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第五章 感染者1

 未開拓地のエルピダ地区。その呪いの根源たる聖剣。それがあると推測される神殿に二人の開拓者――クルト・ホーエンローエとアメリア・エンゲルスが侵入してから、かれこれ十分が過ぎようとしていた。


 聖剣を引き抜く作業はさほど時間も掛からない。何かしらの障害がなければ一、二分で終わるだろう。神殿内にある聖剣を探してその聖剣を引き抜く。十分あれば事足りるはずだ。だがクルトとアメリアが神殿から戻ってくる気配は未だない。


「……遅いわね」


「……そうですわね」


 神殿近くに設置したレストポイント。そこに待機していた二人の女性。レームブルック不動産社長のカタリナ・レームブルック。そしてマイヤーハイム不動産開拓部部長のイザベラ・マイヤーハイム。レストポイントから神殿を眺めていた彼女たちは、開拓者二人の帰りが遅れていることに不安を覚えていた。


「神殿内で何かあったのかしら?」


「そうかも知れませんわね」


 未開拓地は危険な場所だ。特に聖剣がある場所は呪いの力も集中しやすく、どのようなトラブルが発生するか予測できない。神殿に侵入した開拓者二人もまた、そういった問題に直面して帰りが遅れているのかも知れない。


 だがカタリナとイザベラの不安はそれとはまた別にあった。


「……やっぱりそうなんじゃない?」


「やはりとは何のことでしょうか?」


「クルトとアメリアさんが神殿でイチャついていないかと言うことよ」


 待機を指示されたカタリナとイザベラ。その二人の不安は、開拓者二人が危険に晒されていないかではなく、開拓者二人がこの機に乗じて仲を深めていないかということであった。カタリナの口にした可能性にイザベラが表情を変えずに淡々と言う。


「私はクルトさんを信じておりますわ」


「あたしだってクルトを信じている」


「しかしクルトさんはとても優しい方です」


「あとカッコよくて強くて頭もいいわ」


「アメリアさんの強引な求愛に押し切られる可能性もなくはありません」


「お堅い人ほど内面はすごくエロイなんてよくある話ね。胸も大きいし」


 イザベラがカタリナを一瞥してすぐにまた神殿に視線を戻す。


「胸の大きさなど関係ありません。貴女は自分がぺったんこだから気になるのですね」


「クルトは小さな胸が好きなのよ。一緒のお風呂ではあたしの胸をよく褒めてくれる」


「貴女に言わされているだけです。それにいい加減、兄妹のように育てられたという特権を利用して、クルトさんに近づくのは止めたらどうですか? 卑怯ですよ」


「貴女に言われる筋合いない。そもそも貴女もクルトを開拓者として勧誘する名目で、クルトを何度も食事に誘っているじゃない。あれってすごく迷惑なんだけど」


 視線はあくまで神殿に固定したまま、カタリナとイザベラが互いに激しく意識をぶつけ合う。徐々に張り詰めていく空気。二人の緊張感が大きく膨れていき――


 ここでカタリナが嘆息する。


「……止めましょ。今はこの二人で争っている時じゃないわ」


「……そうですね。今の私たちの敵はアメリアさんただ一人ですわ」


「結局クルトはあたしを選ぶんだし」


「結局クルトさんは私を選びますし」


「それはそうと……気付いている?」


「それはそうと……気付いておりますわ」


 カタリナの青い瞳とイザベラの碧い瞳。二人の瞳が細められていく。森に隠された神殿。その周囲に複数体の呪瘍の姿がある。それ自体は別に大したことではない。未開拓地ならば呪瘍ぐらい見掛ける。それは当然のことだ。だが少しばかり――


 呪瘍の動きに違和感があった。


「呪瘍は基本的に意識がない。群れることはあっても目的をもって行動はしないはず」


「私もその認識です。しかしこの呪瘍たちはまるで――神殿を警護しているようですわ」


 無数の呪瘍が神殿の周囲を警戒するように歩いている。呪瘍らしからぬ異常行動。カタリナとイザベラは神殿に集まる呪瘍を見据えながらこれまでにない真剣な面持ちで――


「呪瘍までもクルトとアメリアさんの二人きりの空間を守ろうとしているの?」


「呪瘍が人間の色恋沙汰に興味を持つだなんて画期的な発見ですわね」


 そんな頓珍漢なことを呟いた。



======================



 遮るものがない広々とした草原。その一画に作られた美しい花畑。そこに一人の幼い少女の姿があった。少女の手には黄色いじょうろ。少女はじょうろをゆっくりと傾けると、花畑にじょうろの水をかけて回った。


