋。さほど広いわけでもなく寝室というよりホテルの客室に雰囲気が近い。清掃の行き届いた部屋をぐるりと見回してアメリアはポツリと呟く。
「……助かったのか……私は?」
どうやらここは危険な未開拓地ではなく、安全な街の中であるようだ。だとすれば未開拓地で気絶していた自分をここまで運んでくれた者がいるはずだ。それが何者かはっきりしない状況では断定もできないが、救助されたと考えるのが無難だろう。
(……そう言えば……気を失う直前に……黒い影を見たような……)
気を失う直前の記憶を探る。掠れた視界に映された黒い影。朦朧とした意識の中でその影を呪瘍だと判断した。だが冷静に考えるとそれは人の影だったようにも思える。
(そうだ……その影は私に近づいてきて……首筋にチクリとした痛みを覚えて……)
アメリアはここでカアッと顔を赤くした。
首筋に痛みを覚えた直後。瞬く間に全身を満たした感覚。意識をとろけさせる甘い快楽。それは女性として羞恥すべき本能に根差した衝動であった。アメリアは慌てて思考を振り払いとぼけるように独りごちる。
「間違いなくこれは夢だな。気を失う前に見た黒い影も全部夢だったに違いない。私としたことが詰まらない夢を見たものだ」
アメリアはそう断定してベッドの上で体を移動させた。ベッドから脚を下して床に着地する。不安定に揺れる体。寝起きのためか体のバランスが取りにくい。まるで自身の体ではないようだ。アメリアは両腕を広げながら慎重にバランスを整えた。
「さてと……まずは状況の確認をしなければならないな。しかしどうしたものか……」
恐らく自分をこの部屋に運んだ者、少なくともこの状況を把握している者が近くにいるはずだ。その何者かを呼んで話を聞くのが手っ取り早い。だがしかし――
「その人が善意から私を助けたのか……それとも別に目的があるのか……それが分からない状況で不用意に動くのも危険かもな」
もっともその何者かに悪意があるならば拘束ぐらいするだろう。自分を自由にしている時点でその危険性は低いと思える。人を呼ぶべきか。まだ様子を見るべきか。そう思案しながら何の気なしに周囲を眺めていると――
「……ん?」
部屋の隅にある鏡に目を止めた。
アメリアはふと考えてから部屋の隅にある鏡へと歩いていく。どうにも先程から体のバランスに違和感があるため、鏡に全身を映して確認しようと考えたのだ。鏡の前に立ち止まり鏡の中を確認する。鏡の中に――
赤い髪と赤い瞳の幼女が映された。
「……特に大きな怪我とかはないようだが」
鏡に映された自身の姿を眺めつつ、アメリアは自身の顔をペタペタとさわる。呪瘍に攻撃された右足首にこそ包帯が巻かれているも――この部屋に運ばれた際に治療されたのだろう――、それ以外に目立った外傷も見当たらない。寝起きのため赤い髪はボサボサだが、顔色も正常で健康体に思える。
唯一気掛かりなのは、服装が変わっていることだ。気を失う前は動きやすさ重視で、シャツにズボン、革のブーツという恰好だった。だが今は長袖の白ワンピース一枚だけで下着も履いていない。足の治療をする都合上、服を着替えさせたのだろう。
(それをしたのが男だとすれば……あまりいい気分ではないな)
命を助けてもらって勝手な言い分だが率直にそう思う。だがここでアメリアはふと気付いた。長袖の白ワンピース。彼女はそう思っていた。しかし鏡に映されたその服をよく見ると、それはワンピースではなく――
「この服は……ワイシャツか……?」
裾が膝丈まである大きなワイシャツ。ボタンの配置から男物であるようだ。ますます男性に服を着替えさせられた可能性が高まりアメリアはやや憂鬱となった。
「それにしても……大きなワイシャツだな」