 花畑に植えられた多種多様の花々。色鮮やかに咲き誇る花々がその花弁を水滴に濡らしてキラキラと輝く。頬をほんのりと赤らめながら花の一本一本念入りに水を注いでいく少女。花畑全体に水をかけ終えたところで、少女は空になったじょうろを地面に置いた。そして膝を屈めて花畑をのんびりと眺める。


 呼吸も会話もしない花々。だがこうして眺めていると花々の呼吸や会話が聞こえてくるような気がした。造花では決して感じられない生命の息吹。それがこの花々には確かにある。地面の栄養で成長した植物。土地に根付いた生命。この世界では――


 誰もが当たり前のように『居場所』を与えられている。


「アメリア」


 少女は名前を呼ばれて振り返った。少女の背後に一人の男性が立っている。柔らかな微笑みを浮かべている男性に、少女はパッと立ち上がり満面の笑顔を向けた。


「パパ」


 少女が立ち上がると同時に少女のワンピースが花弁のようにふわりと舞う。笑顔をはじけさせた自身の娘に、男性もまた微笑みを浮かべて手を差し出した。


「そろそろ帰ろうか。また明日にでも一緒に水をやりにこよう」


「うん。そうだね、パパ」


 家に飾ろうと花を数本だけ摘んで少女は父の手を握る。そして二人は帰路についた。


 花畑から家までは歩いて三十分以上かかる。それなりに大変な距離だが少女はその歩いている時間が嫌いではなかった。花畑から家までの道中。少女はのんびりと景色を眺める。草原を流れている小川。さわさわと風に揺れる樹々。遠目にある民家を思しき建物。少女は歩きながら深呼吸する。少しだけ冷えた空気が肺一杯に満たされた。


「気持ちいいね、パパ」


「そうだね、アメリア」


 狭い土地に敷き詰められた建物。そのような世界とは異なる。この世界には潤沢な土地があるのだ。建物を密着させる意味も建物を無駄に高くする意味もない。息苦しさを覚える必要がない。開放的な世界。少女はその世界で最愛の父ともに生きていく。


「どうだろう、アメリア。この辺りに畑でも作って野菜を育てないか? 季節ごとの野菜を育てて、その自分が育てた新鮮な野菜を食卓に並べるんだ。きっと楽しいよ」


「新鮮なお野菜? 食べたい食べたい。やろうよ、パパ」


 父の提案に少女はピョンピョンと体を跳ねさせながら喜んだ。はしゃぐ少女に「ほら跳びはねると危ないよ」と父が苦笑して周囲をクルリと見やる。


「家族二人分の野菜だからね。あまり大きな畑にしないで小さな畑にしようか」


「ええ……せっかく作るなら大きな畑にしようよ。そっちのほうが絶対楽しいから」


「でも大きな畑だと世話が大変だよ?」


「大変でもいいよ。せっかくこんなに広いんだから畑だって大きく――」


 少女はここでふと足元に視線を落とす。すぐ近くにある青々とした樹。その根元に何かが落ちていた。膝を屈めてその何かを確認する少女。その何かとは――


 まだ羽が生えそろっていない鳥のヒナであった。


「……これは野鳥の赤ちゃんだね」


 父が少女の隣に立ち止まり鳥のヒナが落ちていた樹の幹を見上げた。


「……多分この樹に鳥の巣があって、この子はその巣から落ちてしまったんだろうな」


「この子……死んじゃってる」


 少女はポツリと呟く。樹の根元に倒れていた鳥のヒナ。怪我はなさそうだがピクリとも動かない。巣から落下して長時間と放置されたため餓死したのだろう。ヒナの死を前にして表情を曇らせる少女。父が少女の隣に屈みこんで少女の肩に手を乗せる。


「二人でこの子のお墓を作ってあげよう」


「……うん」


 少女は父と協力して樹の根元に穴を掘り、その穴に息絶えた鳥のヒナを埋めた。そして家に飾ろうと花畑で摘んでいた数本の花をヒナの埋めたその場所に添える。簡易的な墓を作り終えて少女は父と一緒に祈りを捧げた。


「僕たち人間も含めて、全ての動物たちは命が尽きたその時に大地へと還る。それが自然の理なんだ。この子の魂もきっとこの場所で安らかに眠ってくれるはずさ」


「……そうだよね、パパ」


 少女が父に微笑む。父もまた少女に微笑みを返した。ヒナの弔いを終えて少女は父とともに立ち上がる。そして父と手をつないで再び家路につこうとしたところ――


「――アメリア」


 父ではない男性の声を聞いて――


 少女は背後を振り返った。


 距離にして五メートル。そこに一つの人影が立っている。無造作に首筋まで伸びた黒髪に、刃のように鋭利な黒い瞳。全身を包み込んだ黒いロングコート。全身黒ずくめの影法師のような青年。少女は唖然とした。青年がここにいることが信じられなかったからだ。しばしの間。少女は静かに覚悟を固めて――


 父とつないでいたその手を離した。


「……クルトさん」


 黒ずくめの青年――


 クルト・ホーエンローエが――


 悲しげな少女に無情に告げる。


「夢を見るのはもう終いだ」



======================



 父と一緒に育てた花畑。そこはアメリアの最も大切な場所であり、恵まれた土地のあるこの世界を象徴する場所でもある。アメリアは今、父と別れてその場所に戻ってきていた。足元に広がる美しい花々。アメリアはそれを眺めながらぽつりと言う。


「……綺麗な場所だろ? 私と父さんが二年をかけて育てたんだ」


 アメリアの背後には黒ずくめの青年――クルトがいる。彼女の話を黙して聞いているクルト。アメリアはワンピースの裾を揺らしながら彼に振り返ると自嘲気味に苦笑した。


「もっとも私にその二年間の記憶はないんだがね。父さんの話を聞いている限り、私はどうやらこの世界で六年間生きてきたらしい」


「……この世界はお前が取り込んだ呪いの力で生み出されたものだな?」


「そうだ……エルピダ地区の呪いは『他者の望みを強制的に叶える』こと。呪いを受け入れようとそうでなかろうと、感染者は自身の願望を()()()()()()()


「……呪いに感染したお前が子供の姿に戻ったのは?」


「父さんの生きていた時代に戻りたいと、私が無意識にそう願っていたからだろうな」


 アメリアは静かに嘆息してクルトにふとした疑問を尋ねた。


「この世界では時間の感覚がない。一体どれだけの時間が経過したのだろうか?」


「お前が神殿の呪素を取り込んでから……おおよそ二十分弱ぐらいだな」


「……たったそれだけか。私にはもう数日の時間が経過したような気がしていた。だが二十分だとすれば、クルトさんがどうして起きている? 薬が少量とはいえ二十分程度ならまだ寝ていてもおかしくないはずだ」


 アメリアの疑問。クルトがポケットに入れていた左手をおもむろに出して、アメリアにその左手をかざして見せた。怪訝に思いながらクルトの左手を見やるアメリア。そしてすぐに彼女は目を見開いた。ポケットに隠されていたクルトの左手。その手が――


 真っ赤な血に濡れていた。


「ちょいと眠気覚ましにナイフの刀身を力一杯に握り込んでやった。おかげで左手はこの通りボロボロになっちまったが、どうにか眠りこけずにすんだわけだ」


「……無茶をする。見たところ相当の深手だ。下手をしたら指が取れていたぞ」


「心配いらねえよ。この程度ならセラピア地区に戻れば勝手に治る」


「それなら早く戻ったほうがいい」


「そのつもりだ。やることやったらな」


 クルトがニヤリと牙を剥いて――


 その黒い瞳を細めていく。


「もう十分夢は見ただろ? そろそろ夢を終わらせて現実に帰る時だ、アメリア」


「……クルトさん」


「お前は今、際どい状態にある」


 クルトの口調が一段と鋭くなる。


「お前が大量の呪いを取り込んでおきながら無事なのは、俺に噛まれたことでついた呪いの耐性がまだ僅かばかり生きているからだ。本来ならとっくに死んでてもおかしくない。それだけの呪いをお前は取り込んでいる」


 神殿に辿り着いた時、アメリアたちは翼を生やした男に遭遇した。彼は呪いの感染者であり遭遇したその時点ですでに人の意識をなくしていた。対してアメリアは、ひとつの世界を生み出すほどの膨大な呪いを取り込んでおきながら意識を保っている。この両者の違いは呪いに耐性があるか否かであるようだ。