鏡に映された自身の姿を眺めてアメリアはポツリと言う。一般的に女性は男性よりも小柄だが、それでも平均身長ほどある自分の膝丈まで隠れるワイシャツなど珍しい。袖も極端に長くて手が出ない。どうやらこのワイシャツの持ち主は相当大柄な男性らしい。
「いや……ん? ちょっと待て」
アメリアはハッと目を見開いた。鏡に映された自身の姿。ポニーテールの赤い髪。髪と同じ色の赤い瞳。見慣れた自身の姿。そのはずだ。だがその姿がどこか奇妙だ。
鏡に映された女性。アメリア・エンゲルス。それは間違いはない。絶対的な事実だ。だとすればこの違和感はなんだ。なぜこうも鏡に映された自身の姿を見て――
懐かしい気持ちになるのか。
「ま……まさか――」
ここでようやくアメリアは違和感の正体に気付いた。鏡に映された自身の姿。大きなワイシャツに身を包んだ女性。否。幼き少女。鏡に映された彼女は――
十歳にも満たない幼女の姿をしていた。
「どどどどど――どうなっているんだコレはぁああああああああああ!?」
人を呼ぶべきか。様子を見るべきか。そのことで悩んでいたことも忘れて、アメリアは頭を抱えて絶叫した。鏡の中で蒼白になる幼女のアメリア。その年齢はちょうど夢で見ていた過去の自分と同じぐらいで、ゆえにその違和感に気付くのが遅れてしまった。
「な、なんなんだ!? どうして子供の姿に……ま、まさか私はまだ夢を見ているのか!?」
とりあえずベタに頬を抓る。だが夢から覚める気配はない。そもそもこれが夢でないことぐらい実感として分かる。信じられないことだがこれは紛れもない現実だろう。
「おお……落ち着け。落ち着くんだ、アメリア・エンゲルス。開拓者たる者。いかなる事態にも冷静でなければならない。ま、まずは……深呼吸だ。深呼吸して心を落ち着かせるんだ。スーハー……スーハー……スゥ――うっ! 虫が喉に――ゲホガハァアア!」
虫を吸い込んで激しくむせる。胸を押さえてうずくまるアメリア。吐血しそうな勢いで咳き込む彼女のその苦悶の声は、彼女のいる建物全体によく響き渡ったことだろう。
ひとしきり咳き込んだ後に呼吸を整える。結局虫は吐き出せず呑み込んでしまった。気持ち悪さを覚えつつ、アメリアはうずくまった姿勢からフラフラと立ち上がり――
「お前……なに一人で死にかけてんだ?」
ここで唐突に声を掛けられた。
アメリアは慌てて声に振り返る。部屋に一つしかない扉。その扉が開かれており、そこに一人の男性が立っていた。年齢は二十代前半。中肉中背の体形。無造作に首筋まで伸ばした黒髪。ナイフのように鋭利な黒い瞳。全身を包み込んでいる黒のロングコート。見覚えのない男だ。だがその男を見た瞬間――
アメリアの心臓がドクンと跳ねる。
「……あ、貴方は?」
「クルト・ホーエンローエ」
男の淡々とした返答。クルト・ホーエンローエ。それが男の名前なのだろう。やはり聞き覚えのない名前だ。だがその男とは初対面ではない。アメリアはそれを理解する。黒髪に黒コート。全身黒ずくめの男。その影法師のような姿はまさに――
気を失う前に現れた黒い影そのものだった。
「起こす手間が省けたな。さて……寝起きのところ悪いんだがよ――」
男がニヤリと笑みを浮かべる。
「お前に話がある。少しばかりツラを貸してもらおうか。アメリア・エンゲルス」
どうしてこちらの名前を知っているのか。脳裏に浮かんだ疑問。だがアメリアはその疑問を口にしない。彼女の意識は名前とは別のことに奪われていたからだ。軽薄な笑みを浮かべている男。その口元から覗いている犬歯。その男の犬歯が牙ように鋭利に尖っている。普通の人間にはない奇妙な特徴。アメリアは男の牙を呆然と見ながら――
黒い影に噛まれた首筋にそっと触れた。