「だがそんな状態は長く続かない。あと数時間か数分かは分からねえが、呪いはいずれお前を確実に殺すだろう。分かったら、呪いの力に頼るのはもう止めろ。今ならまだお前の体から呪いを除去すれば助かるはずだ」


「私が取り込んだ呪いを……私が生み出したこの世界を……喰うつもりなのか?」


「――このまま死にてえのか? いい加減に目を覚ましやがれ!」


 クルトが笑みを打ち消して声を荒げた。表情を苛つかせてアメリアを睨みつけるクルト。だが彼のその視線に憎悪は感じない。彼はただ純粋にアメリアを心配しているのだ。それはアメリア自身にも理解できた。だからこそアメリアもまた――


 彼の想いに誤魔化さずに答える。


「……以前に一度だけ、父さんと暮らしていた家の様子を見に行ったことがある」


 アメリアはポツリとそう呟いた。クルトの眉がピクリと揺れる。話を逸らしていると思われても仕方ない状況だ。だがクルトが余計な口を挟むことはなかった。アメリアは当時のことを振り返りながら言葉を続ける。


「別に目的なんかない。ただ本当に何となくだ。昔の記憶を頼りに当時暮らしていた場所を見つけたよ。そして私は愕然とした。父さんとの故郷。そこには見覚えない家が建てられおり見知らぬ家族が暮らしていたんだ」


 父と暮らしていた家。何よりも大切な思い出の場所。それが知らぬ間に跡形もなく消えていた。アメリアは静かに息を吐き出してふっと苦笑する。


「当たり前のことなんだがな。私がその土地を離れたのは十年も前のことだ。私たちが離れたその土地に新しい家族が暮らしていた。それだけのことで何ら珍しくない」


 浮かべていた苦笑を僅かに歪めて、アメリアは淡々とクルトに告げる。


「私にはもう故郷がない。あの世界には『居場所』がないんだよ。だがこの世界になら私にも『居場所』がある。私だけじゃない。誰もがこの世界では『居場所』を与えられている。この世界の土地は誰のものでもない。みんなに平等に与えられたものだ。そもそも人間よりも遥か昔から存在する世界に所有者がいること自体が歪んでいたんだよ」


「……お前の言い分も分からなくはない」


 アメリアの言葉を黙して聞いていたクルトがここで閉ざしていた口を開く。


「確かに人間よりも昔から存在する世界に所有者がいることは歪んでいるのかも知れない。だが土地の所有者を決めなければ人間はその土地を奪うために必ず争いを始める。お前だってガキじゃない。それぐらいのこと理解しているはずだろ」


「……分かっている……私だってそれぐらい理解している。だが納得できないだろ!」


 クルトの大人びた正論に――


 アメリアは子供のように声を荒げた。


「私が言っていることはそんなにも馬鹿げたことか!? 当たり前のことを求めることがそんなにも愚かしいことか!? お金がなければ土地を歩くことさえ許されないんだぞ! 世界中から邪魔者のように追い出されるんだぞ! そんな世界が正常なのか! 正しい世界なのか!? あの世界では私たちは生まれながらに『居場所』なんてないんだ!」


「――ッ! アメリア、落ち着け!」


「この世界が幻であることは分かっている! だがそれで構わない! ()()()()()で生きるぐらいなら、()()()()()()で私は生きていく! それを邪魔するというのなら――」


 アメリアの全身が大きく震える。六歳児の小さな矮躯。その低い視点が大人の高い視点へと上昇する。すらりと伸びていく手足。大きく膨らんでいく胸。着用していたお気に入りのワンピースが淡い光に包まれて、神殿に侵入した際に着ていた、動きやすさ重視のシャツとズボンに変化した。


 瞬く間に大人の姿に成長したアメリア。彼女の変化にクルトが表情を強張らせる。アメリアはおもむろに右手をかざして指を握りしめた。アメリアの右手に一振りの剣が握られる。自身の剣ではない。だが見覚えのある剣だ。エルピダ地区の呪い。その根源。神殿内部で地面に突き立てられていた凶器。アメリアは右腕を一振りして――


 聖剣を構えた。


「例え恩人であるクルトさんであろうと――容赦しない!」



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